95話 『愛が故に、強さと弱さを生んでいた』
攻め手を欠き、動かなくなったスフィアを背に、守りながら戦うことを強いられた。
鳴り止まない鐘の音が、不安を煽り、戦意を奪っていく。
――もう、無理だ。
トラブル続きで、厄介ごとに対して耐性がついていても、何の前触れもなく始まった理不尽極まりない天災のような事態を、たった一人でどうにかしようなんて、最初から無理な話だったのだ。
ギースの剣を受ける力が少しずつ弱くなっていく。
「どうした、どうしたぁ! ボクはまだ全力なんて出してないぞぉ! あひゃひゃひゃひゃ!」
剣技とは言えない、十字剣を振り回すだけのお遊び。子供が人形相手に、楽しんでいることと同じだ。
急所を上手く避けながら、立ち回り続けているが、全力を出していないとなれば、ギースがわざと急所を外しているだけなのかもしれない。
今まで戦ってきた誰よりも、嫌な戦い方をする。
本当に救う価値があるのかと、考えを改めてしまうほどに。
「飽きてきたなぁ。避けるばかりで、反撃もしてこないし、そろそろ終わらせようかなぁ」
良い策も思いつかず、時が経つばかりだった戦いに終止符が打たれるようだ。
――結局、夢は夢のまま終わるのか。
身の程知らずで、夢だけ大きくて、実力が伴っていない自分に嫌気がさしたり、情けなく思ったり、ここ数日のことを不意に思い出すと、そんなことばかりだった。
――こんな時、エルシド様ならどうするのかな。
これで最後なら。と、憧れて追い続けた長剣使いの英雄に想いを馳せる。偉大な四人の英雄の中でも長剣を使わせれば、右に出るものはいない最強の聖十字騎士に。
――俺でも、もう少し頑張ったら、エルシド様みたいな長剣使いになれたのかな。
「ひゃはあああ!」
戦意を喪失して無防備になっているラナに、ギースの十字剣が襲い掛かる。
――もう、終わり……。
「じゃない!」
強く握り直した十字剣を、思いきり振り抜き、寸でのところで攻撃を凌いだ。
「はあ? もう、ボクは飽きたって言っているじゃないかぁ。早く死んでくれよぉ!」
諦めることはいつでもできる。でも、それは今じゃない。
憧れや夢よりも大切なこと。今、この瞬間どうするか。
絵本の中だけで知る、憧れの英雄に想いを馳せ、まだ見ぬ英雄の背中ばかり追いかける時ではない。
狂気によって、王都の人々が正気を失っているのなら、ロイゼやカルネ、専属シェフのレオンも同じことになっているはず。
今、諦めたら、ここで出会った人たちまで失ってしまう。
――そんなの絶対に嫌だ。
ラナは自分の不甲斐なさのせいで、周囲の人たちに迷惑をかけ、その度、優しさに触れ、助けられてきた。
既に命を失っていても不思議ではない。
この場に立っていなかったかも知れない。
一人では、どうすることもできなかった。
「俺は、こんなところで死ぬわけにはいかない」
「何を急に粋がってくれちゃってるかなぁ?」
「こんな争いをしていても、無意味だ。ギース先輩だって、何か目的があって英雄志願者になったんじゃないんですか?!」
正気から狂気に変わるというなら、それは心があるということ。新たな力のせいで、心が蝕まれているのなら、引き戻すことができるかも知れない。
ギースの中に、少しでも良心があると信じて語りかけた。
「目的? そんなこと忘れたなぁ。あれ? なんで英雄志願者になったんだっけ? 知らねえなぁ。そんなことより、あれ? なんで英雄志願者になろうとしたんだっけ?」
見るからに、二つの顔が見え隠れしている。まだ完全に狂気に囚われていないと、確信したラナは、畳み掛けるように質問を繰り返す。
「ギース先輩には、英雄志願者になって、成し遂げたいことがあったんじゃないですか?」
「成し遂げたいこと……」
