真面目系放送部女子の痛恨のミス
天気の良い午後、この時間は眠い。古文の教師が黒板を向いたのを見計らって俺は大欠伸をした。それから机の右上に書かれた汚い字をペンでとんとんとつつく。
(読んだ、面白かった。コクーンの3枚目)
前半は俺が勧めた本の感想で、後半は相手からのお勧めだ。コクーンって知らない。俺はまた教師が板書している隙に机の下で携帯を出してメモし、それが済むと書かれた文字を消しゴムで消した。
おかしな卓上文通が始まったのは2ヶ月ほど前だ。
いま、微積の授業は習熟度別クラスに別れており、俺の教室は微積で一番優秀なAクラスの生徒が使う。俺は不本意ながら下から二番目のDクラスだ。
その微積の授業の前が現国だったのだが、ある日、つまらなくて机に(だるー)と書き、消すのを忘れて教室を移動した。すると戻ってきたら、(だるー)のすぐ下に一言書かれていたのだ。
(ハイエナシリーズ)
ハイエナシリーズの意味が分からず調べたら、本のようだった。つまり、俺の机を使った微積Aクラスの生徒が、(だるー)の返答に本を勧めてくれたのだろう。
読む気はなかったが、帰りに図書館に寄ってぺらぺらとめくったらなんだか一気にはまってしまった。俺はシリーズを全て借り、しばらく読み耽った。
そして次の微積の授業の前、自分の机に(面白かった)と一言書き、好きなロックバンドの名前を添えた。
そうやって相手から勧められたものの感想を一言記し、逆にお勧めの本や音楽を残す、という卓上文通が始まった。2ヶ月経った今でも、相手の生徒が誰なのか知らない。
♦︎
コクーンの感想を残し、微積の授業を終えて自分の席に戻った時のことだ。前回勧めた本の感想に何が書かれてるかなとワクワクして机を見た俺は、書かれた文字に目を剥いた。
(好きです。付き合ってください)
「はあ!?」
前の席の都築暁人が俺のおかしな声に反応して振り返った。
「どうした?」
「なんでもない…」
暁人に見られないように腕で卓上の字を隠す。暁人が前を向いてから、そっと腕を上げて文字を確かめた。
ーーやはり同じだ。しかしその下にさらに文字が書かれている。
(今日の放課後、視聴覚室の一番後ろで待ってます)
「ええー…」
驚いた。卓上文通相手は男子生徒だと思い込んでいたのだ。字は汚いし、微積Aクラスはほとんどが男子だからだ。さらに勧めてくる本や音楽は女子の嗜好からは離れているのではないかと感じていた。
いや、告白してきたからといって女子と決めつけない方が良いかもしれない。男子生徒である可能性もあるし、男子だろうが女子だろうが、話は聞く必要がある。放課後待っているというのだから。
それから放課後までそわそわして、俺は恐る恐る視聴覚室に行った。視聴覚室はパソコンが並んでおり、放課後に生徒が自由に使うことが可能なものの、実際の使用率は高くない。いまもモニタを眺めているのは数人だ。
一番後ろの列に向かうと、一人だけが席についていた。パソコンはついておらず、険しい面持ちで暗いモニタを見つめている。女子生徒だった。
「あの…」
そっと声をかけると、女子生徒はパッとこちらを振り向いて真っ直ぐに俺を見た。
「あの、机の字を見て来たんだけど…」
すると女子生徒は大きな目を見開き、口をぽかんと開けた。心底驚いているようで、目玉が落ちそうだ。
そちらが呼んだんじゃないか…?と思ったが、その反応を見て、気付いた。
もしかしてこの子、間違えたのでは?
「あの、俺は都築伊織です」
「えっ!?」
それから女子生徒は困惑した様子で眉を寄せた。
「……都築くん?」
間違いない。いや、彼女は間違えているんだけれども。彼女は同じクラスの都築暁人を俺、都築伊織の机と間違えたんじゃなかろうか…?
