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隻眼龍と赤鬼  作者: みのたかひろ
3/5

浦島太郎と呼ばれた男

     (4)

昔々、吉備(きび)の国の浦島子(うらしまのこ)と呼ばれた海岸沿いの漁村と農村の集落を、取り囲む様に三方に連なる山々が有りました。

その中の、或る頂き付近に小さな山小屋を作り、様々な草木を培養し、周辺で茸を栽培して、独りで暮らしていた青年が居りました。

 自然の中に長く独りで暮らしている所為か、髪は長く伸び放題で肌は赤茶けており、体には襤褸切れの布を羽織っただけの恰好であった為、時折山を訪れて見掛けた村人達は、年齢不詳な彼を山人(やまびとと呼び、気味悪がって近付く者は誰一人居ませんでした。

ただ、本当に独りぼっちだったのかと云えば、何人かの村人が語るには、沢山の野生の動物がいつも彼の周りを取り巻いており、声にして言葉は発しないまでも何か話しているように見えると気味悪がる者も居ました。

或時、近くの山で木の伐採作業をしていた樵達(きこりたち)が、突然の嵐を逃れて、彼の山小屋を訪ねた事がありました。一時の滞在を願うべくその小屋の中を覗き見た処、内壁一面に木彫りの仏像が不揃いに並べられており、床では青年が唸りながら何やら祈祷している光景を目にして、彼らは一様に総毛立ち、そのまま嵐の中を転がるように走り逃げて山を下りた事が有りました。そのような噂交じりの話は、忽ち村中に広まって、村人達は誰も山に入る事が出来なくなってしまいました。

大人達は子供達に

「悪い事をすると、山人の処へ連れて行くぞ。」

と語り聞かせ、山に対する恐怖感を煽りました。しかしながら隣の集落との様々な売買いに出掛ける為には、舟を使う以外は山を越える手立てのない集落であった為、その集落に住む者達は皆、大層困って居りました。

そこで、困り果てた村人達の相談を受けた長老は代表として山人の様子を伺う為、二人の樵を護衛に付けて、山に入る事になりました。

その日、長老達は朝早くに集落を立ち、山道を登って昼近くには山小屋に到着しました。その時、丁度青年は小屋の前に立ち、何処か遠くを眺めている様子でした。長老は、恐る恐る背後から驚かさない様に小声で声を掛けました。

「もしもし、少し宜しいか。」

すると青年は、驚いた様子もなく振り返って微笑むと軽く会釈を返しました。長老は、見た目からは想像出来ないような物静かな雰囲気に戸惑い、一瞬言葉を失い掛けましたが、連れの樵達が刃物を翳して構えているのを見ると、慌てて二人を制して再び声を掛けました。

(わし)が子供の頃の言い伝えじゃが、この山には古くから、赤鬼が住んでいると言う噂が有りましてな、それを未だに信じて居る村人達が何人か居りましての・・・。そのせいで此処に住まわれて居る貴方の事を、皆が大層気味悪がって居るのですよ。儂は麓の集落で長老をしておるものじゃが、貴方様は鬼に出会った事が御有りかな。」

 それを聞くと、青年はにっこりと笑って答えました。

「成程、それで私が鬼かどうか、確かめに来られた訳ですね。」

なお一層微笑んで応じる青年の声を聴いて、再び長老は驚きました。今まで声を聴いた者が居なかった為、人間の言葉を理解するのかどうかさえ疑って居ましたが、すぐさま返事を返し、それどころかその声が、美しく優しい響きを持った声であった事に、長老は山人に対する警戒心を一気に解きました。

「貴方は、いつから此処に暮らされているのですかのう。どちらの国からお越しになったのですか。」

「さあ、いつからに成るでしょうか。時とは無縁の生活をしておりますので、随分時を経た気もしますし、つい先日の事だった様な思いに耽る事も御座います。」

 青年は寂しそうに表情を曇らせると、再び遠くを眺めておりました。長老は二人を制したまま近付き、青年が何を眺めているのか確認する為、近寄って視線の先を辿って眺めました。

点々と散らばった藁葺の屋根、そこから立ち上る細い糸のような暮らしを記す白い煙、微小に色を違える緑鮮やかな彩色の田圃の広がる大地、視線を上げて行けば広がっていく長い砂浜と、青い海面を刷毛で掃く様に揺らめく白い波、遠近に浮かぶ大小の島々。

「おお、なんと美しい眺めじゃ。儂は此処からの景色は初めて見たが、この地の全てが見渡せている思いがするのう。神々の住むといわれる高天原(たかまがはら)とは、正にこうゆう処なのであろうな。」

 高天原という言葉に、一瞬青年は長老に顔を向け表情を曇らせましたが、軽く頷くと視線を遠い空に向けました。

「そうなのでしょうね。私も見た事は有りませんが、そこは全ての営みと風と波の流れを感じられる場所なのかも知れませんね。此処で感じられる風の匂いも景色も、私は昔から大好きなので御座います。」

 不思議そうに長老は青年を見上げて訊きました。

「貴方は、此処を随分昔からご存知だったように話されたが、麓の何方かの集落に住んで居られた方なのか。」

「それも随分昔の事ですから・・・。」

「それは、何という村ですかのう。」

 青年は突然口を噤み、その様子を見ながら長老は、この若い山人には人に言えぬ深い事情が有るのだと感じました。そう思うと、余計に聞きたくて仕様が無くなる気持ちを長老は必死に抑えながら話しかけました。

「そもそも貴方様は此処で何を為さっておいでなのですか。」

「自らの行く末を探しております。」

「行く末?行く末をこの山小屋で?儂の弱い頭では良く分からんが、先程から話しておると貴方はこのような山奥で野人の様で暮すべき方では無い様に思えますがのう。さて、貴方は名を何と?」

「名ですか・・・。忘れました。」

 青年は、更に遠くを見る様に目を細めて言いました。

「ふむ、それは困ったのう。何と御声掛けすれば良いのか。」

「私は、村では何と呼ばれて居りますか。」

「色々じゃが・・・山人と呼ぶ者が多いかのう。」

「山人ですか・・・。結構です。そうお呼びください。しかし・・・。」

 青年は、長老に向き直って、穏やかな口調で諭すように話を続けました。

「私は、あなた方が恐れ疑う鬼では御座いません。それは分かって頂けたのではないですか。ですから、これ以上の私自身に対する詮索はお許し頂きたい。私は静かに暮らしていたいだけなので御座います。」

 青年は、長老に深く頭を下げて願いましたので 仕方なく長老は頷きました。

「承知しました。誠に安堵しました。帰って集落の者達に話して安心させてやりましょう。で如何であろう、また時折此方を訪れて話などさせてもらえませんか、儂もこの場所が気に入ってしまいましたのでな。勿論貴方の静かな暮らしを邪魔する積りなど、毛頭ありませんので御安心下さい。また、貴方を困らせ、追い出す結果に成らぬ様に充分気を付けさせますのでな。くれぐれも誤解なさらぬように願います。それに時々で良いのじゃ。本当に時々で良いから、子供達にも何か山の生き物の話など聞かせてやっては暮れないだろうか。のう山人どの。」

 二人の樵も 互いに目を合わせて笑って頷いていました。しかし、青年は表情を曇らせ、目を伏せながら苦しそうに話し出しました。

「先程も申し上げた通り、私は誰にも危害は加えませんし、山に入った者に危険が迫った際には、出来うる限りお役に立つ様に努力致します。勿論、此方にお越しに為り景色をご覧頂く事は、何方でも自由に為さるが良い。この地は私有地では無いのですから。ただ、私とは無闇に関わらないで頂ければ有難いのです。静かな生活を望んで、此処に居る事をどうか御配慮願いたい。」

