”約束事”
ケイシー・マーを刑務所病院送りにするのは、ステイプルトンが言っていたように決して楽な仕事ではなかった。確かに、他の人が“苦戦した”と納得するような演出はしたが、気を抜けばやられるのは本当だった。実際、身体の痛みはかなり酷い。
ジョーにはトレーナーもマネージャーもいないため、痛みを引きずりながら一人で帰るしかなかった。
事務所に帰ったジョーはわき目もふらずデスクチェアに向かい、どっかりともたれこむ。ふかふかの高級椅子で、もとは盗品だったが近所のマディソン夫人による孫の捜索依頼の過程で得たものだ。ちなみに孫はロサンゼルスリバーの底で見つかった。
椅子の中でだらりと力を抜き、しばらく何もせずぐるぐると回っていると、事務デスクに置いてある黒電話のベルが鳴り響く。ジョーは回転するのを止め、受話器をとる。
「はい、こちらバニング」
しかし、受話器からノイズのような音が聞こえるだけだ。
「もしもし?」
ノイズの中に時折息遣いのような音も聞こえる。しかし、相変わらず何も聞き取ることはできない。ジョーは投げつけるように受話器を置く。いたずら電話だ。仕事柄、よくあることだ。例えば、近所の悪ガキが度胸試しにかけたり、時間のありあまったみじめなやつが、嫌がらせにかけたり。とても賢い時間の使い方とは思えなかった。
ジョーは椅子でぐるぐる回るのを止める。
“それは今の自分も同じか?”
仕方がないので外に出て、何か買うことにした。
ジョーの事務所から徒歩5分のところに『ビッグ・バリー・バーガー』はある。名前は「ビッグ・バリー」だが、店主の名前はサミュエルだ。曰く、DCコミックのTVシリーズに登場するハンバーガーショップからとった名前らしい。それを聞くと、店主はさらに饒舌になり、バリーはフラッシュに名前だとか、このオリバーバーガーはアローの本名だとか、このアイスモカの名前はフラッシュの好きなキャラからとった名前だとか、聞いてもいないことをべらべらと喋りだした。
テイクアウトしたバーガーが冷める前に家に帰りたかったジョーはてきとうに会話を切り上げ、外に出ようとする。すると店主がなにかを思い出したかのように声をかける。
「そういえば、JB。お前に依頼があるってやつがいるんだが」
「依頼?」
ジョーは聞き返す。
「今日じゃないとだめなのか?」
サミュエルは深刻そうな顔で首を横に振る。
「そうとう切羽詰まっているように見える。できれば今すぐ話を聞いてくれ。もちろん、お前次第なんだが」
ジョーは天井を仰ぎ嘆息する。今日はとくにキツい依頼を終えたばかりだ。ケイシー・マーに殴られたところや蹴られたところがまだ焼きごてをおしつけられたかのように痛む。できることなら帰って休みたいが、
「……」
ビッグ・バリー・バーガーを熱々のうちに食べるのは諦めるしかないようだ。
サミュエル曰く“依頼人”はビッグ・バリー・バーガーで働いており、もうすぐ仕事が終わるそうなので窓際の席に座って待つことにした。
ストロベリーシェイク(店長のおごりだ)をすすりながら通りの景色を眺める。時計の針はよとうに0時を越え、人通りが少なくなっている。窓越しに冷気が漏れ出し、ストロベリーシェイクも手伝って肌寒くなってきた。
依頼人ロニー・ボレアは“妹”を探しているらしい。二日前にいなくなったそうだ。サミュエルは「大げさなんだよ」と言いつつロニーのことは本気で心配しているようだ。
「どうも」
ビッグ・バリー・バーガーの制服を着た青年がエプロンを畳みながら声をかけてきた。
「君がロニーか?」
「はい、ロニー・ボレアです」
見たところ17,8そこら。顔は丸みをおびており、栗のようにまるっとした目をしている。サミュエル曰く、幼くなったデヴィッド・ラムゼイだとか(デヴィッド・ラムゼイって誰だ?)。
穏やかな口調で言葉も丁寧。それでいて堂々としている。よくみると体ががっしりとしており、拳だこもできている。なにか格闘技をしているようだ。
「そうか、ロニー。俺はジョー・バニングだ」
「知っています」
「とりあえず座れよ」
ロニーは畳んだエプロンを膝にのせ、ジョーの向かい側に座る。
「あの」
ロニーは机に置かれたビッグ・バリ・バーガーの包みを指さす。
「ハンバーガー、食べないんですか?」
「ああ」
「冷めますよ」
「人と話すときに食事はしない」
「そうですか、でも温かいうちに食べるとおいしいですよ」
「知っている」
「なら、はやく話を終わらせないとですね」
ロニーは微笑んだ。
「ああ、でも情報を省いたりするなよ」
「はい、えっと……その」
ロニーはごくりと唾を飲み込み、舌の先で唇を嘗める。
ここでサミュエルが机の上にコーラを置いていく。ロニーは「どうも」と礼を言い、喉を潤す。
