001 No.63という隣人
「着いたよ。遠くてすまない」
申し訳なさそうに眉を下げて謝る男。あまり気にしてはいないが、成人男性が遠いと感じるだけはある。さすがに足が棒のようになってしまった。人間を作るのなら疲労を感じない体にしてくれてもいいのではないか。ここまでリアリティを求めて作られているのも如何なものかと思う。
「いえ、別に」
味も素っ気もない、平坦な声が自然と口から出てきた。嘘をつけないとは、こういうことなのだろうか。気を使う言葉を考える前に、感じたことを発してしまう。確かに友情の糸を繋ぐのには最適な方法かもしれないが、世渡りは出来ないだろう。
「ここが君の部屋だ。安心したまえ、新入りだからといって部屋の作りが変わる訳ではない。みな平等に、同じ部屋が与えられている」
男は扉が開かれた部屋の一点を見つめながら独り言のように呟いた。この部屋は先程の暗い部屋と同様に殺風景で、あるのはベッドや机。全体的に白い。汚れがついてしまったら落ちないだろう。使っていた様子はなく白い箱に閉じ込められている気分だ。息苦しい印象を持った。
「隣の部屋で生活しているのはNo.63。名はロミという。性格に難ありだが……君なら上手に関わっていけると信じているよ」
ぼくがひそかに願っていた平和な日々は送れなさそうな雰囲気である。わざわざ新入りを性格に難ありの問題児の隣にするかと何度も疑問を持ったが、恐らく空き部屋がないのだろう。否、そう信じるしかない。
それに性格に難ありといっても、どの部類の問題児かはまだ知らない。綾世だった時の友人は総じて変人ばかりだったのでなんとかやっていける可能性も無きにしも非ず、だ。
「出来るだけ頑張ります」
これもまた意識していない言葉だ。といっても、この場に適切なセンテンスだったので大丈夫だろう。
ぼくならやっていけるぞ、よし。自分を励ます言葉を心で反芻していると、ぼくの隣の部屋の扉がバァンっ!!と雑に開けられた。どうやら蹴り飛ばして開けたようで、ドアノブ式の扉は壁に衝突し、反動でまたあるべき枠へとゆっくり戻って行った。
反射でびくっと上がった肩を戻そうとした時、この施設に女性にしては低めの声が響いた。
「おいてめェ腐れ野郎、今日は何の騒ぎだ」
その女性は女性というよりも少女で、頬に彫ってある63という文字から、失敗作として生まれてきた人工物だということが伺える。端正な顔立ちをしているが表情は鬼そのもので眉間に皺が寄りまくっている。長く伸びた暗緑の前髪を黒く丸い髪留めで纏めている。
「おやロミ、空気を読んで出てきてくれたのかい?それにしても、もう少し扉は丁寧に開けてくれると有難い」
男は全く動揺する気配がない。その上うすら笑いを浮かべて少女を挑発しているようにも見える。
この女の子、怖いでしょ! なんでそこまで平然としていられるんだ……。
ロミと呼ばれた少女はしばらく研究員の男を睨んでいたが、次第に飽きたのだろう。次はぼくの顔面をこれでもかという程に睨みつけた。それはもう、穴が開いてしまいそうなくらいにだ。
「お前、誰だよ」
短く発せられたその一言は、投げやりではあったが男にかけていたような乱暴さは感じなかった。様子見といったところだろう。こちらが警戒しているのと同じで向こうも警戒しているのだ。
「ぼくはNo.187としてこの棟にやって来た失敗作です。名前はアヤセ」
必要最低限のことだけを伝えると、ロミは納得したように眉間の皺の数を減らしていく。
問題児なのは変わらないけど、そこまで悪い人ではなさそうだ。少なくとも夜中のコンビニの前で座り込んでいるヤンキーよりはマシといったところか。
「アタシはロミだ。ナンバーは63…まあ、顔を見たら分かるだろうがな」
チッと舌打ちをピリオド代わりに後付けしていた。うぅ……やっぱ怖いよこの人。
用が済んだらしいロミは自室へ戻ろうと踵を返した。まあ、戻るといっても隣の部屋なので移動距離は少ない。この様子ならまた勢いよくドアノブをガチャリと開き、バタン! と轟音を響かせながら戻るのだろう。