 青年の表情に現れた苦渋の色を見た三人は、残念そうに顔を見合わせて頷きあいました。

「勝手な都合を押し付けようとしてしまい済まなかったのう。貴方の生活に土足で踏み入る様な事の無い様、村人にも言い聞かせて置きますので安心して下され。ただ、儂は貴方と話が出来た事が、とても嬉しかったので、つい余計な事までお願いしてしまったのじゃ。お許し願いたい。それでは我々もそろそろ退散するとしよう。」

 青年は、立ち去る三人の姿をぼんやりと眺めていましたが、はっと何かを思い出すと慌てて追い掛けて走り出し、長老に声を掛けました。

「御待ち下さい。この上身勝手な事を申し上げるのだが、一つお願い事があります。」

 長老は振り返って不思議そうに青年を見遣りました。

「時に私が下山する事を お許し頂きたいのです。その際、村を通行する事を許してほしいのです。年に一度だけで結構ですので。」

 三人は何事かと心配気でしたが、話を聞くと笑いながら手を振って答えました。

「何の造作もない事。どうぞ何度でもお越し下され山人殿。なあ、お前たち。出来れば私の家にも立ち寄って頂きたい位じゃ。」

 樵達も笑って頷き、三人は笑いながら山を下りて行きました。

 

それからは、その村落の人々は安心して山を訪れる様になり、山小屋近くまで通り掛かる事も有りましたが、長老の約束を皆が守り、青年を見掛けても無闇に近付いたり声を掛けたりする者は有りませんでした。

 

そんな出来事が有って、半年ほど月日が流れた頃、長老の家に良く出入りしていた蓑吉(みのきち)と云う村人が、長老に家に走り込んで来ました。

蓑吉が言うには、山人が村落に下りて来て、通りを海岸に向かって歩いているのを見たという事でした。長老は、約束通り関わらない事を村中にお触れを出してはいましたが、長老自身は村を訪れたいと言った山人のその真意を知りたくて仕方が無かったのです。それで、蓑吉を傍に寄らせ耳元に小声で、誰にも知られぬ様に注意して、山人の行き先を探る様に云い付けました。

蓑吉も興味津々でありましたので、目を輝かせてほくそ笑み、長老の家を飛び出して行きました。それから間も無く飛び帰って来た蓑吉は、息を切らしながら報告しました。

「大変で御座います、長老様。あいつ何処に行ったと思います?」

蓑吉は息を切らせながら言いました。

「馬鹿者。それを儂に聞くな。勿体ぶらずに早く言わぬか。」

「すみません長老様。あいつは海岸に有る無縁墓地に入って行きました。」

「何。無縁墓地へ。」

「へい。でもそれだけじゃないのですよ。此処からが大変なのです、長老様。」

 蓑吉は、汗を拭った手拭いを振り回しながら笑いを堪えながら言いました。

「お前と言う奴は・・・。勿体ぶらずに早く言えといっておるのに。」

「へい。墓石の周りに薪を並べたかと思うと、あいつはその薪に火を点けやがった。なんて罰当たりな。その所為で墓石が燃え出す始末でやんすよ・・・。」

「馬鹿も休みやすみ云え。石が燃えるものか。分かった、兎に角これから儂を負ぶって、その場所まで連れて行ってくれ。この目で確かめてみる。」

 蓑吉は張り切って腕を捲ると、手拭いを頭に巻き付けて、言われた通り長老を負ぶって走り出しました。

「長老様は軽くて楽ちんですね。」

「お前は一言多い。余計な事を言わずに急いで走れ。」

 程なく墓地にたどり着いた二人は、その炎と立ち上る灰色の煙から 直ぐに居場所を見付ける事が出来ました。二人は墓石に隠れながら進んで行き、煙の中の様子を伺いました。そして、山人が靄の中で或る墓石に向かって手を合わせているのを見付けました。

「あの墓は、誰の墓であったかのう。」

「確か・・・此処が無縁墓地ですから無縁仏じゃないですかねえ。誰かは分からないですが・・・。」

「そのくらいは儂でも分かって居る。お前は、もう良いから先に帰っておれ。良いか蓑吉。儂が帰るまで余計な事を村中に広めるではないぞ。くれぐれも申し付けるぞ。」

 蓑吉は、がっかりした様に項垂れて長老の言う通り、無縁墓地から出て行きました。心配そうにその後姿を見送っていた長老は、再び煙立つ方を見ようと振り返って、驚きの余りひっくり返りました。

そこには山人が立って長老を見下ろしていたのです。長老は、不格好な自分の状態を何とか取り繕おうとジタバタしましたが、腰が抜けてしまって、上手く立ち上がれないのでした。

「これは、何時ぞやの長老様ではありませんか。大丈夫ですか。此処は足元が悪いので御気を付け下さい。」

青年は、長老に手を差し伸べ、抱え込むようにして立ち上がらせました。

「いや、これは儂とした事が、無様な姿を見せてしまった。どうしても其方の事が気に成って仕方無かったのだ。許してくれ。」

「そうだったのですか。私の跡を・・・。」

 山人の眼光が鋭くなったのを見た長老は、慌てて後退りして、何か尤もらしい事を言わなければと、目を泳がせながら狼狽えました。

「あっ。嫌、その・・・。」

何も思い付かなかった長老は開き直って、上気した顔を前に突き出して、自らを奮い立たせるかのように、激しい口調で言い立てました。

「此処は、仏が眠る神聖な場所じゃ。このような処で、焚火など罰当たりな事は止めていただきたい。長老としての立場から言わせて頂くのじゃ。」

 高圧的に大声で怒鳴る長老に、青年は寂しそうに長老から目を逸らし、パチパチと燃える木片を見ながら言いました。

「おそらく、この墓石の下には私の父と母が眠って居ります。今まで、あの山小屋で弔いの為の仏を彫って居りましたが。今日が命日に当る為、全てを此処で燃やして供養しようと参りました。」 

長老は、その言葉に目を見開き、少し冷静さを取り戻して聞き返しました。

「貴方のご両親が・・・。何故にこの墓に眠ると思われる。」

「この墓石は、両親が亡くなった後に建てられたものだからです。」

 青年は、真っ直ぐ立ち上る灰色の煙の行く先を確かめるように、天を仰ぎ呟きました。

「嘗て、両親はこの近くの村で問屋業を営んでおりました。私と関わった所為で可哀そうな最期を遂げたと聞き及んでおります。」

 長老は、再び腰を折り跪きました。そして驚愕の眼を青年に向け、がたがたと震え出しました。背後で、蓑吉が叫びながら遠ざかっていく声がしました。

「まさか・・・。もしや、お前は、あの桃太郎か。生きておったのか。」

 その時、長老の掠れた声に被さって、別の言葉が青年の頭の中に飛び込んで来ました。

「マサカ コンナコトガ アッテヨイモノ

カ.」

青年は驚き、感じるがまま目を走らせると、少し離れた砂浜を、信じられないような速さ

で、海に向かって進んで行く大きな海亀を見付けました。

両手両足をもがく様に必死に動かす海亀は、あともう少しで波という処で、あえなく漁師

の投げた網に掛けられました。

二人の漁師が、駆け寄って海亀を抑え込もうとしているのが見え、青年は長老を無縁墓地に残したまま、全速力で砂浜へと走って行きました。

背後で、長老が何か叫ぶ声が聞こえました

が、青年は気にも掛けませんでした。

山人が物凄い勢いで、自分達の方へ走って来るのに気付いた漁師達は、驚いて身構えました。

「その網を外してやってくれないか。私は、その亀に話がある。」

「亀と話じゃと?噂通りの狂人じゃ。」

 青年は、笑って取り合わない漁師を押し退けて、網を亀から剥ぎ取りました。

「何をする。俺達の見つけた亀を横取りさせねぇぞ。」

 漁師達は、青年の持った網を取り戻そうとして飛び掛かり、揉み合いに成りました。揉み合う内に網が両者に絡み、身動きが取れなくなった三人の様子を見た海亀は、その隙に波間に逃れて見えなくなってしまいました。

