尊く、幸せな時間
桃子と付き合うことになった。
いろいろあったけど、ようやく彼氏と彼女となったのだ。
これから俺と桃子の、甘い恋人生活が始まる! そう思った。
「水樹、この問題集のこのページまで解いてみて」
「この参考書、わかりやすいよ。明日までに読んでくるのよ」
「この間の小テストの結果はどうだった? あれ、基本だから全部できるようにしておかないと」
恋人の甘さが全く感じられないのは何故だろう?
「あったりまえでしょ、私達は受験生なんだよ? 彼氏と彼女の甘い時間なんて二の次。今は受験勉強に集中しないと」
桃子は当然の事と、言わんばかりだ。甘い時間が始まると思っていたのは、俺だけだったらしい。
「それはわかるよ? 受験勉強は大事だし、俺も頑張らないといけないってわかってる。でもさ、それとこれとは別じゃない?」
「それとこれって?」
「だからさ、俺と桃子が恋人になったことと、受験はまた別の話だろ?」
「何事にも順序ってものがあるでしょ? 今は恋人として過ごすより、受験のほうが大事じゃない? 私の言うこと、まちがってる?」
まちがってない。まちがってないから、困るのだ。
「だってさ、これじゃあ普通の勉強仲間じゃん。恋人らしさが全くないよ?」
「ふたりだけで勉強してるじゃない。ちゃんと恋人してるでしょ?」
「そうかなぁ?」
確かにふたりだけの時間は増えた。そのことに不満はない。でもその大半を、勉強が占めているのだ。
「だって水樹、勉強だいぶさぼってたでしょ? このままじゃ、私と同じ高校に行けないよ? それでもいいの?」
それは困る。学校が別になったら、別れるカップルは多いと聞くし、このまま終わりになんてしたくない。
「だったら、今は勉強を頑張ろうよ」
桃子の言ってることは、全部正しいとわかるから、何も言い返せない。なんだか悔しい。
「そんな不満そうな顔をしないの。一緒の高校に行けたら、いっぱい楽しいことしようよ。高校生になってから、恋人の甘い時間を過ごそう。ね?」
首を傾げ、目を潤ませた桃子が、俺の顔を覗きこむ。シャンプーの香りがふわりと漂う。体がかっと熱くなり、心臓がどくんと跳ねた。
「……わかった。受験勉強、頑張る」
自分でも単純すぎるって、わかってる。でも彼女に頼まれたら、断れないだろ?
「わかってくれたのね、水樹。ありがとう」
うまくまるめ込まれてるだけの気もする……。
でも桃子の言う通り、本気で勉強しないと同じ高校にはいけない。
「俺、頑張るよ、桃子!」
「うん、うん。一緒に頑張ろうね!」
青葉には、桃子と正式に付き合うことになった、と報告した。
「青葉! 桃子が、桃子が! 俺の彼女になってくれるって!」
「良かったな」
「ありがと、青葉。ああ~嬉しすぎて、アタマおかしくなりそう!」
少々オーバーに伝えてしまったのは、桃子と甘い時間を過ごせないことに不満があるからかもしれない。
青葉は少し寂しそうに、けれど穏やかに微笑み、祝福してくれた。
「桃子のこと、泣かすなよ? 僕にとって桃子は家族も同然なんだから」
「わかってる。桃子を大事にするよ。泣かせたりしない、絶対に」
力強く、青葉に告げた。決意と覚悟を伝えたかった。
青葉は俺の顔をしばらく見つめていたが、こくりと頷き、「わかってるならいいんだ」と答えた。切なげな様子に、心がずきりと痛んだ。
ごめんな、青葉。おまえを騙すようなことをして。でも桃子だけは、どうしてもあきらめたくなかったんだ。大事にするから、絶対に泣かせないから、どうか許してほしい。
心の中で青葉に詫び、桃子を大切にしようと改めて誓った。
桃子の励ましもあり、猛勉強を始めた。青葉との関係も良好で、桃子と甘い時間を過ごせなくても、十分に俺は満たされていた。
そして春。必死に勉強したおかげで、俺は桃子と同じ高校に入学することができた。
青葉は地域でも名の知れた進学校へ進み、俺と青葉は初めて別々の学校で学生生活をおくることになった。
学校が違えば、双子であることがわかっても騒がれることは少ない。それは想像以上に心地良く、高校生になれたことが嬉しかった。
俺と桃子は恋人として、やっと甘い時間を過ごせる。誰だって、きっとそう思うだろう。
入学した高校で俺は、「花村桃子の彼氏」と認識されている。少なくとも一部には。
高校で新しくできた友人や、写真部の仲間には、「花村桃子のわんこ」と言われている。なんて不名誉なあだ名なのだ。
「なんでだよ、俺は桃子の愛犬じゃねぇっつの。彼氏だよ、カ、レ、シ!」
同じ写真部の友人3人に愚痴る。俺を、「桃子のわんこ」と言い出した悪友どもだ。
「それはわかってるけどさ。おまえ、花村桃子の言うことには、何でも従順じゃん」
「そうそう、どこにでも付いてくしさ」
「花村に名前を呼ばれただけで、めっちゃ嬉しそうな顔するし」
ちなみに、こいつらには彼女はいない。
「俺が彼女もちだからって、妬むなよ」
腕を組み、悪友どもを見下すように、ふんと鼻先で笑ってやった。
「すいませんねぇ、彼女がいなくて」
「おまえと花村は仲いいもんな。実はちょっとだけ羨ましい。ちょっとだけだけど」
「友人の戯れ言だと思って、聞き流してくれ」
仕方ない、許してやるか。なんてたって、俺は桃子という彼女がいるし。
そう言おうとした時だった。桃子が写真部の部室に、元気よく入ってきた。
「水樹! 高階先生の写真展、行かない? チケットもらったの」
「行く、行く! いつにする?」
「今度の祝日はどう? その日はバイト休めるし」
「わかった。その日にしよう」
「楽しみにしてるね。じゃあ私、今日はバイトあるから」
「おぅ。気を付けてな」
風のように去っていく桃子を、手を振って見送った。友人たちが冷ややかな視線で見ている。
「今、尻尾見えたよな。ぶんぶん振り回してた」
「見えた。やっぱわんこだ」
「わんこ以下じゃん」
先程の仕返しと言わんばかりに、3人が鼻で笑っている。
「おまえら、うるせぇよ!」
こうして俺の高校生活は、賑やかに楽しく過ぎていった。




