第56話 最後まで見届けるよ
「姉さまが居ないのよっ!」
前を行く集団の中には姉の……アリス・バルキュリエの姿がなかった。アリシアは素早く視線を巡らせ遥か先に、アメリア峡谷へ差し掛かろうとしている箒を見た。
「あんな遠くに……っ」
姉の姿は峡谷に隠れすぐに見えなくなってしまう。アリシアたちが追いついたのは、先頭集団ではなく二位集団だった。彼らはアリス・バルキュリエに、圧倒的な独走を許してしまっていたのだ。
「何なのですか、あの速さは……!」
「あれが姉さまの全力よっ‼ 絶対に追いつくっ‼」
アリシアは改めてハンドルを強く握りしめ、峡谷へ向かって突き進もうとした。
だが、
「アリシアっ、危ない‼」
「――ッ⁉」
閃光が、アリシアの目の前を通り過ぎた。
「なぁっ……⁉」
ミナリーの呼び止めで咄嗟にスピードを緩めなければ、ほぼ間違いなく直撃していた。
肌がピリピリと痛むほどの魔力量を持った、雷の魔術。
それを放つ相手は、一人しか居ない。
「見ぃつけたぁ♪」
「『虐殺の魔女』……ッ‼」
尾根を下って来る一つの箒。それに乗った少女の右手に展開された魔法陣から、立て続けに雷撃が放たれる。それらは一発も外れることなく、二位集団を構成していた参加者たち全員を撃ち抜いた。
「ふぅー、やっと追いついたよ。まさかあたしの『雷神の鉄槌』を推進剤に利用するなんて、アンナちゃんは策士だねぇ」
「…………こんなに速く追いつかれるなんて思いもしませんでした」
「ふっふぅーん、あたしをただの魔術馬鹿だと思ったら大間違いだよん?」
シユティは得意げに胸を張り、アンナは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
(まさか、追いつかれるなんて……)
アリシアは唇を噛み締める。アンナの機転を利かせた――それでいて無謀な賭けでもあった――策のおかげで、シユティとの距離は十分に開いたはずだった。
それなのに、追いつかれた。
(このままじゃ、姉さまに追いつけない……っ!)
状況は、アリシアにとって最悪と言って良いだろう。前を行くアリスとの距離は開き続け、一方で後ろのシユティとは彼女の魔術が届く範囲にまで距離が縮まってしまった。
シユティの追撃を避けながら進むのは不可能。なまじ何とか撃墜されなかったとしても、アリスには到底追いつけはしないだろう。
(ここまで来たのに……)
アリシアが項垂れそうになった、その時だった。
くるりと、アンナは箒を反転させた。
「アンナちゃん⁉」
「わたしがここであの人を食い止めます。お二人は先に行ってください」
アンナはそう言うと、アリシアやミナリーとは離れシユティに向かっていこうとする。
「む、無茶よっ! あんた一人で止めるなんてっ!」
さっきはアリシアとミナリーが箒のコントロールを肩代わりすることで、シールドの展開にアンナが集中することができたから何とかなったのだ。アンナ一人では、『虐殺の魔女』と真っ向からぶつかれば、やはり力負けしてしまうだろう。
「安心してください。おそらく、余裕がないのはお互い様です」
「それって……」
アリシアはシユティの顔を見る。彼女は口元に余裕を感じさせる笑みを浮かべ……けれど心なしか、その表情は魔術使用可能エリアに入った直後と比べ憔悴を隠そうと取り繕っているようにも見えた。
「あれだけの魔術使用の後に、こちらへ追いついて来たんです。かなりの魔力を消費したのではないですか?」
「さぁ、それはどうでしょう? そうだなぁ、あと十発くらいは『雷神の鉄槌』が撃てちゃう感じはするかなぁ」
シユティは右手の指先をうねうねと動かして、魔法陣を展開させる。
「ミナリーさん、アリシアさんを――」
「『迸れ』ッ‼」
直後、
「……っ⁉」
アリシアに向かって放たれた雷撃を、アンナの全方位に展開されたシールドが弾き返す。
「あなたの相手はわたしです……っ!」
「へぇ。だったら、試させてもらおうかっ‼」
放たれる複数の雷光。アンナはその全てを魔力シールドで弾き飛ばす。畳みかけるような砲撃が、途切れることなくアンナを襲った。
「なんなのよ、あの人……⁉」
大量に魔力を消費するだろう『雷神の鉄槌』を二度も使用し、自分たちに追いつくほどのハイペースな飛行をした上で、まだ魔術を連発できる。
控えめに言って、化け物だ。
「このままじゃ、アンナが……!」
雷撃の雨に晒されるアンナの下へ、アリシアは箒を返して向かおうとする。
だが、
「何をぼさぼさやっているのですかっ‼」
「……っ!」
それを制したのは、アンナの怒鳴り声だった。
「早く……行ってくださいっ! わたしがあの人と戦うように、アリシアさんにも戦う相手が居るはずです‼」
「でもっ!」
「行ってください、アリシアさん。これはわたしのリベンジです。邪魔立ては許しません‼」
「……っ!」
ここまで感情を露にするアンナを、アリシアは初めて目にした。無表情で、ボーっとしていて、何を考えているのかまったくわからない普段のアンナとは、まるで違う。
シユティへのリベンジに燃えるアンナの想いが、アリシアに思い起こさせる。
(そうだ、あたしは……っ‼)
「行こう、アリシア‼」
ミナリーの声が背中を押す。アリシアはハンドルを握りしめ、振り返らずに言う。
「あの化け物の相手は任せたわよ、アンナ」
「言われなくても、抑え込んで見せます……!」
力強い返事に、アリシアは箒を一気に加速させた。
後ろから雷鳴が聞こえる。時に激しい衝撃と轟音をまき散らしながら、矛と盾の激突は続く。
アリシアは痛むほどに歯を食いしばりながら前を見た。
アメリア峡谷。かつて地上を支配したドラゴンの脅威から逃れるため、アメリアの住民が隠れ住んでいたとされる伝承の残る地域。ここを抜ければコースは進路を東へ向け、スペリアル湖へと至る。
レースコースは既に三分の二を超えようとしていた。
アリスの姿は遥か前方、すでに峡谷の半分を過ぎようとしている。その差は、絶望的なまでに遠い。
けれど、
「まだよ……っ‼」
アリシアは自分に言い聞かせるように叫ぶ。このままじゃ終われない。まだ、同じ場所にも立てていない。
リベンジすると誓った。見守って欲しいと願った。彼女の目の前で、ずっと追いかけてきた姉に挑む。そうして、その先へ進むと決めたのだから!
「最後まで見届けるよ、アリシア」
ミナリーがすぐ近くで見守ってくれている。たったそれだけのことが、アリシアに勇気と自信を与えてくれる。
すぅっと息を吐いて、アリシアはハンドルを強く握って姿勢を前に倒す。
出し惜しみはしない。限界が訪れたら、その限界すらも超えて見せる。
「目に焼き付けなさいよ、ミナリー」
ハンドルを伝って流れ込んだ魔力に、箒に埋め込まれた飛空石が赤く輝く。
「これがあたしの……、アリシア・バルキュリエの全力だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼‼‼」