「それで……俺は昔から落ち着いた性格だねって言われるんですけど、本当は全然そんなことなくって。心の中はよく混乱するんですけど……スミマセン、今もパニクってるみたいです。今日も仕事でミスばっかりで、本当は休むべきなんだろうけど、妹が学校に行くための金を稼がなくちゃいけなくって」
「大丈夫だロニー」
ジョーは穏やかな声で話しかける。
「落ち着いて」
「はい……はい。えっと、妹はケイトリンといいます。まだ14です。家族の中で一番頭がよくって、勉強ができて……はい、大学も視野にいれています。それでいておしゃべりで、快活なやつです。友達も多い。自分で言うのもなんですが、自慢の妹です」
そういってロニーがケイトリンの顔写真をジョーに渡す。歯を向きだしにしたあけすけな笑顔を浮かべる少女が映っている。その隣ではロニーが穏やかな笑みを浮かべ、肩に手を置いている。
「最後に見たのは?」
「一昨日の朝です。ええ、変わった様子はありません。トーストを元気に頬張って、学校に行きました。それなのに、夕方になってからこんなメールが」
そう言ってロニーは二つ折りのケータイを開き、ひび割れた画面をジョーに見せる。
『今日は彼氏の家に停まっていくから』
メールには素っ気ない文章でそう書かれている。
「“彼氏”に心当たりは?」
「ありません。もし妹に彼氏ができたなら、真っ先におれに教えてくれるはずです」
ロニーは額に手を当て、なにかを我慢するように息を吐く。
「大げさだって思うでしょ? 両親もそう言って探そうとしません。まだ二日でしょ。若いときにはそんなこともあるさって。でも俺は、なにかがおかしいと思います。今までそんなこと一度もありませんでした。これで彼氏の家に二日停まっただけのことだったら、それでいいんです。でも、もし事件に巻き込まれたら。それなら早いに越したことはない。バニングさん、どうかお願いできますか」
ジョーは背もたれにもたれかかり、ゆっくりと息を吐く。一見、単純な事件に見える。ただティーンの少女が彼氏の家に転がり込んだだけの話だ。だが、先ほどロニーの見せたシンプルな文面が嫌にひっかかる。下手したら複雑なことになるかもしれない。見たところ、ロニーがそれほど金をもっているとは思えない。両親の援助もなく、妹のために金を稼いでいる。支払いには期待できないのは間違いない。だが、ジョーはこの仕事をはじめたとき、“彼女”とある約束をした。それを破ることはできない。
「“お願い”は必要ない」
ジョーは答える。
「仕事だからな」
冷めたハンバーガーを食べた翌朝、ジョーはさっそく“仕事”を開始した。ロニーに聞いたところ、ケイトリンはいつも親友のオリヴィアと一緒に下校するようだ。オリヴィアはロニーの家の近くに住んでいて、昔から家族ぐるみで親交があるとロニーは言っていた。
今日は日曜日なので学校は無い。とはいえティーンエイジャーの家に押しかけて変に警戒心を抱かせるのも悪い。だがロニー曰くオリヴィアはクラスの中心的な存在らしい。そんな娘が日曜日にやることといえば、決まっている。ほら、来たぞ。家の中からオリヴィアが金色の髪を揺らしながら、ほぼスキップするような足取りで出てきた。取り巻きらしい女の子も数人いる。
ジョーはオリヴィアの家の向かい側に停めてある車から降り、オリヴィアに声をかける。
「オリヴィア」
オリヴィアは振りむくとあからさまに怪訝な顔をし、ジョーのつま先から頭のてっぺんまで、値踏みするように睨みつける。
「あんた、だれ?」
かなりふてぶてしい態度だ。肝が据わった性格のようだ。恐らく虚勢やはったりではなく、実力でクラスの中心をもぎとったタイプに違いない。こういうやつは、頭が回る。
「ジョー・バニングだ」
「ジョー……?」
すると取り巻きの一人がキンキン声でジョーを知っている。
「アタシ知ってる! こいつ、探偵のJBだよ! クソ野郎だって、アタシの兄貴が言っていた!」
「JB……? ああ」
オリヴィアが鼻で笑いながらジョーに一歩詰め寄る。
「こそこそ人のあらを探して威張り腐る卑しいやつね。あたしの彼氏があんたに酷い目に合わされたって聞いたけど?」
「お前の彼氏が誰だか知らないがもしエーロン・カスターという名前だったらすぐにわかれた方がいい。やつは常に七人の女をキープしている。そのうちの一人から痛い目に合わせてほしいと依頼を受けた」
オリヴィアは魚の小骨がのどに刺さったときのような顔をする。図星だったのかもしれない。オリヴィアはすぐ気を取り直して、よりいっそうきつい目でジョーを睨む。
「で、なんの用? 私はこれから遊びにいかなくちゃいけないんだけど」
「ケイトリンのことだ」
