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隻眼龍と赤鬼  作者: みのたかひろ
1/5

赤鬼と少女

隻眼龍と赤鬼

         (1)

昔々、まだ日本が日本と呼ばれず、様々な集落が勢力を競っていた頃、毎日の様に彼方此方で野畑が焼かれ沢山の人間が命を失っていました。そんな、動く者を見渡す限り確認できない、或る焼野原の朝靄の中を一匹の赤鬼が、何か食べる物や生活に使えそうな物を探して、血に黒ずんだ鎧や折れて千切れた旗印の間を歩いていました。

すると、ふと子供のすすり泣く声が聞こえた気がして、鬼は首を傾げ、耳を澄ませながら辺りを窺いました。

それは、近くの崩れ掛けた小屋の中から聞こえてくるようで、鬼は恐る恐る足音を立てぬ様に気を付けながら近付き、板切れの隙間から中をそっと覗き込みました。

 暗がりの中、裂けた板壁から差し込むかすかな光に照らされて、沢山の焦げた赤黒い死体が何体か見えました。鬼は更に目を凝らし、目線を移していき、光の届かぬ隅に座り込み、肩を震わせながら目を覆った独りの少女を見付けました。

赤鬼は、不思議なものを見付けた様な面持ちで、暫くその光景を見守っていましたが、このまま放置すれば、やがて崩れそうな小屋の様子から少女の身に起こる危険を案じ、落ち着かなくなってきました。赤鬼は、壁板を一枚両手で引き剥がすと、空いた隙間から頭をねじ込む様にして中に突っ込み、肩から腕、そして足へと体を小屋の中入れて行きました。

 突然、板羽目が激しく裂ける音に はっと我に返った少女は、一瞬泣き止みましたが、侵入者の存在に気が付くと、火が付いたように絶叫して、ガタガタと震え出してしまいました。

人間の子供を良く知らなかった赤鬼は、戸惑ってしまいました。そして、お道化たり大きく笑って見せたりして、懸命に宥めようと試みました。

しかし、崩れかけた小屋の中で、巨体の赤鬼が何度も激しく動いた所為で、小屋は悲鳴を上げて軋みだし、屋根が大きく傾き出しました。その事態に気付いた赤鬼は、急いで少女に駆け寄り覆い被さりました。同時に小屋は、大きな音を立てて崩れ落ちました。

土煙が治まった頃、重く圧し掛かった板切れを押し上げて赤鬼は立ち上り、少女の様子を確認しました。大きく見開かれた眼が、自分に注がれていました。少女に怪我の無い様子に安心した赤鬼は、急に背中に激しい痛みを覚えて蹲りました。すると、少女は突然ケタケタと笑い転げ出しました。

 赤鬼は、人間の不可解な反応に驚きました。人間は、他人が痛み苦しむ事を楽しいと感じる生き物なのか。

しかし、直ぐに赤鬼は、少女のその不可解な衝動の訳に気が付きました。自分の二本の角に板切れが突き刺さって、何とも間抜けな格好になって居た事に気付きました。しかし、背中の痛みは更に激しさを増し、今度は赤鬼の方が泣き出してしまいました。

「痛いの?泣かないで鬼さん。」

 突然の優しい声に赤鬼が顔を上げると、少女は心配げな表情で立っていました。そして、赤鬼の顔を何度も覗き込みながら、柔らかく温かな手の平で 赤鬼の背中を頼り無い手付きで繰り返し撫で始めました。

 人間から隠れる様に生きて来た赤鬼は、その柔らかな少女の笑顔と 暖かな掌の感触に戸惑っていました。他の鬼達や野に住む様々な生き物から聞かされてきた、人間の傲慢さと残虐さとは懸け離れた感触が、少女の掌から伝わって来るのを感じていました。