そう踏んでいたぼくは目の前の光景に疑問を持った。
「手……使わないんですか?」
ロミは全く腕を動かす気配がなく、閉まってしまった扉の端を足でつついていた。まるで、足で扉を開けようとしているみたいだった。先程の気性の荒さからして、ふざけるような性格ではないことは明確だ。
「……」
ロミは何も言わず、ぼくの眼前に手を出した。見てくれ、と言わんばかりにだ。指もちゃんと五本付いているし、形がおかしい訳でもない。普通だ。普通でないのは黒い包帯が巻かれていることだけである。
あれ、もしかして……
「ロミさんの欠点って……手が使えない、とかですか?」
黒い包帯。それはぼくも巻いてあるものだ。だがぼくの場合は頭に巻いているだけ。特に欠点と関係ないのかと高をくくっていたが、そうでもなさそうだ。ぼくは脳に関係する欠点だったから頭なのかもしれない。だから、もし手が使えないのならば手に包帯を着用するという決まりがあるのだろう。
「……正解だ。新入りだからしらねーことがあっても別に変じゃない。それに、お前は身体的な欠点じゃなくて内面的な欠点だろうからな」
す、すごい…。長く生活しているからなのか、包帯の位置を見るだけで当ててしまった。ぼくもいつか、ロミのように予測することができるようになるのだろうか。
「見ての通り握手すらできねー。まあ出来たとしてもするつもりなんか毛頭ないけど」
ロミは自らの手を、怪物でも見るかのような目つきで眺めた。忌まわしいものを遠ざけようとしているようにも見受けられたが、瞳の奥には諦めの色が垣間見えた。
「扉、開けましょうか」
慌てて口を塞ぐ。思いがけもしない言葉に驚いてしまった。なぜか?それは明らかにぼくから発せられたものだが、意図したものではないからだ。破天荒でヤンキー紛いのロミがこの言葉をどう取るかによってぼくの生死が分かれる。
「お、お前の助けなんか……い、いらねーし……」
彼女は視線をあちらこちらに移動させた。動揺しています、と顔に書いてある。
普段の行動からはあまり分からないが、もしかしたら素直じゃないだけなのかもしれない。
ぼくがロミの言葉を無視して扉を開けると、彼女はバツが悪そうな表情を浮かべた。怒っていないことから、やはり助けを求めていたのだと解釈する。
「きっと閉められないですよね。ぼくが閉めておくんで、中に入って下さい」
今回も口から突然出た言葉だったが、あまり驚かなかった。自分ならこうするだろう、と予測が出来ていたからだろう。ぼくが言ったことに素直に従うとは思わないが、言って損はなさそうだ。
「……悪いな。それと、敬語は今後一切使わなくてもいい。アタシは堅苦しいのが嫌いなんだ」
感謝と脅し。少なくともぼくにはそう聞こえてしまった。これで敬語で話したらどうなるのか。気になるところではあるが命をかけてまですることではない。
「わかった。それじゃあ、これからはよろしくね。ロミ」
あ、しまった。ついつい敬語を外せと言われるとさん付けまで外してしまう。やはり綾世の頃の記憶と癖が強い。しかも嘘をつけないという脳まで作られてしまった。怒られないといいんだけど……。
「そうだ、それでいい。……またな」
照れくさいのかすぐにそっぽを向いてしまった。うーん、やっぱり怒りっぽいというよりかは、素直になれないだけなんだろうな。ぼくが生きていた頃は、こういう性格のことをツンデレと呼んでいた。ロミもその部類に入るのだろう。なんだ、可愛いじゃないか。
不躾な想像をしていると、耳をつんざくような怒声が鼓膜を振動させた。
「早く閉めろよ!!」
「ひっ……ご、ごめん」
……前言撤回。ツンデレでもあるし怒りっぽい。
今まで関わってこなかったタイプの性格だ。ぼくのご近所付き合いは大変なことになりそうだ。
さてさて、始まりましたよ、第三棟での生活。
大波乱の予感がしますね(謎)
次回 新キャラ登場。