94話 『狂気の中で、声が聴こえました』
「余裕ですね……だって? 雑魚相手に本気を出すとでも思っていたのか?」
まったく退く素ぶりを見せないことに、苛立ち始める。体から溢れ出る赤黒いオーラも一層大きく重く、そして荒々しくなっていた。
「仮にも俺は、英雄志願者になった男ですよ? それに、単なる一般兵とは違う。俺には魔界で最高クラスの魔力を持った魔女がいる」
「結局は魔女に任せて自分は逃げるつもりってことだろう?」
「まさか、そんなことしませんよ。スフィア様には手出しさせません」
「なんだと!?」
「ギース先輩の相手は、俺だけでいいってことですよ」
「調子に乗るなよ、雑魚がぁぁぁああ!」
ギースはラナの挑発にまんまと乗ってしまった。とは言っても、そんな上手い駆け引きがラナにできるはずはない。
人を逆撫でる天才、スフィアがリンクを使って、言わせていたのだ。
『来るわよ』
体内から吸い上げているのか、血の赤がギースの十字剣を色濃く染め上げていく。
特別な力を得ていても、特段速いとは言えない速度で、斬りかかって来る剣を捌くことは、高速を知るラナにとって難しいことではない。
「え?」
二人の剣が交わった瞬間、甲高い金属音の他に、ヒュッと冷気がラナの剣をすり抜ける。
何か得体の知れないものが、迫り来るのを感じたラナは、咄嗟に時間の錯覚を発動させ、回避してしまう。
――しまった。
そう思った時には、必然的にさっきと同じような現象が起こる。
「ぐっ」
後方へ回避したラナの体はさらに後方、入口手前まで押し戻された。
『ラナ!』
ギースの意識をラナに集中させるため、スフィアは声を出せずにいた。
『なんとか、大丈夫です』
回避後にギースが放った特殊技は、ラナの十字剣を弾いただけで、傷を負わせていなかった。
「雑魚のくせに、ボクの技を運良く防げたみたいだなぁ」
――運が良かっただけ?本当にそれだけで、回避不可能だと思えた技を防ぐことができるの?
スフィアは、何かギースの技を打ち破る術があるのではないかと、捕縛の機会を伺いながら突破口を探る。
「次はないからなぁ? 悪い子には、ちゃんとお仕置きしないとダメだって、パパとママから教わっているよなぁ?」
狂気に当てられてか、己の得た新たな力の副作用か、言っていることが徐々におかしくなり始めている。
「そうだよねぇ。ボクがちゃんと教えてあげないから、ダメになるんだよねぇ。仕方ない、悪い子には、お兄ちゃんがお仕置き……してあげるよぉっ!」
十字剣を構えたばかりのラナに向かって、容赦なくギースの斬撃が襲い来る。
――このままだと押し切られる。
通常の斬撃と特殊技の二段攻撃に成す術がない。その間も、鐘の音は鳴り続け、血みどろの争いが続いている。
急がなければならないのに、隙が全くないせいで、反撃のタイミングがない。
『スフィア様、まだですか!?』
『まだ無理よ。私のところまで殺気が届いているし、君たちの距離が近すぎて、狙いが定まらないわ』
一瞬でも硬直させ、間合いを取ることができれば、ギースに捕縛するための魔法を発動することができるが、狂気と化したギースの攻撃は止まることを知らない。
いくらスピードが速くはないとしても、無尽蔵とも思える体力のギースと戦い続けては、英雄志願者になりたてで、鍛錬を積んでいないラナは不利な状況になっていくばかりだ。
――何か、何か良い手はないのか……。
防戦一方の中、一瞬の隙を作るための策をラナなりに模索した。
――ギース先輩が怯むような何か……はっ!