 赤鬼は、背中の痛みに耐えながら立ち上がり、少女の前に手を差し出しました。少女は少し驚いたように目を丸くさせながら、小さな掌をその上に重ねました。

 「冷たくて、ゴツゴツしてるのね・・・。」

 少女は、小声で呟くと赤鬼を見上げて微笑みました。

赤鬼には、人間の言葉を理解出来ませんでしたが、その声は赤鬼の心を優しく包み込む様にとても心地良いものに感じられました。

 少女は、赤鬼の頭の上を指さして、笑いを堪えながら聞きました。

「角は、痛くないの?」

 何の事かと角を触った赤鬼は、まだ木片が刺さったままで在る事を思い出しました。片手で外そうとしましたが、両角に深く刺さっていた木片は容易には外れませんでした。赤鬼は少女の手を放し、両手で引き抜こうとした途端、背中に激痛が走って再び蹲りました。

「あたいが、手伝ってあげるね。」

 少女は、蹲った赤鬼の角に刺さった木片を掴むと 唸り声を上げながら引っ張りました。

すると、キュッと木片が悲鳴を上げて勢いよく抜けました。その拍子に、両者とももんどり打ってひっくり返り、赤鬼は後頭部を岩に強く打ち付けて悲鳴を上げました。少女は駆け寄り、その小さな胸に赤鬼の頭部を抱き締めました。その少女の衝動と暖かさに、赤鬼は自分の瞼から涙が無意識に溢れ出してくるのが、とても不思議に思いました。

「背中?頭が痛いの?」

 少女は、その涙を痛みと勘違いしていましたが、赤鬼は自分に出来る限りの微笑みを顔面に貼り付けて見せ、少女の手を取って立ち上がりました。

 赤鬼は、この少女とずっと一緒に居たいと思いました。そして、このままずっと一緒に暮らしたいと思いました。

それから、赤鬼は荒れた死骸と瓦礫の散乱する中を 鬼の里に向かって手を引き歩いて行きました。伝わる少女の掌の温もりは、歩けば歩く程に赤鬼の心の中へ、切なく不可思議な感覚を染み渡していくのでした。

 今日は、食料や宝物より素敵なものに出会えた気がする。赤鬼はとても幸せな気持ちに成っていました。でも歩きながら、ふと赤鬼は考えました。

このまま鬼の里に彼女を連れて行ったとしたら、この子供は、他の鬼達に酷い目に合わされるかも知れない。そう考えると、自分がどうする事が彼女の為になるのか、今までに思慮した事が無い事態に深く困惑し、足取りが重くなっていくのを感じていました。

幾つかの河を超え、山間の木々の合間を縫って歩いて行き、やがて太陽が天空の高みに位置した頃には、きな臭い戦場の匂いから随分と離れたところまで歩いて居ました。

「あっ。ウサギ。」

突然少女が声を上げました。赤鬼が少女の視線の先を辿ると、直ぐ近くの樹木の地面に大きく張り出した根の上に 白い小動物が此方を見ているのが見えました。

ウサギと呼ばれた小動物は、赤鬼には一見、鼠にしか見えませんでした。

しかし、赤鬼が少女の手を放し素早く駆け寄って小動物を捕らえようとすると、不思議な事にそれは逃げようともせず、容易く赤鬼の手に捕らえられました。良く見ると鼠にしては大きく、白い体毛に包まれた体形をしていました。しかし、ウサギと呼ぶには短すぎる耳と言うか無いに等しい、見た事の無い小動物でした。

赤鬼は少女が空腹なのだと思い、小動物の首に手を掛けて殺傷しようとしました。すると少女は赤鬼の手に飛び付いて叫びました。

「ダメ!殺してはダメ!悪い事してないのに殺してはダメ。放して上げて。」

少女が頬っぺたを膨らませて必死に赤鬼の腕を引っ張って懇願するのを見て、赤鬼は直ぐに手を放しました。地面に下ろされた小動物は、よろけながらも少し二人から離れて、逃げるでもなく二人を見詰めていました。何だ、こいつは逃げないのか。赤鬼は、少女に窘められた気まずさから、小動物を睨み付けました。

