87話 『暗闇に浮かび上がるのは、闇の化身だった』
かつて上下関係にあった二人に、笑顔で言葉を交わし、懐かしめるような思い出なんてない。罪人を裁くことに躍起になっている男と、生き延びた後に自分を追放した聖十字騎士団に復讐することだけを考えて生きて来た男。それ以上でもそれ以下でもない。
「あれからもう一年経ちましたか、今でも魔女狩りに精を出しているようですね」
「人に仇成す存在はすべて葬り去らなければならないからな。貴様は聖十字騎士団を追放され、平穏な生活を送っているものだと思っていたが、まさか魔女と契約しているとは思いもしなかったぞ。せめて、普通に生活してくれていれば良かったが……」
部下思いのグランバードは、一年前の魔女殲滅作戦時にたった一人で敗走して、王都へと逃げ帰って来たゴルドを追放するようにしていた。それは、作戦を投げ出し逃げ帰って来たゴルドに対する罰ではなく、ゴルドを前線から離脱させ、危険が及ばないようにするためだった。
しかし、ゴルドはそうは思っていなかった。作戦を放棄したことに対する罰として追放されたのだと、憎しみと復讐心を抱き、魔女と契約を結んでしまっている。魔女狩人組合を創設した者として、グランバードは見過ごすわけにはいかない。
「ゴルド、貴様はそこにいる白銀の魔女と契約したということで良いんだな?」
最後の確認。守るべき部下だった男の命を奪わないといけないグランバードの僅かな抵抗。たとえ自分の正義を貫くためとはいえ、ゴルドもラナも大切な部下だったことに変わりはない。だが、グランバードの願いは意図も容易く崩れ去る。
「そうです。俺はここにいる白銀の魔女と契約を結びました。つまり、俺もあなたが抹殺すべき対象だということです」
「それは残念だ」
互いに覚悟は決まっている。グランバードは殺す覚悟。ゴルドは殺される覚悟。互いの力量を知っているからこその覚悟だ。
これ以上、会話をすることはない。二人は胸の前に十字剣を構え、深呼吸をした。二人の間にある張り詰めた雰囲気には、その場にいた誰もが割って入ることが出来ない。決闘に水を差すようなことは、許すはずがない。二人の表情がそう言っていた。
グランバードはラナに対して繰り出した攻撃と同様の構えをして、剣先をゴルドへ向けた。一つだけ違うのは、グランバードが放つ気迫。長年面倒を見て来た部下を殺す覚悟ゆえの圧倒的な迫力。
「闘牛眼射撃」
技を発動直後、ゴルドの持つ十字剣が小枝をへし折るようにポッキリと、刀身の真ん中から綺麗に折れ、勢いをそのままにゴルドは後方へと吹き飛ばされる。
絶対的な強者を前に、誰も抗うことが出来ない。そう思わせるには十分すぎるほどの一撃だった。
「さすがグランバード団長ですね。本当に殺す気で来てくれるなんて、光栄の至りですよ」
後方にあった逆さ十字架の立てられた祭壇へと一直線に吹き飛ばされたはずのゴルドが、無傷でシェイネの横に立っている。
「それが貴様の手に入れた魔女の力か」
グランバードは顔色一つ変えずにいるが、内心では何が起こったのかと警戒を強めていた。
「ええ、彼女の魔法属性は闇。グランバード団長の一撃は闇へと葬り去らせて頂きました」
あの瞬間、ゴルドはシェイネの特性である闇魔法の力を用いて、グランバーの一撃を闇の中へと吸収していた。だが、グランバードの放った攻撃の威力が凄まじく、衝撃だけはそのまま受けてしまっている。一度吹き飛ばされたゴルドは、シェイネの作り出した闇の通路を通じて勢いを殺し、シェイネの横に作り出された出口から現れたのだ。
「なるほど、通常の攻撃では貴様に傷ひとつ与えることができないということか。随分、大層な力を身に付けたようだな」
「ただで死ぬ訳にはいかないですからね。食らいつかせてもらいます」