女子生徒は明確にうろたえて、目を逸らした。彼女はしばらく逡巡していたので、俺は口を開いた。
「あの、」
「都築くん、私は緒方しのぶといいます」
勘違いを訂正してやろうとした瞬間、女子生徒はキリッと顔を上げて名乗った。
彼女の名前は知っていた。テストの総合順位に入っているのを見たことがある。さすが微積Aクラスだ。
「机でやり取りしていたのは私なの」
「あ、はい」
「今日来てくれたということは、そういうことで良い?」
「あ、はい。えっ?」
「ありがとう。では、そういうことで。一緒に帰ろう」
思い詰めたような険しい表情で畳み掛けられて、よく分からず返事してしまった。当の緒方さんはカバンを肩にかけると、さっさと視聴覚室を出ようとしている。
そういうことというのはどういうことだ?俺はよく分からぬまま緒方さんの後を追った。
暁人と俺を間違えたのだろうとすぐに分かったのには、名字が同じ以外にも理由がある。暁人は同性の俺から見ても良いやつでとにかくモテるのだ。
背も高いし、顔も良いし、誰とでも分け隔てなく接する。さらに水泳部エースという、これでもかというくらいのモテる男子だ。
対する俺はバイトに勤しむ帰宅部、女子の知り合いはいない。
緒方さんのことは名前だけしか知らなかった。いま隣を歩く彼女は、肩までの真っ直ぐな髪が真っ黒でつやつやしていて、そのためかすごく色が白く見える。化粧をしてるのかどうかは分からない。
とにかく真面目な女子なんだろうなという印象だ。勉強はできるし、制服は着崩していない。
相手が暁人のつもりであの告白文を書いたなら、相当な決意と思い切りだったんじゃないだろうか。それが間違って相手が俺だなんて。
「ごめん、都築くんの本の趣味は知ってるんだけど、他のことは知らないの。教えてもらえる?」
緒方さんは視聴覚室を出た時よりは落ち着いた表情で話しかけて来た。そうだ、俺も緒方さんのことを全然知らない。
それからお互いの自己紹介をした。緒方さんは放送部で、全校集会や昼放送を担当しているという。
「勧めたものは都築くんの趣味に合わないことはなかった?」
「いや、どれも面白かった。けど相手は男子だと思ってた」
趣味は兄の影響だと緒方さんは言った。なるほど、女子の嗜好から離れているわけだ。
それから本の話を少しして、駅で別れた。別れ際にSNSのIDを交換した。
「私、明日は部活なんだけど、都築くんは明後日の放課後は暇?」
「あ、はい。えっ?」
「じゃあ連絡するね」
いまのやり取りで、視聴覚室で緒方さんが言っていた「そういうこと」の意味が分かった。すなわち、机に書かれていた(付き合ってください)を実行しようとしているのではないか?
俺が引き留めようとする前に、緒方さんはじゃあね、と言ってさっさと反対側のホームに入っていった。
俺は諦めて息をついた。まあいいか。ひょっとすると俺と暁人を間違ったけど、自分から告白した手前、間違えたとは言いづらいのかもしれない。とりあえずは自分の言ったことに責任を持とうとしているのかも。真面目そうな人だし。
俺の方は一生彼女なんて出来ないかもしれないし、貴重な経験だ。少ししたら緒方さんの方から、やっぱやめようと言われるだろうから、それまではこのままでも。
俺は交換したばかりのIDをぼんやりと眺めた。猫のアイコンが可愛らしい。もちろん、女子のIDが自分の携帯に表示されたのは初めてだ。
二日後、律儀に『また視聴覚室で待ってます』とメッセージが来た。そして前回と同様に駅まで一緒に帰る。
「私が勧めて、都築くんが読んでくれた本の感想をもう少し詳しく教えて欲しいな。あの机のやり取りだと短いよね」
「ああ、ええと、初めに紹介してくれた本は一気に読んじゃったんだけどーーー」
卓上文通の中では、(面白かった)とか(いまいち)とかの一言しか書けなかった。そのため、それ以上の感想を聞きたいという。俺の方も同様だった。
それからの放課後、しばらくは卓上文通のやりとりを復習した。緒方さんの部活のない日は駅まで一緒に帰るようになり、だんだんそれに慣れてくる。
同時に卓上文通もまだ続いていた。お勧めを紹介し合うのは卓上で、その詳細な感想を語り合うのは帰り道にするようになった。