「無闇な殺生は止めてね。あたいも、ウサギさんも赤鬼さんも みんな同じだからね。」

柔かな声音が赤鬼の心を安らがせ、温かな少女の掌が、赤鬼の背中を何度も擦っていました。奇妙な事に少女に擦られる度に、背中の痛みは薄れて行くように感じられました。

やはり、この子を鬼の里には連れて行けない。同じ人の住む村まで連れて行かなければいけない。そう思った赤鬼は、山を下りて人里に向かう事を決心しました。

その時でした。

少女が突然、赤鬼の手を振り解き、山の斜面を走り出しました。驚いて赤鬼が少女の走り出した方を見やると、山の頂上に毛皮を羽織った樵たちが何人か、此方を見下ろしているのが見えました。

良かった。近くに人間の里が在るのだ。

赤鬼が、そう思って樵たちに手を振って見せ、少女に声を掛けようとした時でした。山肌に大きな爆音が響いて、赤鬼の全身に激痛が走りました。振り返ると一人の樵が、谷の方から煙の立ち昇る長い黒い筒を持って立っているのが見えました。胸部に熱い痛みを感じて

目線を下ろすと、鮮血が胸の真ん中からほとばしって、辺りには火薬の匂いが感じられました。

赤鬼は、そのまま谷底に転がり落ちて行きました。木々の幹や突き出した岩に体中を強打しながら、赤鬼は何度も何度も叫びました。

 なんで。どうして。俺が、何をしたというのだ・・・。

渓流まで転がり落ちた赤鬼は、動けなくなっていました。顔面の半分を川面から浮かべて、赤く滲んでいく水の流れと、川面に映り込む川岸の景色を ただ眼球に感じていました。ふと、樹木の幹から顔を覗かせた耳の無いウサギが、何かを言いたげに自分を見詰めている姿が映り込みましたが、やがて全てが黒い炎に飲まれて行きました。

        (2)

人間が刀を纏う者と道具を磨く者と商いに窶す者に分かれ始めた時代、

ある処に一人の青年が居りました。青年は職業仏師を生業としており、毎日来る日も来る日も丸木に鑿を振るい、一心不乱に仏像を彫っておりました。

その仕事振りと 彫り上げた仏像の出来栄えは実に見事で、忽ち国中に噂は広まり、その完成した造形物を遠方より拝観する為に様々な身分の方々が訪れる程でした。

そんなある夏の日の事でした

其の日も青年仏師は、仕事場でせっせと額から汗を飛ばしながら鑿を振るっておりました。その時、不意に蝉時雨に交じって背後から呼び掛ける人の声に気が付きました。

「もし。これもし、ちと宜しいかのう。忙しい最中にお声掛けして申し訳ないのじゃが、折り入って御願いが有って参ったのじゃが。」

青年は手を止めて、不審顔で老人の方を振り返りました。

「いやいや、これは失礼しました。私は此処より四里ほど離れたある神社の宮司をしておる者ですがのう。そなたの見事な仕事振りを噂で聞いて拝見しに参ったのじゃが、いやぁ実に見事な魂の入った所作に感服致しました。まさに、噂通りでありました。そこで、是非にもあなた様に面を一頭彫って頂けないかと御願いしたいのだが、如何でしょうかの。」

 今まで一度も面を彫った事のない青年は驚き、戸惑いながら聞きました。

「面で御座いますか。面とは、どのような面をご所望なので御座いましょうか。」

「般若の面なのじゃ。」

般若の面と聞いて何故だか青年は、一瞬動悸が激しくなりました。

「彫ったことは御座いませんが、どのような用途でお使いなさるのか?奉納でしょうか。将又、どのような方が御被りなさるのか。」

青年が、興味を示したとみて老人は青年の近くの床几に腰を下ろし、にじり寄って話し始めました。

「そうなのじゃ。近く、我社において奉納の舞の会が行われるのじゃが、その能会で当社の巫女に被らせて舞う事に成ったのじゃが、元々我が社中にて以前より奉納品として所蔵しておった般若面が、どうしても巫女の顔面に収まらず、舞の途中で落ちてしまい、困り果てた次第でのう。巫女に合う面を求めに参ったのじゃ。どうかのう。勿論礼金は、はずみますがのう。」

