笑顔がいつまでも
「今日の肉じゃが、良かったらおすそ分けしようか? 多めに作っておくから」
「わぁ、ありがとう! じゃあ、明日取りに行ってもいい?」
「うん、いいよ」
そう伝えてスーパーで別れたのが、金曜日の夕方。翌日の土曜日、桃子はうちにタッパー持参でやってきた。
「お、桃子。タッパー持参って、ちゃっかりしてるなぁ」
桃子を出迎えた水樹が、嬉しそうに笑いながら憎まれ口をたたく。
「青葉はいいって言ったもん。ね? 青葉」
「いいよ、もちろん」
僕が笑って答えると、水樹はぷぅっと頬をふくらませた。
「俺だって肉じゃがの野菜を刻んだぞ。口を出す権利がある」
「なによ、水樹はおすそ分けダメなの?」
「その代わり後でゲームしようぜ?」
「しょうがないなぁ、桃子さんが遊んでしんぜよう」
「なんで、桃子がそんなに偉そうなんだよ?」
3人で笑っていると、廊下のきしむ音が聞こえた。振り返ると、穏やかな微笑みをうかべた母さんが立っていた。
「にぎやかね」
「母さん! 立って大丈夫なの?」
「今日は体調がいいの。楽しそうな笑い声が聞こえたから気になってね」
その通り、わずかに頬に赤みがさしていて、いつもより元気そうだ。母さんの笑顔を見れたのは久しぶりだ。
「はじめまして! 花村桃子です。うるさくしてしまってすみません!」
桃子が慌てて頭を下げた。そういえばふたりは初対面になる。これまで母さんの具合が悪かったから、寝室の入り口で挨拶をしたぐらいだった。
「あなたが花村さんね。入院前にあなたに会いたかったの」
「わ、私にですか……?」
さすがの桃子も緊張しているらしい。普段の桃子とは違う様子に、僕も水樹も笑いを堪えるのに必死だ。
「青葉と水樹にはわたしが体調不良なせいで、迷惑かけてばかりでね。そのせいか、ふたりから笑顔が消えている気がして、ずっと心配してたの。でも花村さん、あなたに出会えてから、ふたりは変わったわ。青葉と水樹が仲良く笑顔で会話することが増えたのよ。あなたのおかげね。本当にありがとう。良かったらこれからも青葉と水樹と仲良くしてやってね」
切なくなるような、優しくて温かい笑顔だった。母さんの笑顔はいつだって、僕たち家族の癒やしで、希望だった。具合が悪くなって辛い思いをしていたのは母さんなのに、僕たちのことばかり心配してるんだ。
「止めてくれよ、母さん。まるで永遠の別れみたいな台詞じゃないか。桃子だって返事に困るだろ?」
水樹のややキツい口調が響いた。言葉とは裏腹に、その目にはわずかに涙が滲んでいる。水樹はいつだって言葉が少し足りなくて無器用で。でも心は優しくて温かいんだ。
「おばさま、私は何もしてません。私のほうこそ青葉くんと水樹くんに助けてもらってばかりなんですよ。ふたりが仲良くしてくれるから、毎日明るく過ごせてます。こちらこそありがとうございます!」
桃子はぺこりと頭を下げ、ぴょこんと顔をあげると、にっこりと笑った。母さんの優しい微笑みとはまた違う、春の日差しのような笑顔。場がすぅと明るくなるのを感じる。
「水樹の言う通りだよ、母さん。僕たちのことを心配してくれるのは嬉しいけど、これで最後みたいな言い方は止めてほしいな。縁起でもないから」
はにかむように微笑んだ母さんは、聖母マリアのような慈愛に満ちていた。
「また心配させてしまったわね、ごめんなさい。青葉、水樹、母さんは病院で頑張るから心配しないで。花村さん、良かったらおばさんとも仲良くしてね?」
「はい、私でよろしければ。青葉くんと水樹くんのことも、どーんとお任せください!」
桃子は自らの胸を強く叩き、力強く宣言した。胸を強く叩きすぎたのか、けほけほと咳き込む。
「とかいって、桃子はちゃっかりうちのおかずを貰いたいだけだろ?」
水樹の茶化すような言葉に、桃子はぺろっと舌をだし、にんまり笑う。
「てへ、バレたか」
おどけた桃子の様子が可笑しくて、母さんが楽しそうに笑った。僕も水樹も共に笑う。
明るくて楽しい桃子は僕たちにとって、もう家族のようなものなのかもしれない。
自然に滲んでくる涙を指で拭い取りながらのを、この笑顔がどこまでも続くことを願うのだった。