ぞれぞれの時間
ほどなくして、桃子は水樹の告白を受け入れ、付き合うこととなった。
「青葉! 桃子が、桃子が! 俺の彼女になってくれるって!」
「良かったな」
「ありがと、青葉。あぁ〜嬉しすぎて、アタマおかしくなりそう!」
水樹はまさに狂喜乱舞といった様子で、転げ回らんばかりに喜んだかと思うと、「アイツにカッコいいところ見せなきゃ」なとど呟きながら、自問自答していたりする。
その姿に、水樹がいかに桃子を好きなのか伝わってくる。
「水樹は本当に桃子のことが好きなんだなぁ……」
ひとりごとのように呟いただけだったが、転げ回ってた水樹が動きを止め、顔をあげてこちらを向いた。
「自分でもびっくりするぐらいだけど、桃子のことが好きだ。すげぇ好き。アイツのためなら俺、何だってできると思う」
少し恥じらうように、けれど力強く言う水樹は、ひとりの男として頼もしく思えた。
「桃子のこと、泣かすなよ? 僕にとって桃子は家族も同然なんだから」
そう、桃子は家族。自らに言い聞かせるように強めの口調で言う。
僕の言葉が響いたのか、水樹の顔がきゅっと引き締まった。
「わかってる。桃子を大事にするよ。泣かせたりしない、絶対に」
決意を込めた真剣な眼差し。しっかりと僕の目を見据えている。嘘偽りのない言葉だと伝わってくる。
「わかってるならいいんだ。水樹の場合、まずは高校受験だな」
「う……いきなり現実をつきつけられると辛いけど、桃子と同じ高校に行きたいから頑張る!」
その言葉の通り、水樹は桃子との交際に浮かれすぎることなく、猛勉強を始めた。なんとなく桃子と同じ高校を希望していた水樹だったが、確固たる目標ができたことが大きかったようだ。勉強に力を入れつつも、これまで通り家の手伝いもしっかりやってくれた。桃子との交際で、水樹がこれほど変わるとは思わなかった。
そして見事に、水樹は桃子と同じ高校に合格を果たした。比較的自由な校風のその高校は、水樹と桃子に合っていると思う。本当に良かった。
僕は家から一番近い高校へ進学した。進学校として勉学に力を入れている高校だ。
水樹と別の高校に行くことは前から決めていた。双子であることで周囲に騒がれることに疲れていたからだ。水樹と学校が別なら双子であることが周囲に知られても、さほど騒がれることもない。
事実、僕の高校生活は穏やかだった。水樹と別の高校になったことで、お互いのこともさほど気にならなくなり、適度な距離感がかえって心地良かった。
水樹は高校で桃子と一緒に写真部に入部し、カメラと写真を撮ることに熱中した。写真部のOBに高名な写真家がいたらしく、顧問に紹介してもらって、スタジオにも出入りするようになった。
芸術的なことは僕には全くわからないが、水樹には才能があるようで、紹介してもらった写真家の先生の勧めでコンテストにも出品するようになっていった。
そんな水樹の傍らには常に桃子がいた。水樹をよく支えてくれているようで、いつも嬉しそうに話すのだ。
「俺、桃子がいるから、学校も写真も家のことも、頑張れる。桃子に格好悪いところ見せたくないから」
荒れがちだった中学の頃とは違い、水樹の目は希望とやる気に満ちていた。桃子が側にいることで、水樹がこれほど変わるとは。本当に驚いてしまう。
「最近の水樹はすごいな。よく『恋をすると女は変わる』って聞くけど、男もそうだったんだな」
僕はブラックのコーヒー、水樹はカフェオレを飲みながら、共に語り合うことが多くなった。
「青葉、それちょっと違う。男はさ、恋をすると変わるんじゃなくて、守るものができると変わるんだよ。強くなるんだ。強くならないと大切な人を守れないから。大切な人が心の支えになるから、なんだって頑張れる。……桃子さ、父親と不仲になってるみたいで、悩んでるんだ。俺がしっかり支えようと思う」
桃子に支えられるだけでなく、水樹もまた桃子を支えてるのだ。それは恋人として、理想的な形のように思えた。
「水樹も桃子もすごいな。ふたりが付き合うようになって本当に良かった」
水樹は少し顔を赤くしながら、照れくさそうに笑った。その笑顔だけは昔のままだった。
「何言ってるんだよ、進学校でトップクラスの成績を誇ってる青葉のほうがよっぽどすごいよ」
「勉強はやればできるしな。僕にはそれぐらいしかとりえがないし」
「うわぉ、嫌味かよ。俺なんて今の高校でやっと中くらいの成績だぜ? しかも青葉は家事もほぼパーフェクトだし。俺は青葉にだけは勝てそうにない」
「とかいう水樹も、いずれ写真家センセイ様になっちまうかもな」
「そうなれたらいいなぁ。うん、夢だ」
「頑張れ」
「おぅ! がんばるよ!」
桃子が芹沢家に遊びに来る回数は、以前よりだいぶ減った。桃子が家に来るのは、水樹が一緒の時だけだ。
近所のスーパーで会うことも、ほとんどなくなっていた。水樹によれば、高校近くのスーパーに変えたらしい。
水樹と一緒にいる桃子は、髪が伸びたせいか、中学の時よりずっと大人っぽくなっていた。
久しぶりに会った彼女は、一瞬誰だがわからないほどだった。
「青葉、久しぶり。元気だった?」
長い髪を揺らし、大人びた微笑みを浮かべる桃子は、なぜだか少し母さんに似ていた。自分が一番辛いのに、いつも周囲に気を遣ってばかりの母さんに。わずかに不安を感じたが、桃子と話すうちにそれは静かに消えていった。
「元気だよ。桃子は?」
「私? 私は水樹がいるから大丈夫だよ」
「お熱いね」
「もう、おばちゃんみたいなこと言わないでよね。でもね、水樹と一緒にいると楽しいの。気が合うみたいで、ケンカもほとんどしないのよ」
「そうなんだ。なら、良かったよ。水樹とこれからも仲良くしてやってくれ」
「ありがとう。水樹のところに行くね」
手を振って、水樹のところへ走っていく桃子を静かに見送った。幸せそうに微笑む桃子が眩しかった。
僕と水樹、そして桃子。それぞれの時間は穏やかに過ぎていく。きっとそれは永遠に変わらないのだと思った。
永遠なんてありはしないと知っているからこそ、願わずにはいられなかった。