81話 『何かが違うと気づき始めました』
「私の最愛の人たちを弄んだ憎き者に、降り注ぐ血の制裁を……<紅血の時雨>」
紅き血の弓を引き、真っ直ぐシェイネに向けて射る。浮遊していた血の粒は一斉に飛んで行く。それはもう時雨というよりは、直線的に射る矢そのもの。確実に仕留めようという意思の表れ。
「<暗黒流星>」
黒き槍が放たれた無数の紅き矢をことごとく撃ち落とす。マリーは負けまいと血が流れる限り、紅き矢を射続ける。手数で圧倒しているはずのマリーだったが、光の速さで繰り出される黒き槍の前には無に等しい。
「くっ……」
次第に攻撃していたはずのマリーが防戦一方になっていく。
「どうしたの? あなたの憎しみはそれだけなの?」
自己再生を捨て、攻撃に特化していたマリーの体内からはおびただしい量の血が流れ出る。顔色は見るからに悪くなっていった。
――お願いだから、もうやめて!
大切な二人が血みどろの戦い繰り広げているのを見ていることしかできないスフィアは、心の中で悲痛の叫びを上げていた。当然、その叫びはラナにも聞こえている。
「いい加減にしろよ……」
十字剣を片手に前へ出るラナ。スフィアが悲しみ苦しんでいるのに、人間と魔女というだけでいがみ合い、互いを貶めるような戦いを続けている二人に嫌気がさしていた。
「ラナ!? 何をするつもりなの!?」
「俺が止めるしかないだろ」
スフィアとシェイネが父親を殺された悲しみも人間に対する憎しみも、マリーの気持ちも分からない。だが、こんなことは間違っているとラナは思っていた。
こんなとき、長剣使いの英雄エルシドはどうするだろうか。憎しみに囚われ、我を見失った相手に気づきを与えるためには何が必要なのだろうか。
――エルシド、俺に教えてくれ。誰も悲しまないような答えを導き出すための方法を。
ラナは平常心を保てなくなった三人の女の子が苦しまないように涙を流すような悲しい結末を迎えないようにするには、何をすればいいのかと考えた。
だが、ここにいないエルシドが教えてくれるはずもなく、足だけが勝手に動き、槍と矢が飛び交う中へと入って行った。
「ラナ君!?」
「な!?」
自殺行為とも思える行動は、ラナを傷つける訳にはいかないと思うマリーとスフィアだけは殺したくないと思っていたシェイネの攻撃を止める結果になった。
「あなたが死んだらスフィアまで死ぬじゃないの! 邪魔をしないでくれる?!」
せっかくやる気になったマリーと命を懸けた戦いに身を投じていたのに、飛んだ邪魔が入ったとシェイネは声を荒げた。
「そうなのです! やっと仇を見つけたのです! 邪魔をしないでほしいのです!」
マリーもようやく見つけられた憎き仇に復讐できるのにと、ラナが危険を冒してまで割り込んできたことに怒っていた。
ラナに気をとられているマリーを見たシェイネは今が好機だと、コツン。コツン。と床を二回打ち鳴らす。すると、操られていた人々が一斉にラナに掴みかかった。
「こんなことをして何の意味があるんですか!?」
その場から強制退場させられそうになりながら、懸命に抵抗してシェイネに言った。
「意味? 私が求めている者はお父様の仇を討つことだけ、それ以上それ以下でもない」
それを聞いたマリーは、奥歯を噛み締めてさらに激昂する。
「ふざけないで! あなたの復讐のために私の大切な人たちを巻き込んだことは、絶対に許さないのです!」
マリーは周辺に血だまりとなっていた大量の血をすべて浮遊させて、シェイネの頭上まで運ぶと再び、<紅血の時雨>を降り注ぐ。
すかさず、シェイネはラナを捉えていた数名を除いてマリーの攻撃の対処に向かわせる。形は多少変化したが<暗黒流星((ステルラ・トランスウォランス))>と<紅血の時雨>の撃ち合いとなってしまった。
丁度その時、ラナの耳元にある音が聴こえて来た。
ドクンッ。ドクンッ。ドクンッ。
――これってまさか、心臓の音!?