 話を聞いた青年仏師は快く承諾し、明日神社を訪れて巫女の顔面に合った般若面を制作する事を約束しました。

 翌日、青年は約束通り神社を訪れました。

宮司は、青年の来訪を大層喜び、境内を手厚く案内され、巫女の居る間へと通されました。神社を訪れた事の無かった青年にとって、途中様々な場所に施された木工細工や煌びやかな屏風に仕切られた間取りの空間は、青年の目を驚かせ、異界へと迷い込んだような、足元の覚束無い状態にさせていました。

しかし、華麗な屏風の背後から風に吹かれるように現れた巫女を見た時、青年は、現実離れした美貌と

幽玄な瞳の力に圧倒されました。と同時に、青年は今までに経験した事のない熱い戸惑いを覚えました。

しかし目を凝らすと、幽玄さを発した巫女の視線は朧な霞に覆われ、何もその眼には映っていないかのようにも青年には感じられました。

 それを察した宮司は、深く溜息をつき巫女の肩に優しく手を触れて、語り始めました。

「可哀想な娘での。幼少の頃、戦火で両親を失った処で鬼に攫われて、随分怖い思いをしたのじゃそうじゃ。危うい処を樵に救われて、儂が預かる事に成ったのだが、儂の元に来た時には、既に御覧の通りの状態での。」

青年は、深く頷きながら熱心に聞いておりましたが、ふと気になって訊きました。

「しかし、何故そのような状態の巫女に、難しい所作の能を舞わせる事に。」

「不思議な話での。他人の稽古を見ている内に、それを真似るように芝上で突然舞い始めたのじゃが、それが何とも言えぬ美しい身の振りと呼吸使いでの、その場の誰もが息をするのを忘れる程じゃった。」

 深く頷いた青年は、巫女に近付き、両手を巫女の顔を包むように宛がい、掌全体で巫女の顔を感じ取りました。その時、巫女の眼が一瞬焦点を取り戻し、一気に霞が晴れて行き、青年の眼に光が注がれました。突然の事に、心臓の鼓動が大きく波打ちながらも青年は繕って微笑み、巫女もまた微笑みを返してきた。

 その時、青年は生まれて初めて恋という理解し難い感情を知る事になりました。

「嗚呼。なんと不思議な事じゃ。この娘がそなたの手の平を受け入れ微笑んで居る。初めて儂は、この娘がこのように笑うのを見た気がする。」

宮司は目を見開いて驚き、やがて声を立てて笑いながら手を叩いて喜びました。

「不思議な縁じゃのう。」

 その言葉の意味も分からず青年は、赤らめ顔で頷いておりました。

 作業場に戻った青年は、日々寝る間も惜しんで般若面の制作に取り組みました。時折、掌に残った巫女の感触とその美しさ、青年を見返したあの澄んだ瞳、全てを心に刻みながら自らの魂を木片に打ち込みました。と同時に心の根が熱い四方の壁に押し潰されていくような痛みの中にもありましたが、それは青年の知らない言の葉の生み出すもので有り、教わる術も訪ねる相手さえ持たない境遇の身であった青年は、ただ唯毎日、木を削っては心に浮かぶ灯を昇華させていこうとするかのように、鑿の切っ先に無常を求めて打ち込みました。

しかし、美しく柔らかな瞳の輝きは、繰り返し繰り返し青年の心の壁を打ち付けても、実際に般若を見た事も無かった青年は、鬼の表情を思い描く事は出来ませんでした。行き詰まり苦悩に苦しんでいますと、宮司が突然様子を見に訪れました。そして、青年の困惑している事情を聞きました。

