第1話 目覚め
「う、ん…………」
ふと、目を覚ます。
……どうやら、いつのまにか眠ってしまっていたようだ。
目覚めを察知して、「俺」の意識はゆっくりと覚醒していく。暖かなお布団の魔力に中てられて、「もう少し寝ていたいなぁ」としみじみ思ってしまうが、外の光が瞼越しに視界を焼くのを感じ、ゆっくりと眠気が退いていくのがわかった。
名残惜しいが、時間は待ってはくれない。記憶の限りだと今日は休日だったが、洗濯なりゴミ出しをするなり、やることはある。とっとと起きるに越したことはない。
そう考えた俺は、残る眠気を吹き飛ばすため、カッと目を見開いて。
「……ぁ?」
直後、俺の口からは、マヌケな声がこぼれ落ちた。
開けた視界に映り込んだのは、窓越しに差し込む朝日の光――ではなく、天井に灯された光で照らされた部屋。
視界の端に映る、天井から吊り下げられたライトの発する暖色系の光が、俺の視界を柔らかく照らしていた。
「え?」
もう一度、俺の口からこぼれる声。
先ほどまで感じていた眠気なんて、瞬きより早く吹き飛んでいる。かわりに俺の胸中は、いっぱいの疑問で埋め尽くされていた。
――違う。俺が知っている我が家の内装とは、明らかに違うのだ。
現代日本の、一般的な家屋に使用される照明器具といえば、蛍光灯やLEDのようなものが一般的であり、俺の住んでいた安アパートもまた、リング状の蛍光灯を照明に使っているのだ。
だというのに、今しがた俺の視界に映っていたそれは、根本的に形状が違う。それはまるで、「光る水晶」のような形と質感だったのだ。
明らかにおかしな光景を見た俺は、半ば条件反射的に、がばりと上体を跳ね上げる。
「……どこだ、ここ?」
そして、再び口をついて出た疑問の言葉が、静かに溶けて消えていった。
周囲の光景を一言で言い表すならば、「中世のお屋敷」という表現がふさわしいだろう。
頭上にある、水晶のようなライトが放つ暖かな光に照らされる室内は、全体的にシックな意匠と色合いに統一された家具や壁紙で彩られている。
漆塗りされた上質そうな木製の家具類と、部屋全体のところどころに施された、細やかで煌びやかな細工たちで飾り付けられた部屋。上流貴族のような……とまではいかなくても、そこそこにお金のある人が住む家であろうことが見て取れた。
……いや、内装うんぬんは別にどうでもいい。重要なのは「俺はこんな部屋知らない」という事実だ。
そもそも、ここはどこだ? というか、俺はここで眠りにつく前、どこで何をしていたんだ?
疑問の嵐はなおも収まらず、俺の胸中を吹き荒れ続ける。そのままどんどんと思考が深いところまで潜っていきそうになった、その時。
室内に、がちゃりという音が響いた。
「え――?」
突然の音に驚いて、弾かれるように顔を上げる。
音の出所は、この部屋唯一の出入り口になっているらしい扉。他の調度品と同じく、漆塗りされた落ち着いた色調のそれは今まさに、かすかな音と共に開け放たれていて。
「――おや」
その向こう側には、穏やかそうな顔立ちの男性が立っていた。
外見から見れば、おそらく50代くらいの年齢だろうか。オールバックに撫でつけられた銀髪と、身に纏った黒いスーツ――燕尾服と呼ばれる、ツバメの尾のような裾が特徴的なその衣装が、何よりも目を引いた。
この家の家主さんだろうか? いや、それにしては格好がらしくない気がする。礼服をまとったった老紳士、といったいでたちの彼は、家主というよりは、まるで――
「お目覚めになりましたか。具合の方は、いかがでしょうか?」
と、そんなことを考えていた矢先、件の老紳士が声をかけて来る。優しげな顔立ちにたがわぬ柔らかな声音で問われ、俺は慌てて、呆けたままの顔と体勢を引き締め直した。
「だ、大丈夫です。……あの、ここは? それに、あなたは一体……」
「おっと、失礼しました。……そうですね。ご説明する前に、旦那様を――私が仕えている方をお呼びして来てもよろしいでしょうか? 事の仔細をお話しするならば、当事者である旦那様が適任なので」
「あ、はい。大丈夫です」
了承すると、老紳士の男性は鮮やかに一礼してから部屋を後にしていった。
再び静寂に包まれた室内で、俺は知らずのうちに詰めていた息を、ゆっくりと吐きだす。……なんだか、今の一連の応対だけで結構緊張してしまった。
しかし、旦那様ときたか。立ちふるまいや言葉遣い、それにいでたちからそんな予感はしていたが、きっと先ほどの老紳士は、この屋敷|(とおぼしき家)の持ち主ではなく、その持ち主に仕えている執事なのだろう。
それに、ここに人が住んで居るという事実も、また見過ごしてはおけない点だ。密かに考えていた、「誰も居ない場所に寝かされているかもしれない」という可能性を潰すことができたのは、地味ながらありがたい。
……にしても、俺は一体どうしてこの家に拾われることになったのだろうか?