そして、思い出す。状況は違うが、相手を怯ませ、攻撃へと転じた方法を。
『スフィア様、神雷光で隙を作るしかない!』
そう、ラナが思いついた策とは、魔女狩人デオ・ヴォルグとの戦いにおいて、形勢を逆転するきっかけとなった戦法。
『やるしかなさそうね』
後手に回り続けることを避けたいと考えたスフィアは、ラナの提案を受け入れ、神雷光を発動させる。
二人の距離は少し離れていたが、目眩し程度の光は放てるはず。
ラナの十字剣に、魂を通じてスフィアの魔力を流し込んだ。
「うおぉぉぉおおお!」
声を張り上げ、必死に斬り返すラナ。突然、攻め込んできたことに、ギースの意識がラナの十字剣に集中する。
「「<神雷光>!」」
刺すような白き光が、辺りに広がり、城内にある窓から外へと漏れ出る。
「スフィア様!」
――シェイネお姉様、力を貸して。
力強く、闇化身の魔法杖を握りしめたスフィアは、シェイネの力を借りて闇魔法を発動する。
「<操人形劇>」
光属性の魔力は、闇化身の魔法杖を通して、強力な闇属性の魔力へと変換された。
一度、操られれば、魔法を解除しない限り体の自由は奪われたまま。いくら強力な力を得たところで、抗うことはできない。
怒涛の斬撃が止み、ラナはようやく解放された。
「や、やった。大成功ですよ、スフィア様!」
棒立ちで動かなくなったギースを確認するや否や、大喜びでスフィアの下へ駆け寄る。
「って、あれ? スフィア……様?」
何かがおかしい。そう思った時、
「あひゃひゃひゃひゃ!」
と、トチ狂ったような笑い声が背筋をゾッとさせる。笑い声のする方を向くと、腹を抱えて笑うギースの姿があった。
「嘘だろ……。スフィア様の魔法は当たったはず、それにあれだけの光を見てなんの影響もないわけが」
ギースの顔、目を見てラナは愕然とした。
すべてを闇の中へと吸い込んでしまいそうなほど、黒く染まった眼球。こちらのことが見えているのかさえも分からない、その目に恐怖しか感じない。
「スフィア様……」
助けを求めるように、名を呼ぶが返事はなかった。
「あひゃひゃひゃひゃ! 良いことを教えてやるよぉ! 幽魔は、元々闇の中で生きる魔族、闇の力を持っているのさ。つまり、闇属性の技はボクの得意な技ってことぉ!」
「スフィア様に何をしたんだ……」
「魔法なんか使うから悪いのさぁ!」
「何をしたか訊いてんだよ!」
「あひゃひゃひゃひゃ!」
話の通じない相手に、どれだけ怒鳴っても無意味。
面白いことなど、一つもありはしない。ギースが無駄に笑うせいで、また沸々と怒りが込み上げて来る。
『また怒りに任せて狂気に囚われるつもりですか?』
『スフィア様!?』
『どんな状況にあっても、冷静でありなさい。そして、如何なる時も正義を胸に、すべてを愛しなさい』
――違う。スフィア様じゃない。
心に語り掛ける声に聞き覚えがなかった。リンクを使えるのは、契約を結んだもの同士。しかし、ラナの知らない別の存在が今、心に話し語り掛けている。
『誰だ?』
『我は、古よりこの世界を見守り続けている存在』
『何だか分からないけど、今はあんたと話している場合じゃないんだ。止めてくれたことには感謝するけどさ』
名乗りもしない相手と悠長に話している時ではない。正しい判断ではあるが、相手がどれだけ高位で、絶対的な力を持つ存在なのか、ギースと戦うことに、手いっぱいになっていては、気づくことはできない。
『ならば、一つだけ助言をしておこう。光あるところに闇があり、闇あるところに光なし。光と光が交わることがなければ、闇と闇が交わることもない』
『それってどういう』
そう言って以降、声がすることはなかった。
――何が言いたかったんだ……。
一つも理解できず、己の力のみで戦わざるを得ない状況になったラナは、声の主に静められた怒りを闘志に変えて、狂人と化したギースと再び剣を交える。