「なんじゃ。そんな事か。それは造作無い事じゃ。実際に鬼を見せて進ぜよう程に。」

「えっ。鬼を私に見せて頂けると仰るか。」

驚く青年に、宮司は床几に腰を下ろすと得意げに話し始めました。

「先日、巫女の生い立ちをお話しした際に

巫女を拉致しようとした鬼の話をしたが、覚えて居られるかな。」

「はあ、確か樵が助けたとか・・・」

「その時に退治した鬼の骸を我が神社にて所蔵しておる。何時でも御覧にお越しになるがよかろう。」

 青年は大層驚きましたが、このような機会は滅多に無く、今後の創作にも役に立つと考え、早速見せて貰いに行く事にしました。


 其の日の夕刻、青年は宮司に案内されて本殿の裏手にある木造建ての建物に入って行きました。中には様々な木箱が薄暗い庫内にうず高く積まれていましたが、その中から大きな木組みの質素な箱を、若く体格の良い社務所の者達に持ち出させ、窓際のほんのりと光の射した床に下ろされました。そして宮司は言葉を発せず、青年に頷いてみせた後、蓋をずらせて、中を見る様に促しました。恐る恐る中を覗き込んだ青年は、意外な印象を受けました。

 そこには、半分ミイラ化した骨が横たわっていましたが、青年が予想していたような妖気に満ちたものでは有りませんでした。

「触ってみても宜しいでしょうか。」

 青年は一言断って、巫女にした様に両掌で鬼の顔面を包み込みました。そして、そのあと両角に手を這わせて、その感触を感じておりました。

その時、青年は全身に突然激しい痙攣を伴った衝撃を受け、口元から白い泡を吐き散らしながらのた打ち回り、そのまま気を失ってしまいました。

 目が覚めた時、寝かされた布団の両側に神主と巫女が心配そうに顔を覗き込んでいました。

「私は、どうなったのでしょうか。」

 巫女は、優しい眼差しを青年に注いで居ただけでしたが、宮司は苦悩に満ちた表情で青年と巫女を見比べて居りました。

「何という縁じゃ。」

「前にも聞きましたが、縁とはどう言う意味なのですか。」

 青年の掠れた声を聞いた宮司は、それには答えず立ち上がり、早々に般若面を完成させる事を催促して 青年を追い払うかのように帰らせました。

 事情が呑み込めないまま、足元をふらつかせながら鳥居を超え、一度立ち止まって不思議そうに本殿を振り、深く溜息をついて再び歩き始めた青年は、石段の途中で声を掛けられて振り返りました。眩しい陽の光に手を翳すと、石段の最上部の鳥居の下に宮司が立って居るのが見えました。

「なにか・・・。」

「そなたのご両親はご健在か。」

「いえ、私には両親の記憶も 幼少の記憶もないので御座います。気も虚ろに海岸の砂浜を彷徨って居る処を漁師に介抱され、世話頂いたので御座います。何やら記憶を失う病に掛かっているという事でしたが、いずれ取り戻すであろうとお医者様に言われ、そのままそのお医者様に厄介になっておりました。」

「そのお前が、何で仏師を生業とするように成ったのじゃ。」

「診療所にて風呂焚きなどの手伝いをさせて頂いておる際に 薪に彫り物をして遊んでいるのを、診療所に来られていた仏師の御師匠様に見初められまして・・・。」

「ふん、そうゆう事か・・・。」

「私には、何か恐ろしいものが憑いているのでしょうか?私の失った記憶の先に、何か忌まわしいものが有るのでしょうか。」

 話す内に自然と頬を伝う涙もそのままに、石段の上を見上げましたが、宮司の姿は既に消えておりました。

青年は、自らに起きた異変に気を取られながらも 心の邪念を打ち払うために夜も寝ないで般若面に精魂を込めていきました。

 そして、般若の面は完成しました。青年は急いで社務所まで自ら納品に行きましたが、宮司は面会に現れず、巫女も不在だと言われ、代金に関しては後日宮司が直接に相談に伺うと、まるで追い払われるような待遇でした。

 代金は不要であるから、せめて能会には参詣を許可して頂きたいと何度も懇願しましたが、それも激しく拒否されるだけでした。

 酷く落ち込んだ青年は、仕事に打ち込むことで全てを忘れてしまおうと、躍起になって鑿を振るい続けました。しかし、青年の心の中に浮かぶ巫女の眼差しは、日毎濃く成って行くのみで 少しも消えて行きそうにもないのでした。

