004 No.81と共に交渉計画
ぼくはロミと別れ、自室へ入った。
何か情報となるものはないのかと部屋全体に目を配らせるが、1時間の間に何かが変わる訳もなく、永遠の白しかなかった。本や資料、地図さえあれば探しに行けるのだが、まだこの研究所に来てから数時間しか経っていないぼくに外を歩き回れる自信がない。
「それにしても、何もなくて退屈だなぁ……みんな、こんな生活を送っているのかな?」
だとしたら、研究所で長く生活している失敗作は、どれだけの暇を持て余しているのだろう? 本さえあれば暇潰しにもなるが、ここには白紙しかない。いっそのこと、自分で漫画でも書いてしまおうかな? ……いや、ぼくは絵のセンスが壊滅的だったんだ。書いても見苦しいだけだからやっぱりやめておこう。
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とにかく暇で暇でしょうがないので、先程閉めたばかりの扉を開けて廊下に出た。
あまり無闇に歩くと自分の部屋が分からなくなりそうで怖い。なぜか、表札や部屋番号の類が廊下に書いていないのだ。しかも廊下にはオブジェクトや目立つものが一つもないので、目印にすることすらできない。非常に不便で仕方が無い。
うーん……改良した方がいいのかな? 間違えて他の失敗作の部屋に入ったら申し訳ないし……。それに、女体化したとはいえ心はまだまだ男だから、もやもやしてしまう。
「どこに誰が住んでいるのか調べて、白紙に書けば……あぁ! のりとか画鋲がないじゃん!」
解決策は途中まで思いついたのだが、それを貼り付ける媒体が無いことに気が付いてしまった。無理矢理研究者から強奪するという選択肢もあるが、女となってしまったこの体でどこまで無茶できるか分からない。
いっそのこと色仕掛けもありか……?
そう考えたが、自分が色仕掛けをしている姿を想像してうぷっと声が出た。やはり、肉体的攻撃で奪い取るしかなさそうだ。
「というか、普通にお願いしたら貰えないのかな……」
でも、よく考えたら失敗作であるぼくたちに何かを与える訳がない。希望が絶たれてしまったぼくは肩を落として項垂れた。
ぼくの下がった肩をぽんぽんと叩く感覚がして、そちらを見る。……否、見ようとしたのだが、誰かの人差し指によって妨害された。頬がむにゅっと押される感覚は、綾世だった頃に味わった屈辱と同じだ。
「やっほ、アヤセ。こんなところで立ち往生してどうしたの?」
ぼくへの些細なイタズラを仕掛けたのは、食堂で出会った失敗作、No.1108ヒトハだった。車椅子に乗った赤髪ツインテールの少女と共に散歩をしているようだ。
「そっちの失敗作は?」
赤髪の失敗作を見つめ、ヒトハに尋ねた。彼女の頬には81と彫られている。ぼくの少なくない記憶量でもこの人は見たことが無いので、初対面なのだろう。そうでなければ大分と失礼な質問になってしまうので、初対面だと信じたい。
「この子はヤイチ、【歩けない】から車椅子に乗ってるんだ。」
ああ、この人がヤイチだったのか。食堂内でヒトハを置いて、何処かへ行ってしまった失敗作。現時点では先程と変わらず、あまり良い印象はない。しかも、乗っている車椅子をヒトハに押させている。分かりあえそうにない気がしてならない。
「説明してくれてありがとう、ヒトハ」
ヤイチは青空のような瞳を細めて、ヒトハに対して感謝の言葉を告げた。妙にお嬢様じみている。洗練された美しい仕草に、思わずほぅっと息を吐く。
「ヒトハの説明通り、わたしの名前はヤイチ。この通り、足が使えないの」
おどけたように笑ったヤイチは、車椅子の足をかける台からすっと足を出し、黒い包帯が巻かれているのをぼくに見せた。足が使えないだけで、脚を動かせない訳ではなさそうだ。
「どうしてヒトハに車椅子を押させているんです?」
気になっていたことを率直に聞いてみた。回りくどい言い方をしてもロミと違って理解はしてくれそうだが、今のぼくの脳は回りくどい言い方をあまり許可してくれない。
ドストレートの質問にヤイチは驚いたように目を見張って、穏やかな笑みを浮かべて返答した。
「一緒にいることが多いからかな? わたしが手で車輪を回して移動するよりも、ヒトハが押してくれた方が早かったんだよね」
いやはや、申し訳ない。と最後に付け足して、ヤイチは口を閉じた。
案外普通の返答で少しびっくりしてしまった。カリスマ性やお嬢様感が溢れ出ているので上下関係が出来ているのかと思っていたが、そういう訳ではないらしい。性格や効率などを考慮した上でヒトハが車椅子を押していることを知り、先程までのヤイチへの印象が悪かったことに対し罪悪感が生まれる。
「あ、ぼくはアヤセです」
ぼくの自己紹介を忘れていることに気が付き、慌ててヤイチに対して名乗った。すると、ヤイチは妙に納得したような表情を浮かべた。
「ヒトハがさっき言ってた、面白い新入りってこの人のことだったんだね」
なるほど、だから納得した表情をしていたんだ。…って、面白い新人ってなんだよヒトハ!普通だよ!
