贈り物
魔導書には、基本的な魔法の詠唱文から魔方陣が書かれている。
問題はコレだ。
如何にもこの本の特典ですと言わんばかりのちょっと古そうな封筒。中に何か入っているのか、あれ? 少し重いな。何が入っているのだろう。
封筒は円柱状に膨れている。この感じ、入れ物かな。そうでなくとも何か入っている感じだった。
魔導書に書いてある文章は基本的に業界用語が用いられているのかわからないけど、魔素を身体に取り込んでどうとか、魔法の詠唱は短縮してなんちゃら。この他にも理解不明のワードが僕の脳内を超高速で駆け回った。
「……」
わ、わからない。
これがもし本物だとしても、こんな見掛け倒しのボロボロ家屋。しかも和風空間をサクッと裏切っているファンタジー要素。紛れも無くカオスな空間になり果てていた。
さて、この理解不能なこの本と書斎にあったその他諸々の物をどうしようか。
そもそも、この本以外の物も得体の知れない物もあるから、一思いに捨てることは難しい。個人的な好奇心、気になる所もあるというか……。
どこか魅かれるのを感じた、ような気がした。
僕は、今のところ一番気になっていた封筒の中身を見ることにした。
「やっぱり、これは試験管だよね。中身は黒い、血か? それと、白紙?」
封筒の中身は、血液の様な液体が入った龍の装飾が渦巻く美しい試験管と何にも書かれていないただの白紙だった。
「危険な香りしかしないなぁ」
僕が液体に目を向けている時に、白紙に変化が起こった。
“やぁ、初めまして。氷月 雅嗣君”
白紙だった紙には、そう書いてあった。
“君の事は、ずっと前から知っていた”
不思議なことに、文字が次々と浮き上がっては紙に刻まれていく。
それに、僕を知っている?
“あぁ、知っている。君という存在が、まだ仮定であった時からね”
これを書いた人は、一体何者なんだろう?
“あぁ、すまない。その顔は、こんな物を書いた人は、つまり私は何者かといった感じかな”
な、何でわかったんだろう。
そんな疑問に答える様に、さっきまであった文字が消えて、新しい文字が浮かび上がった。
“私はね、君のいる世界でいう学者と呼ばれる様な者だよ。これでもまだ合ってはいないが、そんなところだね”
僕のいる世界でいう学者?
“あぁ、私は君の知らない世界の学者だ”
“君にとって私は、今ここに存在すらしていない。いや、だが確かに存在していた過去の人物”
“私の遠き瞳に、君が映っていたのだ”
過去の人物? 死んでるっていう事かな。遠き眼、ていうのも気になるし。
“私の世界には、様々な能力に秀でている者達が多い”
“君の世界にある、造る力や算術に秀でた者達がいる様にね”
これって所謂、異世界的なものが存在する感じかな?
“私は未来視という固有の力を眼に宿している”
“これは神眼と言われている。周りとはニ線を画した力だ”
“この眼が、君を捉えて離さなかったものだからな”
“暫し、君を視てみることにしたのだよ”
視ていたって。いつからだったんだろう。
“私が仮定してきた未来。私に見てきた運命の道”
“そこには災厄と絶望。そして必ず君の姿が映っていた”
“どんな風に時が流れようとも、だ”
それは、どういう事だろう。
“君には大いなる使命を背負っているのかも知れない”
“そう思わずにはいられなくてね”
“申し訳無いが、勝手に君の一生を見させて貰ったよ”
“よく頑張ってたよ。君の様に心を忘れた者にしては”
使命と言ってもなぁ。僕はそういったものに関しては全くわからないし。
個人的な偏見だけど、使命っていうものは、僕の様な一般人にすら蔑まれる様な人が背負うものでは無い様な気がするんだよね。僕自身、その使命を全う出来るかと言われたら、まず無理だと言ってしまうだろうし。
“君は、あの化け物達と戦っていた。どの未来を仮定してもだ”
“そして君は、辿り着く”
“災厄の中心にいる存在に”
僕が戦うのが決定されてるとか、何か大変な事でも起こる、てことだろうけど。
“だから、君に少しだけ手助けすることにした”
“これも恐らくそうなる事になっていたことだろうがね”
あれこの人、未来を見ることが出来るんじゃなかったっけ?
“私は自分自身の未来が視えない”
“その代わりに、私は未来の確かな希望を見つけることが出来た”
“これが、私の持つ使命だったのだろう”
“でなければ、ここまでの満足感は得られないだろう”
満足だと言われてもなぁ。僕はどうすればいいんだ?
“あぁ、手助け。と言っておきながらすまないね”
“手助けというのは、君が手にしている紙と”
“竜族史上最強と呼ばれていた漆黒の竜神の血液だ”
ん? えっ!? 竜の血?
“竜神はこちらの世界の中でも最強の力を持つと言われている”
“君の世界でも、力の象徴と言われていたと思うが”
“これは唯の血液ではない”
“竜神に頼んで、魔力を圧縮してくれている”
魔力、か。もうファンタジーだなぁ。
“それで、これを君に飲んで貰う”
ファッ!?
“大丈夫大丈夫。君は必ず死ぬ事はない。私が保証しよう”
いやいやいやいや。無理があるって。
それに何その「死なないから良いよね」的な言い方。全然保証されてない。
“あぁ、多少はキツイ思いをするとは言っておくね”
“竜神が気を利かせてそんなこと言っていたっけな”
それ、絶対大丈夫じゃない。
“なに、大丈夫だろう。君ならな”
“ではまた、私はこれで失礼するよ”
“最後に一つ”
“力を求めよ。大いなる使命を背負いし者よ”
“いずれ現れる最後の禍を討ち果たし”
“己が身に刻まれし使命を全うせよ”
紙はその後、また唯の白紙に戻った。
……。
先ずはこれを飲まないといけないのか、中々気が引ける。
だけど、飲まないと先に進まなそうだし。
僕は試験管の蓋を開ける。
キュポっと音を立てて開けられた試験管の中身、赤黒い液体。軽く揺らすとドロッと液体が中で流れる。それは決して水の様なサラサラとした流れではなく、良く言えば蜂蜜。悪く言えば泥の様な粘液状のものだというのがわかる。
僕は意を決して試験管の中身をを仰ぐ様にして一気に飲んだ。
味は生臭いの一言。普通なら飲みたくないと言って吐き出しそうな程の臭み。一瞬呼吸することを忘れさせるには十分なインパクトが僕を襲った。
「う、ぅうぉぅっ」
吐きそうになるのを必死に耐えて、僕は漸く液体を飲み干すことが出来た。
いや、後味も不味かったから飲み切ったと思っても油断できない。
そもそも飲み干したというのが間違いで、竜の血液は飲んだ筈なのに口の中にへばりついて離れない。
断続的に続く内側から込み上げてくる吐き気に苛まれていた。
一歩間違えたら折角掃除した部屋が汚れてしまう。どころか、その匂いが、臭気がこびり付いて離れないと思う。
「————ッ!? がッ」
瞬間、そんな考えを消し飛ばす程の激痛に襲われた。
僕はその場に倒れこんだ。この先の記憶は朧気だったが、恐らく僕は一生忘れない記憶になるだろう。
「はっ、ぁ、————は」
言葉が繋げられない。
苦しい、痛い。
やってきた痛みは地獄をそのままに、僕の肉体・精神・神経の全てを一方的に殺しに来た。
「ッア! が、ぅぁたすッけ」
明滅し始めた意識の中、僕は思考を奪われたまま必死に助けを求めたと思う。
あぁ、駄目だ。
死ぬのかな、僕。
いや、だ、……な。