 それからひと月程経った頃、青年はその集落で、或恐ろしい噂が広まっていることを知りました。

月の明るい夜、男が独りで道を歩いて居ると、鬼に襲われて喰われてしまうと言うものでした。青年は、夜歩きする習慣も無く、唯の怪奇じみた噂話であろうと気にも留めはしませんでした。

そんなある日、あの宮司が思い掛けず青年の仕事場に姿を見せました。

「その節は、大変申し訳ない事であった。代金もそのままになって居ったな。」

「いえ、納品の際に申し上げた通り、代金は結構で御座います。実は、代金の代わりに頂きたいと思う事が胸中には有りましたが、今と成っては最早思い上がった夢かと思い、諦めて居ります。」

「それは、もしやあの巫女を娶りたいと言う願いであったかな、・・・いや、そなたの想いが感じられたからこそのあの日の処遇であった。」

「結構で御座います。最早、夢と申し上げました。」

 宮司は、深く息を吐いて青年を無言で暫く見詰めていましたが、やがて覚悟を決めたように立ち上がり、青年の背後に近付いて囁くように話し始めた。

「それが、夢では無くなるかも知れんと申したら、そなたはどうする。」

 青年は、驚いて思わず手にした鑿を落しそうになりました。

「今、巷を賑わしておる鬼騒動を知って居るか。」

「鬼騒動。噂は聞いて居ります。」

「あれは、噂ではない誠じゃ。あの鬼とは、あの巫女の事なのじゃ。」

「えっ。あの巫女が鬼・・・。何を馬鹿な事を仰( おっしゃ)いますか・・・。」

青年は震える声を抑えられず、宮司を振り返りました。

「能会は予定通り執り行われたのだが、あの般若の面を被った途端、突如として長年閉ざした口を開いて喋り出したのじゃ。それも、あの仏師は何処に行った、自分を置いて何処に行ったと騒ぎ立てる始末で 男衆が取り押さえて蔵に隔離し、奉納の舞は結局代役にて以前の面を使って執り行われた。ところが腑に落ちない事がある・・・。その後、取り押さえて面を外した時、また元の口きかぬ巫女に戻り、医師にも見て貰ったが、体の異変も見当たらぬ。試しに他の者が、あの般若を被っても何事も起らぬ。そして、儂が一番不可思議に思うのは、面を咥え被ったまで・・・人は言葉を発する事など有り得ないと言う事じゃ。誠に不可思議な因果を感じる。」

「それが、噂とどう繋がるのですか。」

「巫女も般若面も神社から消えた。」

 青年は、目を泳がせながら自問自答するかのように呟きました。

「しかし、か弱き女子一人の力で出来る事とも思えませぬが・・・。」

「奉納舞の折、面を取り外そうとした我が社の男衆の何人かは、あのか弱き巫女に手足を食い千切られたのじゃ。」

 思わず青年は宮司の袖にしがみ付きました。

「食い千切る。面を被ったままで食い千切るとは不可解な。」

 宮司は、そこまで話すと視線を不安気に泳がせたまま、足取りも弱弱しく疲れ切った唯の白髪の老人と化して青年の仕事場を出て行こうとしました。そして、一度戸口で振り返り、目を細めて青年に焦点を定め、悲しみに満ちた眼差しで最後の言葉を吐くように落して出て行きました。

「自らの目で確認すれば良い。あの恐ろしい鬼面を造ったそなたなら、あの女子を見付けるのも容易い事じゃろうて。そしてあの女子から鬼を取り返す事が出来るのも、其方だけじゃろうからのう。その後は好きにすれば良いが、この町からは出て行ってくれ。出来るだけ遠くへ。」


その日、夕陽が山の黒い稜線に姿を消すのを待ち焦がれ、反対側の上空に滲み出て来る満月を確認すると、青年は着の身着のまま仕事場を飛び出しました。月明かりの中青年はただ、巫女を探して当てもなくさまよい歩きました。宮司の言う通り簡単に出会えるとは思っては居ませんでしたが、丁度満月が青年の真上に差し掛かった頃、果たして、宮司の言った通りに巫女が青年の前に 突如として姿を現しました。

