97話 『正義の光は、狂気の闇を打ち滅ぼしました』
『君はそのまま、幽魔の攻撃を受けることだけを考えて』
殺気立った幽魔が、闇の魔力を全開し放出しながら、赤黒い十字剣を頭上に振り上げると、そのまま向かってきた。
『攻撃を受けるって言っても、さっきと同じになるんじゃ?』
『大丈夫よ。もう、どんな技を使っているのか、見当はついているから』
『それって』
『幽魔には、元々実体がないわ。ギースもその特性を英雄たる資質として、姿を消す能力を身につけた。でも、見えないだけで実体は消えていなかったでしょう?』
『確かに俺も姿を消してもらっただけで、実体がなくなったわけじゃなかったけど』
『幽魔が、恐らく使っている技は、物体に対するものじゃないわ。恐らく、幽体に対してだと思うの』
『幽体って、幽霊ってことですか?』
『ええ、正確にはそう言い切れないけれど、心や気持ち、概念的なもの。だから、君がいくら避けても、完全に避けることができなかった』
『でも、受けることはできましたよ』
『それは恐らく、君の気持ちと体に矛盾が生じなくなったからよ』
『矛盾?』
『無意識に恐れていた気持ちだけが、その場に留まっていることと、気持ちと体が一緒に留まっていることでは意味合いが違うのよ』
『ごめん、意味がよくわからないんですけど』
『実体を斬る普通の斬撃は、実体のある剣で防げる。けど、実体のないものを斬る特殊な斬撃は気持ちで防げるということよ』
『じゃあ、幽魔の技には対抗できる?!』
『そういうことよ。それと、あの技は一見すると厄介な技に思えるけど、幽魔の能力で一番厄介なのは、透過能力。ただ、あの特殊な技を使っているときは姿を消す素ぶりがないのよ。これは仮説だけれど、透過能力を極限まで高めて、別の性質へと変化させた特殊な技を使用する時には、姿を消す余力がないはず』
『つまり、あの技を使っている今がチャンスってことですね』
『そうよ。だから、君は何も気にせずに攻撃を受けることに集中して』
『了解!』
リンクがさらに強くなっている二人は、幽魔が一歩踏み出す間に意思疎通を終え、迷いのない状態で迎え撃つ。
「ぐっ」
無言で斬りかかる幽魔の斬撃を全身全霊で受け止める。
重たく、のしかかる一撃は交差するラナの十字剣をじわりじわりと押し戻す。
力ではなく、無慈悲で計り知れない狂気の重さ故に、ギースの体を傷つけまいとする優しいラナの剣は、そう長くは耐えられない。
必死に踏ん張る足も、片膝が地面につき、それでも歯を食いしばり耐えた。
このままでは、押し切られる。
意地でもこの一撃で斬り伏せ、完膚なきまでに敗北を与えたい幽魔は、更に闇の魔力を増幅させ、ギースの血管という血管全てから血を吐き出させながら、これでもかと言わんばかりに刃を押し込んできた。
『スフィア様、これ以上はもう……』
ラナがもう耐えられないと、スフィアに反撃するように言おうとした時だった。
『殺してくれ……』
ギースの悲痛な心の叫びが聞こえてきた。
『ギース先輩?』
『殺してくれ……』
ラナの声はギースには届いていない。
剣を交えているからなのか、ギースの声だけが心に訴えかける。
『こんな姿になったらもう、妹を守ることなんてできない。ボクが弱かったから、姿を消して隠れて、見守ることしかできなかった』
ラナの脳裏に、ギースの心が映し出される。
親を失い、孤児院で生活をする妹を木の陰からそっと見守り、今日も笑顔で元気に過ごしていることを確認していた。
毎日のように、繰り返しては立派な英雄志願者として、一人前の兵士として、妹を守れるくらいの強い兄として、胸を張って妹に会える日を、また一緒に暮らせる日を夢見て直向きに頑張る、愛情に溢れた男の心がはっきりと見えた。
それがギースの中にある決して揺らぐことのない正義だと、ラナは知った。