 それを見た漁師達は、青年を殴り付けるのを止め、網から身を解いて、悔しそうに足で何度も青年を蹴り付け、砂浜から立ち去って行きました。

砂浜に一人残された青年は、体中に走る痛みに耐えながら、何とか網から逃れて四つん這いになったまま、唇を噛んで海亀の去った海原を見遣りました。

「あの亀は、私が誰かを知る者だ。何処から来たのだ。」 

砂浜から無縁墓地へと足を引き摺りながら戻りましたが、そこには既に長老の姿も無く、燃やした木彫りの仏像の多くが炭になって転がっているだけでした。周辺から細く立ち上る儚い煙の幾筋かが、暮れ始めた紫の空に溶け込んでいくのを寂しそうに見上げると、青年は山に帰って行きました。

 

その夜、村の集会場には沢山の村人が、長老の呼び掛けを受けて集まって来ていました。

「皆にこうやってわざわざ集まって頂いたのはのう、例の山人の事なのじゃ。」

「桃太郎の事じゃろう。」

 長老が言い終わらないうちに、一人の村人が声を上げました。長老は、直ぐ横に座った蓑吉を睨み付けました。

蓑吉は悪びれる様子も見せず、頭を掻いて舌を出し、長老を見返しました。呆れた表情で首を横に何度か振った長老は、軽く咳払いをして話を続けました。

「この中には、直接桃太郎の話を知っている者も居るだろうが、改めて聞いてくれ。今から二十年近く前に、この辺り一帯が飢饉に苦しんだ年、桃太郎と呼ばれた者が鬼ヶ島に鬼退治に出掛けた。それ以降、鬼はこの海上には現れて居らん。おそらくは退治は成功したのだと思われるが、桃太郎は帰っては来なかった。それで当時、わし達は鬼共々討ち死にしたものだと思って居った。ところが、その桃太郎が、あの山小屋の山人の正体であったと分かったのじゃ。口惜しや。儂らの目を欺く為に、あのように髪を伸ばし、髭を蓄えておったとは・・・。儂はまんまと騙されたわ。」

「確か、おいらの聞いた話じゃ、桃から生まれた神の子だと聞いたが、違うのか。だったら生きていて、有難い話じゃねえのか?」

「神の子などいるものか。あいつは唯の捨て子だったと儂は思っておる。あいつを桃から生まれたと大騒ぎした女を、儂は良く知っている。儂が皆に言いたいのは、その事では無いのじゃ。あいつの行った鬼ヶ島には、住吉大社(すみよしたいしゃ)を出た遣隋使船から奪った財宝が山の様に積んであった筈なのじゃ。それにじゃ、当時都で話題になった宝物。唐から運ばれる途中に瀬戸の海で鬼に奪われた、面向不背の(めんこうふはいのたま)も有った筈なのじゃ。」

「なんじゃ?何の珠じゃって?食べられるのか?」

 口を一様にぽっかり空けた村人達は、長老の話を理解出来ずにいました。長老は苛つくように長い白髪を乱し、大きく息を吸って話を続けました。

「何処から見ても、仏様と目が合うという有難い珠でのう。これを都に差し出せば、沢山の褒美が貰えるという有難い宝じゃ。当時儂らは、桃太郎が消えた後、村中の者を引き連れて鬼ヶ島に確認に渡ったが、その時島には鬼も居なければ、珠どころか財宝も何も残ってはおらんかった。という事はじゃ。奴が帰って来なかったのは、財宝を独り占めしたかったからじゃと思うのだが、さて皆はどう思う。」

 集まった村人達は、目を輝かせながら長老の話を聞き、一様に長老に頷き返しました。そして、蓑吉が不思議そうに長老に訊きました。

「長老様、確か桃太郎は焼き討ちに有った問屋の息子として育ったと儂は聞いたのじゃが、あの焼き討ちも独り占めの為かのう。」

 長老は、額から噴き出す汗を 手荒く拭いながら答えました。

「その通りじゃ。可哀そうに、育てて貰った恩義も忘れて、あいつは財宝に目が眩んだのじゃろう。あの問屋を焼き討ちにしたのも桃太郎だと、儂は確信して居る。」

「そうなのか?おいらが爺様から聞いた話とは、少し違うけどな・・・。」

 声を立てた村人を睨み付けると、長老は声を荒げて続けました。

「儂の言う事が、信じられぬ者は村から出て行くが良い。儂は長老として、皆の暮らしを良くする為に、こうして皆を集めて話をしているのじゃ。村から出るか、儂が長老を辞めるか、何方を選ぶか。」

「そりゃ。どういうことだ、長老様。」

「お前たちは儂の話を聞いて居て、まだ分からんのか。あいつが、自分に関わるなと言った意味が、本当の訳が。」

 村人たちは一斉に顔を見合わせ囁き出しました。

「奴は、財宝を山に隠しておるのじゃ。其れしか無いじゃろう。どうじゃ、少しは儂の言いたい事が分かったか。そこでじゃ、これからあの山に皆で火を点け、あの親不孝者を亡き者にして、あいつの隠した財宝を我々の元に取り返すのじゃ。村の為にじゃ。」

 村人達は、悲鳴を上げる者、狼狽える者、拝み出す者でその場は大混乱になりました。

「長老様。山に火を点けたら、山の植物の採取が出来なくなるだよ。樵達も黙ってはねぇだよ。」

「火を点けたら、財宝も燃えてしまわねぇか。」

「おら達で山人だけ殺してしまえばええではないか。」

次々と声を上げる村人を制して、長老はため息を付いて声を潜めて話し始めました。

「少しは、頭を使え。今まで、何度も皆が山に入って財宝を見る事が無かったのは、山小屋の下に埋められているからだ。じゃから火を点けても財宝は燃えん。それにあの山人は、他の集落でも知られた存在じゃ。という事は、直接手を掛けたら、他の集落から財宝の存在を疑う者が出んとも限らん。しかも丸ごと山を焼けば、風の向きから他の集落にも被害が及ぶかも知れん。だから、樵人が予め火が移らぬ様に樹木を伐採しておいて、予め火の通り道を作っておけば、村への被害を食い止められるじゃろう。都合の良い事に今夜は、風の無い穏やかな月夜じゃ。どうじゃ皆の衆。」

 安堵の吐息が、一斉に広がって行きました。

「でも長老様、今からじゃ今夜中に火を点けるのは無理じゃないか?」

 蓑吉が得意気に立ち上がって、咳払いをして皆に言いました。

「えへん。心配はいらねぇ。もう夕刻から樵衆が作業を始めている。間もなく手筈も整う筈だ。」

「でも、桃太郎は本当に神の子じゃないのだか?後で、儂たちに天罰は下らねえか?」

 蓑吉は、得意そうに腕を組み、唇を厭らしそうに歪めて言いました。

「長老様の言われる事をおいらは信じる。

だけど信じねえ奴が、他の集落には居るかもしんねぇ。だからどうだろう、奴の事を桃太郎と呼ぶのは止めようじゃないか。他の集落の者にも別の名前を広めて置けば、財宝の事を疑う者出て来ねぇ。どうだ、良い考えだろ。そこでおいらが考えた名だけど、浦島子(うらしまのこ)の桃太郎だから浦島(うらしま)太郎(たろう)、っていうのはどうだ。覚え易くて良いだろう?」

