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017 血の滾りか、それとも

あれからヤイチと合流したヒトハに琥珀糖を渡した(奪われた)ので、ポケットは多少軽くなった。いつ落とすか分からないという緊張感を程よく味わいつつ、暇つぶしの散歩を続けている。


 小夜が食材を調達してくれるのは非常に有難いことなのだが、葵はその食材をすべてさばくことができるだろうか。たしか、『教えてもらったメニューしか作れない』と聞いていたのだが、急に食材だけを増やしてもその手に負えないだろう。だからといって、ぼくが教えられるメニューは数に限りがあるし、唯一の頼みの綱である研究員は料理をしない。

 さて、どうしたものか……。


「だっ、だれか助けて‼」

「え!?」

 ぼくの思考を強制停止させるように、甲高くよく通る声が廊下に響く。


 その助けを叫びながら走ってくるのは、萌黄の髪が可愛らしいミコトだった。近づいてくるにつれて切羽詰まった表情が明らかになる。どうやら、非常事態らしい。


「どうしたの、ミコト」

「え、えっと……そう! おねえさん(アヤセ)、助けて!!」


 普段は言葉が聞こえていなくても雰囲気や唇の動きで言いたいことを理解できるミコトも、今は気が動転していてそれどころではないらしい。


「落ち着いて」

「あ、うん……ごめん」


 ミコトの肩に手を置き、深呼吸を促す。幼い見た目とは裏腹に落ち着きを取り戻すのが早い。深呼吸を二、三回繰り返すと、ミコトは説明を始めた。


「シルフィーが、資料室の奥にある大きな扉の先から、叫び声がするって言ってたの」

「資料室の奥の部屋って……もしかして」


 きっと、ぼくがミコトとシルフィーと第三棟を探索していた時に見た厳つい扉のことだ。ミコトが入るのは止めておこうと言ったので、そのまま保留になっていた場所だ。


「それに、壁に頭を打ち付けた時みたいな、鈍い音もしたって……」

「壁に頭を……?」


 いくら失敗作だからといって、そこまで見境なく猪突猛進をするだろうか。少なくとも、ぼくらが生活している第三棟ではありえない。

 そうなると、単なる事故か、暴力沙汰か……。


「その叫び声って、一人分だけだってシルフィーは言ってた?」

「えっと……。ううん、男の人の怒鳴り声も聞こえたって」

「男……!?」


 製造されている人間は少女だけだから、男は研究員だけだ。男の怒鳴り声ってことは……。


「失敗作たちが危ない!!」

 ぼくは驚くミコトになりふり構っていられず、資料室前の大きな扉を目指して疾走した。





♦ ♦ ♦





「ア、アヤセ……」


 意外にもミコトは足が速く、ぼくが息を整えている間に扉の前に来ていた。

 いつ見ても巨大な扉は恐ろしいまでに威圧感を放ち、見上げれば見上げるほど腰を抜かしてしまいそうだ。見た目は華やかなのに、厳かで、まるで何かを封印しているみたいな……。


「何からぼくらを守っているんだ……? いや、ぼくらから守っているのか?」


 錠前がかかっている様子でもなかったので力業で扉を開けようとするが、あまりにも重く、びくともしない。これでは、ロミですら蹴破ることは不可能だろう。

 腕でも脚でも開けることが出来ない……。扉の前では、筋力は全く功を成すことはなさそうだ。

 でも、ぼくが、ぼくらが持っているのは力だけではない。


「扉と鼓動を合わせて……流れに逆らわず……」


 扉に掌をひたと当て、目を閉じて集中する。

 集中すればするほど、ぼくの中の魔力が扉と同調していくのが分かる。やはり、この扉は魔力でしか開けないのだ。


con moto(動きをつけて)



 小夜の真似事だが、きっとこれで開くはず。いやはや、真面目に音楽の授業を受けていてよかった。


 ぼくの囁きに呼応するように、扉は耳障りな音を発しながらゆっくりと開く。焦れったくて、開いた扉の隙間から身をよじって中に入りたいが、ぼくの魔力の安定が心配なので大人しく待つことにした。


 魔力が安定しなければ、扉を完全に開ききることが出来ない。それは、扉が魔力でしか開けない、というところに起因する。扉を開くには、扉に合った魔力を必要となる量だけ流し続けなければならない。少しでも強くなったり、弱くなったりしては開くことは不可能だ。


 ……と、小夜から使い道のない話を聞かされたが、まさかここで使うことになるとは。


 どうやらぼくの体は魔力を吸い取られるのに慣れてしまったようで、資料室の時のような脱力感に襲われることはなかった。免疫がついたのか、それとも吸い取られることによってそれを補うように増えた魔

力が膨大すぎたのか、専門家ではないぼくには皆目見当もつかないのだが。なんにせよ、自由に使える体力があるのは便利だ。ただ……また寝込むのはごめんなので、ほどほどに調子に乗っておくことにする。


