88話 『勝者は敗者の遺志を継ぎ、生ける者は死にゆく者から温もりを貰いました』
「す、すげぇ……」
闇の化身と化したゴルドとシェイネと対峙している訳ではないが、同じ魔女と契約しているラナには、その凄さが手に取るように分かった。最初から見えていた闇の魔力が、色濃く二人を包み込んでいる。今のラナとスフィアでは到底太刀打ちできるような相手ではないことは確かだ。これがそのまま敵になっていたと考えるとラナはゾッとしている。
しかし、今回は味方だ。これ以上に頼もしい味方はいないだろう。
「お姉様……」
感動しているラナとは違って、見たこともない魔法にスフィアは不安しかない。魔法の知識は隅々まで熟知しているはずなのに、知らなかったのだ。未知数の力にシェイネの身を案じずにはいられない。
スフィアの頬を伝う雫が床へ落ち弾けると、闇の化身とグランバードの戦いの火蓋が切られた。
闇の魔力がその場の空間を一瞬にして包み込む。
「なんていう魔力だよ……」
「凄まじいわね……」
押し潰されそうな魔力に、ラナとスフィアは立っていることもままならない。二人は巻き添えにならないように、隅の方へと後退した。
闘牛眼射撃が通用しないことがわかったグランバードは十字剣を腰に携えていた鞘へと納める。
「「どうしたんですか? まさか恐れを成して戦意喪失という訳ではないですよね?」」
「まさか、闇の化身を倒すにはそれ相応の技を繰り出さねばならないからな。かつての部下に対して、冥途の土産でもくれてやろうと思っただけだ」
そういうとグランバードは、右手をそっと柄頭に手を添える。
「<野生の眼>」
グランバードの目が白く輝き、白目を蜘蛛の巣状の黒目が覆い、【聖十字騎士団の眼】が解き放たれた。
常に急所を狙って無駄のない攻撃をするグランバードには、生命体である以上その急所がすべて見えている。しかし、それだけでは【聖十字騎士団の眼】という通り名は名乗れない。
三頭獣と契約をしたグランバードは、闘牛・駿馬・怪鳥それぞれの特徴以外に三種の野生の眼を巧みに使いこなし、如何なる相手であろうとも弱点となるものをすべて見極める。故に戦いにおいてグランバードの眼は、聖十字騎士団の眼であり、終焉の日を討ち滅ぼすためには必要不可欠な能力。
その力を駆使して闇の化身を見たグランバードの眼に映るのは、邪悪な力に侵されている闇の魔力だった。
「なるほど、それほどまでに増幅した邪悪な力であれば、聖なる力で滅してやろう」
グランバードが再び、剣を抜くと白く神々しい光が刃から放たれる。
「三頭の聖なる白馬に跨りしは聖なる騎士。その刃を持って邪を滅す。<白馬の聖騎士>」
どこからともなく、真っ白い神秘的な鱗粉が現れたかと思えば、それは三頭の白馬の姿を形作る。魔法や魔力とは違う聖なる力が白いオーラとなって、辺り一帯を埋め尽くすほどに増幅した闇の魔力を押し退けていく。
遠巻きに眺めていたラナの目には、互いの力が均衡しているように見えた。
闇の化身とグランバードの間には、白と黒の強大な力が衝突した衝撃で空間に歪みができている。この時、誰しもが気づく。
勝負は一撃で決まると――。
「「すべての子らに絶望を与えよ。<闇夜の悪夢>」」
闇の化身も全身全霊を込めた魔法で、その聖なる一撃に備える。
三頭の馬に対抗するかのように発動した魔法は、世にも恐ろしい闇の化身の下部たち。陰より出でる目も鼻も口もない漆黒の人型が三体。
ラナとスフィアはその姿に凍りついた。まさに悪夢。これほどまでに悍ましい力を前にして脳裏を過るのは、子供の頃に意味もなく恐れていた暗闇に対する恐怖心と、そこから現れるのでないかと妄想を膨らませていた黒い影。
光と闇。どちらが正義なのかと問われれば、誰しもが正義は光だと即答するだろう。
だが、光と闇だけで判断できるような正義はどこにもない。ここにあるのは、互いの正義を貫かんとする信念と覚悟の衝突。己のすべてを賭けた一撃。
「うおおお!」
「「はああああ!」」
雄叫びとともに技に全精力を注ぎこむ。それぞれの思いが込められた一撃が猛威を振るう。暗闇と神々しい光が交互に辺りの風景を一変させた。暗闇に包まれれば、身の毛もよだつ墓場と化し、神々しい光に照らされれば、皆が祈りを捧げる修道院が姿を現す。
天国と地獄を交互に見せられているような感覚に陥りながら、両者の戦いを見守るラナとスフィア。その攻防は僅か数秒足らずで決着はついた。