 どっと沸いた村人達は、大笑いをしながら挙って賛成しました。そして一人の漁師が立ち上がり、村人たちを見廻しながら言いました。

「今日の昼間に砂浜でなぁ、俺たちが捕まえた亀をあいつは・・・いや、浦島太郎が逃がしやがった。でよ!亀が恩返しに浦島太郎を竜宮城に連れて行った、っていうのはどうだ!」

 村人たちは一斉に感心したように頷いていました。蓑吉は、慌てて話に割り込んで大きな声を挙げました。

「そいつは良い!みんなこれから子供達にも御伽噺として話しておくが良い!美談にしとけば、他の村から疑われないし、子供に聞かれても、上手く誤魔化し切れるってもんじゃ。」

長老は、その場の指揮を蓑吉に取られたのを腹立たしく感じながらも、両手を広げて全員を制して精一杯の声を張り上げて叫びました。

「さあ、直ぐに出発だ。」

         ★

 大きな切り株に腰を下ろした青年は、眩しい満月を横切っていく墨色の雲の流れを長い間見詰めていました。優しい風に時折頬を撫でられながら、野生の生き物たちの言葉も通わぬ静かな夜の中にありながら、夕暮れの海岸で聞こえた、恐らくは海亀の発した物であろう言葉を思い出していました。

どういう意味であったのか、少しも思い当たる節も無く、ただ心の中で反芻していました。

「此処から逃げるぞ、辰之助。」

 ぼんやりとした意識の中に身を沈めていた青年は、突然の呼び掛けに驚いて辺りを見廻しました。そして、青年は山の異変に気が付きました。それまで気が付かなかった香ばしい香りが、いつの間にか辺り一帯に立ち込めていて、青年の鼻腔を刺激しました。何かが焦げるようなこの匂いは、何処から来るのだろうと思いました。

「村人が山に火を放った。」

 見下ろすと、足元に耳の無い白い兎が一匹、後ろ足で立って彼を見上げていました。青年は、目を見開いて微笑んで話し掛けました。

「やあ、長い間、お前を探していたのだが、やっと出て来てくれたな。」

「あの状況では、どうしようもなかったからな。冷静さを取り戻させる為には、一晩中山を駆け巡らせて体力を消耗させるしかなかった。こっちも必死だった。」

 青年は、白兎の傍らに腰を下ろしました。そして、柔らかな背中の体毛を撫でながら話掛けました。

「御蔭で、鬼に成らずに済んだよ。でも、元の体を取り戻せた時、現れてくれなかったのは何故だ。色々訊きたい事が有ったのに。」

「無茶を言わないでくれ。唯の兎が一晩中、鬼から逃走し続けたのだ。まともな状態で居られる訳が無いじゃないか。」

「唯の兎?そんな筈は無い。耳を持たず人間の言葉を話す兎が、唯の兎なものか。まさか、お前もあの白い八咫烏の仲間なのか?」

突然、白兎が青年の手の甲に咬みつきました。青年は呻き声を上げて、赤い血の滴る左手を胸に抱いて飛び上がりました。

「あいつは仲間じゃない。何度も言わせるな。残念ながら、説明してやれる時間が無い。もうすぐ火の手が廻って来る。また走るぞ。」

 白兎は、先導するかのように走り出しましたが、青年のぼんやりと見送る様子に気が付いて戻ってきました。

「何をしている。此処で死ぬ積りか。両親を焼いた村人に、お前までが焼かれてしまう積りなのか。」

 青年は、左手を抱えたまま、白兎を見詰めて静かに言いました。

「頼みが有る。早くこの森の生き物たちを逃がして遣ってくれ。私の事より、私の所為で巻き添えになって死んでいく命には、我慢が成らない。」

辺りには、既に立ち込める薄い煙幕が張り始めており、月光の中でそれは、まるで生き物のように青年の居る場所へと這い登って来るようでした。

「馬鹿にするな。そんな事は既に処理済みだ。お前がそう言うのは最初から分かっていたからな。だから、来い。」

その言葉に安堵した青年は、脱力したように切り株に腰を下ろして、先程と同じ様に月を見上げました。既に、月は煙の中に霞んで見えて居ました。

「なにをしている。間に合わなくなるぞ。俺も巻き添えか。俺を助けると思って、一緒に逃げてくれ。スサ!」

 青年は、寂しそうに白兎を振り返って微笑みかけました。いつしか青年の瞼には、溢れんばかりの涙が煌めいていました。

白兎は、その涙に気が付くと、諦めたように青年に近付き足元に寄り添いました。

「スサとは、以前の私の名だったのか。もう、どうでも好い。名前など、季節毎に海を渡る風の様に頼りなく、意味を持たないものだ。皆、聞きもしないのに何故、私に前世の話ばかりする。私は、今を生きていると云う事に実感が持てなくなってきた。」

 視線をゆっくり下ろしていくと、遠く月光の照り返す、遥か海上の銀色の瞬く道の中に、一艘の舟のシルエットが浮かんでいるのが見えました。

「子供の頃、初めて此処からこの風景を見た時から、私はこの場所が一度に好きになった。平地でばかり生活していると時の移ろいと共に空の色合いが変化していき、季節によってもそれぞれの雲が、色と風を運んで来るのを見上げてしか、現実の時を感じる事は出来ない。それが世の中の全てだと感じてしまう。しかし、此処で全てを見下ろしながら深く息を吸うと、まるで空が地表に移り込んで居るように、時と共に海も土も色を変化させていくのが分かる。息を吐くと、風が何処から流れて、何処に行こうとしているのか、星が教えてくれる。人を含め、全ての生き物がその中で、その時の風を体内に受け入れて生きている。鳥や植物やこの森に棲む動物たちは、それを常に受け入れて生きている。知らずに火をおこし、自分たちの足元ばかり明るく照らして全てを理解しようとする人間の愚かさが、此処からだと良く見える。」

 白兎が、青年の膝の上に飛び乗って、顔を見上げて穏やかに語り始めました。

「あんたの父親も姉も兄も、そんな風に宇宙を見る事は無かった。だからあんたを理解出来ずに根の国に追放した。そして、あんたの悲しみがこの国に人間を作った。俺は、あんたが嫌いじゃない。みんな、あんたの事が好きだった。鬼ヶ島からの帰りに海から落ちたあんたを岸まで渡した青鬼達だってそうだったんだ。」

「そうなのか。青い鬼達が、私を救って呉れたのか。彼等は、死んだのでは無かったのか・・・・良かった。」

 振り返ると、木が弾けるパチパチという炎の音が、彼方此方から聞こえ始めて居ました。時折、熱風に目を細めながら、周りから立ち上る黒煙が、月を隠して行くのを残念そうに見上げながら、白兎に呟くように言いました。

「済まなかった、私に付き合った御蔭で、お前の逃げ道も無くしてしまったな。お前との出会いも聞いてみたかったが、その時間も無さそうだ。ごめんよ。」

 白兎に向かって話し掛ける青年の視界に、ふと異常な光景が飛び込み、言葉を途切らせました。

黒煙の向こう、月光に瞬く海面が銀色の渦を巻いているように見えたからでした。そして先程、シルエットで見えていた船影が、その渦の中に巻き込まれているのが見て分かりました。青年は、立ち上がって両腕に白兎を抱いたまま、黒煙の切れ間から覗き込むように確認出来る場所を探しながらよろめき歩きました。