「ギース先輩!」
完全に心を失っていないと確信したラナは、呼びかける。
「抵抗しないで、早く死ねよぉ。もう、死んでくれよぉ」
返ってくるのは、幽魔の言葉だけ。ギースが反応する気配はない。
『スフィア様、今の見えました?』
『今のって、幽魔に何か変化があったの?』
『いや、多分気のせいです』
心の叫びも映し出されたものも、ラナだけが見聞きしていた。不思議と疑問の思うことはなかったが、魂が繋がり、心が通い合っているスフィアが知らないのであれば、必要以上に言うことではないと、無意識に話そうとはしなかった。
『この状況で、寝ぼけていた訳ではないわよね?』
『問題ないです。ただ、そろそろ手が痺れて力が入らなくなり始めているんですけど』
『それは問題があるって言うのよ』
『だったら早く……』
腕が上がらなくなる前に、早くどうにかしてほしいという気持ちもあったが、それ以上に延々と聞こえるギースの悲痛な心の叫びに耐えられなかった。守りたい人がいるのに、自分の非力さから危険な目に遭わせてしまう無力感と、情けなさはラナが痛いほどよく分かっていたからだ。
『待たせたわね。これで幽魔には永久に消えてもらいましょう』
『ちょっと待って! スフィア様、幽魔が永久に消えたら、契約者であるギース先輩はどうなるんですか?!』
『それは、ギースさん次第と言った方が良いかしら』
『ギース先輩次第って、もしかしたらギース先輩も消滅しちゃうってことですか!?』
『今から使う魔法は、闇の中でも邪悪な闇を消滅させるための魔法。純粋な悪であればあるほど、その効果は絶大で私の使用する光属性の魔法が本領を発揮するわ。だから、もしギースさんに正義の心がなく、純粋な悪だとしたら消滅は免れない』
『その魔法、俺に打たせてくれませんか?』
『何を言っているの? その状態で放てる魔法じゃない』
『それでも、俺が打たなきゃダメな気がするんです。ギース先輩を助けるために……』
心叫びが聞こえたことには意味があると感じたラナは、ギースを助けるのは自分だという使命感に駆られていた。
「死ね! 死ね! 死ねえええ!」
どんどん増幅していく、闇の魔力に押し潰されそうになる。
「うぐっ! す、スフィア様ああ!」
「まったくしょうがないわね。君にすべてを委ねるわ」
根負けしたスフィアはラナの背中に杖をかざし、闇化身の魔法杖に流し込んでいた大量の魔力を注ぎ込んだ。
「滾らせろ、己の正義を! ギース先輩の中にある妹を守りたい気持ちを滾らせろ! 俺が闇の底からギース先輩を助け出してやる!」
闇化身の魔法杖に蓄積されていた全魔力がラナに注ぎ込まれた時、背中に十字の紋章が浮かび上がる。
「これって、あの時の?!」
地獄の猟犬との戦い、魔王アラウンとの死闘の際に見せた輝きを放つ背中に浮かび上がった十字の紋章。それを再び目にしたスフィアは、ラナの中に眠る底知れない力を感じていた。魂を共有していても、理解することができない何か。
膨大な知識量を持っているスフィアですら知らない何かを、その背中に見た。
「な、なんだ、その輝きは?!」
純粋無垢な白き輝きは、邪悪に染まった闇の住人をひるませる。
「我に眠りし正義を滾らせ、お前の闇を打ち払おう。<聖十字神雷光>」
幽魔の悪しき剣を弾き飛ばしたラナは、十字剣を胸の正面に構えて、己に眠る力と共にスフィアの魔法を放つ。
「ぐごああああああああ!」
断末魔を上げる幽魔。
「聖なる光は悪しき闇を打ち滅ぼす。さようなら、狂気の幽魔」
もうダメかと思わせるほどに膨れ上がっていた闇の魔力は、聖なる十字の光に打ち消され、重苦しくも禍々しい赤黒いオーラがギースの体から消え去った。体中から血を流す変わり果てた姿のギースが、膝から崩れ落ちる。





