第2話 非現実的な「現実」
「……さて、お前さんもわかってるとは思うが、俺たちにはお前さんに聞きたいことが山ほどある」
互いに名乗りあい、握手を交わした後、俺とディーンさんたちは、先ほどまで俺の眠っていた客室のテーブルに着いている。理由はもちろん、現状の確認と事情聴取のためだ。
「ですよね。……ただ、俺もあんまり詳しいことは分からないんです」
「というと?」
「具体的にどうして気を失ったのかとか、そのあたりの記憶が曖昧なんです。……というか正直、気を失う前のことなんかもさっぱりで」
喋りながら脳内を精査しても、それらしき原因には皆目見当がつかない。俺の感覚ではそれこそ、「自分の部屋の布団で寝て、起きたらこの家のベッドにもぐりこんでいた」……ぐらいの実感しかないのである。
我ながら苦しい言い草だとは思うが、実際のところそうとしか言えない以上、俺としては、これ以上どうしようもないのが実状だった。
「ふむ。……まぁともかく、お前さんがいろいろと訳ありな奴だってことは、何となくわかっているつもりだ。――お前さんが良ければ、お前さんのことを教えてくれないか? 何か、力になれるかもしれんぞ」
そんな怪しい人物に対して、ディーンさんは非常に親身に進言してくれる。
「ずいぶん都合のいい話もあったもんだなぁ」なんて思いもしたが、現状頼れる人と言えば、目の前の二人しかいないのだ。ならばいっそ、彼らを信じて話をしてみるのも悪手ではないだろう。
感謝の言葉を述べた俺は、つらつらと身の上を話し始める。
俺、こと日下部瑛司は、現代地球は日本の某所で生まれ育った、17歳の日本人であること。
世間一般に見れば、概ね一般人と変わりない生活をしていた、いち小市民であったこと。
いつも通りに眠りから目を覚ますと、この屋敷のベッドで眠っていたこと。
ここに来た理由もわからないし、ここに来ることとなったきっかけにも、さっぱり見当がつかないこと。
特に重要ではないであろう身の上話や、職業――といっても、その内容は「主に近所のスーパーで働くフリーター」という至極どうでもいいものだが――の話なんかは除いて、話せる限りの情報を提供する。
対面に控える二人はどちらも、余計な茶々や質問は挟まず、真摯に俺の話に聞き入ってくれた。
そうして、一通りの身の上話を終えると、ディーンさんが何かを納得したように小さく唸る。
「なるほどな。――お前さん、『異世界人』ってことか」
「……は?」
続けて彼の口から飛び出したのは、正気を疑うような一言だった。
いせかい。伊勢界。偉世怪。井瀬回。異世界――そう異世界。
あまりの衝撃に混乱した脳が、遅れてその言葉の意味を理解する。そしてそこで俺は、ようやく驚きに仰け反ることとなった。
「…………あの。失礼を承知でお聞きしますけど、本気で言ってます?」
「おう、本気も本気さ。……っつっても、そうか。お前さんは『こっちの世界』の常識も知らないんだよな。そりゃ、そんな顔になるのも無理はないか」
「は、はぁ……?」
何が可笑しいのか、ディーンさんがくくっと笑いをこらえる。情報の整理が追い付かない俺の口からは、依然として不明瞭なうめき声が漏れるばかりだった。
晒していた表情があまりにも間抜け面だったのか、ちょっとだけ申し訳なさそうな表情を見せたディーンさんが、改めて説明してくれる。
そしてその内容は、いましがた聞いた一言よりも、ずっと多くの驚愕に溢れたものだった。
――ディーンさんの話を信じるならば、今俺たちがいるこの場所は、日本が存在する地球はおろか、それを擁する宇宙とも違う、全く別の時空に存在する、別の世界なのだそうだ。
ディーンさんたち以下、この世界に住む人々から「エルフラム」と呼ばれているこの世界は、彼らからの説明を聞く限りでは、俺もよく知る創作物で言う「剣と魔法の世界」と形容して差し支えない文化を持つ世界らしい。「魔力」という超自然エネルギーを利用した技術体系が一般に根付き、「魔獣」と呼ばれる超自然的な生態系が存在し、大いなる大自然の驚異と共に生きるのが、この世界の人間たちなのだそうだ。
で、そんなエルフラムに住まうディーンさんが、何故あれほどにも早く「俺が異世界人だ」と見当を付けられたのかというと、エルフラムに住む人間にとって、「異世界からの来訪者」という存在は、珍しがられる存在でこそあれ、決してありえないものではないのだそうだ。
「老若男女の区別も、時代や季節の傾向もなく、本当に唐突に、何の前触れもなく、この世界に現れる」。そういった、異世界人の大きな特徴を知っていたからこそ、いきなり村の前で倒れている俺を発見した時、うすらとその可能性には思い当たっていた――というのは、ディーンさんの弁である。
