007 疲労困憊によるプレート作り
本日二度目の食事を摂る為に食堂まで来た。ミコトとシルフィーと一緒に歩いてきたので、ついでに食堂までの部屋の主を教えて貰った。どうやら食堂を中心に、西側と東側に部屋が別れているようだ。ちなみにぼくの部屋から食堂までの部屋数は10。ぼくの部屋があるのは東側の廊下だから、東側の廊下の部屋数は20ということになる。明日は西側の廊下を探検していきたい。
「あ、アヤセ!! 聞いた? あの放送!」
食堂の椅子に腰を下ろそうとした時、ヒトハとヤイチがぼくの元へ駆けよって来た。もっとも、ヤイチはヒトハが押す車椅子に座っているので駆け寄っている訳ではないのだが。
二人がぼくに用事があるのだと悟って、ミコトとシルフィーは一足先に食事を運びに行った。
「うん、聞いた! 小夜っていう研究者のことだよね?」
「そう! 監視長なのに、今まで姿もロクに現しもしない!」
ヤイチが小夜に対しての悪口や暴言をグチグチと話している。ヒトハはやれやれといった様子で肩を上げて、「小夜が何かをやらかすといつもこうなんだ」とおもしろ可笑しく教えてくれた。
「だからあの人は……ッ!」
「はいはい、落ち着いてー」
「……うん」
ヒトハの一言でヤイチが落ち着いたことから、基本的な主導権はヒトハが握っていることが分かる。ヤイチからはどこかお嬢様のような雰囲気が漂っていたが、こうして取り乱していたり、手綱を握られているところを見ると、じゃじゃ馬娘らしき性格のようで面白い。偏見なので、本当にそんな性格かどうかは分からないが。
「とりあえず、小夜がまだこの棟にいることが分かった。どうにか居場所を特定できれば、のりや画鋲は手に入ると思うよ」
まだ怒りで頭が冷めきっていないヤイチを余所に、ヒトハが冷静に分析し始めた。こういった、頭脳派が仲間内にいるととてもやりやすい。ヒトハに感謝だ。
「でも、残念ながら、監視棟の位置が分からないの。第三棟の内部にあることは確かなんだけどね……」
監視棟の場所が明かされていないのは、失敗作がクーデターを起こす危険性を加味してのことなのだろうか。この仮定が合っているのならば、一層、小夜という研究者を探し出すのは困難になってしまう。
「どうにかして、監視棟を割り出さないとね」
人工的に作られたと教えられた脳は、人間として生きていた頃の脳よりも、ずっとずっと早く思考回路を繋げてくれる。おかげで疲れはするが、考えごとをするには最適だ。ぼくが今日の間にこれまでの行動を起こせたのも、自分の中の時間が早く進んでいるからかもしれない。
小夜の後を追うのが早いのだろうが、残念ながら姿を晦ましているので非現実的だ。唯一関わりのあるヤイチが「分からない」と言っているので難しい。
「そういえば、さっき資料室を見つけたんだ」
はっと思いだして言うと、二人は驚いた顔でこちらをばっと振り返った。
「もしかしたら、そこに監視棟の位置が書いてあるかも……」
「でかしたアヤセ!」
「仕事はっや! 明日そこに行くしかないね」
二人は目をきらきらと輝かせて、ぼくの肩を掴んで揺らした。ぐわんぐわんと揺さぶられて、歪んで見える景色がやけに白かった。
「うん! でも、西側の部屋を確認してからでもいい?」
「いいや、その必要なないと思うよ」
明日の予定として組み込まれていた西側の廊下の探検を提案するが、「何を言っているの?」といった口調でヒトハがおどけて笑った。
「君にばかりは任せておけないよ。何たって、今日来たばっかりだし。先輩であるウチたちに任せておいて正解だったね」
どこから出したのか、ヒトハの右手には紙が握られていた。
「……って、これって、部屋割り!?」
ヒトハが持っていた紙には、ぼくが失敗作たちの部屋をメモした紙と同じような四角形や長方形が書かれていた。二人と鉢合わせてから別行動をしたが、その時にメモをしてくれていたに違いない。
「ありがとう! 本当に助かるよ!」
「ふっふーん! さ、これで心おきなくプレート作りが出来るね」
仁王立ちをして誇らしげに笑うヒトハは、いつも以上に頼もしく見えた。……威張っているのは少しだけ残念だけどね。
「……ふぅ。笑った笑ったぁ。んじゃ、夜ごはん食べようか」
ぼくたち三人は食事を摂る為に、食堂で働いている男の子、あおいの元へと向かった。
♦ ♦
「はぁー美味しかった! ……機械的な味なのは抜けないけど」
部屋に入るなり独り言を呟く。いや、呟くというよりかは、叫んでいるの方が近いのかもしれない。まぁ、そんなことはどうでもいい。今のぼくは独り叫びに気を取られるほど暇ではないのだ。
ぼくとミコトとシルフィーが集めた東側の部屋の主と、ヤイチとヒトハが集めてくれた西側の部屋の主の紙を机の上に置いて、清書をする準備をする。
プレートは、やはり一枚の紙にでかでかと書いておいた方が分かりやすいだろう。ナンバーと名前、両方を書いてしまえば誰が住んでいるのかは一目瞭然だ。小学生の頃に少しだけ習字を習っていたので、文字の綺麗さは一般的な男子よりも自信がある。筆ではなく羽根ペンなので多少の心配はあるが、何とかなるだろう。
「まずは自分の部屋……」
No.187 アヤセと紙いっぱいの文字で書く。我ながら良い文字だ。可もなく不可もなくといった具合。この調子で19人分書いていけば、風呂までには間に合うのではないだろうか。ただ、放送がいつかかるのかにもよる。
さぁて、頑張りますか!
