000 見ているのは白昼夢だろうか
ぼくは死んだ。
交通事故だった。
特に悲しいだとか、悔しいだとか、そういう感情は無かったと思う。楽しいことも嫌なこともあまりない平凡な日常を送っていたからこそ、命を失ったことは重視しなかった。だが、ぼくを失った家族と、数少ない友人のことを考えると居た堪れない気持ちになる。
ごめん、父さん、母さん。ぼくは親不孝な人間だったよ。二人が生きている間はこっちの世界からずっと見守っていてあげる。
段々と視界が白く濁り始めた。きっと天国へ昇っている途中なのだろう。いや、親よりも先に命を落としたのだから、地獄行き列車に乗車する寸前なのか。
だから、今この状況が夢じゃないかと疑うんだ。
ぼくは、筒状のガラスの中に閉じ込められている。それも、何やら緑色っぽい液体で満たされているガラスの中に、だ。
ガラスの奥に見える景色はあまりにも殺風景で、あるのは配線が無数に結ばれた機械らしきものと白衣を着ている研究員のような男だ。
え、なんで?ぼく、死んだんじゃなかったっけ?車が目の前に迫って来ている情景がはっきり思い出されるのに。
走馬灯にしては遅すぎるし、見たことのない景色だからそれではないのだろう。
「さあ、そろそろ君が目覚める時間だ。」
白衣の男がガラスの中のぼくに語りかけた。我が子をあやすように紡がれたその言葉はやけに心地よく感じる。
ウィーンとやけに機械的な音を発しながら自動で目の前のガラスが開いていく。緑の液体が部屋中に流れ出したが、白衣の男は特に気にしていないようだ。そんなことよりも、目の前の研究対象に心を躍らせている。
「おはよう、アヤセ。今日から君はこの研究所の一員となる。」
アヤセ。どうやらここは異世界とか、そういう次元が違う話ではないらしい。理由はちゃんとある、ぼくの名前が綾世だからだ。
だけど、異世界でないのなら、何故ぼくは液体中で呼吸が出来ていたのだろう。否、ぼくは呼吸をしていたのか。意識をしていなかったから判断しかねるが、ぼんやりとした記憶の中、していたような印象はない。
「研究所……?」
もしや、ぼくの体はマッドサイエンティストに改造でもされてしまったのだろうか。人間はモルモットじゃないんだけどな。
「ここは、【完璧な少女】を生み出す為に設立された研究所さ。」
ということは、改造ではなくオリジナルを生み出すというわけか。しかしそうなると、ぼくは0から作り出された存在だが【誰かしらの記憶】がこの器に内蔵されている、ということになるだろう。矛盾してはいないか?脳だけぼくの体から拝借した可能性もあるが、死んでいるのだから脳を移植しても無意味であろう。
「君にはNo.187アヤセとしてここで過ごしてもらう。ナンバーは…あまり意味はない、気にしないでくれ。よろしくな、我が娘よ」
意味はない、という言葉に嘘はないだろう。現にこの男は気にしている様子もなく淡々と説明を続けている。それよりも、引っかかる単語があった。
「娘って……ぼくは男ですけど。」
生前から童顔で何度か女性に間違われたことがあるが、さすがに体型で男だと認識する人が大半だった。というより、間違える人なんているだろうか?男にしては細い方だったが、一応骨格はしっかりしてるはずだ。
「……は?」
は? と言われても、この状況に置かれている僕の方がは? なのである。
「いやだから……ぼくはここで目覚める前から男で、しかも死んだはずなんですけど……どうしてですか?」
目を丸くして、信じられないという表情をしている男。だから、ぼくの方が信じられてないんだって。
しばらく顎に手を当て、いかにも考えていますという格好を取っていた男は、はっとぼくの方を見るなりこう言い放った。
「君は……ふむ、珍しいタイプ……というより、新しいタイプだ。君にとっても私にとっても、発現されない方が幸せだった才能だろう。」