面識のない女子と話が持つのだろうかと俺は心配していたが、杞憂だった。なんていったって、2ヶ月文通していたのだ。相手の趣味をよく知っている。
緒方さんは暁人と俺を間違えたはずなのに、俺と共に下校することは苦ではないようで、慣れてくるとニコニコとよく笑った。
意識して探すようにすると、校内でも見かける。廊下で友達と談笑していたり、足早に教室を移動していたり。たまに校内放送で彼女の声を聞くこともあった。ただ、放課後以外は話しかけられることはない。
一度、体育に向かううちのクラスと、移動教室の緒方さんとすれ違ったことがある。彼女は俺に気付かず、すれ違う暁人を目で追った。
やっぱり。緒方さんの片想いなんだろう。本当のことを教えてくれたら、協力してあげるくらいはできるのに。なんせ、暁人とは出席番号が隣で席も前後なのだから。
♦︎
「都築くんは、映画は?」
いつもの帰り道、緒方さんから問われた。今まで紹介し合うのは本や音楽ばかりで、映画はほとんどなかった。
「実は映画はあまり見ない」
隣を歩いていた緒方さんは驚いた様子で俺を見上げると、難しい顔で立ち止まった。
「本当に?それはいけない」
「えっ」
「どういう話がいい?ファンタジー、ラブストーリー、SF、コメディ?」
「……SFかな…」
「明後日の放課後に時間もらえる?」
バイトはない日なので俺が了承すると、緒方さんは顔を綻ばせて、何にしようかなと呟いた。
二日後にいつも通り視聴覚室で待ち合わせをすると、普段は暗いモニタが点いている。緒方さんはヘッドホンを俺に渡して、隣に座るよう促した。
1時間と少しの間、並んで一つのモニタで同じ映画を見て終わると、緒方さんはヘッドホンを外してこちらを見た。
「どうだった?」
「悪役がかっこいい」
「そうなの!それに声が良い」
彼女は嬉々として、いま見た映画について語り始めた。いままでは本や音楽を勧めてきたが、彼女が詳しいのは映画なのだという。
「映画は勧めるのが難しいよね。好みもあるし、時間もとるし。でも都築くんには見てみてもらいたいものがたくさんある」
「あんまり難しくないものにしてくれる?頭使って疲れる」
俺が情けない発言をすると、緒方さんはけらけらと笑った。
それから時間のある時には、緒方さんのお勧めの映画を視聴覚室で二人で見るようになった。そうすると、他の生徒からも「こいつら付き合ってる」と見えたようだ。
「伊織、緒方さんと付き合ってるの?」
いきなり暁人から聞かれて驚いた。誰かから聞いたのだろうか。
「…いや、付き合ってはいない。趣味を共有する友達」
「ふーん」
もし緒方さんが今後、暁人に告白することを考えたら、形だけだけど俺と付き合っていたという不名誉は避けるべきだと思った。
「暁人は緒方さんのこと知ってるの?」
「中学同じだった。頭いいよね」
「ほお」
ということは、ひょっとすると緒方さんは中学生の頃から暁人への片想いを拗らせている可能性がある。そんな一途なのに、なぜ机を間違えたのだ。頭が良いはずなのに。
その日の放課後、いつもと違って図書館に集合になった。
「テストが近いから勉強しよう」
「えっ、俺も?邪魔じゃない?俺、帰ろうか?」
「いや、一緒に勉強しよう」
そういうと教科書をバサバサと出し始めたので、俺も渋々向かいに座った。
「俺、緒方さんと頭の作り違うから、一緒に勉強したところで教えてもらう一方だよ」
「うーん、教えた方が良ければ教えるけど。都築くんと一緒に勉強したいだけ」
「なんで?」
「なんか、都築くんといるの、すごい気楽だから」
さらりとそう言うと、緒方さんは早速問題を解き始めた。「すごい気楽」という評価は、男として喜ぶべきか否か、恋愛経験の浅い俺には判断できない。
俺はまだあまり気楽というわけではないけど、緒方さんと一緒にいるのは嫌ではなかった。ずっと文通してたのだし、気の合う友達という感じだ。
♦︎
緒方さんに勉強を教えてもらったおかげで、テストの結果はまずまずだった。微積のクラスが1つ上がったのだ。緒方さんは相変わらずAクラス維持だ。
