青葉と水樹、そして桃子
その「今度会えたら」は、案外早くやってきた。しかも意外な場所で。
「お帰り、青葉くん。そしてお邪魔してまーす」
花村桃子は、なぜか我が家にいて、帰宅した僕を出迎えてくれたのだ。
「なんで君がいるの?」
「いつでも教える」とは言ったけど、さすがに家まで来いとは言わなかったのに。
「悪い、青葉。俺が誘ったんだ」
花村桃子の横にいた水樹が、申し訳なさそうに謝ってくる。水樹が僕に素直に謝ってくるなんて久しぶりだ。どういう風の吹き回しだろう?
「青葉くんに料理のこと、もう少し教わりたいって水樹に話したら、『じゃあ、家に来ればいい』って言われて。ごめんね、うるさくするつもりはないし、料理のこと教えてもらったらすぐに帰るから」
「桃子、もうちょっと料理ができるようになりたいんだってさ。がさつな女だし、おまえには無理だろ? って言ったんだけど」
「水樹に言われたくないよ。がさつなのはあなたも同じでしょ?」
「うーん、たしかに俺もがさつだな。となると、青葉より桃子のほうが似てるのかもしんない、俺」
「え、じゃあ私達、実は生き別れの兄妹だった、とか?」
「おお、そうかも。じゃあ桃子が妹だな」
「ちょっと待った。水樹が弟。私はお姉様でしょ」
「いいじゃん、たまには俺が上にさしてくれよぉ」
水樹と花村桃子は楽しそうに笑い合った。やがてすぐに「しー! 奥で母さんが寝てるから」と水樹が言い、二人は小声で会話を続ける。
お互いを「桃子」「水樹」と呼んでいる。どうやら二人は僕も知らないうちに、すっかり仲良くなっていたようだ。
「二人とも仲良いな。驚いたよ」
水樹と花村は顔を見合わせ、実に愉快そうな笑顔を見せる。
「音楽室で会う前は、お互いの名前を知ってるぐらいだったんけどな。桃子とは同じクラスだし、あれからいろいろ話をするようになったんだよ」
「意気投合ってヤツかな。水樹とはなんだか気が合うの」
「そうそう、俺も桃子とは不思議といろんな話ができるんだよ。なんか女って気がしないんだよなぁ」
「水樹、それ失礼。私だって一応女の子だよ?」
「女の子……うーん、どうだろ?」
「ちょっとぉ、水樹!」
二人は顔を見合わせ、また笑う。このふたり、本当に気が合うようだ。
「仲良くなれて良かったな」
良かったと言いつつ、胸がちくりと痛む気がするのはなぜだろう? 初めて感じる、不可解で、かすかな痛み。その痛みをごまかすように、お茶を入れ始める。急須から流れ落ちる、こぽぽぽという小気味よい音と香りに心が落ち着く。もう痛みは感じなかった。
「花村さん、水樹、お茶入れたからどうぞ」
「ありがとう」
「青葉、ありがとう」
やけに素直な水樹に戸惑いつつも、3人で一緒にお茶を飲む。
それにしても、水樹が家で楽しそうにしている姿を見るのは久しぶりだ。きっと花村桃子のおかげなんだろう。水樹が楽しそうならいい。
「で、今日は何を教えてほしいの、花村さん」
「あのね、豚汁の作り方教えてくれる? 料理の本とか見ながら何度か作ってみたんだけど、なんか美味しくないの」
「僕の作り方で良かったら教えるよ」
「ぜひ教えて!」
「じゃあ今から一緒に作ろう。そのほうが覚えやすいと思うし」
「本当? ありがとう、助かる。実はエプロンも持参して来てるんだ」
「花村さん、意外とちゃっかりしてるね」
「しっかりしてる、って言ってほしいな」
いたずらっぽく微笑む花村はあどけなくて、小さな子供のようだ。
立ち上がった花村は、飲み終えた湯飲みを水樹と分と一緒に流し台に片付ける。
「僕がやるからいいよ」
「これくらいさせてよ。教えてもらうばかりじゃ申し訳ないもの」
子供のようでありながら、大人びた気遣いも見せる。不思議な少女だ。花村桃子はこれまで出会ったどんな少女とも違う気がした。
「それじゃ、まずは野菜の刻み方からだね」
「はーい、お願いします」
エプロンをつけた花村が明るく返事をした時だった。
「あ、あのさ、青葉。俺にも豚汁の作り方を教えてくれないか?」
水樹が遠慮がちに声をかけてきたのだ。
「おまえが料理をするのか? いつも嫌がって何もしないのに」
「別に嫌ってわけじゃないさ。ただ、俺は青葉みたいにうまくできないから、おまえの邪魔したらダメだって思ってた」
水樹がそんなふうに思ってるだなんて驚きだった。
「3人でやろうよ、豚汁作り。ね?」
花村がにこにこと楽しそうに笑っていた。水樹も照れくさそうに微笑んでいる。
ああ、そうか。これはきっと花村が仕組んだことなんだ。でも嫌な気はしない。だって水樹と普通に話せるのは、久しぶりのことだから。
「わかった、やろう。3人で」
水樹との顔がぱっと輝き、花村も満足そうだ。
それから僕と水樹、そして花村さんの3人で並んで豚汁を作った。慣れない手つきの水樹と花村さんに野菜の刻み方を教えるのは大変だったけど、なぜか苛つくこともなく、根気よく教えてあげることができたのだった。
「青葉、この前の音楽室のことだけどさ。俺のために女子に怒ってくれただろ? おまえがあそこまで怒るだなんて驚いたけど、ちょっと嬉しかったよ。おまえが怒らなかったら、俺、女子に殴りかかってたかもしんないし」
花村が帰宅して、二人で夕食の準備を進めていた時のことだった。水樹が恥ずかしそうに話したのだ。
「本当はさ、青葉ともっとこうして助け合いたかったんだ。でも不器用な俺だと、おまえの足手まといになるし、どうすればいいのかわかんなくて。でも桃子に言われたんだ。その気持ちも全部素直に話せばいいって。半信半疑だったけど、あいつの言うことは本当だった」
「殴りかかるだなんて物騒なこと呟いてると、女子たちに嫌われるぞ、水樹」
「青葉だってもう一部の女子たちに距離おかれてるだろ? ならお互い様だ」
「そうかもな」
どちらからともなく笑った。水樹と一緒のときに笑顔になれたのは、本当に久しぶりだ。
「僕も水樹にちょっときつく言い過ぎたのかもしれない。ごめんな。母さんが急に具合が悪くなって、僕もいろいろと余裕がなかったし」
「青葉に任せっきりだった俺が悪いからいいんだ」
「今日の水樹は本当に素直だな。不気味なぐらいだ」
「それは青葉もだぞ。素直すぎて気味が悪い」
軽口をたたきながら、僕と水樹は笑った。二人で作った豚汁はいつもより具が大きくて固いのに、競い合うように何度もおかわりをしたのだった。