008 ブチ壊せ資料室!
「ふわぁあ」
小夜の放送で叩き起こされ、また小夜の放送で朝食をとり、またまた小夜の放送で歯磨きや洗顔を促され、そのすべてを終えてぼくはあくびをした。あまり寝た心地がしない。ふわふわすぎるベッドは、寝始めこそ最高だったが、慣れ親しんだ敷布団でないと疲れが取れないのだ。
「初夜はどうだった?」
資料室に突入する為に集合したぼく、ヤイチ、ヒトハの内、ヒトハがニヤニヤしながらぼくに問うた。
「その言い方は語弊があるからやめてほしいな!? 結婚してないし、ぼくもみんなも女だし……」
まさかの言葉に目を飛び出そうなくらい開いて、反論した。ヒトハの口からそんな言葉が出ると思っていなかったし、まず男子が言う言葉じゃないのか? 少なくとも、ぼくは女子の口からその言葉を聞いたことがなかった。
「そこまで反応されると面白いを通り越してみじめだね」
「急に毒舌になるじゃんヒトハ……」
昨日まではその片鱗を見せていなかったヒトハの顔を見てはぁっと小さく溜息を吐くと、「いつもこんなんだから気にしない方がいいよ」と有難いのか微妙なアドバイスをヤイチからいただいた。
「あ、でも、初夜? って聞いたのにも理由があって……」
ヒトハが、今思い出しました、と言わんばかりの表情を浮かべて、ぼくを振りかえった。初夜だと間違えられる理由があるのだろうか? まあ、言葉通りの意味で取れば、たしかに初めての夜だったけれども……。
「ロミから聞いたんだ。『アヤセの部屋に誰かが入って行くのを見た』って」
「……へ?」
だめだ、身に覚えが無い。
「昨日、ロミは夕食終わったら寝ちゃったらしくて、お風呂に行くのが遅かったんだって。で、帰ってくる時に見たらしいから……アヤセはもう寝てたんじゃない?」
ぼくは昨日、活動しすぎて体にガタが来ていたので、意識を飛ばすように寝ていた。寝付くのは早かったはずだ。その間の犯行という訳か……。
「てか、誰なの……こわっ」
ぞぞぞっと背筋が凍る。とりあえず、殺されなくてよかったと思うべきかもしれない。イタズラもされていないし、体に異変もないので、多分大丈夫だ。……多分。
「というか、さっきから歩きながら話してるけど、本当にこっちであってるの?」
優雅に車椅子に座って移動しているヤイチは、心配そうに冷や汗をかきながらぼくの顔を見てそう言った。ぼくのことを方向音痴だと思っているのだろうか。心外だ。
「東側の廊下の突き当たりにあったはずだよ」
ミコトとシルフィーに協力してもらって作った地図を片手に、ぼくは質問に対して応答した。
「……まぁ、迷っても大丈夫か。曲がり道とかないし」
ヒトハの言うとおり、研究所は、少なくとも第三棟は直線で構成されている。まっすぐ行けばいいだけなので、道を間違えることはほとんどない。ただ、部屋の主やどんな目的の部屋なのかが分からないので、そういった面では迷うかもしれない。まあ、入らない限りは大丈夫なんだけどね。
♦ ♦ ♦
「……っふぅ、やっぱり廊下が長いから、歩くの疲れるわ」
ぼくとヒトハは同時に息を吐き、そして吸った。それを何回か繰り返すと、少しだけ乱れていた呼吸が整えられた。
「なんか、私だけ何もしてなくて悪いから、これあげるよ」
眉を下げて申し訳なさそうにヤイチが差し出したのは、アルミホイルのような銀色に輝く紙だった。銀紙は大きめのサイコロくらいの大きさの立方体になっていたので、何かがくるまれているのだろう。ヤイチの手のひらに乗せられた二つの銀紙の内一つを手に取って、剥がしてみた。
「! これって……」
「チョコレートだ!」
銀紙からその身を覗かせたのは、光沢を帯びた茶色の物体。ヒトハが先に正体を言ってしまったので、この茶色の物体の分析をすることが出来なかった。考えごとのスピードが上がった脳は、思考を中断させられて残念そうにしている。
「どこでもらったの!?」
たしか、厨房は家庭科男子の葵が担当していたはずだ。髪が乱れていて、常に目に光りが灯っていなくて、面倒くさがりに見える彼がわざわざ食事以外のものを作るとは思えない。それに、ロミの言っていたとおりならば、与えられたメニューのものしか作れないはずだ。
「どこでって…自分で作ったけど……」
あまり出来がいい物じゃないんだけど…、と頬をかきながら恥ずかしそうにヤイチが言った。その言葉とは裏腹に、ぼくが手にしているチョコレートは店で売っているような見た目をしている。なぁにがいい物じゃない、だよ!