……説明を受けながら、「ずいぶん都合のいい世界もあったもんだな」とつい思ってしまったが、眼前で説明する二人の表情は真面目そのものであり、俺をからかおうというような気配はない。
経験柄、悪意には敏感に反応できると自負しているのだが、その自分の勘が「嘘をついているわけではない」と言っている。荒唐無稽な話ではあるが、少なくとも全部が全部嘘の話、というわけではないのだろう。
「……とまぁ、ひとまず教えられる基礎的な情報は、こんなところか。……どうだ、理解は追いついてるか?」
「な、なんとか。……正直なところ、荒唐無稽な話すぎて、いまいち実感がわかないのが本音ですけどね」
衝撃的な情報の数々をどうにか飲み込もうと躍起になっている俺を見て、ディーンさんがもう一度口元に苦笑を浮かべる。
「まぁ、そりゃそうだろうな。……そうだな。反応から察するに、お前さんは〈魔法〉も見た事が無いってことでいいんだよな?」
「ええ。元いた世界には、そんな技術ありませんでしたから」
「そうか、なら話は早い」
会話尻から、なんとなくディーンさんの思惑を察する。
まさかそんな、という現実的な思考と、ひょっとしたら、という期待が、俺の胸中に去来して。
「シリウス、見せてやれ」
「かしこまりました」
返答と共に、シリウスさんがすっと右の手を開く。
――直後、シュボッ!! と音を立てて、彼の手のひらから、赤く揺らめく「炎」が出現した。
「うぉ……っ!」
「〈魔力〉と呼ばれるエネルギーを操り、個々人の資質に合わせ、適した形に変換して放出する。これが、俗に〈魔法〉と呼称される技術です」
そのまま、シリウスさんがぽんと炎を放り投げるが、炎は重力に引かれることなく、ふわりふわりと彼の周囲を浮遊する。
更に、シリウスさんがぱちんと指を鳴らせば、浮遊していた炎がぱっと弾け、五つの火の玉に分裂。さながら大道芸のごとき華麗な炎の舞を踊ると、炎たちは光の粒子となり、霧散していった。
「……今のが、魔法」
「ああ、そうだ。どうだ、初めて見た感想は?」
したり顔のディーンさんに問われるが、俺の口は動かない。
今の俺の胸中は、現実にはあり得なかったはずの現象を垣間見た驚きと、夢想の中で憧れていたものが実在し、この目でしっかりとその存在を知れた感動で、いっぱいに埋め尽くされていた。
――日下部瑛司という男は、何を隠そうオタクの一人である。
亡き友人の強引な押し売りで、渋々たしなんでいた身だったのだが、気が付けば彼の話にどこまでもついていけるような、立派なオタクに仕立て上げられていた……というのも懐かしい思い出なのだが、それはさておき。
そんな俺のオタク知識には、当然と言うべきか、ファンタジーな知識だってたくさん入っている。現実には絶対成し得ない「魔法」に憧れたことだって、何度もあったのだ。
そんな、オタクなら一度は夢見たであろう技術が、目の前に存在している。こんな事実に興奮できないほど、俺は人生を捨てきってはいないらしかった。
「ま、目は口ほどに、って奴か。――んで、どうだ? ここが異世界だって話、信じられそうか?」
「あ……えっと、はい。正直、まだ現実味は薄いですけど、ここが元居た世界じゃないんだなっていうのは、何となく実感できた気がします」
「そりゃ何よりだ。……ま、別に今すぐすべてを理解しろ、なんてことは言わないさ。今はとりあえず、俺たちの話を信じるだけで構わんぞ」
ディーンさんの気遣いをありがたく思いつつ、こんがらがった頭のまま、俺は小さく首肯する。それで満足したのか、ディーンさんはニカッと、顔つきに似合わない愛嬌のある笑みを浮かべた。
「よし。……にしても、こうして異世界人なんてもんに会うのは初めてだったが、存外普通の奴なんだな、お前さん。もっとこう、色々とかけ離れた存在みたいに思ってたよ」
「そりゃあ、そうですよ。俺だって一応、向こうの世界では一般人で通ってたんですから」
続くディーンさんの中々心外な言葉に、俺は思わず眉尻をしかめてしまう。
元の暮らしが本当に一般人らしいものだったかは、個々人の評価で変わるものとする。だが、俺を育ててくれた亡き祖父母の名に誓って、少なくとも人道にもとるような生き方はしていたつもりはない。そんなことをすれば、俺を祖父母の顔に泥を塗るようなものだ。
「そりゃそうか、すまんすまん。……まぁとりあえず、俺たちとしては、お前さんに危害を加えたりするつもりは毛頭ない。それだけは覚えておいてくれると助かるな」
一切の邪念を感じない、豪快さと爽やかさが混じり合った笑みを浮かべるディーンさんに、俺は小さく、同意の首肯を送った。