テストが終わり日常に戻った途端、俺は大風邪を引いた。
しまった、今日は微積があるから緒方さんが何か書いてくれているだろうに。しかも古文でミニテストをやるはずだ。まあ古文はどうでもいいが。
熱が高かったので一日中寝ていて、誰とも連絡を取らなかった。緒方さんと一緒に帰る約束もしてないし、明日も休むようだったら連絡しなきゃ、と朦朧とした頭で考えた。
次の日、熱が引いて登校した俺は掲示板に貼られた紙を見て驚愕した。
『厳重注意処分 処分理由:試験カンニングに準ずる行為のため 氏名:都筑伊織』
「へあっ!?」
誓って、カンニングなんかしてない。しかも、準ずる行為ってなんだ。周りの生徒が訝し気に俺を見る。視線が痛い。
俺が掲示板の前で言葉を失っていると、担任が現れて職員室に連れ込まれた。
担任の話では、古文のミニテストの際に机に書き込みがあり、それを見つけた古文教員に問題視されたという。
あちゃーと思った。書き込みは古文の前の微積で緒方さんが書き込んだものだろう。緒方さんに休むことを連絡しておけばよかった。
「でも俺、昨日休んでてテスト受けてないんですけど」
「そうそう、だから厳重注意。机にはなにも書き込むなってこと」
「はあ」
一方で俺はすでに、まあいいか、という気になっていた。というのも、うちの学校はすぐに厳重注意やら停学やらになってしまうのだ。
あの暁人だって「プールサイドでスイカを食べ、種を飛ばして遊んでいて校長にぶつけた罪」で停学になったことがある。厳重注意なんてちょっと小言を言われたくらいのものだ。
担任と話を終えようとしたところで、大きな音がして職員室の扉が開いた。びくりとしてそちらに目をやると、般若の顔をした緒方さんが大股で入ってきた。彼女はそのままの勢いで担任に詰め寄る。
「あの机に書き込んだのは私です」
「あ、書いたの緒方なんだ。もう書くなよ」
怒りに燃える緒方さんに対して、担任は飄々と返事をする。緒方さんがますますヒートアップしたのが分かった。
「おかしいです。机に書いたのはテストに関係ないことだし、そもそも都築くんはテストを受けていません。それでなぜ厳重注意なんですか」
「都築にも言ったけど、机には書き込むなってこと。停学じゃないからいいじゃないか」
「それなら厳重注意を受けるべきは私です。処分を訂正してください」
優等生の緒方さんが感情をあらわにして食い下がるため、担任もたじろいだ。見かねた学年主任が割って入り、とりなそうとする。
職員室にいた教員だけでなく、生徒らもその様子を見つめていた。当事者である俺はぼーっと立ったままだったが、緒方さんに声をかけた。
「緒方さん、いいって。厳重注意くらい」
「ほら、緒方。本人がこう言っているんだから落ち着け」
緒方さんは担任を強くキッと睨みつけた。
「絶対に、よくない。おかしい」
そのまま真っ赤な顔でスカートを翻し、走って職員室を出て行ってしまった。
残された俺たちはやれやれと息をついたのも束の間、緒方さんの次の行動に慌てた。
突然、キンコンカンと放送開始の鐘が鳴り、スピーカーから緒方さんの声が流れ始めたのだ。
『ーー本日、掲示にて厳重注意処分となった男子生徒についてお知らせです。彼は冤罪で、十分な聞き取りもされぬまま一方的に処分をーーー』
あろうことか、緒方さんは全校への放送で処分に対する異議を訴え始めた。
職員室にいた人間が皆、ぎょっと慌てふためく。
しかし教員の行動は早かった。
学年主任が放送室に向かい、他の教員は各教室のスピーカーのスイッチを急いで切って回った。生徒たちはなんだなんだとざわついているが、それを教員たちが収める。
よって、緒方さんの不服申し立ては早々に打ち切られてしまった。
しかし、緒方さんはそのまま放送室に篭城した。外から学年主任が説得しても、処分訂正しなければ外に出ないと頑なだという。
俺はというと、当事者だし、バタバタしてるからと校長室に押し込まれた。各教室のスピーカーは切られていたものの、校長室だけは放送室の様子を把握するためにそのままスピーカーがつけられていた。