おそらく、というか確実に、この家の家主にとって、俺は見ず知らずの赤の他人のはずだ。そして状況から推理するに、何らかの原因で倒れていたのであろう俺を、この部屋に運び込んだということも間違いないはずだ。
その行動の意図が、打算なのか善意なのかはわからない。先ほどの執事さんの立ち振る舞いを鑑みても、最低限の警戒を怠らないにこしたことはないだろう。
なんてことを考えていたところに、突然、ドバンッ!! という轟音の奇襲が入った。
「うぇっ?!」
「気づいたってのは本当か! おぉ、本当だ!」
驚きに思わず叫ぶ俺をよそに、ずんずんと室内へと踏み込んできたのは、先ほどの人の良さそうな執事さんとは対照的な、眼力だけで人を射殺せそうな、そんな強面の男性だった。
「丸太みたいな」という形容がふさわしい、分厚い筋肉で覆われた腕をはじめとした、筋骨隆々としたその体躯。硬質そうな茶色い頭髪と顎ひげに、胸板の自己主張が激しい白のタンクトップを纏った姿は、その容貌を見た俺の脳裏に「建築業のおっちゃん」という一文を躍らせた。
ただ、そんなガテン系を地で行くような容姿とは裏腹に、俺のことを見てくしゃりと笑ったその顔には、言いようのない愛嬌というか、人の好さがにじみ出ている。どことなく知的な印象を感じさせる眼差しもあいまって、何となく「彼こそがこの家の主で間違いないだろう」という確信を俺に与えた。
「いやぁ、よかったよかった。村はずれで倒れているのを見かけた時は慌てたが、無事に目を覚ましてくれて何よりだ。……どうだ、身体に違和感とかはないか?」
太い腕を組み、うんうんとしきりにうなずく男性に問われ、俺は軽く自分の身体を精査する。
起き抜けの時にはそれどころではなかったものの、改めて確認してみても、特に異常らしい異常はない。強いて言うならば、気絶していた後遺症と思しき、若干のけだるさを感じる程度だったが、これは異常の内には入らないだろう。
「えっと……はい、大丈夫そうです。……あの、ここは一体どこですか? それに、お二人はどちらさまでしょうか?」
「ん、おぉ。そういえばまだ目を覚ましたばかりだったか。すまなかったな、いきなり押しかけて」
がっはっは、と豪気な笑いをあげたかと思うと、男性はちょっぴり暑苦しい笑みを披露してくれた。
「俺はディーン。ディーン・グレッセルだ。この屋敷の持ち主で、グリムウェイン王国に仕える貴族だ。一応、グレッセル男爵家の現当主をやらせてもらってる。こっちは俺付きの執事で、シリウスっていう」
ディーン、と名乗った男性に紹介されて、予想の通り執事だったらしい、シリウスと呼ばれた銀髪燕尾服の男性は、優雅な一礼を披露する。
「ご紹介にあずかりました。私、ディーン様の側付きを務めております、シリウス・バートランドと申します。以後、お見知りおきくださいませ。……僭越ながら、お客様。あなたのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あ、はいっ」
シリウスさんに問われ、俺は慌てて形ばかり居すまいを整える。
二人の名前の語感や名乗りから察するに、彼らの間では英語圏のような名乗り方が一般的なのだろう。ならばと、俺もそれに習うことにした。
「――エイジ、です。フルネームは、エイジ・クサカベ。こちらこそ、宜しくお願いします」
エイジ。日下部瑛司。それが、俺の名前だ。