「……あれ? 厨房って、ぼくたちも入れるの?」
「うん。研究者に見つかると面倒だけど、あいつらが入浴してる時間とかなら絶対バレないよ」
ヤイチは小学生男子のように口元を歪めた。さながら魔王のようではあったけれど、楽しそうだからまあいいや、という気持ちに変わった。
「じゃあ、材料さえあれば、みんなで料理を作れるのか……」
家庭科男子葵の料理のバリエーションを、場合によっては増やせるかもしれない。第三棟に革命を!! 不味い訳ではないけれど、同じものが続くと飽きるのだ。
「……またなんか考えてるよ」
「今は資料室のことだけ考えてよ!」
どうするべきか…と悩んでいると、二人が含み笑いをしながら思考にストップをかけた。二人の意見はごもっともなので、意識を資料室に向けることにした。
「そうだね……ごめん。資料室まであとちょっとだよ」
貰ったものは食べておこう、と手の上のチョコを口に入れると、ほろりととろけて甘い味が広がった。とても美味しい。頬が落ちてしまいそうだ。さすが、女子が作っただけはある、と感心してしまった。
「このチョコ美味しいね、どこでレシピとか知ったの?」
「うーん……感覚的に覚えてたというか……。あれ、どうして知ってたんだろう」
レシピはないらしく、どこで学んだのかもヤイチは覚えていないようだ。そんなことってあるのかな?昔に習って、忘れているのかもしれないけれど、こうもすっぽりと記憶が消えてしまうのだろうか?
ヤイチとぼくが頭を捻って数分。ようやく資料室に辿りついた。
「よし、入ろう! ……あれ?」
ヒトハが資料室のドアノブを捻るが、ピクリともしない。扉だけ時が止まったかのようにそびえ立っている。
「……どうする?」
だらだらと冷や汗が背筋を伝う。あともう少しで小夜の居場所が分かるかもしれないのに、こんなところで諦めるなんて、そんなのいやだ。
「破壊……扉を外側からブチ壊せば……っちょっと待ってて!」
ぼくは、唯一【扉を破壊】出来る人を知っていた。
♦ ♦ ♦
ぼくは彼女を連れて資料室まで戻った。息が苦しいけれど、とにかく彼女の機嫌を損ねるのだけは避けたかった。
「って、どこ行くのかと思えば、ロミを連れて来たんだね」
「びっくりした……」
二人はぼくの後ろで睨みを切らしている彼女……ロミを見て、驚きはしたものの納得したようだ。当の本人はあからさまな不機嫌オーラを漂わせているので、背後がひやりと冷たい。
「……で、アタシは何をすればいいんだよ」
アタシは便利屋じゃねぇんだよ!!! と怒鳴り散らされた数分前とは大違いだ。完全な依頼の受け入れ態勢。やると決めたらやる、という精神がとても心強い。
「この扉を壊して欲しいんだよね」
「ンなことして、ヤツらにはバレないのかよ?」
ロミは意外にも冷静で、見つかってしまった時の危険をぼくに知らせた。
壊せば見つかる……良く考えれば分かることだ。でも、壊す以外の方法は……。
「知らねェようだから言うけどな、これはセキュリティーが組まれた扉だ。何が必要かはわからないが、特別なカードとかがいるんだろうな。ヤツらはここに手を翳して扉を開けてる」
