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対面

 鼻を不必要に刺激し、それでいて妙に気に障るような埃の臭いで、佐々木光は目を覚ました。朦朧とした中で、もたげていた頭を上げる。どうにも知らない部屋だった。見た限り、天井の真ん中にオレンジ色の小さな電球がぶっきらぼうに吊るされているだけなので、室内は嫌に薄暗い。コンクリートの無機質な壁に周囲を囲まれ、窓もなく、閉所恐怖症も暗所恐怖症も一網打尽にできそうな部屋であった。広さは学校の教室ぐらいだろうか、丁度服装も制服だ。そして恐らく自分は、部屋の真ん中で両足を右に投げだし座っている。床のコンクリに触れている太ももから裸足のつま先にかけての大部分はじりじりと体温を奪われ、代わりに、その無情な冷たさを与えられていた。そんなことを考えるうちに、朧げな意識が徐々に明瞭になっていく。それにつれ、頭の鈍い痛みが後を追うように強くなっていく。その痛みで思わず右手で頭を押さえようとするも、意に反して腕は動かない、ここで佐々木は自分の両腕が体の後ろで固定されていることに気が付いた。中途半端に覚醒した意識は、軽いパニックに陥る。発作のように細かく体を揺すってみるも、両手の枷はびくともしない。重苦しい金属音が連なって乾いた部屋に反響するのみだ。それで固定具が金属製だと分かった。そして、長時間この体制で眠っていたのだろう、体を動かした瞬間に耐え難く不快な痺れを全身に感じた。


 何故自分はここにいるのだろうか、佐々木は疑問に思う。必死に何かを思い出そうとするが、頭には何も思い浮かばない。脳内の記憶チャンクに保管されているであろう情報を、なんとか探り探りしてみたところで、結局はそこにポカンと空いた空白に呆然とするだけだ。

 まったく状況が掴めずにいる少女の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。


「ヒカルーン」


 あいつだ、と瞬時に佐々木はその声の主に心当たりを覚えた。それと同時に、欠落した記憶が徐々に埋まっていく感覚を覚えた。


「ヒカルーン」


 と繰り返し呼びかける声は足音と共に徐々に近づいてくる。そして佐々木の正面にある錆びた鉄の扉の向こう側に立ったであろうタイミングで音は止んだ。暫しの間を置いてから、再び声が聞こえた。


「ヒカルーン」


 その直後、正面の冷酷な鉄扉が甲高い鳴き声を上げながら徐々に開き始める。そして、どこか焦らすようにゆっくりと開いた扉から、佐々木が頭に描いた声の主が姿を現した。赤い眼鏡をかけた小柄な少女だ。佐々木はこの少女をよく知っているし、それ故に目にした瞬間、胸の内で得も言われぬ邪悪な感情が条件反射的に沸き起こった。


 小柄な少女はゆっくりと、一歩一歩その足音を無機質な部屋中に反響させながら、佐々木の方へと近づいていく。少女の表情は実に温和だった。久しく会っていなかった友と再会したときのような、動物性の警戒心を一切感じさせず、かつ嬉々として、純粋に他人を受け入れたいという感情を顔いっぱいに貼り付けたような無垢なものであった。それがこの状況では余計不気味に感じられる。


「ヒカルーン、目、覚めタ?元気?痛いとこ、ナイ?」


佐々木のすぐ目前にまで迫った少女は、腰を屈めて顔と視線を合わせ、優しく問いかけた。眼鏡の奥の瞳はしっかりと見開かれている。この異様な少女に佐々木はただならぬ恐怖を感じた。そしてその恐怖をどうにか紛らわせようと一言でも二言でも発そうとしたのだが、どうにもそれができない。声を出そうと声帯に力を入れ、なんとか震わせようとしているのだが、どうしても情けなくひゅう、ひゅう、と情けなく息が漏れるだけだ。少女はにこやかとしながら、静かにその様子を眺めている。


「声、出なイ?」


 何故かその声は弾んでいた。文字に起こせば恐らく音符マークが見えるような、そんな感じだった。声を出す力も失った佐々木は、きっ、とその少女を見つめることしかできない。少女は依然笑みを浮かべてそれを見ているだけだ。

 少しの間、二人の少女がお互いを見つめあう。一人は怒り、憎しみ、恐怖、諸々の感情を心の中で渦巻かせながら、その行き場を失った結果溢れ出たどうしようもない感情のまま、一線に向かい合ってる少女を睨み、片やもう一人は、不気味な笑みを浮かべて相手の様子を窺う、そんな構図が続いた。

 沈黙を破ったのは、眼鏡の少女だった。


「ごめんネ、喉、チョットいじっちゃっタ」


 そう言って佐々木の喉元に手を伸ばし、徐にさすった。手が喉に触れた瞬間、ゾクッと脊髄を通して悪寒が走る。しかしその恐怖感、嫌悪感、それらを表現する術はもう失われ、単調に息を切り、もぞもぞと芋虫のように体を動かすことでしか気を紛らわすことができずにいた。そこに少女は続ける。


「許してネ、ヒカルーン、今日も”テスト”、持ってきたからネ」


 一言を一言を無理やり相手の心に押し付けるように、少女は噛みしめながらハッキリと発話した。そして、佐々木はこの”テスト”をよく知っていた。

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