第6話 「この世界」について
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ディーンさんの下でお世話になることになってから、 早いもので一週間。
俺はその間、ディーンさんたちの下でちょっとした手伝いなんかをこなしつつ、冒険者となるため、彼らからこの世界に関する、 色々なことを教わっていた。
冒険者となるためにはまず、 最低限の条件として、「魔獣たちと渡り合える実力」が求められるらしい。
冒険者の本分は、一般人では対処できない危険な存在と戦うことにある。故に、魔獣と対等以上に戦うための力は、冒険者にとってなによりも重視されるものなのだ……とは、ディーンさんの弁だ。
冒険者にとっての必須事項を学ぶにあたって、俺は先日の言葉通り、ディーンさんに師事することとなった。
貴族になる前は冒険者をやっていた、という言葉の通り、ディーンさんは元々、貴族の爵位を賜ることができるほどの武勲を挙げた、名うての冒険者だったらしい。様々な武器を自在に操り、数多の魔獣を討伐してゆくその様から、かつては「万武の猛将」なんて二つ名で呼ばれていたそうだ。もっとも、二つ名は本人的に気恥ずかしいらしく、シリウスさんからその名を出された時は、微妙に目線をそらしていたが。
勉強開始初日、どれだけ戦えるかの地力を調べるため、ディーンさんと模擬戦を行ったのだが、訓練用の木剣を当てるどころか、掠めさせることすらできなかったことは言うまでもない。
剣捌きや立ち回りはもちろん、そもそもの基礎的なあれこれに置いても圧倒的に劣っているというわかりきった事実をまざまざと突きつけられ、苦笑いすら零せなかったのはここだけの話である。
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戦うための稽古を受ける傍ら、シリウスさんや他の使用人さんから、この世界に関する色々なことも教わっていた。
特筆すべき特徴として、このエルフラムは単なる剣と魔法の世界ではなく、「魔力を動力に動く特殊な道具」が存在していることが挙げられる。
「魔動具」と呼ばれるそれらのアイテムは、シリウスさんいわく、この世界に満ちている超自然的エネルギーである魔力が凝固して出来た「魔石」という物質を利用し、様々な現象を引き起こすためのもの……だそうだ。
身近なところでいえば、以前使った「洗面台の蛇口」や、各部屋を照らす「水晶ライト」も、れっきとした魔動具の一つらしい。あれは実は、現代日本で使われている蛇口や照明とは違い、「取り込んだ魔力を水や光に変換して放出する」特性を持つ、特殊な鉱石を用いて作成されているのだとか。
詳細な構造などは流石に知り得なかったが、ともかくこの世界における「魔力」と「魔動具」は、現代における日用品と同等のレベルの代物――あえて現代の物に例えるなら「乾電池とそれを使う道具」というべきだろうか――と考えていいだろう。
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むろん、「冒険者」という職業に関するあれこれに関しても、ばっちり予習済みだ。
この世界における冒険者は、以前出会った女性冒険者の言葉の通り、「人々の安全と平和を守る」ための職業として知られている。なので名前とは裏腹に、実際はそこまで冒険するような職業ではないのだそうだ。
主な業務内容は、どちらかと言えば「何でも屋」に近い。
協会や民間から持ち込まれる依頼は、雑用のようなごく簡単な物から、強力な魔獣の討伐まで多岐にわたる。「剣無き者の剣たれ」という理念の下、様々な依頼をこなし、報酬を得て生活するのが、この世界における冒険者の、基本的な在り方らしい。
現代日本で言うなら日雇い。こちらの世界の言葉に繕い直すなら、「国家公認の傭兵斡旋企業」とでもいうべきだろうか。実入りは決して安定するわけではないが、一山当てて贅沢三昧、なんてことも、場合によっては夢ではない……とは、冒険者から貴族にのし上がったディーンさんの弁である。
エルフラムを統治する国々をまたいで結成された組合組織である「冒険者連合協会」、こと協会の下、日夜問わず民間から持ち込まれる様々な依頼を捌く冒険者という職業には、大きな特徴として「就業に特別な制限が存在しない」ということがある。
年齢や実績によって受けられる依頼に制限はかかるものの、「人格や経歴に問題が無く」、「依頼遂行に十分な実力さえ備えている」人間であれば、身分や年齢を問わず仕事を斡旋してもらえるのが、冒険者という職業が持つ、大きな利点の1つだ。
むろん、人々の生活を守るための仕事であるため、冒険者となるためのハードルは決して低くない。それでも、戦いの腕さえ備えていれば最低限の仕事はできるため、冒険者として生計を立てる人間は、それなりの数に上るのだそうだ。
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ぱらり、と紙をめくる音が、静かな客室に溶けて消える。
