6 目醒める
「……ッ!? ヴッ…ガハァッ!」
神経の一筋一筋の痛みが、全身を余す事無く駆け巡る。内に暴れる痛みに苦悶の声を上げながら、雅嗣は俯せの体勢から何とか仰向けになろうと身を起こす。
「ア、~~ッ。……ハア~~」
大の字で居間に転がると、背に湿った感触が伝わってくる。
「……。 あぁ、……なる、ほど。どーりでなぁ」
それは、雅嗣を中心として広がる夥しい量の血であった。
同時にそれは、今まで自分が意識を飛ばされていた間の出来事を如実に語るものでもあった。
「そりゃ、な。下手をしたら、即死ってんだからなあ。……イツツ、」
一般常識では飲めば即死の自殺薬の様な物を飲んだのだ。タダで済むとはあり得ない事。雅嗣がのた打ち回っていたのか、障子にもたっぷりと血が飛び散っていた。
「またぁ、そうじかぁ」
かれこれ何度目の溜め息なのか分からない。
とりあえず雅嗣は、安堵と不安の上手い具合に混ざり合った溜息を吐く。
深い深い溜息の後、雅嗣は自身の肉体の中にある異物が徐々に無くなってきている事に気付いた。
「なるほど、変質っていうのはこういう事を言うのか。不思議なものだな」
ほぼ全裸と言ってもいい程に破れた服から見えるのは、自身の下半身すら見えないような張りに張った腹ではなかった。
全身に程よく均等についた筋肉。
そこに自身の背負ってきた贅肉など元々無いと言っているかのような肉体があった。
やや白くなった筋肉質の腕は、思っているほど太くない。寧ろ太っていた頃より細い位だった。
「これが、細身の軽さというものなのか。……中々、心配になる程軽い感じがするな」
元々違和感など無いに等しい感覚で過ごしてきた雅嗣は、今初めて感じている身体の軽さをその身を持って体験していた。
「・・・・・・」
少しの間を空けた雅嗣は、未だ慣れない肉体を起こしてゆっくりと洗面所へ歩いて行った。そして、服とは呼べない布切れを脱ぎ、壁に取り付けられた鏡を正面に見る。自分の外見から内側の感覚。その全てが変わってしまったであろう体をじっくりと眺めた。
ややくすんだ鏡に映る青年に、ほんの少し前まであった醜悪さは微塵も無い。代わりに神々しいまでの光が彼を中心として放たれる光景が視える。圧倒的、絶世の美がそこにはあった。
丸々と肥えた腹は、筋肉を纏った細身に。体中の吹き出ものや顔の夥しいニキビや黒ずみは、一切合切消えて無くなっている。
鷹の様な強かさと優美さが混ざり合った鋭い眼に深紅の瞳。
肌が僅かに白みがかるが、以前よりも血の気あって健康そうに見える。
漆黒と深紅のグラデーションのある髪の毛は、女性顔負けの美しさがある。
何より注目すべきは、顔の造形が明らかに異なっているということだ。言葉では決して言い表すことが出来ない領域にある。その顔には今、酷く疲れた様子だった。
(あぁ、さよなら。俺の心の平穏)
鏡の前で肩を落とす。自然と溜息を吐いてしまう雅嗣の心境は、至極一般的な一言に尽きるだろう。
(面倒だ)
こうは思ってはいるが、何もナルシストの様な事を考えている訳では無い。
自身の異様ともいえる変わり様に、思いっきりの夢見心地で他人事のような感想を述べていただけである。
雅嗣は小さい頃から見た目によってその存在感を作り上げていた。勿論、見事にマイナスゲージを振り切った存在感である。しかし、今はどうだ。真反対に振り切りMAXで存在感に色々な意味で光が放たれていた。
間違いない。これはかの有名な陽キャ、その中でもイケメンと呼ばれる人間の放つオーラの最上位五感に位置付けられてるモノを纏っている。俺が……。
俺が(悲愴)……。
彼の性格上、基本は目立ちたくない。という意思を持っている男である。故に過去にそのどうしようもない存在感に悩まされていたのだが……
結局、目立ってしまう容姿というところは変わらず。どころか後光が射している様にすら見える姿に、再び頭を抱えていた。
果たして、運命の日の前を迎える前にこの容姿で平穏に、隠密行動の一本で生きて行けるのだろうか。
そんな考えが、ふとした時に霧散した。
「ストレージ」
スキル名を口にした瞬間、雅嗣の右手に一つの指輪が現れる。
偽装の指輪
ややくすんだ金属の表面に、ダイヤモンドの様な透明感を持つものが取り付けられた。装飾の一切が施されていない指輪が部屋から覗く僅かな光を反射する。
「……これで、効果があるのかが心配になるな」
劣悪品の様なこの指輪。説明文の内容は至ってシンプルなものだった。
見た目を偽ることが出来るという能力の宿った指輪。
(わかりやすくて助かる。じゃあ早速……)
雅嗣は指輪を右手の人差し指に嵌める。
「おおっ、大分変わったな。良かった、効果は出たみたいだな」
その後、洗面所で雅嗣のやや興奮した声がした。
黒髪黒目のフツメン男子が鏡の中でホッとした表情を見せる。しかし、体系や身長は変えることは出来なかったらしい。
それでも雅嗣にとっては十分そうだ。鏡に映る彼の表情もかなり柔和な表情になっている。
「これなら平凡な生活を送れる基準にはなりそうだな。見た目こそ色々言いたいことはあるが、これでここまで変われるんだ。後は俺自身が警戒して行動を探られないようにしないと、な……」
ドシャッ
こうして雅嗣の始まりの一日は終わった。