緒方さんは説得を無視し、好きな音楽を流し、時折MCのように不服申し立てを差し込んだ。さながらラジオを聴いているようだ。彼女が勧めてくれたことのある音楽が流れてくるのを聴いて、俺はなんだか面白くなってきてしまった。
校長も途中からこのおかしな放送を楽しんでいるようだった。
「緒方さんは生真面目な子だと聞いているけど、結構熱いところがあるんだねえ。都築くんの彼女なの?」
書類仕事をしながら朗らかに話しかけてくる校長に、俺はなんと返答しようか迷った。
「彼女ではないんですけど、なんていうか…」
校長はその返事を聞いて、いいねえ、と頬を綻ばせた。
結局、緒方さんは丸一日篭城し、夜になって出てきた。俺は正門で緒方さんを待っていた。ゆっくりと歩いてきた彼女は、俺を見つけると顔を上げた。
こっぴどく怒られたようで顔は青白いが、朝と同じ、強い眼差しは変わっていなかった。篭城明けなのに、全然しおれていない。
俺は目の前で立ち止まった緒方さんに声をかけた。
「俺の代わりに怒ってくれてありがとう」
すると、途端に緒方さんはくしゃりと顔を歪ませ、ぽろぽろと涙をこぼした。
「…私のせいなのに。ごめんね」
俺は涙を流す緒方さんに対して、不謹慎ながら綺麗だなと思ってしまった。
緒方さんは生真面目で、自分の言動にとても責任を持つ人なんだろう。暁人と間違えて告白してきた後のこともそうだし、今回のこともそうだ。きっと完璧主義で、危ういところもあるけど、それは緒方さんの美点だ。
「放送、ラジオみたいで面白かったよ」
「…聞いてたの?」
「全部聞いてた」
微妙な表情で下を向く緒方さんを見て、彼女が感じている責任をもう一つ解いてやることにした。
「緒方さん、暁人と俺を間違えてたでしょう」
それを聞いた緒方さんは濡れた瞳のまま、パッと顔を上げた。
「知ってたの!?」
「分かるよ、そりゃあ。俺、暁人と同じクラスだから緒方さんのこと応援するよ。暁人は、俺と緒方さんは友達だと思ってるし」
軽い調子で話した俺に対して、緒方さんは難しい顔になって下を向いてしまった。よくないことを言ったかと、顔を覗き込む。
「…前にあの席に水泳部の都築くんが座っていたのを見たことがあって。てっきり文通相手は彼だと思っていた。ごめんなさい」
「いえいえ」
「…正直なところ、」
「うん」
「こちらから呼び出したので、間違えたなんて言えなくて。でもすぐに都築くんに断られるだろうからいいかと不誠実なことを考えていたの」
断る側は逆にしても、俺も同じようになるんだろうなと思ってました、とは言えず、黙った。
「確かに水泳部の都築くんに憧れていて、彼の席だと思ってあの席に座って机の書き込みに返事したのが最初だったんだけど、でもあの机のやりとりをしてた相手だから告白しようと思ったし、実際、都築くんと会って話すとすごく楽しいし気楽だし…」
段々声が小さくなっていく。が、急に緒方さんは顔を上げて俺を見た。初めに会った時と同じ、険しい眼差しと合う。
「…なので、差し支えなければ今後もそういうことでよろしくお願いしたいんだけど、どうでしょうか」
「あ、はい。えっ」
勢いにつられて、また条件反射で返事をしてしまった。だめだ、今回はきちんと確認せねば。
「待って、緒方さん。そういうことというのは、すなわちお付き合いするということでいいの?俺、こんなのだし、カンニングに準ずる行為で厳重注意男だよ?」
「それは私のせいだし。それに私なんて立てこもり犯だよ」
「いや、長時間ラジオMCでしょ。全然いいよ」
緒方さんはようやく、ふふふと笑った。頬に赤みが戻ってきている。
「では都築くん、そういうことで、今後ともよろしくお願いします」
「はい」
それから二人でゆっくりと駅まで歩いた。
緒方さんは放送室への立てこもりの結果、停学三日の処分となった。もちろん、彼女にとっては初めての停学だ。
せっかくだからと、俺は彼女の停学のうち一日、学校をさぼった。今までは下校時と視聴覚室、図書館でしか一緒に過ごしたことがなかったけど、今日は初めて二人で外の映画館に行くのだ。
これまではお勧めを紹介し合っていたけど、これからは面白いものを一緒に探すことが出来る。
そのことを俺はとても楽しみにしている。
《 おしまい 》