「一体、何が起きているんだ。」

突然、白い兎が耳を劈く悲鳴を上げました。驚いた青年が、腕から白兎を落としそうになった時、白兎は慌てて青年の襟元から懐中に飛び込みました。

「誰かが私を呼んでいる。あの船には、誰が乗っているのだ。知らない名だが私の事を呼んでいるような気がする。竜之進(りゅうのしん)?竜之進とは誰の名だ・・・。」

「始まるぞ、須佐(すさ)。」

青年の懐中で、白兎が激しく体を動かし、腹部にしがみ付いて叫びました。

突如、堰を切った様に覆いかぶさって来る黒煙に、息苦しさと眼に痛みを感じて、口元に手を当て激しく咳込んだ途端、青年は急に体が軽くなったような気がしました。

風が全身を洗い流し、黒煙が足元に吸い込まれて空気が澄んでいき、息苦しさから青年は解放されていきました。

地面の感覚の無くなった足の指先を覗き込んだ時、住み慣れた山小屋が、物凄い速度で小さくなっていくのが見えました。そして、赤い炎と渦を巻く黒煙に包まれた山全体を見渡せる位置に居る事が分かりました。

自らに起こっている異常な状態を確認しようと、青年は両手を頭上に翳し、受ける風を遮りながら、目を細めて頭上を見上げました。すると、そこには見た事の無い、褐色の樹皮で全身を包まれた巨大な鷲が、山全体を包み込めそうな巨大な翼を、大きく羽搏かせているのが見えました。

羽搏く度に、紫の炎が翼から飛び散って、夜空の星々を叩き落すように闇に光の雨を降らせて行くのが見えました。その者の鋭く固い足に胴体を掴まれ、両手以外は自由の利かない青年は、強い空気の流れに呼吸し難い状態で、天の大鷲に向かって叫びました。

「何者だ!お前は誰だ!」

 大鷲は答えず真っ赤な嘴を下げて、蒼い眼球で一瞥をくれただけでした。その時、懐中で白兎が激しく動くのを青年は感じました。

「大丈夫か兎。苦しくはないか。」

「この大地のヌシだよ。大丈夫、俺が呼んだのだからな。聞いた処によると、古に蒼き龍が海上に現れた時、眼光で岩に変えられた者達の集合体らしいけどな。俺が、あんたに教えるのも変な話だけど・・・。」 

「・・・・。」

 青年は奥歯を噛み締め乍ら、地表の様子を眺めました。

上空に巨大な身体を静止させたまま、鷲の羽搏の巻き起こす猛烈な風と紫炎は、暴風と共に火炎を撒き散らし、連山を伝って赤紫の炎の濁流となって、山肌を駆け下りて周辺の村々へと流れ込んで行きました。阿鼻叫喚の地獄が逃げ惑う人間達を容赦なく呑み込んで行くのが青年の目には映っていました。

「止せ!止めてくれ!何をしている!お前が怒りに狂って、天罰を下そうとする気持ちは分かる。分かるが、天罰によって人間を裁く事に意味は無い。神への恐怖心を煽る事は、人の心に信心では無く闇を作るだけの事だ。小さな闇から始まった地獄の宇宙は連鎖していき、闇に新たな鬼神を生むだけだぞ。お前は地表の全ての生き物を人間と心中させてしまう積りなのか!」

必死に叫ぶ青年の怒号に、大鷲は翼を休める事はせず、苦し気な呻き声を上げながら青年の心に訴えてきました。

「お前に、そんな事を云う資格が有るのか。

お前の悲しみと怒りに焼かれた俺たちは、お前を憎み、恐れ慄きながらこの大地を守って来たのだぞ。人間など焼いても焼いても湧いてくる。何度焼いても憎しみだけを受け継いで湧いてくる。もはやこの世は闇なのだ。鬼神しか生まぬ呪われた大地なのだ。」

「違う!違うぞ、ヌシよ!小さな蕾から、細やかな花弁を開き、虫や小鳥に季節を運ばせる風を育むのも、同じ大地だ。」

「ぬかせ!太陽にも月にも成れなかった、哀れな小さき穢れ者の分際で!」

懐中から飛び出した白兎は、青年の体を渡って、大鷲の背中へと飛び移りました。

と同時に激しい破砕音と共に、大鷲の足部が砕け落ちて行きました。見開いた大鷲の蒼き眼球に、砕けた足の有った場所でメラメラと眩くうねり、大鷲に這い登ろうとしている青白き炎が映っていました。

「いかん!白兎隠れろ!」

大鷲の叫びに、白兎は慌てて背中の樹皮で出来た羽根の中に潜り込みました。青白き炎は、伸縮を繰り返しながらも巨大化していき、全身から炎を散らす猛々しい龍に姿を変えて行きました。そして、大鷲の胴体に絡み付いて何度も縛り込み、龍の額に掛かる金色の(たてがみ)から覗き見える紫炎の眼光は、一瞬の放射によって忽ち大鷲を粉々に粉砕してしまいました。

欠片となって火の海に落ちて行く大鷲を一瞥した青龍は、月に向かって咆哮を繰り返し、その後地上に向けて大きく口を開いて、大量の水を四方八方に向けて吐き出していきました。あっという間に地上の炎は呑み込まれていき、大地は静かな夜の闇を取り返していきました。それを見た青龍は、一度満月の月光に向かって旋回をして見せると、今度は海面に向かって突進していきました。渦の中に捲き込まれた船は、飛び込む青龍に砕け散り、青龍と共に海中に沈んで行きました。

濁流と成って地表を呑み込む水流が湧き起こす音の中、大きな樹皮の塊から抜け出た白兎は、小高い丘の上から海上を見遣り、青龍の飛び込んだと思われる場所を探していました。渦はもはや見当たらず、穏やかさを取り戻した海は、銀色を湛えているのみでした。

「行ってしまったな。また帰って来るだろうか。」

呟く白兎に応える様に大地から唸るような声がしました。

「さあな、あいつめ儂の事を非難しておいて、結局全てを流してしまったじゃないか。」

「燃やすのと流すのでは、結果が大きく違うからね。大地の生命は場所をいずれ取り戻すよ。」

「でも、危険な賭けだったがな。青龍の方で助かった。鬼の方だったら白兎、お前はどうする積りだった。」

「確信が有った。俺のスサは、あの状況で鬼には変われなかったさ。」

 白兎が視線を上げると、満月の中に黒い影を作って浮かぶ八咫烏の羽搏が見えました。それは、まるで月の表情を怒りに歪めて見せて居るようにも見えました。

          ★

 青年が雫の跳ねる音に意識を取り戻した時、最初に目に映ったのは、黒い岩に染み渡る仄かな色彩を放った光の揺らめきでした。

半身を起こして、辺りを伺うと記憶の中で何かが共鳴するような感覚を覚えました。そこは何処かの洞窟の中のようでしたが、側面から天井部に掛けて黄緑色の苔状のものが一面覆い尽くし、時折呼吸するかのように、それは光を放って居りました。天井部から垂れ落ちる雫に、床面は薄っすらと濡れて、ひんやりとした居心地の良さを感じられました。

「ここは・・・。」

 記憶の中に残る映像と、不意に重なる情景に、青年ははっと気づいて背後を伺うと、岩場の開口した処に水が溜まって居り、時折その面が波打っているのが分かりました。恐らくは海と繋がっている溜りなのであろうと思いました。