ラナを掴んで離さない男の胸元に顔を押し当てられていると、聴こえてきたのは心臓の鼓動音。力強く打ち鳴らされていたのは、紛れもなく生きていないと聴こえるはずがない。つまり、ここで操られている人たちは死んでいないということ。
武器屋に死者が現れると言われてから、ずっと死者だと思い込んでいた。恐らくマリーも同じ、だからこそ殺意を露にしているに違いない。
ラナはその事実を大声でマリーに伝える。
「マリーさん! この人たち生きています! 心臓が動いている!」
「う……そ……」
生きている。その言葉を聞いた瞬間、マリーの攻撃が止む。ただの血となった粒が緩やかに降り注ぎ、床を真っ赤に染め上げていく。鉄の匂いが辺りに漂う中、マリーを討つ隙が生じたのにもかかわらず、シェイネも攻撃をピタリと止めてしまった。
「生きている? 私が操っているこの人間たちが生きていると言うの?」
シェイネ自身、ここにいる人々がただの屍だと思いながら操っていた。闇魔法<操人形劇>は、本来であれば命なき者を操る魔法。生きている状態では、操ることができないのだ。
「ちゃんと息もしているし、心臓も動いているし、何よりも暖かい。これがもし死体なら、もっと冷たいはずだよ」
「ハッタリね。私には命あるものを操ることはできない。それに私がこの人間たちを見つけた時には、既に棺の中に入っていた。生きているはずがないでしょう?」
シェイネはゴルドと一緒に罪木の森で辿り着いた村の中で、棺が大量に並べられていたこの場所を見つけていた。しかし、中身を確認したものの人間を嫌っていたシェイネは必要以上に近づこうとはせず、その体に触れることもなかった。それに棺に入っている死体に触れることは、普通の神経では絶対にしない。
棺の中にいる時点で死者だと断定するのが自然だ。シェイネもラナたちと同様に、ずっとそう思っていた。
そういった経緯もあり、シェイネはラナの言葉が信じられなかった。
「嘘だと思うなら、自分で触れて確かめると良い」
「絶対に嫌!」
シェイネは拒否した。人間と話をしているだけでも嫌なのに、触れることなどできるはずもない。
「どういうことなのです……? 誰も死んでいないのです?」
マリーは貧血状態になりながら、涙目でラナの下へゆっくりと歩み寄る。
「このおっさんからは心臓の音が聴こえるし、他に俺を掴んでいる人からも体温を感じるから、全員生きていると思う」
二十数名の村人たちが全員生きている。とても喜ばしいことだが、全員死んでいると思っていたマリーが抱いていた復讐心は、もうシェイネに向くことはない。つまり、シェイネが望んでいたシナリオ通りにはならない。
「生きているからどうしたの!? 今は私の駒として利用しているの。だから、私が憎いでしょう? 殺したいって思うでしょう?」
どうしてもマリーと戦いたいと、遠回しに訴えるように挑発してくるが、村の住人が生きていると知った時点で、マリーに戦う意思はない。
「みんなが生きているなら、私にあなたと戦う理由はないのです。その代わり、私が大人しく殺されたら村の皆とスフィアちゃんたちは、解放してあげて欲しいのです」
戦意喪失したマリーは、紅き眼の妖精を解除し、自己再生で傷を治癒させ止血していた。大量の血を使ったせいで、立っているのもやっとの状態だ。この調子では戦うことはおろか、逃げ出すこともできない。シェイネに殺されることを受け入れたマリーの目には、無事に生きていた村の住人たちの姿が映っていた。
「シェイネお姉様……。ちょっと訊きたいことがあるわ」
スフィアは、一時的に戦いが止まったことで、冷静に考える時間を与えられた。そして、これまでの会話の中で多くの疑問と不思議な点が多いことに気づき、ある真実に近づこうとしていた。