「夢とか目標とか、そんなのがあったんじゃないですか?」
「ギース先輩にも大切な人がいるんじゃないですか?」
「大切な人……」
「恋人とか友達とか家族とか、そうだ、ギース先輩が俺に話してくれたじゃないですか! 守らなきゃならない妹がいるんだって!」
「いもう……と」
一つでも、ギースに刺さる質問を投げかけようと、当てずっぽうで言い続けた結果、ギースに一つの単語が突き刺さる。
それは、唯一無二の存在である最愛の妹の存在だった。幽魔と契約した理由も、英雄志願者になった理由もすべては、大切な妹のため。
「ニーナを守る。ボクは、ニーナを守る」
僅かに残っていたギースの心が、心の奥底にあった正義が、黒く濁りきった瞳に人としての輝きを取り戻させる。
「ニーナはボクが絶対に守る。絶対に死なせたりなんかしない。ニーナの命を脅かすものは、ボクが消してやる」
この言葉にラナは少しだけ希望を見出していたが、ギースが魔女を敵視し、その魔女と契約を結んでいるラナを消すべき対象にしていることを知らない。だから、
「ギース先輩にも、ニーナさんっていう大切な妹がいるのなら、その人のために戦うべきなんじゃないですか!?」
なんていう、自分に対してより一層敵意を向けさせるようなことを言ってしまう。
「そうだ。ボクはニーナのために戦うことを決めたんだ。だから、幽魔の言う通りに親も殺した」
「親を殺した……?」
「ニーナの命を脅かす奴は、全員敵だ。忌まわしき魔女と契約したお前もだ、ラナ!」
「え、いや、なんでそうなるんですか!?」
案の定、ギースはラナを敵だと再認識し、狂気に囚われたからではなく、己の正義を貫く強い意志を持って戦う。
意図せぬ場面で、親を殺したという衝撃の告白に色々聞きたいことはあったが、間髪入れずにニーナという人の命を脅かす存在と認定されてしまった。
「ボクは英雄志願者としてニーナを守るためだけに、終焉の日を迎え撃つだけで良かった。それなのに、お前らが聖十字騎士団に入団してきたせいで、絶対に安全だと言われ続けてきた王都が危険な場所に変わった。ボクは危険因子であるお前らを必ず殺して、ニーナを守り抜く」
「ちょっと待ってよ! 今、王都がこんなことになってるのは、俺たちのせいじゃない! それに、ニーナさんを守るなら、早くこの鐘の音を止めないと」
「黙れ。お前らが来たせいだ。お前らさえ来なければ、あれがこの地へ入ることは出来なかった。……あひゃ! そうさぁ! お前のおかげで、あの方はこの地へ入ることができたのさ! ラナ・クロイツ!」
会話の途中から、ギースの目が再び黒く濁り、口調が変わった。それに伴い、ラナは矛盾していることに気づいた。
鳴らさずの鐘を鳴らし続け、ギースに新たな力を与えたと思われる存在に対して、正気のギースは「あれ」と呼び、狂気のギースは「あの方」と呼んでいたのだ。
普通であれば、力を手に入れ気持ちが大きくなった分、態度も大きく、口調が悪くなるはず。しかし、ギースはその逆だった。
「あれ」と言った時点で、好意的には思っていないし、特別な感情を抱いているわけではない。つまり、
「今、俺と話しているのはギース先輩じゃない。お前は、いったい何者なんだ?」
何者かと問われた狂気のギースは、血の赤に染まった十字剣を舐め回したあとで、もったいぶりながら答える。
「第二の封印を解く者として、あの方から力と名を与えてもらった幽魔、名はアゴーン・アペレフセロス。あひゃひゃひゃひゃ!」
魂を一つにしたところで、互いの意思が同じでなければ、シェイネとゴルドのように互いの体を融合させ、一つの生命体になることはない。
幽魔改め、アゴーン・アペレフセロスは、ギースの体に憑依し、ギースの自我さえも奪おうとしていたのだった。