「ここは、確かあの青鬼と別れた洞窟、此処は鬼ヶ島なのか・・・。」

 不意に背中に滴った雫に全身の感覚を取り戻すと、自分が全身一糸纏わぬ姿である事に気が付きました。

「私は、何故此処に居るのだ。」

青年は途切れた記憶を、頭の中で繋げていきました。

「あの大きな鳥獣に捕らわれ、私は天空に居たはず。鬼ヶ島にどうして居るのか。この洞窟の奥までどうやって来たのか。」

 記憶を必死に捲っても一向に思い出せないまま、青年は立ち上がり、恐る恐る水溜りの水面を覗き込みました。そこに見られたのは、以前自分が見たおぞましき鬼のものではなく、人間の不安気な情けない表情が映っていました。大きく安堵の息をついた青年は、取り敢えず出口を求めて壁を伝い歩き出しました。

 すると、背後の海水の溜りから突然大きな水音が聞こえてきました。瞬時に身構えて振り返った青年は、何者かが海面から頭を突き出して、自分の方をじっと見詰めているのが分かりました。それは亀の頭のように見えました。

「気が付かれたのか。」

 突然、洞窟に反響する野太い肉声に、青年は驚きました。

「か、亀が喋った。」

 後退りする青年を見て、亀は太い手を岩場に掛けて海水より全身を現しました。

「亀だと?人の事を気安く呼び捨てにしおって、儂にはちゃんと名前が、・・・そうであった、儂は亀であった。しかし、儂も元はお前と同じく人間、いや、お前が人間と呼んで良い者かどうか・・・怪しいがのう。」

 青年は亀が意気なり脈絡も無く、捲し立てるように喋り続けている事に戸惑いながら注視していましたが、その亀が以前砂浜で見かけた海亀である事に気が付きました。

「お前は、あの時漁師の網に掛かった亀ではないか?何故此処に?」

 海亀は片手を挙げて、信じられないと言った仕草を見せると、後ろ足で直立し両手を振り回しながら再び熱弁し始めました。

「何故じゃと?なんと無礼な男じゃ。乙音(おとね)姫の言い付けで船に乗せられ、お前が山から下りて来るのを待つように言われていたら、突然いつかの嵐の様に、満月の夜じゃと言うに海流が渦を巻き始め、どうしたものかと船にしがみ付いて思案して居れば、いきなり天空より巨大な龍が降って来て、舟は粉々に壊されてしまった。穏やかに成った海流の中に漂う人間を見付けて、此処に運んで来てみたら、なんとお前じゃないか。此れも逃れられない宿業かと諦めて、今まで介抱していたのは誰じゃと思う。まずは、礼を述べるのが礼儀と思わぬか。」

 一気に捲し立てた後、勢い余った海亀は、そのまま後ろに倒れ込み、甲羅を下にしてバタつき始めました。慌てて近付いた青年は、急いで甲羅に手を掛けて起こして遣りました。

「大丈夫ですか。でも、これであなたを助けるのは二度目に成りました。」

 海亀は青年の言葉に顔を歪め、大きく口を開いて再び何かを言い掛けましたが、青年の笑顔を見ると諦めたように、大きく溜息を付いて静かに呟きました。

「あの時は、兄を探して連れて来て欲しいと頼まれて、あの砂浜に上がったのじゃ。だが、お前を見付けた時、儂はどれ程この因果が深いものであったかを思い知った。乙音姫には見付からなかったと嘘を言う積りで急いで帰る途中、思いがけずお前に助けられる羽目になってしまった。本当に無念じゃが、儂の力ではどうしようも無い運命の流れが始まっておったのだのう。」

 海亀は、首を深く垂らして青年に背を向けました。

「誰が私を待っているのか。その乙音姫という方なのか。」

「儂について海の底まで来てくれ。その姫の所まで案内する。もう、儂の抗える次元の話ではない。まあ、そなたには儂の言っている事の意味は分かるまいが。取り敢えず、そこの壁一面に生えておる苔を一握り口に含んで付いて来てくれ。」

「海の底?申し訳ないが、私は余り泳ぎが得意ではない。然も、海の底ならば息が続くはずもない。」

「分かっている。まるで、昔の儂の言葉を聞いて居るようじゃわい。その苔さえ食べれば、泳ぐ事も息を止める事も必要無い。」

 青年は、改めて壁面の苔に目を遣りました。

思えば、青鬼が海水に飛び込む際にも口に含んでいた事を思い出しました。そして先程からの話では、どうもこの海亀も元は人であったらしく、不思議な思いがしていました。

「もしや、私も食べると亀になってしまうのですか?そういう苔なのでしょうか?」

 呆気に取られたような表情を不安気な青年に向けた海亀は、突然ケタケタと亀らしくない笑い方をしておりました。

「どうであろうのう。ミジンコにでもなったら儂の胃袋に閉じ込めてやるよ。」

「え、ミジンコですか。それは情けない。あっ。何か身に纏う物がありませんか。このままの姿で、その乙音姫に面会するのは、ちと都合が悪い気がしますが・・・。」

「衣を纏ったミジンコなど見た事も無い。心配無用じゃ、安心して参られい。」

青年は、慌てて壁に駆け寄って、一握り苔を毟り取ると一気に口に頬張りました。口に入れると、その苔は海藻の味がして意外と美味しく感じられましたので、青年は念を入れもう一握り口に放り込みました。海水を覗き込むと、海亀の姿は既に見えなくなっていました。

あの海亀を信じて良かったのかどうか、このような姿で何が安心なのか、本当にミジンコなのか、青年は少し戸惑いも覚えていましたが、意を決すると、鼻をつまんで足から思い切り飛び込みました。肌に冷たい感触が一気に体中を包み込み、五官の全てが失われていくようでした。そして、頼りない全身の動きと共に頭の中に響く、まるで遠くで響く鐘を聞いているかのような音圧感は、青年を不思議な気持ちにさせていきました。瞼を開くと思ったより視界は澄んでいて、先導する海亀の泳ぐ姿は直ぐに見つけられました。そして泳ぐ必要が無いと言った海亀の言葉も理解しました。足元に様々な海藻が寄り添うように伸び揚がって来て、青年の足を支えるように階段を作って行きました。

これは不思議な、と驚いた瞬間に開いた口から多くの気泡が零れて行き、慌てた青年が口元を抑えようとした時に、大量の海水が喉に流れ込んで来ました。更に慌てた青年は、両手を大きく掻いて海面に戻ろうとしましたが、気が付くと息が苦しい訳では無い事に気が付きました。呼吸をしていないにも関わらず、少しも胸が苦しくはなかったのです。

思わず青年は、全身を見渡し、更に背中に甲羅を探りましたが亀にもミジンコにも変化していないことを確認してほっとしました。

「ジョウダンヲ イッテイルノカト オモッタ。ホンキデ シンパイシタノカ?」

 頭の中に、海亀の物と思われる言葉が飛び込んで来ました。と同時に、別の同じ言葉が四方八方から感じられました。

「オカエリ。」

青年が、案内された場所は、歩くと細かな砂の舞い上がる、海藻も岩場も無い海底に出来た円形状の平地の上でした。不安気に海亀を見ていると、青年に微笑み掛けた後、片手を挙げてゆっくり下ろしていき、動かずに居ろというような仕草をして見せました。すると間もなく足元の砂が、合図を待っていたかのように蠢き始めたのが分かりました。まるで小さな虫の大群が、海底を移動しているようにも思えました。