全然答えになってませんけど。頭でっかちそうな見た目をしていて、実は頭蓋の中はすっからかんだなんて下らない冗談はやめてほしい。才能という言葉が指すのは記憶が残っていることに対してなのか、現時点では判断材料が少なすぎて分からない。が、ぼくはそう受け取るしかない。
「君は危険だ。理由は悪いが言えない。しかし処分してしまうのもここのルールに反してしまう。」
苦虫を噛み潰したような感情を顔面で表現しながら、男はぼくに言った。
「限りなく完全に近いよう作れたと思ったんだがな……すまない、君には第三棟で生活してもらう。」
第三と付いているあたりこの施設はかなり大きいのだろう。そして男の発言から、ここは第三棟ではないことが確定した。
やがて、ぼくの疑問は解決されていないのにようやく気がついた。
「ぼくは今、男なんですか? 女なんですか? あと、ここに居る理由って……」
「君がここに居る理由は教えられない。それと、君は少女だ。記憶を持っている君なら気づいているだろう。君の元の姿……村上綾世は少年で、確かに事故に遭っている。」
まあ、そうだろう。ぼくの白昼夢_ガラスの中で見る白昼夢というのも可笑しな話だ_や記憶違いではなかったようだ。ここに居る理由は企業秘密的なアレなのだろう。大人というものは厄介な存在だと再認識した。
「そして、君には欠点が見つかった。いや、大丈夫だ、安心してくれ。この研究所で生活をしている少女たちもまた欠点がある。いわゆる【失敗作】だ。君も【失敗作】として扱われるが、どうか許してほしい。」
【完璧な少女】を作るのに欠点が見つかってしまっては、やはり【失敗作】になるんだろう。だが、今のところぼくの体に欠点は見つかっていない。腕もある、足もある、考えることだってできるし、感情だってある。一体何が足りていないのだろうか。
「君には嘘をつく脳がない。表裏がない良い性格だともいえるが、裏を返せば他人に同調することが不自由になる。君が今まで気がつかなかったのは、綾世君が誠実な人間だったからなのだろうね。」
そこまで誠実に生きてきた覚えもないが、気にする問題でもない。とにかく、ぼくは嘘をつくことが出来ないんだ。それさえ分かってしまえば【失敗作】の中でも生きていけるだろう。
「No.187アヤセ。君のナンバーは頬に彫ってある。そして、君には頭にこの包帯を巻いてもらう。」
そういって男が取りだしたのは、飾り気などない、無地の黒い布だった。これを頭に巻くのだろう。細すぎず太すぎず、ちょうどよい厚みだ。
「あと、これは原則なのだが、この黒い服を着用してもらう。」
殺風景な部屋のどこに収納スペースがあるのかは分からないが、男はまた何かを取りだした。よく服屋で売られていそうな黒いTシャツに、裾のあたりが少し膨らんだ黒いズボンだ。これもまた包帯と同じで飾り気はない。
「危険な行動、言動をした場合、第三棟の研究員から指摘が来るだろう。場合によっては処分も有り得る。くれぐれも気を付けるように。これならば嘘なぞつく必要はないだろう?」
「ええ、そうですね。いつ口が滑るか分からないですけど善処します。」
そう返答するのを予測していたかのように、声の反響が消えるのと同時にぼくの手を引き始めた。きっと第三棟への道を歩くのだろう。
死んだはずのぼくが【失敗作】として生きていくなんて、とてもじゃないが信じられない。元いた世界に戻りたいとは願っているが、うだうだ言っていても何も進まないだろう。それに死んでいるならこの施設から出ても情報は得られない。
今のぼくに出来るのは、第三棟で過ごす【失敗作】がどのような人柄なのか、不安と期待を入り混ぜた感情を持つことだろう。
胡散臭い研究者と失敗作が溢れかえる研究所で、アヤセは生活できるのでしょうか?(笑)
次回はヤンキー的なツンデレの失敗作がでてきます。ツンデレ好きな方は必見ですね(???)