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第62話 置いていかないで

 アリシアの心臓は止まっていた。わたしたちの呼びかけにも反応がなくて、呼吸すらしていない。


「そん、な……」


「嫌……嫌です、アリシア。嫌ぁあああああああああああああああああああっっっ‼‼‼」


 アリス先輩の悲痛な叫びが木霊する。


 アリシアが、死んだ……?


 また、間に合わなかった……?


 頭に激痛が走り、見覚えのない光景がフラッシュバックする。あの時も、〈私〉は間に合わなかった。目の前で、大切な人の命が零れ落ちていくのを、ただ見ていることしかできなかった。


 あの時と同じだ。わたしは、また……。


 ――まだ、その子は死んでないよ。


 ……え?


 どこからともなく声がした。頭の中に直接響くように、その声はわたしに語り掛けてくる。


 ――見えるでしょ、ミナリー。


 謎の声に促されて、わたしは確かに見た。アリシアの中にはまだ、魔力が残っている。弱く、いまにも消えてしまいそうな小さな光だけど、それはアリシアの生命の輝きだ。


 ――今ならまだ間に合うよ。急いで、ミナリー。


 だ、れ……?


 ――誰だって構わないでしょ。アリシアを救いたいなら急いで。


「……ッ!」


 そうだ、今は誰の声だって構わない。わたしは、アリシアを救いたい‼


「手伝って、アリス‼」


「みな、りー……?」


「アリシアはまだ死んでない‼ わたしたちで助けないと‼」


「……ッ!」


 アリス先輩の瞳に色が戻る。諦めちゃダメだ。まだ間に合う!


 ――思い出して、ミナリー。記憶の中に、あるはずだよ。


 ……前世の記憶。朧気にしか残っていない記憶の断片の一つに、アリシアを救えるかもしれない知識が残されていた。


 まずはアリシアの頭と顎をもって下に倒し、気道を確保する。それから鼻をつまんで空気の抜け道を塞ぎながら、自分で思いきり吸い込んだ空気を、アリシアの口から肺の中に送り込む。


「み、ミナリーっ⁉」


 それを二回繰り返し、


「アリス、今からわたしがすることをマネして!」


「え、えぇ……っ!」


 わたしはアリシアの胸の中央に両手を重ねて置くと、掌底で思いきり押し込む。それを一秒間に二回以上の速さで何度も何度も繰り返す。


「ミナリー、何を……⁉」


「代わって!」


「は、はいっ!」


 アリスは恐る恐るといった様子でアリシアの胸に手を置くと、優しい手つきで押し始める。でも、それじゃ何の意味もない。


「もっと強く! それじゃアリシアを助けられない‼」


「……ッ!」


 肋骨が折れたってかまわない。それよりも、酸素を全身に回すのも優先するんだ。


 胸部への圧迫をアリス先輩に任せながら、わたしは何度も繰り返しアリシアの体内へ空気を送り込む。


 アリシアの体内に残された魔力の灯は、今にも消えてしまいそうなほどに小さく儚い。これがアリシアの生命力なんだとしたら、もしかしたら……!


 わたしは酸素とともに、魔力をアリシアの体内に送り込んだ。そうするたびに、消えかかっていたアリシアの魔力が光を取り戻していく。


 お願い、戻ってきて。置いていかないで、アリシア‼


「ごほっ」


 何度目かの人工呼吸の直後、アリシアが口から大量の水を吐き出した。


「アリシア⁉」


「ごふっ、げほっ、ごほっ……」


 アリシアが咳き込むたびに口から水が溢れ、やがてゆっくりとアリシアが瞳を開く。


「みな、りー……」


 かすれた弱弱しい声。けれど、わたしが何よりも聞いていて安心する声音が、確かにアリシアの口から放たれた。


 意識が戻った。手首に触れると、脈も正常に動いている。


「よかった……。おかえり、アリシア……」


「……なに、それ。ただいまって、いえばいいの……?」


 まだ意識は混濁しているようで、譫言のようにアリシアは答える。


「アリシアぁ!」


 アリス先輩はそんなアリシアに抱き着いて、人目もはばからず大粒の涙を流して泣いていた。


「ねえさま……?」


「うっ……うぐっ……アリシア、私は……っ!」


 言葉を詰まらせるアリス先輩を、アリシアは両手をゆっくりと動かして優しく抱きしめる。


「ねえさま、なかないで。あたしは、ぶじだから」


「どこが……どこが無事ですか! こんなにもボロボロになって、私をっ、守ったりなんかしてっ!」


「……だって、ねえさまととべて……うれしかった、から」


「……っ! ばか……、本当に、あなたって子は……!」


 アリス先輩は、アリシアの胸に顔を埋めてすすり泣く。その頭を、アリシアは優しく撫でてあげていた。


 ……ひとまず、アリシアは大丈夫そうだ。全身大怪我をしているだろうからすぐに病院へ連れていきたいけど、それはアリス先輩に任せたほうがいい。


 わたしには、やるべきことが残っている。


「アリス先輩、アリシアをお願いします」


 わたしは近くに投げ出していた箒を持って、その上に跨る。


「ミナリー……?」


「ちょっと行ってくるね、アリシア」


 わたしは近所に買い物へ行くような軽い口調で、アリシアを安心させるように言う。

 アリシアは、わたしの方へ手を伸ばして、


「かえってこなかったら、いっしょううらむんだから」


「うん。アリシアを傷つけたあのクソトカゲを、ちょっと駆逐してくるよ」


 そう言い残して、わたしは空へ向かって飛び立った。




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