その砂群は、海亀と青年の体を這い登って来て、頭部を残して全身を砂で覆いました。

一体、これから何が始まるのか見届ける青年の心に、不思議と恐怖感はありませんでした。すると一瞬の後、海亀と青年は砂地の中へと一気に吸い込まれていきました。あっという間の出来事で、何が起きたのか理解出来ないままに、我に返ると黒っぽい壁に仕切られた大きな広間の中央に立っていました。

見上げると天井も黒く、壁に窓もなく一切装飾の施されていない全くの黒い空間でした。にも拘らず暗い闇の中に閉じ込められた閉鎖感は無く、灯りの所在が確認出来ないのに海亀の表情は、はっきりと見えていました。そもそも黒い壁が黒く認識できたのも不思議で、どのような光を受け入れる部屋の構造になっているのかさえ分かりませんでした。

その上、その空間を占めていたのは、海水では無く、呼吸を試みようとすると、逆に息苦しくなり、呼吸そのものが必要のない空気とはまた別の何かが存在する場所だという事が察せられました。ただ一つ不可解なのは、自らを確認しようとしても五体の感覚のみ有って、目視することが出来ない事でした。まるで宙に目球だけが浮かんでいるような、夢の中かと錯覚するような感覚でした。

「此処は、本当に先程の海の底なのか?貴方には、私の姿が見えていますか?」

 焦燥に駆られた青年は、海亀に説明を求めました。

「さあな。わしにも此処がどのような場所であるのかは、さっぱり分かってはおらん。ここが竜宮城と呼ばれた場所である事以外はな。わしも長くここにいるが、未だに慣れんのだよ。お前が感じているだろう不思議な感覚はわしの中にもある。わしには苦渋に満ちたお前の表情が良く見えているが、それも表情だけだ。肉体そのものは見えてはおらん。そして、気持ちが悪い事に、自分の姿を見る事は出来ぬ。有るのか無いのかさえ確認出来ぬ頼りない感覚じゃ。」

「もしかして、肉体は海中に残っていて、念のみがこの場所に存在しているという事なのでしょうか。」

「わしも、最初はそう考えた。死んでしまったのかとな。しかし、それさえも確認する術が無いのじゃ。」

「確かに気持ちが悪い。早くこの場所から去りたい気持ちで一杯です。それで貴方が、私を合わせたいと言っていた乙音姫様は何処に?」

「わしは合わせたいとは一言も言ってはおらん筈じゃ。どちらかというと合わせとうは無いのじゃ。しかし、この場所に呼んで来いと命じて置きながら、さて乙音は何処に行ったのじゃろう・・・。先程、洞窟に戻る時には、確かに此処に・・・。」

「その方は、乙音と言われるのか?」

「乙音とは地上で海賊に命名された名での、本当の名前は、わしにも分からん。恐らくは本人もな・・・。」

「・・・・。」

「どうした、何か不審な事でも・・・。」

「竜之進と呼んだのは貴方ですか。」

「竜之進?それは誰の事だ。」

「・・・・・。」

「奇妙な事を言う奴じゃ。まあ、待て。追ってあの娘も戻って来るじゃろう。」

「私は、帰ります。」

「何!帰るとは何故じゃ。ここまで来て、何を言い出すのじゃ。何か気に障る事でも言ったかの。」

「その姫とは、幼き頃に海賊に連れ去られ、双子の兄から遠ざけられた、吉備の国主の娘でしょう。すなわち、私の双子の妹だ。」

「何、そうなのか。だからあれ程までにわしに懇願したのか。しかし、・・・だとするとわしの思い違いなのか、あの若い仏師の生まれ変わりじゃと確信したのは・・・。嫌、そんな筈は無い。だとするとあの夜、お互いを貫いた刃が、双子として二人を現世に戻したという事なのか。嗚呼、・・・なんという残酷な宿業じゃ。」

「何の話かは分かりかねますが、私は帰ります。どうすれば洞窟に戻れますか。」

「待て、そもそも何故妹だと即断したのじゃ。赤子のお前は双子の妹の事など知り様も無いではないか。」

「幼き頃、鬼ヶ島に鬼退治に出掛けた際、船上にて海賊から妹の存在を聞きました。そして鬼ヶ島で、青鬼の大将に妹がこの島に居ると教えられた事が有ります。これで充分でしょう。」

「何だと。お前は、あの時独りで乗り込んできた子供だったというのか。」

「えっ。あの時、貴方はあの島に居たのですか。・・・でも、もう関係ない。あの時に逢わないのかと青鬼に聞かれて、私は合わないと決めたのです。」

「二人っきりの兄妹ではないか。妹が会いたがっているのに、何故にそれ程までに頑なに拒否しなければならんのだ。」

「先程、貴方の語られた言葉の中に、宿業と言う言葉がありました。貴方も何処かで私の因縁の中で関わっている方なのだと思います。ならば分るでしょう。貴方も会わせたくないと言った。同じ理由です。」

「・・・お前も、随分苦しんで来たのであろうな。全てを正面から受け止めざるを得ない立場にあったのであろう。路傍の石であるわしが諭す話でもなさそうじゃ。此処にあの娘が居合さなかったのも、何かの因縁かも知れん。あの娘には、儂からそう伝えて置く。」

「ありがとうございます。私の為に燃やされてしまった村々の事も心配なのです。急いで帰りたいのです。どうすれば帰れますか。」

「此処からの移動は簡単じゃ。行きたい場所を頭の中で念じながら、そこの扉から出て往けば良い。それだけじゃ。」

「扉?」

 青年は驚いて辺りを見廻しました。全面は相変わらず黒い壁に覆われたままで、訪れた時と何も変化は見られず、扉を確認することは出来ませんでした。

「どこに扉が、私には見えませんが。」

「すまん。説明不足じゃった。おそらくお前には黒い壁にしか見えてないのだろうが、この部屋は六枚の扉に囲まれて出来て居る。お前が壁と思っている処が扉じゃ。それから、もし会えなかった場合の事を想定して、あの娘から預かった物が有る。それも持って帰ってくれ。」

「この壁が扉?どの扉からも、念じた場所に帰れるのですか?何という奇妙な造りだ。」

「いや、どの扉でも同じ場所へ繋がっている訳では無い。お前の真後ろの扉に向かって念じるが好い。」

 突然、青年は両手の上に箱状の物を持たされたのを感じました。

「箱ですか?これには何が入っているのですか。随分と軽い・・・。」

「いや、大したものでは無い。地上に戻った時にその恰好では都合が悪いであろう。絹で織った衣と、売れば生活に困らない宝物が入っている。戻ったら直ぐに開けてくれ。」

「どうもありがとう。色々理解して頂き、有難いと思っています。貴方は、まだ此処に居続けるのですか。人の姿に戻りたくは無いのですか。」

「こちらこそ、何時ぞやは漁師から助けて貰って感謝して居る。わしは人の世で生きるよりこちらの方が性に合っている。恐らく死ぬまでここに居るじゃろう。肉体は所詮借り物じゃからのう。名前と同じじゃ。またな。」

「私は此処を訪れる事はもう無いと思います。妹には言い残したい事も無くはないが、敢えて何も言付けずに帰ります。それでは御達者で。」

 青年は、意識を壁に向けて大亀に言われた通り、頭の中で亀を助けた海岸を思い描きながら進んで行きました。すると、不思議な事に壁はまさに扉のように奥へと開いて行き、扉の奥から射し込む眩い光が青年を真っ白な空間へと誘っていきました。

 

