84話 『それぞれの正義~ギース・フリラの場合~』
ギース・フリラ。彼は個性的なキノコヘアーと気弱そうな見た目、くねくねとした奇妙な動き以外は特徴的なところがない冴えない男。
そんな彼には十歳年下の妹がいる。生まれた時から虚弱体質で病弱で、五歳になった今も家の外で遊んだことがない不憫な妹。自分の手で守ってあげたい年の離れた小さなか弱い妹。
そんな妹が生まれる前、王都サンクトゥスの聖地、ドラグナム城下町で聖十字騎士団の一般兵である父親と昔は花屋で働き今は専業主婦をしている母親の第一子として大切に育てられていると信じていた頃の話。
ギースは、誰にも愛されず孤独だったことを知る。
第六感。人が生まれ持っている視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感とは異なる異質の感覚。物心ついた頃から、人の目に見えない何かを見てしまっていた。
普通とは違う個性は、疎まれ忌み嫌われる。赤の他人から後ろ指をさされ、悪魔の子だと罵られ、挙句の果てには両親にまで見放されてしまった。
家の外へ出ることを許されず、友達を作ることもできない。遊び相手といえば、空想の中の友達。本当はギースにしか見えていない幽霊だったが、本当のことを言うと親に殴られる。
「お前が見ているのは、お前が勝手に作り出した幻想だ。もし何か見たとしても、絶対に口にするな」
実の親とは思えない言動に、ギースは心を閉ざしていった。
誰も信じられない。
誰も話を聞いてくれない。
孤独になってしまったギースは自分の見えているものさえも、否定するようになる。
それから、七年という歳月が流れた頃、妹が生まれた。とても小さくて可愛い妹。本当に可愛くて、第六感があることなど忘れてしまう程に可愛がった。
両親も妹ができたことでギースが普通の子供のようになったと、安心し少しずつだが会話をするようになり、外に出してくれるようにもなっていった。
「あうあ!」
「ニーナは可愛いなぁ。本当に天使みたいだ」
妹の体調が良い時は、一緒に遊ぶのがお決まりになり、家の中が明るく幸せな雰囲気に包まれていた。
しかし、そんな幸せな日々も長くは続かなかった。
ギースが十四歳の頃、妹が三歳の誕生日を迎え、盛大にお祝いをしようとしていた日のこと。珍しく激しい雷雨だった。
「うう……。うう……」
ニーナは原因不明の高熱にうなされていた。せっかくの誕生日なのに、可哀想なニーナ。両親は医者ではどうすることもできないと、王宮専属の調合術師に薬を調合してくれるようお願いをしに出掛けていて、ギースはニーナと二人きり。
息苦しそうにしているニーナを見ているのが、辛かったギースは両親が戻って来までの間、どうにかして楽にしてあげようと、水を絞った布を何度も何度も交換して、汗を掻いた体を拭いてあげ、懸命に看病をし続ける。
しかし、一時間、二時間経っても一向に両親が帰ってくる気配がなかった。
次第に衰弱していく妹を見ているしかできなくなったギースは、助けを求めようとするが、今まで悪魔の子だと言われ続けて周囲の人たちから煙たがれていたので、外に出る勇気が出ない。
どうにかして、妹を助けたい気持ちとは裏腹に足が動いてくれない。
「早く帰って来てよ。ニーナが……」
どうすることもできないギース少年は、ニーナの眠っているベッドの横で泣くことしかできなかった。丁度そのとき、ギースはニーナの体に何か不思議な気配を感じた。
「誰……なの?」
「こいつは驚いたなぁ……お前、見えているのか?」
聞いたことのない声が聞こえたかと思えば、バタバタと手足を動かし暴れ始めるニーナ。
「ニーナ! やめて、やめてよ! ニーナを殺さないで!」
なぜか分からないが、その時ギースは声の主がニーナを殺そうとしているのだと思った。
「なるほどなぁ、この娘を憑き殺すなと言いたいわけか」
声の主は、ニーナの体から抜け出るように現れるとギースの顔を覗き込む。
しかし、幽霊をはっきり見ることができるギースの目を持ってしても、その姿を捉えることができない。