「ミコト、入る勇気はある?」


 目の前で起こるあまりにも不思議すぎる光景を目の当たりにしぽかんとしているミコトに、ぼくは酷な質問をする。我ながら大人気がない、と自嘲するが、ミコトは真っすぐな瞳をぼくに返した。


「……入る。もしミコトたちみたいな失敗作が怪我をしてたら、いやだもん」


 ミコトはわずかに震える自らの手を、握りしめることによってその振動を止める。うっすらとだが、彼女の背後に強い意志のオーラが見えたような気がした。それは靄のようであったが、触れると怪我でもしてしまいそうな程に威圧を放っていた。

 ……自分本位の子かと思っていたけれど、それはどうやら気のせいだったようだ。

 彼女の強い決意に感服しながら、未開の地へと歩を進めた。





「……っ!?」


 扉をくぐった先には、何とも形容しがたい血生臭さが漂っており、空気を一つでも吸ってしまえば肺が腐りそうだ。自然に湧いてくる吐き気にこらえきれず、口の中に酸っぱいものが逆流した。


 ちら、とミコトを横目で見ると、ぼくと同じように異常な臭いに必死に耐えているようだった。

 大切に育てられている失敗作は、こういったグロテスクな場面に遭遇することなどありえない。それはここで過ごした日々で気が付いた。まるで箱庭。知識量は多いが、必要のない情報はすべて遮断されている。痛い思いをその身で味わったのは、ぼくが知っている限りでは研究員に魔力を流され続けたロミくらいだ。


 なので、この光景に耐えられなくても仕方がない。正直、普通の家庭に生まれて普通に日本で生きてきたぼくも、こういった場面に遭遇することはなかった。ミコトのようにショックを受けるほどではないが、さすがに不快感に顔を歪めてしまう。


「そういえば、シルフィーは?」


 瞳に大粒の涙を湛えながら口を必死に抑えているミコトは、小さく首を振った。


「わからない……。でも、扉の前にいなかったってことは、もしかしてもっと奥に……」


 先ほどまで居た第三棟と一風変わり、清潔感が感じられない廊下の奥を見つめる。

 壁は灰や黄に変色し、ところどころに赤黒いナニカがこびりついている。床には成分の分からない液体が水たまりを作っており、どうにも不潔という印象を受けた。


 一体、この場所は何なのだろう。掃除どころか壁は修復すら出来ておらず、今にも崩れ落ちそうな骨組みが剥き出しになっている部分も多く見受けられる。亀裂は不幸を象徴するかのように入っているし、やはり赤黒いナニカはところどころに染み付いている。


 気持ちが悪い。


 嘔吐感を必死に抑え込み、目尻に滲んだ涙を拭う。

 先に進む勇気をどうにか絞り出し、一歩踏み出そうとしたその時。


「いやだァ!! 痛い、痛いのォ!!」


 どこか機械仕掛けのような印象を与える棒読みの悲鳴が、汚い廊下に響き渡った。その悲鳴の伴奏を務めるのは、鈍く低い骨が折れるような打撃音。

 その音が耳に入る度に鳥肌が立つ。本能的な怯えと嫌悪感がそうさせているのだろう。


 助けに、行かなければ。


 たとえ偽善だとしても、ぼくの心がそう望んでいるのであれば従うしかない。

 ふと、ミコトの顔を見ると、先程とは相も変わらずに眉をぎゅっと寄せて不快感に耐えていた。痛々しい楽曲が聞こえている様子ではない。


「ミコト、辛いならそこで待ってて。ぼくは助けに行く」

「えっ??」


 やはり何も聞こえていないのだろう、一体何が起こっているのか分からない、と言うようにぽかんとした表情をしたミコトを置いて、ぼくは悲鳴の元へと向かう。






 息を吸うたびに肺は空気を拒絶し、それに伴って体を動かすのが億劫になっていく。でも、走り出してしまった手前、ここで止まるわけにはいかない。ぼくを突き動かす正義感が正しいのか間違っているのかは判断が出来ないが、今は考えている暇などない。


「うぐっ……」


 潰れそうな肺を庇って、仕方なく早歩きに戻す。悲鳴は確実に近くなっているはずだ。ぼくが息を整えている間にも、機械仕掛けの悲鳴は鳴りやまない。それと同様に打撃音、そして男の声も聞こえる。

 やはり、失敗作が研究員に虐待されているのだろう。扉を一つ隔てただけで、ここまで環境が違うとは……。


「ごめんなさいィ!! もうしません、しませんからァ!」

「それは何回目だ? 俺が記憶する限りでは289回目だ。言っても聞かないやつにはこれがちょうどいいんだよ」


 男はいたって冷静に、しかし怒りの手を止めることはせず失敗作を殴り続けているようだ。失敗作の悲鳴はどんどん苦しげなものに変わり、女性では出せないような低い声も稀に聞こえるようになった。