青年が、扉の向こう側へと吸い込まれた後、

海亀は物憂げな眼差しを扉に向けたまま、暫く動かずに居ましたが、深い溜息を着くと歩き出し、反対側の扉の前で立ち止まりました。

「乙音よ。言われた通りあの扉から出て往かせ、あの箱も持たせた。お前が言ったとおりに全てが進んだ。不思議な娘じゃ。何故に、会った事も無い兄の言動を、予め見て来たように知っていたのだ。お前は・・・・。此処に来て、一時もあいつは居なかった。正直、わしはお前という人間が恐ろしい。あいつには出口は一つと嘘を着いたが、お前は、別の扉から何処へ何をしに行ったのじゃ。わしも独りじゃ寂しいからのう。たまには帰って来て呉れんかのう。それにしてもあいつは、本当に又ここに帰って来るのか?乙音?」

         ★

 青年が、砂地に照り付ける日差しの中、視界を取り戻した時、最初に目を引いたのは青空に沈んだ黒ずんだ影となった山々でした。

 何処にも緑は見付けられず、海岸から山の裾野までが見渡せるほど、村の住居も疎らにしか見付けられませんでした。残った住居からも動く人影は見当たらず、人の気配を伺わせるのは、炎の影響を受け難かった海岸沿いの漁村の住居のみでした。青年は、視線を両手に抱えた黒い箱に落とし、砂浜に下ろしました。

「とりあえず、このままの姿では動きが取れない。衣を羽織らねば。」

 しかし良く見ると、黒い箱には蓋が無く、引き出しのような細工も見当たらず、青年は焦りながら箱を引っ繰り返したり、激しく振ってみたり、何とか中の物を出そうと躍起になっていました。そして、叩いてみると聞いた事の無い音の響きがしました。それは木材で作られた物では無く、見た事の無い材質で作られた物の様でした。

 その時、遠くから人の話し声と走って来る足音が聞こえて、青年は辺りを見渡しました。

叫びながら走って来る大人が一人、その後を追い掛けて付いて来る子供が数人見えました。

その大人は、いつか無縁墓地で長老と共に潜んで居た者だと分かりました。

「浦島太郎が生きていたぞ!生きて帰って来たぞ!」

そう叫びながら走って来ていました。

聞いた事の無い名前でしたが、自分の事を指した名前に違いないと思い、青年は逃げるように砂浜を走り出しました。ところが、漁師が砂浜に広げてあった漁の網に気付かずに足を取られ、もんどり打って倒れ込んでしまいました。慌てて足に絡んだ網から逃れようとしている時、空気が抜けるような音の発生に青年が手元を見ると、黒い箱から白い煙を噴き出しているのが分かりました。

「何が、・・・どうしたのだ。」

 青年が、黒い箱を手にして様子を伺い始めると、白煙は青年を包み込むように、噴き出す量も速度も激しさを増していき、青年を中心に渦を広げて行きました。青年は辺り一帯を白い煙幕に閉ざされ、急激な嘔吐感に蹲りながら、全身に伝わって行く痙攣の中、地面があの海底の砂の様に宙に向かって浮き上がって行くのを見ました。

そして次の瞬間、空から降って来た大きな手の平に押し潰されるように、地面に叩き付けられたのを感じました。

         ☆

 蓑吉は、信じられないような光景を目にして動けずに居ました。追い掛けてきた子ども達も説明を必死にせがんで居ましたが、蓑吉自身の頭では理解出来ずにいました。

もう少しで桃太郎に辿り着く処で、突然桃太郎が持っていた黒い箱が、手から転げ落ちていき、その箱から噴き出した白い煙が桃太郎を包み込んでいきました。しかし、蓑吉と子ども達が着いて煙が風に流された後、その場に有ったのは白骨化した襤褸切れの僧の衣装を着た死体でした。暫くして、漸く蓑吉は子供達を近くに呼んで話し始めました。

「浦島太郎は、助けた亀に連れられて竜宮城に行っていたが、あんまり竜宮城が楽しくて、長居し過ぎてしまった。乙姫様にもう帰りますって言って帰って来たのだけど、お土産に貰った玉手箱を開けたら、この世界の時間に戻されたものだから、お爺さんになって死んでしまった。」

「この世界の時間って何?」

「俺にも分からねぇが、多分海の中の一日と陸の上の時間とは、進み方が違うのじゃねえかな?」

「ふ~ん。じゃあ、浦島太郎は乙姫様に殺されたのだね。」

「まぁ、そういうこったな。好きな女子に入れ揚げたら骨だけにされちまう、って話だな。良く覚えときな。」

         ★

 青年は、大きく揺さぶられて目を覚ましました。漁師と思われる赤茶けた皮膚に深く皺の刻まれた老人が、心配そうに青年を覗き込んでいました。

「どうした。大丈夫か。見掛けない童だが、何処の村の童じゃ。そんな恰好で倒れているところを見ると、舟で嵐にでも出くわしたのか。」

「嫌、親爺昨日の夜は穏やかな月夜であったぞ。それに儂は昨夜、この砂浜で月を肴に呑んで居ったが、このような幼子を見掛けなかったがのう。いつの間に・・・。」

 違う声に振り返ると、まるで漁師とは覚束ない井出達で鼠色の法衣を来た短髪の男が、漁師と同じ様に青年の様子を伺っていました。

 青年は、格好と言われて身の回りを確認しました。何も纏ってなく、全裸の状態であるのに気が付きました。そして、何よりも違和感があった童という言葉にも 自分の体格を顧みて納得せざるを得ませんでした。

「私は、いつから童の姿になったのでしょうか。何が私に起こったのか、少しも思い出せない。」

 二人は怪訝そうに顔を見合わせ、法衣を着た男は自分の上着を脱いで青年に着せ、漁師に目配せして何処かに使いに行かせました。

「今、近くで診療をしておる薬師を呼びに行かせた。落ち着いてよく思い出してみろ。それにしてもお前は童というには、言葉使いや眼光が幼子のものとは思えない処が有る。何やら深い事情が有りそうじゃ。」

 青年は、放心したまま沖の方を見詰めていました。

「何かを思い出そうとすると、白い煙が立ち込めて来て、何もかもを消してしまうのです。此処は何方の海岸で在りましょうか。」

「此処は、和泉(いずみ)の国の海岸で漁師町だ。少し前までは(やまと)の国中が何処も戦場で、何処に行ってもお前の様に気が触れた者や、放心して記憶を取り戻せない者達で溢れて居ったが、お前はそうではない気がする。」

「ヤマトの国。・・・吉備の国は、此処から遠いのですか。」

「おや、何か思い出したのか?しかし吉備の国は、もう滅んでしまって今は無い。雄略(ゆうりゃく)天皇が周囲の豪族全てを滅ぼしてしまったからのう。今では、この国は字を変えて、(おお)いなる(なご)みと書いて大和(やまと)の国と呼ばれて居るが、お前は吉備から来た者か。」

 青年は両手で頭を抱えて唸りながら、かぶりを振りました。

「かわいそうにのう・・・。年端も行かぬ童には辛い話じゃ。いつか鬼に攫われ掛かった同じ年頃の女の子を見たが、お前と同じ様な状態で有ったのう。」

 鬼と言う言葉で、青年は体を硬直させて男を見上げました。何かが青年の脳裏に一時浮かんだようでした。

「儂は、仏師をしておる。お前の面倒を観て遣りたいのじゃが、これから雄略天皇に呼ばれて奈良に寺を建てに行く処なのじゃ。薬師は、古くからの友人で気の置ける男じゃから、儂からお前を預かって貰えるように頼んでおく。じゃから、帰ってくるまで世話になって居れ。よいか。」

 青年は、こくりと頷きました。

それから間もなく、漁師と白衣を着た二人の姿が、砂浜を走って来るのが見えました。


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