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あおとみずいろと、あかいろと  作者: 蒼真まこ
あおの章~青葉
33/65

突然の別れ

「こちらです」


 看護師に通され、桃子が眠る場所へと通される。

 嘘だと思いたかった。水樹が勘違いをしているだけなのだと。元気で明るい桃子が、母となって家族をもつことを夢見ていた彼女が、天に召されるはずがない。


「桃子……?」


 呼びかけても返事がない。はにかむような微笑みを見せてくれない。


 桃子は静かに眠っていた。二度と目覚めることのない、永遠(えいえん)の眠りに……。



 桃子は難産(なんざん)の末に、女の子を出産した。

 水樹が喜んだのも(つか)の間、出産後の桃子の出血が止まらなくなってしまった。医師たちは必死に治療したが、そのまま目覚めることなく、亡くなってしまったという。

 残念ですが……と言う医師の説明をぼんやり聞いていた。


 ずっと側にいた水樹は、娘の誕生という喜びから一転、最愛の妻を亡くすという現実を受け止めきれず、「桃子、桃子」と呟きながら、空間(くうかん)を見つめたまま座り込んでいるのだ。その気持ちは痛いほど理解できた。

 現実から目を背けたいのは、僕も同じだったから。

 信じたくなかった。桃子がもう、この世にいないなんて。明るい笑顔で、僕たち兄弟の側にいてくれた彼女が、天国へ旅立ってしまっただなんて……。


「家族に連絡してきます……」


 水樹が動けないなら、僕が動くしかない。

 ふらつく体を支えながら、水樹に代わってなんとか対処しようとするが、体が言うことを聞いてくれない。何もない廊下(ろうか)でつまづき、頭を壁にぶつけてしまった。

 鈍い痛みが頭部に(ひろ)がり、今起きていることは全て現実なのだと思い知らされる。


「桃子、桃子……なんで、おまえが……」


 嗚咽(おえつ)と共に涙があふれだし、泣いてはダメだと思いながら、何度も何度も頭を壁に打ち付けた。頭を壁にぶつけてみても、涙は止まることはなかった。


 桃子に、幸せになってほしかった。水樹と共に円満(えんまん)な家庭を築いてほしかった。願いはただ、それだけだったのに。それすら(かな)えられないなんて……。

 (こら)えても止まらない鳴き声を少しでも抑えようと、壁に向かって泣き続けることしかできなかった。



 それからのことは正直よく覚えていない。

 それぞれの家族に連絡をとったことまでは覚えているが、母の側から戻ってきた父や桃子の父親が対応してくれた。

 通夜や葬式がしめやかに営まれたのを、映画でも眺めるように上の空で見つめながら、世話しなく動いて手伝った。そうでもしなければ、水樹のように全く動けなくなってしまうと思ったからだ。ほんの少しでも気を抜けば、心の空洞(くうどう)に体が崩れてしまいそうだった。

 水樹も少しずつ動けるようになってはいたが、その目は焦点(しょうてん)が定まっておらず、目が離せない状態だった。終始ぼんやりしていた水樹が、感情を(たか)らせたのは、出棺(しゅっかん)前の桃子との最後の別れだった。


「なんで桃子をこんな箱に押し込めるんだよ! 桃子、動いてくれよ。俺はおまえがいないと生きていけない。頼むから帰ってきてくれ……!」


 どれだけ泣いてすがっても、桃子は動くことはない。

 あまりに痛々しい様子の水樹に、寄り添うことしかできなかった。


 親族や葬儀社の手配のおかげで、まるで何かの行事のように、滞り(とどこお)りなく桃子が天へと送られていく。

 周囲の助けはありがたいことだったが、人の死はこんなにもあっけなく済んでしまうものなのかと、やりきれない気持ちになった。



 次に僕たちが考えなければいけないのは、桃子が自らの命と引き換えのように産んだ、娘の朱里(あかり)のことだった。

 小さな体で生まれた朱里は、しばらく入院が必要だったため、葬儀の最中に面倒をみる必要はなかった。しかし個人的事情で入院を長引かせるわけにもいかず、水樹と共に朱里をひきとりにいった。


 看護師が抱きかかえてきた朱里は、僕たちが想像するよりずっと小さく、弱々しい赤ん坊だった。


「あの、この状態で退院させても大丈夫なんですか?」


 思わず聞いてしまうと、看護師はマスクごしに微笑んだ。


「大丈夫ですよ。ミルクをしっかり飲めてますし、呼吸も安定していますから。頑張って生きようとしていますよ」


 頑張って生きようとしている──。

 母はもうこの世にいないのに、この子は懸命に生きようとしているのか……。

 小さな赤ん坊の健気な強さに心を打たれた。


「頑張ってるんだな、この子は。朱里はやっぱり桃子の娘だ」


 ぼうっと朱里を見つめていた水樹だったが、同じように桃子の面影(おもかげ)を朱里に重ねたのだろう。その目から、ほろりと涙をこぼし、そうっと朱里の(ほほ)にふれた。


「やわらかいな、そして温かい……生きてるんだな」

「ああ、そうだ。朱里は生きてる。桃子のためにも頑張ろう。僕も手伝うから」

「……そう、だな……」


 水樹はもう大丈夫だと思った。

 桃子を失った痛みは簡単に消え去るものではない。僕でもそうなのだから、桃子の夫であった水樹はなおさらだ。けれど桃子が(のこ)した娘がいれば、水樹はきっと立ち直れる。そう思った。水樹はひとりではない。双子の兄弟である僕がいる。桃子のためにも、二人で頑張ればきっと大丈夫だと。


 けれどそれは、あまりに浅はかな考えだった。

 水樹は僕が想像する以上に、現実に絶望(ぜつぼう)していた。桃子がいないこの世界に、耐えられなかったのだ。



 

重い展開が続いて申し訳ありません。

もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 桃子の人生を考えた時、青葉と水樹との出会いがどれだけ彼女の人生を輝かせてくれたのかと、しみじみと思いました。 桃子がいないと生きていけないと叫ぶ水樹、胸が痛くなります。 唯一の希望のような…
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