武器を失ったゴルドは、シェイネの盾になるようにグランバードとの間に立つと、黒い杖を手に取った。
「本当に良いのね?」
ゴルドの覚悟の声を受け取ったシェイネは、その覚悟を確かめるように訊いた。
「俺の我儘に巻き込んで済まない」
グランバードから視線を外さず、シェイネの顔を見ずに言った言葉だったが、その横顔からは申し訳なさ以上に、腹を括った男を見た。
「フフフ、私の方こそ謝らないといけないかな。ごめんなさい」
互いに心が弱く、復讐心や憎しみを利用され踊らされていたことを自覚していたからこその謝罪。
この一年、ゴルドとシェイネは闇に囚われながらも、心を通わせ続けた日々が生み出した強固な絆。そして、同じ目的を持ったことにより、芽生えた断固たる決意をしたことによる今までにない共鳴。二人を黒く大きな魔力が包み込む。それは冷気を纏うような肌寒さではなく、体を包み込むような優しくも温かなものだった。
「シェイネお姉様――」
スフィアにも伝わってきたその温もりは、懐かしさを感じさせると同時に、言い知れぬ不安を与えた。もう二度と会うことができないのではないかと。
さすが姉妹と言うべきなのだろう。シェイネはスフィアが何かを感じ取ったのだと、すぐに気がつき、一度だけスフィアを見てにっこりと、昔から見慣れている優しい笑顔を向けた。
――やっぱりお姉様は死ぬつもりなのね。
スフィアは不思議とシェイネを失うことに対して、恐怖もなければ悲しみもなかった。決して姉に対する愛情が薄れてしまったわけではない。父親を殺され、憎しみに囚われていたシェイネが、自分の知る姉の姿へと戻っていたことに安堵していたし、一切の迷いがない凛とした表情に頼れる姉の姿を見ていた。
「シェイネお姉様! 絶対に負けないで!」
スフィアは珍しく声を張り上げた。
最後になるかも知れないエールを姉に届けるために。
それに応えるようにシェイネは、微笑みを浮かべる。
――ありがとう、スフィア。こんなお姉ちゃんだから、あなたには悲しい思いをさせてしまうけれど、後悔は何もしていないの。だって、あなたには理解してくれる心優しい契約者がいてくれる。お父様ができなかったことをあなたたちが必ず成し遂げてくれる。私は――
「ゴルド!」
「ああ、準備万端だ!」
二人は更に魔力を高め、一気に放出させる。風一つ吹かない空間に暴風が吹き荒れる。ランプの灯りは消え、辺りが漆黒の闇に包まれる。荒れ狂う風が止み、しんと静まり返ると、暗闇の中に薄っすらと紫がかった光のオーラを身に纏った人型の何かが浮遊していた。
「……なんだ、その姿は」
グランバードは今まで見たことのない異形な姿に言葉を詰まらせる。
「「心魂解放。俺の魂と私の魂を解き放つことで可能となる結魂契約を結んだ者のみに許された禁忌魔法。俺と私は互いのすべてを受け入れ一つとなった。新たな存在、【闇の化身】とでも言っておくか」」
ゴルドとシェイネの声が重なり合って聞こえる。しかし、ラナとスフィアにはその姿を捉えることができない。一方で対峙しているグランバードは、この暗闇の中でも一つの生命体となった姿をしっかりと捉えていた。
「白銀の長髪に漆黒の体か。性別すらも超越した存在になったようだな。確かに闇の化身というのに相応しいようだな」
人の形を模しているが、その姿は女性として認識できるものはなく、男性として認識できるものもなかった。
それはまるでラナたちが遭遇したような、魔王アラウンと同じ生命体。
魂だけではなく、肉体までも融合してしまった二人は二度と元の姿に戻ることはできない。互いに同じ運命を歩む真の運命共同体となった。
体から溢れ出る魔力も、今までの比ではないほどの重圧を感じさせる。その異質の強さは、グランバードの十字剣を握る手に力を入れさせた。
まるで、獰猛な獣と対峙するかのような緊張感。





