朱里と桃子
それは不思議な感覚だった。まだ15年と少ししか生きてないのに、青葉おじさんと父の人生に寄り添って生きたように感じられたからだ。
おじさんと父、それぞれの話が終わった。
様々な思いがよみがえっているのか、二人とも口を閉ざしたままだ。
私もまた、何を話したらいいのかわからなくて、沈黙を保っている。
頭の中でいろんな思いが交錯しているけど、ひとつだけよくわかったことがある。
私こと、芹沢朱里は望まれて、この世に誕生したのだということ。桃子お母さんは私が産まれることをとても楽しみにしていて、命がけで私を産んだのだ。母という存在を知らない私だけれど、そこだけは否定する気にはなれなかった。
桃子お母さんのことも、なんとなくわかった気がした。明るくて、とても愛情深い人だったようだ。
父と、そしておじさんに愛された女性。桃子お母さんとの出会いが、二人の運命を変え、そしてその人生を決めた。
できることなら、私も一目会いたかった……。
そしてその母が、生涯の伴侶として共に生きることを望んだのが、父である芹沢水樹だった。夫婦として過ごした時間は短くとも、ふたりがどれだけ愛し合ったのかよくわかった。だからこそ妻を失った哀しみは深かった。精神を病んでしまうほどに……。
父が私にしたことを、あっさり許す気にはなれない。けれど事情を話してもらう前ほど責める気にもなれなかった。正直に言えば、とても複雑な気持ちだった。
私はどうすればいいのだろう?
「朱里、大丈夫か?」
まず言葉を発したのは、おじさんだった。
「いろんなことを一気に聞かされて、疲れただろう? 無理に返答しようとしなくていい。まずはゆっくり休んで、少しずつ考えればいい」
おじさんらしい気遣いだった。その優しさが何より嬉しかった。
おじさんの気配りに、気持ちが少し落ち着いた私は、軽く深呼吸をして、二人に向き合う。
「正直に全部話してくれてありがとう。おじさん、そして……お父さん」
「お父さん」という言葉に、父の視線が私に向けられた。しばし見つめた後、穏やかに微笑んだ。
「俺のこと、『お父さん』って呼んでくれて、ありがとな、朱里。俺はその資格はないと思ってるけど、娘に父と呼んでもらえるのは嬉しいよ」
周囲を光で包みこむような優しい微笑みは、おじさんとよく似ていた。やっぱり双子なんだって思う。
「俺が朱里にしてやれることは、二つだけだ。写真を撮ることで稼いできた金を、おまえに託すこと。受け取っても嬉しくないかもしれないが、あっても困るものじゃないから、どうか受け取ってほしい。もうひとつは、桃子の思いを朱里に届けることだ」
お母さんの思い? どういうことだろう。
不思議に思っていると、父は大きなリュックの中から、一通の封筒を取り出した。静かに差し出された封筒には、『朱里へ』と書かれていた。
「これは桃子が入院していた、病室の引き出しに入っていたものだ。添えられたメモには、『私に何かあったときは、水樹から朱里に渡してほしい』って書いてあった。封は開けず、大切に保管していたよ。これは桃子から朱里への愛情の証しだから」
お母さんから私への手紙。一度も会ったことがない、私を産んだ桃子お母さんの思いを、震える手で静かに受け取った。
それぞれの複雑な思いを抱えながら、その晩は静かに休むことになった。
私も受け取った封筒を胸に、自分の部屋へ戻った。桃子お母さんからの手紙。一目会ってみたかった人からの思いを、手紙で受け取ることができたのは嬉しい。
まずはお風呂に入って体と心を落ち着かせてから、封筒を開けることにした。すぐに開けたい気持ちはあったけど、身を清めてから手紙と向き合いたい気持ちだったから。
お気に入りのパジャマとガウンを着て、手紙の前に座る。儀式を受ける巫女ような神妙な気持ちになりながら、そっと封を開けた。
封筒の中には手紙と写真が入っていた。写真は何枚かあって、ほとんど若い女性の写真だった。
「お、かあさん……?」
写真の中のお母さんは、幸せそうに笑っていた。おそらくお父さんが撮ったものだ。写真のことなんて何もわからない素人だけど、とても良い写真だと思った。笑顔のお母さんを見ているだけで、こちらまで幸福になってくる気がするから。
『朱里、会いたかったよ……』
お母さんの声が、写真から聞こえた気がした。優しい微笑みを浮かべながら、私を抱きしめてくれている。
見えない温もりを感じた瞬間、私の視界が涙でぼやけた。
「お母さん……」
お母さんのことは何ひとつ覚えてない。けれど私のことを大切に思ってくれていたと感じる。それがたまらなく嬉しかった。
お母さんの写真を胸に抱きしめながら、折りたたまれた手紙を開く。具合が良くない状態で必死に書いたのか、文字があちこち乱れている。それでもどうにか読むことができたので、少しずつ読み始めた。
そこには母、桃子の心からの願いが書かれていた。