しかし、戦っている側もそれを見ている側も、数十分という時間を戦っているような気分だった。長くて辛く、そして重々しく感じられた互いの正義を賭けた戦いの終わりは、あっけなくも儚げに幕を下ろした。
二つの大きな力は、最初互角のように見えていた。けれど、ほんの僅かだけ力の差があった。人目には分からないほどの小さなもの。その差が勝敗を大きく分けた。
三体の闇の化身の下部たちと三頭の聖なる白馬との衝突で生じた、ほんの僅かな差は、グランバードが弱点を見通すことができる眼を持っていたのかどうか。ただ、それだけのことだった。もし、グランバードが弱点を見定める眼を持ち合わせていなければ、力は完全に互角。どれだけ長い歳月をかけても決着がつかなかっただろう。
しかし、白馬の聖騎士から針に糸を通すように刃の先を、じわじわと闇の魔力を掻い潜らせ、闇の化身の下部たちの急所を貫いていた。
聖なる刃をその身に受けた下部たちは、心臓・脳・喉の部分を損傷し、そのまま崩れ落ちるように真っ黒な煙となって消え失せる。
「考えは悪くなかったが、もう一手くらいは必要だろうに。まさか手を抜いたわけではないだろうな?」
「「手を抜けるほどの余裕はないですよ。あなたが一番よく分かっているでしょう、聖十字騎士団の眼はすべてを見通せるんですから」」
闇の化身は、膝をガクガクと笑わせながら、徐々に全身に伝わる震えを抑えられずに、大きな音を立てながら、うつ伏せに倒れ込む。
グランバードの眼がどれだけ厄介なのか知っていたゴルドの考えで、下部たちに自らの急所を分散させて戦いに挑んでいた。いかなる場合においても、攻撃や防御に対してバカ正直に正面から挑むことは頭の良い戦略とは言えない。
詠唱の長い魔法を使おうと言うのであれば、詠唱を終える前に叩けばいい。
自分より強い相手ならば、何か行動する前に叩けばいい。
戦いが始まってしまったなら、自らを前線に送り込み、相手の裏を突けばいい。
その考えに至ったゴルドは、自身のすべてを三体の闇の化身の下部たちに分散させ、的を絞らせないようにと考えていた。だからこその全身全霊を込めた攻撃。自らのすべて、命を懸けた一撃。それらを見極めたグランバードからの助言である「もう一手」とは、それらを揺動に使えば、グランバードに幾らかのダメージを与えられたというかつての部下に対する最後の指南。命と命のやり取りをした相手に情けは掛けない。同情もしない。
一人の騎士として、誇りを持って戦い正義を貫いた者に必要以上の言葉もいらない。
「ゴルド、そして悲劇のキッカケとなった白銀の魔女シェイネ・セーラム。お前らの想いは、この聖十字騎士団第二団長のグランバードがしかと受け取った」
その言葉を聞いた闇の化身は、思い残すことはないと満足そうな笑みを浮かべ、力尽きた。
「シェイネお姉様ああ!」
姉の変わり果てた姿、そして押し潰されそうだった不安が的中してしまったことへの絶望感。大切な姉を目の前で失った悲しみを抑えられずに、スフィアは人目をはばからずに声を上げて泣いた。
『スフィア、こんな形になってしまったけれど、私は何も悔いていないの』
『お姉様!?』
突然、聞こえたシェイネの声に驚くスフィア。
『私はもう元の場所へは帰れないところまで来てしまったけれど、あなたは私の希望の光。人と魔女が共存できる素晴らしい世界を作れる』
『でも、お姉様が死ぬなんて耐えられない。耐えられるはずがないわ』
『スフィアは本当に小さい頃から優しい子だった。だから、あなたに私のすべてを託すわ。私とゴルドが最後に見つけられた大切なこと。生きる意味。私は共にあり続ける。あなたの力として――』
シェイネがそう言い終えると、闇の化身は下部たちと同様に黒い煙となって、宙を舞う。まるで命でも宿っているかのように不規則に舞う黒煙は、スフィアの下へと一直線に向かう。
「スフィア様!」
ラナは驚いていたが、スフィアは驚くどころか恐怖心すらなかった。
「シェイネお姉様……」
スフィアの持った魔法杖に黒煙がまとわりつき、新たな形を成していく。それはまるで女王の魔法杖と同じような漆黒の杖。闇の化身の魔力、シェイネとゴルドの想いを凝縮して生まれ変わったスフィア専用の魔法杖<闇化身の魔法杖>。
新たな魔法杖を手にしたスフィアは、握った部分からじんわりと伝わってくる温もりを感じながら、涙を拭う。そして、ラナの手を取りグランバードの前へと歩みを進めた。
何一つ揺るぎのない真っ直ぐな目をして――。