ただ、そこに何かがいる、それだけは分かっていた。
「誰なの? どうして、ニーナを苦しめるの? ボクが悪い子だから、ニーナを奪おうとしているの?」
両親にずっと言われ続けていた。
「お前は悪い子だから、何も与えられない」と――。
相手が誰だろうと関係ない。悪い子だと言われても仕方ない。それでもニーナだけは失いたくない。絶対に助ける。という一心で訊いたことがニーナに憑依していた者の笑いを誘う。
「どうして奪おうとしているかだって? それはお前のせいだ」
「え?」
「いや、お前の親のせいとでも言うべきか」
「お父さんとお母さん?」
「ああ、そうさ。我が子であるお前を悪魔の子だと言っていたお前の親は、そこの妹の命と引き換えに悪魔と取引をして、ずっと邪魔に思っていたお前を殺そうとしていたのさ。つまり、お前の妹は生贄に捧げられたってわけだ」
ギースの中で大きな音を立てながら何かが崩れ去った。
両親がギースを殺そうと企んでいたことにもショックだったが、こんなに可愛く普通の子として生まれて来た妹を生贄にして、悪魔と取引をしようとしていたことが許せなかった。
「何も見たくない。何も見たくない。見たくない、見たくない、見たく……」
頭を掻きむしり、眉毛を上下に動かしながら、言うことを聞かなくなった手足に踊らされている。これまで溜め込んでいたストレスが、一気に放出されてしまったのだろう。
姿の見えない声の主は、その様子を見てお腹を抱えながら笑っていた。
「おい、お前。そんなに妹が大切なら契約を結べ。俺は悪魔じゃねぇが、魔族の端くれだ。妹を守れるくらいの力は与えられると思うぜ」
不意に持ち掛けられた提案に、ピクリと反応を示したギースの目には、はっきりとその姿が映っていた。
その出会いこそが、ギースと幽魔が初めて顔を合わせた瞬間であり、契約するきっかけとなった。誰にも見られたくない、誰も見たくないという心の底から願う気持ちが、姿を消す力を契約と同時に目覚めさせることになった。
結魂契約を結んだ後も、熱が下がらないニーナの横でじっと両親の帰りを待った。
心細かったからではない、両親に頼りたかったからじゃない。ここにいたら、自分も妹も殺されてしまうと考えたギースは、生まれて初めて暗殺を試みる。
そして、両親が帰って来た。
両親は、ギースの姿がないことにホッとした様子で、久方ぶりの笑顔を見せている。ギースが見たことのない笑顔だ。そして、ベッドに横たわるニーナを見て、無事に生きていたことを喜んで涙を流していた。愛情のこもったその涙も、ギースは見たことがなかった。
不思議とその光景を目にしても、妹のニーナには嫉妬心を抱くことはなかった。
なぜなら、その時に頭にあったのは幽魔と契約を結ぶんでから、ずっと頭の中で繰り返されている言葉のせい。
『お前の両親は、人の姿をした悪魔だ』
実際には悪魔ではない。だが、悪魔という名に取り憑かれた者であることは間違いないだろう。
ギースは、そんな悪魔の手から妹を守り抜きたい一心だった。
そして、幽魔の力を借りたギースは、実の両親の心臓を隠し持っていた包丁で、たったの一突き。大きな雨粒が木の屋根に激しく打ちつけ、大きな音を立てる雷の光は、じんわりと広がる血溜まりと、不気味に浮かび上がるギースの影を映し出していた。
その後、他殺と断定された両親は埋葬され。犯人の行方は分からぬまま、妹のニーナはドラグナム城下町にある施設へと預けられた。しかし、施設もタダではない。
病弱な妹を安全な場所で生活させるにはお金が必要だと、ギースは妹のために必死に働き、稼ぎの良い聖十字騎士団へ入団することになる。そして、幽魔と契約したことで得た力をグランバードに認められ、隠密部隊長を任されるようになった。
それからは、人間の敵は大事な妹の敵という考えになり、聖十字騎士団の優秀な団員の一人として活躍の場を広げていた。
そして今、終焉の日の次に人間の命を脅かすと言われている憎き敵、妹の命を脅かす相手である魔女と契約をしたラナと対峙する。
大切な妹を守るという、自分の正義を貫くために――。