換気の為に開け放たれた窓から流れ込む風を感じながら、俺はまた一枚ページをめくり、ディーンさんから借りた蔵書に目を落としていた。
今読んでいる本は、ディーンさんも愛読していたという、戦術の基礎を学ぶための指南書だ。様々な武器の扱い方を筆頭に、広く扱われている魔獣との基本的な戦闘術。果ては各国の正式な剣術の一部が網羅されていたりと、戦闘の心得を持たない初心者が読むにはうってつけの一冊だった。
魔動具の存在によって文明が発達していることもあるのか、この世界では製紙技術も現代と同等レベルに発達しているらしい。
印字の精度も、日本で見知ったそれとほとんど遜色ない出来で、現代で触れてきたような本と同じものを手に取れるというのは、どことなく安心感があった。
――こうして本を読んでいると、かつてライトノベルを読み漁っていたころを思い出す。
今は亡き友人の影響でオタクになってまもない頃、それはもう飽きもせず延々と読みふけっては、妄想の世界に浸っては、もう一人の友人に呆れられていたものだ。
そんな俺が、ラノベの中の世界そのものなエルフラムに居るという事実には、未だに実感らしい実感がわかなかった。
……なんてことを考えていると、不意に部屋の扉がコンコンと音を立てる。
「エイジ、居るか?」
続けて扉越しに聞こえてきたのは、ディーンさんの声。
今日は用事があるため、訓練は取りやめになっていたはずだ。にも関わらず、俺の使っている部屋を訪ねて来るというのは、ちょっと意外だった。
「はい、今開けます」
返事と共に席を立とうとしたその矢先、がちゃりとノブが回って扉が開く。
開いた扉の向こうには、いつも通りの姿のディーンさんが立っていた。
「よう、邪魔するぞ。どうだ、勉強の方は順調か?」
「あ、はい。おかげさまで。貸して頂いたこの本も、すごく役に立ってます」
「そうか、そりゃ何よりだ。……にしても、お前さんは活字慣れしてるんだな」
部屋に入ってきたディーンさんの目線が、ふと俺が広げている本へと向く。
「まあ、それなりには。元の世界に居た頃は、ラノベ……えーと、こっちでいう物語を書いた本なんかをたくさん読んでたんで」
「ほぉ、そうだったのか。物語っていうと、英雄譚や冒険譚みたいなもんか?」
「そんな感じです。俺が好きだったのは、ちょっと捻った感じの内容ばっかりでしたけど」
頭の中で指折り数えてみたが、読書経験といえば主に異世界転移やら異世界転生ものしか読んだ覚えしかない。紙媒体はもちろん、今の時代はネットにもあふれるほど投稿されていたので、俺は亡き友人に勧められるがまま、手あたり次第読みあさっていたのだ。
「なるほどな。まぁ何にせよ、活字に明るいってのは良いことだ。代読代筆もあるっちゃあるが、今のご時勢、依頼書を読めない冒険者は煙たがられることも珍しくないからな」
ディーンさんの口ぶりからするに、この世界の識字率というものは相応に高いようだ。識字チートでちやほや、なんて作品も見かけた覚えはあるが、流石にそんなものがまかり通るほど、現実は甘くないようだ。
「……ところで、急にどうしたんですか? 今日は確か、用事があるんじゃありませんでしたっけ」
一区切り置いて、気になっていたことを切り出す。
「っと、そうだった。――エイジ、いきなりで悪いんだが、ちょっと会ってほしい奴がいるんだ」
咳払いを挟んだディーンさんの口からは、予想もしなかった言葉が告げられた。
「会ってほしい人、ですか?」
「あぁ。一応待たせてはいるんだが、大丈夫か?」
「もちろんです。……何か手伝いごとですか?」
「いや、そいつと何かをしろってわけじゃないんだ。ただ、お前さんのことを一目見ておきたいって聞かなくてな」
やれやれ、と苦笑まじりに肩をすくめるその仕草を見るに、件の相手とはある程度ディーンさんと近しい仲のようだ。彼の知り合いと言うならば、さほど警戒して当たる必要はないだろう。
「なら大丈夫です。すぐにでも出られますけど、どこまで行けばいいんですか?」
「いや、移動は必要ない。なんせ――すぐそこにいるからな」
そう言って、ディーンさんがくいっと指し示したのは、この部屋の扉のほう。
「良いぞ、入ってこい」
ディーンさんが呼びかけると同時に、客間の扉が、再び音を立てて開け放たれた。
まず目を引いたのは、流れるような金。
降り注ぐ太陽の光を、金糸として縒り合わせて束にまとめ上げたようなブロンドの長髪が、一挙手一投足に合わせ、ふわりふわりと軽やかに踊っていた。
ふわふわの金髪から垣間見えるのは、勝ち気そうな印象を抱かせるぱっちりとした眼差しと、そこから覗く鮮やかな碧眼。金の長髪を「太陽の光」と例えるならば、その瞳はさしずめ、「雲一つない蒼天」とでもいうべきだろうか……なんて、ガラにもなく詩的な感想を抱くほどに、鮮やかで、美しかった。
ディーンさんの背後から現れたのは、金髪碧眼の少女。
あどけなさを残しつつも、凛々しく引き締められた端正な顔立ちを持つ、道端で見かければ思わず振り返ってしまいそうな、可憐な美少女だった。