手紙
その日の水は、やけに冷たかった。けれど朝は、冷たさに喘いでいる時間などない。手早く味噌汁の準備をすると、冷蔵庫から卵を取り出す。熱したフライパンに卵を割り入れると、卵が踊るように弾む。この瞬間が好きだ。今日の卵もいい色だ。始めは上手く卵を割れなくて、ぐしゃぐしゃになっていたけれど、今では上手に割れるようになった。
「よし、味噌汁と目玉焼きができた、っと」
あとは炊きたてのご飯を茶碗によそうだけだ。水樹を呼ぼうと、エプロンを外しかけた時だった。水樹がキッチンの横をすり抜けるように、玄関へと向かうのが見えたのだ。
「水樹、朝ごはん食べてけよ。朝はちゃんと食べないと、学校の勉強に集中できないぞ」
すでに後ろ姿になった水樹に、慌てて声をかける。制服を着ているから、もう登校するつもりなのだ。
「……うるせぇな、おまえは俺のおかんかよ。世話焼いてんじゃねぇよ」
吐き捨てるように言うと、玄関扉をたたきつけるように閉め、学校へ行ってしまった。
「なんだよ、せっかく朝ごはん作ったのに……」
できたばかりの味噌汁が、ひっそりと湯気を立てている。自慢の目玉焼きは、すでに表面が乾いてしまっていた。
「おかんって、僕は水樹のお母さんじゃないぞ。何言ってんだ、あいつ」
ふと目をやると、食器棚の扉のガラス面に、自分のエプロン姿が映っているのが見えた。
「おかん……いや、違うって」
剥ぎ取るようにエプロンを外すと、椅子に向かって投げかける。
「本当にもう、あいつは」
少し熱くなるのを体をごまかすように、朝食をかき込むと、一通り食べ終えた。食器を流しに片付けると、学校へ行く準備をする。
「母さん、僕も学校へ行くね。おかゆ作っておいたから、良かったら食べて」
眠る母さんに声をかけたが、よく眠っているようだった。このところ母さんはよく寝ている。なかなか起きてこないこともあるので、少し心配になる。
「行ってきます」
小声で挨拶をして、学校へ向かった。風が冷たくて心地良い。水樹への苛立ちで熱くなった体を、適度に冷やしてくれた。水樹と時間差で学校へ行くのも、もう慣れた。今では一緒に学校へ行くのが恥ずかしくなるぐらいだ。
学校に到着すると、友達に挨拶をしながら、下駄箱を開ける。
「あっ」
「ん? 青葉、どうかした?」
「ううん、なんでもない」
上履きのうえに、白い封筒が置かれていたのだ。ああ、まただ……。
友達から見えないように下駄箱を閉めると、隙間から手をつっこみ、封筒をカバンへ無造作に押し込んだ。最近、女子生徒から手紙をもらうようになった。手紙の内容は「好きです」という告白や、どこかへの呼び出しであることが多いかった。今日の手紙も「昼休みに音楽室に来てください」と書かれていた。
女の子からの気持ちはありがたい。けれど今は母さんの体調が悪いという家の事情もあって、誰かと付き合っている余裕は僕にはなかった。
なんで女の子は僕の見た目だけで、「好きです」って簡単に告白できるんだろう?
手紙の呼び出しを無視するわけにもいかず、昼休みになると、重い足取りで音楽室へ向かった。音楽室の扉を開けると、中央に立っていたのは意外な人物だった。
「なんでおまえがここに?」
「青葉こそ、なんでここにいるんだよ?」
音楽室にいたのは、弟の水樹だった。その手には僕と同じ白い封筒を握りしめていた。