「ここか……?」


 走り始めて約5分、ようやく音源にたどり着いた。

 最も声が大きく聞こえる部屋を探し出し、全身を使ってその扉を開く。たて付けが悪かったらしく、扉はいとも容易く本来の機能を発揮することなく吹っ飛んだ。


 それによって、部屋の全貌が明らかになる。


 廊下とは比べ物にならないレベルでこびりついた赤黒いモノ。そしてそれを引き立てるのが、異常に黄ばんだボロボロの壁だ。

 その汚れた部屋の主人公は、黒髪を無造作に結んだ白衣の男と、ぼくらと同じ、黒服に身を包んだ少女だった。


 少女はえげつない量の血を吐き出し、男はそれを楽しそうに眺めている。


 趣味の悪い絵画を見せられている気分だ。悪意によって描かれた、作者の怨念が詰まっているような。


「誰だよ、お前」

「ひっ……」


 失敗作の上半身あたりに跨ったまま、白衣の男がこちらを振り返る。どうやら馬乗りになって失敗作に暴力を振るっていたようだ。その憎悪と憤怒に塗れた薄汚い眼差しがじろりとぼくの体を舐めまわす。ぞわぞわと鳥肌が立ち、今すぐにでも引き返したい気分になったがなんとか踏みとどまった。


 そんな男とは対照的に、失敗作は感情の一つでさえ込められていない瞳を虚空に向けている。

 扱いだけでなく、どうやら失敗作の出来まで第三棟とは違うらしい。

 ぼくたちは失敗作でありながら、人間とは遜色ないほどに感情豊かで、むしろ人間よりも人間らしい部分だって存在する。


 なのに、何なのだ、これは。


 表情筋がないのだろうか、口元はぴくりとも動かず、ただ言葉を発するだけのロボットのようだ。くるみ割り人形を思わせる口の構造が余計にその印象を強める。


「俺が聞いてるんだぞ。黙りこくってないで少しは話したらどうだ?」


 ぼくが怯えたままでいたのが癪に障ったらしい。白衣の男は後頭部をがしがしと掻きながら、苛立たしく歪んだ口でぶっきらぼうに言い放った。


「ぼくは……此処とつながっている、第三棟から来たNo.187 アヤセです」

「第三棟……!? お前、あの扉を開けたのか!?」


 白衣の男は、苛立たしい様子とは一変、驚天動地の大事件を発見したかのように目をひん剥いた。やはり、あの扉は並大抵の失敗作では開けられないのだろう。もしくは、開けられることを秘密にされているか、そもそも失敗作に開ける力がないのか……。

 もし、教えてはならないのなら、小夜はなぜヒントになるようなことをぼくに吹き込んだのだろう。


 しかし、ここまで驚かれると、どうにも可笑しくて笑いたくなってしまう。だが、そんなことをしては殴られかねない、ぼくは何とか笑いを抑え込んで彼を睨んだ。


「ええ、開けましたよ。いとも容易くね」

「ありえないだろ……だってあれは、失敗作共に開けられるような仕組みじゃないぞ。そもそも魔力を操れる失敗作だなんて、第三棟にいるわけがない」


 たしかに、ぼく以外に魔力を操れているような失敗作はお目にしたことがない。誰も魔力を扱えないから、この男はこんなにも驚いている。


 でも、彼の言い草ならば、他の棟にはぼくのように魔力を操れる失敗作がいるのだろうか?

 気になる。ぼくは第三棟の外が知りたい。知的好奇心が止められない。


「じゃあ、他の棟にはいるってことですか?」

「……それは、口外禁止なのでな」


 好奇心を煽ったくせに、何なのだその言い草は。ぼくは小さく眉を顰めたが、白衣の男にはバレていないようだ。

「……げほっ」


 床に転げたまま虚空を見つめていた失敗作が、息を吹き返したように咳き込んだ。小さく吐き出される空気とともに、やけに鮮やかな赤色がぼくの足元を染めた。


「大丈夫!?」


 失敗作に駆け寄り、上体を起こしてやる。しかし、苦しいことには変わりがないようで、今にも崩れて消えてしまいそうに肩で息をしている。

 ぼくと変わらないくらいの年の女の子が、こんなにも苦しんでいる。まだまだ幼さが抜けない顔の、機械じみているけれど可愛らしい女の子が……!!


「こんなこと、許されるはずないだろ……」


 目頭に涙を流す時とは別の、熱い感覚が走った。このまま火が出るんじゃないか、と思うくらいに。


 そして次第に、これは魔力の滾りだと理解した。

ついに新天地突入……!!

伏線になってるか分かりませんが、ようやくでっかい扉の奥に進めました…。


次回 未定!


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