ふん、と息巻いて右手に羽根ペン、左手で紙を押さえていざ書くぞという時、キーンコーンカーンコーン……と夕食の知らせの放送と同じチャイムが鳴り響いた。
「……えー、監視長の小夜でーす。入浴の時間になりましたー。失敗作の皆さんは西側の廊下の突き当たりにある大浴場で入浴を始めて下さーい」
「……っなんてタイミングの悪いっ!!!」
まるでぼくの行動を読み切ったかのように流れた放送によって、作業を中止にする他なかった。
さて、不本意ではあるが、大浴場へ向かおう。はぁ……。
* * *
大浴場はその名の通り、とても広い浴場だ。脱衣室の床にはすのこが敷かれており、それこそ銭湯と同じような雰囲気だ。ただ、第三棟を作った研究者があまり気にしない性質なのか、カーテンが設置されていないのが難点だ。特に、男として生きていたぼくにとっては大問題だ。
「……っ」
自分が女性に囲まれて着替えをしているというのは、良い気分がするものではない。恥ずかしいし、何より慣れない。視線をどこにやればいいのか困って下を向き、結局、ある程度成長したように見える自分の胸を見て頭を抱える。
やっとの思いで脱衣室から脱け出し、大浴場の戸を引く。
「うわぁっ……」
そこは、思わず声を漏らしてしまうほど広く、白い湯気が無数に立ち込めていた。およそ6つほどの浴槽があり、そのどれもが一度に30人ほど入れそうなほどに大きい。真っ白で無機質な廊下や部屋と違い、大浴場は木で組まれており、温かさを感じる。久しぶりに見た白以外の景色が疲れていた心を癒す。
「あ、アヤセ! 遅かったじゃん」
楕円形の浴槽の中から誰かがこちらへ向かって手を振っている。声質はやわらかいけれど、良く通る。ぼくはこの声に聞き覚えがある。……まぁ、そりゃあそうだ。知りあいでもなけりゃ声をかけるなんてことしない。
湯気のせいで遮られてしまった視界の中で、なんとか声の主の姿を確認する。
「……ヤイチか」
赤毛を下ろしているせいで判断に時間がかかってしまったが、お嬢様風な雰囲気と瑠璃の瞳をしているのは、今のところヤイチしか知らない。
濡れた床を裸足でぺたぺたと踏み、ヤイチがいる浴槽まで歩き、桶に汲んだ湯をざばっと浴びて入る。湯は白く濁っていて、何かしらの効果があるものだと思った。微かに柑橘系の香りもするし、リラックスの効果があるのだろうか?熱すぎずぬるすぎずの適温が、さらにその効果を加速させる。
「ヤイチって、結構、髪長いんだね」
「うん、いつも結んでるから分かんないよね」
ヤイチは愛おしそうな眼差しで自分の髪を撫でた。すぅっと通ってゆく細い指が綺麗だ。ガラス細工にそっと触れるようにして、ぼくは自分の髪を触ってみた。綾世の頃と同じ、少しだけくすんだ黒髪。猫っ毛なのは相変わらずだ。女らしく伸ばされた髪の毛は、時として邪魔になる。いつもシャンプーでごしごしと洗っていただけだから、これからの手入れを考えると頭が痛くなる。どうやら、女っていうのも楽じゃないらしい。
「私はもう上がるけど、アヤセはまだ体を洗ってないよね?シャワーはあっちだよ」
「ありがと」
ヤイチは宣言通り、湯船から上がった。しかし、ぼくの目の前で床に這おうと体を上げたので、女性らしいラインが丸見えになってしまって、思わず目を閉じてしまった。さらに顔を両手で覆った。今のぼくは、さながら好きな男の子を目の前にして照れる思春期の女の子だ。
「……?」
そんなぼくの奇行をヤイチが不思議そうな顔で見ているだなんて知る由もなかった。
♦ ♦
「あー……つかれた。入浴って体と心を癒す為にあるものだよね……なんで体力削られないといけないの」
地獄の入浴時間を耐え抜き、自室に倒れ込むようにして戻って来た。髪の手入れの勝手が分からない上に、今までとは違う体の構造。しかも周りには女ばっかりと、かなり精神的にやられた。今度からは、他の失敗作が入り終わってからにしようと決意させるには充分な時間だった。
嫌なことを振り払うようにして、おもむろに羽根ペンを握り、さきほど中断されてしまったプレート作りを再開した。
そして、その作業が終わったのは、ちょうど就寝の放送が入るころだった。
お待ちかね、お風呂シーンですね(?)
アヤセはヤイチに対して少し苦手意識があるので、これを機に仲良くなってもらえたら…と(笑)
次回 紅葉組と共に資料室探検