手が動かないので、顎をくいっと前に持って来て、ロミは扉の真横を指した。白いので分かりにくかったが、ロミが示したのは、四角形の枠だった。枠の中には、少なくとも日本語ではない暗号が描かれており、ほわんほわんと淡く点滅している。きっとこの中にカードを埋め込んで開けるのだろう。
「……ま、これで鍵を開けたり閉めたりしている訳だが……」
ロミはそこまで言うと、ニヤリと口元を歪めた。目に光りが灯っていないので、静かな恐怖が身にしみる。ライオンに睨まれた小動物のように縮こまってしまう。
彼女がすぅっと息を吸い込む。ぼくらは続きの言葉を待った。
「扉の構造がアタシたちの扉と同じなら、ブチ壊せる」
ぼくはその言葉を待っていた。ロミならやってくれると信じていた。だから、ぼくは……
「やったぁぁぁぁ!! ありがとうロミ!! 大好き! 愛してる!」
…感謝の気持ちを叫んでみた。
「うるせェな! 鼓膜破れるから黙れ! 殺すぞ!」
「ごめんね!! でも嬉しいからさぁ!」
どうやら、感謝の言葉は通じなかったようだ。ロミの周りをぴょんぴょんと跳ねまわると、彼女は今までに見せなかった苛立ちの表情でぼくの顔を睨んだ。本気で煩いと思っている顔だ。怖い。めちゃくちゃ怖い。
「ひっ」
小さく情けない声を上げて、ぼくは大人しくロミが扉を蹴破るのを見学することになった。
ぼくがロミの思惑通りに静かになると、彼女は膝を曲げたり伸脚をしたりと準備運動を始める。その様子を、ぼくとヒトハとヤイチがごくりと唾を飲み込んで見守る。
「……っおらァ!!!」
そして、ロミの雄たけびが上がると同時に、深緑の髪が回転する。彼女の動きは華麗で美しくて、それでいて速かった。ぼくが見たのは残像と、バキっと音を立てて倒れる資料室の扉だけだった。
破壊された扉はガシャンという音と同時に、ガラスのように割れた。ロミが入れたヒビからどんどんヒビが広がって行くのだ。そして、全てが割れてしまった時、不透明の白だった扉は本物のガラスのように透明な物質に変化して跡形もなく消えた。その光景はやけに奇怪で神秘的だった。
「……へんなの。消えちゃうなんて」
ヒトハが目を真ん丸にして扉があった場所を見つめた。やはり、通常では考えられない現象のようだ。魔法がかかったように消えてしまった物体は、一体何出てきているのだろう?
「……っ」
小さく息を呑む音が聞こえ、そちらを振りかえると、ロミが苦痛に顔を歪めていた。きっと、あれだけの威力を発揮するには筋肉を使っただろうし、なにより轟音を立てて衝突したかかとが痛いのだろう。
「大丈夫、ロミ?」
「慣れっこだ」
本当にその通りのようで、五秒も経てばロミの表情はいつもの澄まし顔に戻っていた。
「よかった…」
「じゃあ、中に入ろうか」
ヤイチが先程のチョコレートをロミに渡すのが視界に入り、なんとも微笑ましい光景だったのでふわりと笑ってしまった。ぼくと一緒に資料室に入ったヒトハもそれを見ていたのか、ぼくと同じように微笑んでいた。
口の中には、ヤイチのチョコレートの甘ったるい味が残っている。
壊すと消えちゃう不思議な扉…。
この研究所は意外とファンタジーですね。魔法でもあるんでしょうかね?
さあ、やっと資料室編(笑)ですよ!まさかのヒトハの下ネタ?で始まりましたが…。
これで第三棟の構造の秘密やらなんやらが判明します。やったね!
次回 資料室は秘密でいっぱい。