「ケイトリン? あの子がどうしたの?」
「一昨日から学校に来てないな?」
「ええ、それはそうだけど。風邪じゃないの?」
「お前はいつもケイトリンと一緒に帰っているようだが、三日前の放課後はどうした?」
「その日ならあの子、先生に呼ばれたとか言って、一緒に帰らなかったわ」
「先生?」
「ねえ、ケイトリンになにかあったの?」
「先生だって?」
「ちょっと、ケイトリンになにかあったのって聞いてんでしょ!」
ジョーは額をかきながらしばし逡巡し、手を振って取り巻きの女の子にどっかいくように指示した。女の子たちはお互いの顔を見合わせたが、オリヴィアに睨まれるとすぐにどっかへと消えていった。
「ケイトリンは三日前から家に帰っていない。このメールを残してな」
ロニーから転送してもらったメールを見せる。オリヴィアはジョーの手からスマートフォンをふんだくると、何度も目を左から右へと往復させる。
「彼氏!」
オリヴィアは今自分が声を出せることに気づいたかのように叫ぶ。
「彼氏ですって!」
「心当たりは?」
「あるわけないでしょ! あの子、そんな気配すら感じさせなかったわ!」
本当に信じられないといった表情で首を横に振る。
「実際、どうだ。その文面を見て」
しばしオリヴィアはスマートフォンを睨みつける。
「そうね、まずひとつ。ケイティが私に彼氏がいることを隠していたとは信じられない。あの子、あった出来事をなんでも話すから。“ねえ、ヴィア? 今日はとってもかわいい子猫を見つけたの”“ねえ、ヴィア? さっきとても面白い形をした雲を見つけたの”“ねえ、ヴィア? あの先生、クイーン通りでいかがわしいものを買っているところを見たの”“ねえ、ヴィア? ねえ、ヴィア? ねえ、ヴィア?”」
オリヴィアは肩をすくめる。
「そんな子が彼氏がいることを隠す? あの子、パンツの色だってあたしに喜んで教えるでしょうね」
「かもな」
「それともうひとつ」
オリヴィアはスマートフォンを取り出し、操作してからジョーに渡す。
「これがキティ(ケイトリンの愛称)の普段のメールよ」
見ると、絵文字や顔文字などを多用したティーンらしいメールとなっている。どれも情感に溢れており、頭に思いついたことをそのまま打ち込んだような文章だ。とてもロニーに送ったメールと同一人物だとは思えない。
「……」
いよいよきな臭くなってきた。もう少し表の出来事だと思っていたが、下手すれば裏の案件かもしれない。ロニーからは依頼金として100ドルを受け取っている。だが裏の仕事となるとそれ以上に金もかかるし、命の危険もつきまとう。だからといってロニーから今更金を要求するつもりはないし、今更辞めることも、ない。ならばどうするか? それ相応の準備と態度が必要だ。
スマートフォンを睨みながら考えを巡らしていると、オリヴィアが唐突にスマートフォンを奪い取る。
「いつまでも人のスマートフォンをじろじろ見ないでくれる! キモイ!」
ジョーもいい加減、オリヴィアの態度にうんざりしてきた。別に子供が苦手というわけではないが、こういう奔放なタイプは苦手だ。できることなら早めに切り上げたい。だが聞くべきことは聞かねばならない。
「さっきのケイトリンを呼び出した先生って誰だ」
「ダン・ボイル先生だと思うけど。……ねえ、本当にキティに何があったの?」
「さあな」
「さあなって、あなた探偵でしょ? なにか知っているでしょ」
「まだ5分前に捜査を開始したばかりだ。それに知っていてもお前に教えることはない」
「はあ、なにそれうざい」
オリヴィアはふくれっ面をする。ジョーにはなかなか愉快な顔だ。
「話を聞いてくれて感謝する。じゃあな」
そう話を切り上げてその場から離れようとする。意識しているわけではないがやや早歩きになってしまう。
「待って!」
背中から唐突に呼び止められ、ジョーはつんのめるように止まる。
「あたしもついていく!」
「冗談だろ?」
「冗談じゃない」
「そうか、断る」
そう言い残して今度は意識して早歩きで立ち去ろうとする。すると、今度はぐっと袖を掴まれて引っ張られる。。ジョーはうんざりしながら振り返る。
「なんだ!」
するとオリヴィアはポーチの中から財布を取り出し、お札入れからある分だけ金を握り、ジョーに押し付ける。
「依頼! あたしもキティの捜索を依頼する。もちろん私を連れてくことも条件にいれてね」
なんだって? 本気か? 正直、邪魔だ。足手まといになる可能性がある。そしてなにより危険だ。ティーンの少女が同行するような仕事じゃない。
だかジョーは、やはり“彼女”との約束が頭をよぎる。
“ねえ、もしどんな時でも、できるなら人助けの依頼は断らないであげて。約束だよ”
ああ、もう、くそったれ。