父を招待
その週の土曜日に、おじさんに招かれた父がやってきた。ぼさぼさだった髪を整え、清潔感のあるシャツとズボンを着ている。普通に立っていると、やっぱりおじさんとよく似ている。私との約束を忘れなかったのか、手土産にダーキンドーナッツの箱をもって、照れくさそうに家に入ってくる。その顔を見たら、なぜだか少し苛ついてしまった。約束を守ってくれたのに。
「いらっしゃい。スリッパはそこにあるの勝手に使って」
苛つく自分に戸惑いを覚えながら、素っ気なく父を出迎える。
「朱里、ほら。約束のやつ」
ダーキンドーナッツの箱を、誇らしげに押し付けてくる。
(犬じゃないんだから、餌みたいに渡さないでよ)
「どうも」
「もうちょっと喜んでくれよ。行列に並んで、限定数のドーナッツも買ってきてやったんだぞ」
不満をこぼすが、その顔はどこか楽しそうだ。
「アリガトウゴザイマシタ」
体をかくかくと動かし、流行りのAIロボットみたいな返事をしてやった。
「ドウゾ、オウケトリクダサイ」
父も負けじとAIロボットの真似をする。その顔は悪戯を覚えた子どものようで、さらに苛ついてしまった。
父の顔を見ると、体がざわつくような苛立ちを覚える。無性に怒りをぶつけたくなるのだ。けれど父はおじさんの双子の弟。やみくもに怒りをぶつければ、おじさんが悲しむ。大好きなおじさんを悲しませるわけにはいかない。落ち着け、私。
「おじさん、『お客さん』来たよ」
『お客さん』を少し強調したのは、私の意地っ張りな心が邪魔をしたから。それぐらい許してほしい。おじさんは私の顔をじっと見て、優しく微笑んだ。浅はかな私の気持ちなんて、きっとお見通しだろうな。おじさんは私の頭を軽く撫でつつ、父と言葉を交わす。
「水樹、今日は時間通りだな」
「お招きされた身だからね、時間ぐらい守らないと」
「おまえも律儀になったもんだな。鶏のから揚げを作ってるから、少し待っててくれ」
「おふくろのレシピ?」
「そうだよ、母さんの得意料理だったやつ」
「懐かしいな。嬉しいよ。おふくろは今も療養中?」
「今は父さんと一緒に介護施設に入所してるよ。父さんが一緒なら体調もいいみたいでね」
「悪いな、何もかも押し付けちゃって」
何も言わないおじさんに代わって、私が小さな声で「本当だよ」と呟いた。具合があまり良くないおじいちゃんとおばあちゃんの面倒まで、おじさんは見てるのだ。幸い、良い施設に入れて落ち着いてるけど、昔は大変だったらしい。
「水樹だって費用を送金してくれてただろ。写真集、売れてるみたいだな」
「おかげさまでなんとかね」
「写真集?」
つい口をはさんでしまった。おじさんと父の会話を邪魔するつもりはなかったが、写真集って何なのか気になってしまう。
「朱里にはまだ言ってなかったね。水樹はね、写真家なんだよ。風景の写真が得意で、海外で特に人気がある」
「うそ……」
父が少し誇らしげな顔をしている。その様子にまた少し苛ついてしまった。
「たいしたことないよ。青葉や桃子がいてくれたからできたんだ。あと朱里もね」
最後に付け足すみたいに「朱里」って言った。別に無理に私の名前を言わなくてもいいのに。桃子ってたしか、私のお母さんだよね? 私が小さいときに亡くなったそうだけど。
「写真家先生様なんだ、すごいね」
父がくくっと声をあげて笑った。少し嫌味を言ったことがわかったらしい。
「ただ写真撮ってるだけの男だよ」
「それでも誰でもできることじゃないだろ。朱里、おまえの養育費もちゃんと送金してくれてたんだよ」
「そうなの?」
またまた意外だった。全部おじさんに押し付けてると思ってたから。
「送金はありがたいけど、水樹、ちゃんと生活できてたのか?」
「俺ひとりの生活なら、どうとでもなるよ。金送るだけで何も世話しない俺は、偉そうな顔はできないしな」
ふぅん。自分のことやおじさんの偉大さは、ちゃんとわかってるんだ。
「とりあえず座って待っていてくれ。朱里、コーヒーを水樹に入れてあげて」
「はぁい」
おじさんはキッチンのコンロ前に行くと、油を熱して唐揚げを揚げていく。おじさんが作る唐揚げは私も大好き。今までは揚げたてをこっそりつまみ食いしてたけど、今日はさすがに気が引けた。
キッチンの片隅にあるコーヒーメーカーで、コーヒーを入れる準備をする。
それにしても、父がそれなりに実力のある写真家とは驚きだ。再会したときのだらしない様子も、風景を撮る写真家と言われれば、なんとなく納得できてしまう。
「だからといって尊敬する気にはなれないけど」
小さな声で呟いた。どんな立派な素性であれ、父が私を捨て、おじさんに世話を押し付けた事実は変わらない。
(でもなぜ父は、私を捨てたんだろう?)
いままで捨てられたことしか頭になかったが、その理由について考えたことはあまりなかった。考えないようにしていたのかもしれない。おじさんとの生活を壊したくなかったから。
コーヒーメーカーがガリガリと音を立てながら、コーヒーをゆっくりと抽出していく。香ばしい香りが鼻をくすぐる。苦いコーヒーは苦手だけど、コーヒーの香りは好きだ。
(聞いてみようか、なぜ私を捨てたのか)
理由を聞いたからといって父を許せるわけではないけれど、前に進むには必要なことのように思えた。
コーヒーの抽出が完了すると、それぞれのカップにコーヒーを注いでいく。おじさんと私のマグカップ、そして棚から来客用のカップをひとつ。私のコーヒーにはミルクと少し蜂蜜を足して、特製のカフェオレに。お盆に三つのカップと、手土産のドーナッツ。いつもより少し重いお盆を支えながら、居間にいる父のところへ運ぶ。父は勝手知ったる我が家といわんばかりに、テレビをつけてくつろいでいる。
「お待たせしました、コーヒーです」
「どーも」
親子とは思えない、よそよそしい言葉を交わす。父は居間でぼんやりとテレビを見ていた。特にすることもないようで、手持ち無沙汰といった様子だ。それは私も同じで、もそもそとドーナッツを食べ、カフェオレをごくりと飲む。ちろりと父を見ると、横顔もおじさんによく似ていた。ずっと一緒に暮らしてはいないから、好きにはなれないけど、憎みたくはないな、と思った。私の養育費やおじいちゃんおばあちゃんの施設料金も援助していたなら、少なくとも家族のことを忘れたわけではないのだ。なら、少しでも距離を縮めたい、大好きなおじさんのためにも。勇気を出そう。
「ねぇ、あのさ」
父がテレビから私に視線を移す。その眼差しにどきりとした。
「なんで私のこと、おじさんに預けていったの? 理由があるなら教えてほしいな、って。理由次第では、許してあげてもいいよ? お、お父さん、のこと」
少々高飛車な気がしたけれど、これが私の精一杯だった。ちゃんと「お父さん」って呼んだし、いいよね?
父は私の話を黙って聞いていた。そしてそのまま沈黙。あれ、なんで何にも話してくれないの?
「おまえは」
「え?」
空気に消えてしまいそうな、父の声だった。家に来たときの様子とはまるで違う。
「朱里は俺を許さなくていい。いや、許しちゃいけない」
それは私の想像とはかけ離れた言葉だった。