「みいつけた。」

 武家屋敷の土塀の上から、ふわりと身軽に飛び降りてきた巫女は、衣裳は巫女の装束のままで、顔には真っ赤に血潮を被った般若の面が被られたままでした。

初めて耳にした巫女の声は、何故か懐かしくさえ感じられました。目を月明かりに凝らすと、巫女の装束かと思われた衣装も 白い装束に真っ赤な血潮を被ったものだと分かりました。恐らくは、この武家屋敷の中に住む者たちの物かと察せられましたが、天空の月明かりを受けて、般若面は笑っているように見え、青年は背筋に冷たい汗が伝うのを感じました。

「私が分かるか。その面を彫った仏師だ。」

 青年は、自らを落ち着かせる為に 出来るだけ大きな声で一言一言をゆっくりと喋り掛けました。

声を聴いた巫女は、ケタケタと不気味に笑いながら青年の鼻先一寸の距離にまで瞬時に飛び込むように移動してきました。血に塗られた面からのぞいた巫女の眼は、あの時青年に向けられた優しい瞳のままで在る事を見た青年は、不思議と心が緩んでいくのを感じました。

「嗚呼、分かってくれたのだね。私だよ。」

青年が、優しく両掌で般若の面を包もうとしたその時、巫女の背後から風を切るような音が聞こえました。青年は、巫女の両手に何時の間にか握られていた二本の鎌が、自らの背中から腹部を貫いているのを見ました。激しい痛みに耐えきれず、青年は前に崩れ掛かり、両手で般若面の角を掴み、そのまま背後にもんどり打って倒れました。

「何処まで行くの。此処からまだ遠いの。」

面を剥がれた巫女が、青年を見下ろしたまま微笑みをその顔面に浮かべて絶叫しました。青年は、絶命仕掛かっていましたが、燃えるような腹部の痛みに耐えながら、最後の力を振り絞って立ち上がりまた。そして、手に握り締めた般若面の角を見詰めて、唸り声を絞り出すように咆哮しました。それから青年はゆっくりとその面を被り、巫女の方へ一歩踏み出しました。

「お互いに名も知らぬまま、語り合う事さえ無いままに、お互いの心が魅かれあうなんて事が、現実だろうかと疑ってきた。」

語り掛ける青年を無視するかのように、再び巫女は鎌を振り被りました。

「でも、分かった・・・感じた・・・。これ程、温もりのある優しい気持ち、消えた記憶の裏側・・・、クシナダ・・・。」

青年の言葉に一瞬、巫女の動きが止まりました。その一瞬の間を突いて青年は、巫女の懐に飛び込みました。ぶつかり合った二人の体は、そのまま崩れ落ちた。そして、巫女の眉間には青年の鑿が深く突き刺さり、青年の背中には二本の斧が、巫女の体まで届くほどに付き立てられ、二体は一体となり、そのまま同時に絶命してしまいました。


 翌朝、多くの役人たちが取り囲んで二人の遺体を離そうと躍起になっていました。そして、その周りでは遠巻きに大勢の大衆がその様子を見守っていました。

「ありゃ、結局噂の鬼の正体は、あの仏師だったと言う事なのかいな」

そんな風に囁きあう声に交じって、一人の老人の呟く声が聞こえてきました。

「儂は、トンデモナイものを 寄りによってトンデモナイ者に頼んでしまった。因果応報じゃ。」

声を聴いた一人が振り返って、声の主を見ました。坊主頭をした托鉢姿の老人が、数珠を片手に立って居りました。

「ありゃ、宮司さんじゃねえか。でも、その恰好はどうしたのじゃ。」

「儂は、改宗した。仏門に入って、儂自身が背負う事に成った因果からの解脱の為に旅に出る事にしたのじゃ。」

 大衆は、気が触れた者を見るかのように せせら笑いながら遠ざかっていく老人を見送っていましたが、やがて興味を無くした人々は、再び血みどろになって離れぬ二人の男女の遺体に目を戻して、ああでもないこうでもないと身勝手な推測話に いつ迄も花を咲かせているのでした。



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