「そうそう、面白くない?」
「うん、たしかに、ヒトハが好きそうではあるよね」
二人がきゃっきゃと女子トークのようなものを始めてしまったので、心がまだ男であるぼくは置いてけぼりにされてしまった。……なんか悔しい。
「あ、そうだ。さっきまで何か悩んでいるようだったけれど、どうしたの?」
ヒトハとヤイチが同じ角度、同じタイミングで首をかしげた。言葉だって全部同じだ。もはや双子なんじゃないかと疑ってしまうほどのシンクロ率に少しだけ笑いながら、ぼくは貼り紙をしたいがのりや画鋲がなくて困っていることを二人に説明した。
「なるほどね……。確かに、ウチも何回か隣の人と部屋を間違えたなぁ」
「うん、これは画期的だね。どうにかして紙を壁に貼れる方法を考えないと…」
二人はぼくの意見や悩みに賛成してくれているようだ。一人ではどうにもできないことも三人でやれば、なんとか出来る気がする。三人寄れば文殊の知恵というやつだ。
「やっぱり、一番早いのは研究員にお願いすることだよね」
三人で研究員から画鋲などの道具を貰う方法を考えるが、やはり良い案は簡単に思いつかない。暴力でなんとかする、お願いをする、盗む……どれも上手くいかなさそうだ……。
「何か、今まで研究員に与えられたものとか、あったりする?」
いくらなんでも、何にも与えられていないということはないだろう。いや、でも人の感情がなさそうな研究員のことだ。ぼくたちのことをただのロボットだと思って、無下に扱う奴らもいるのかもしれない。
とにかく、一縷の望みでヒトハとヤイチに聞いてみた。
「髪飾りとかゴムは貰ったものだと思うよ。わたしがツインテールをしているのもゴムを貰ったからだし……。確か、ロミの髪飾りも貰ったものじゃなかったかな?」
なるほど、外見や生活に必要なものは多少は貰えるみたいだ。ロミの前髪は髪飾りで留めていても長いことが分かるし、本人が邪魔だと感じたら申請をするのかもしれない。
……ということは、生活に必要だと主張したらのりとか画鋲も貰えるのかなあ?
「じゃ、じゃあゴムをくれた研究員に頼んだら、もしかしたら……!」
「いや……どうだろう。最近その研究員を見てないの。」
ヤイチは緩く首を横に振って、残念そうに呟いた。
研究員がこの頃姿を見せていないとなると、望みは絶たれてしまう。生活水準を上げる為には必要かと思ったのだが、実現が難しい。
「とにかく、その研究員を探すことから始めよう! 特徴とか覚えてる?」
「ええと……黄色の短髪の女性だったよ。話し方は男勝り……というよりは中性的かな。背は高いけど、猫背だったからだらしなさそうに見えた」
「なるほど……ついでに、名前とか分かったりする?」
「小夜と呼ばれていた……気がする。もしかしたら違うかもしれないけど…」
「いや、ありがとう。これだけで大分と絞れたよ」
ヤイチが記憶を頼りに容姿や名前を特定できたので、あとは探すだけだ。他の棟に移ってしまっていたらどうしようもないのだが…。
「じゃあウチらはウチらの近所で探してみるよ。なんせ広すぎるからさ……。アヤセは探せる範囲で探しておいて!」
「うん、分かったよ。本当にありがとう」
ぼくが礼をすると、二人は明るい笑顔で手を振って自室の方へ歩いて行った。少しばかり年季が入った車椅子のぎぃぎぃという音が、失敗作たちが談笑している廊下に響く。
「さて、ぼくはぼくが出来ることをしよう」
施設の構図や部屋の配置をメモ出来るように、部屋から白紙と羽根ペンを持ちだして、迷子にならない程度に廊下を歩き回ることにした。
アヤセの行動力の高さには、他の失敗作も舌を巻いてしまいますね(笑)
この先は、脱出云々よりも、研究所の不便な点を直していく話になりそうです。