79話 『漆黒の流れ星が降り注ぎました』
誰よりも小さい体のスフィアが、より小さく見える。
か細く弱々しい後ろ姿を見て、マリーはある決断をしようとしていた。
「お願いです。私は何でもしますから、マリーと戦うことだけはしないで……」
「大丈夫なのです。スフィアちゃん……」
マリーは息苦しそうにしているスフィアの肩にそっと手を添えた。
「マリー?」
今にも泣き出しそうな顔をして、マリーの顔を見上げるスフィア。
「シェイネさん。私は大切なお友達のお姉さんと戦いたくないのです。もし私がシェイネさんと戦えば、スフィアちゃんが悲しむ。どちらが死んだとしても……。だから私は戦わないのです」
死を覚悟の上だった。マリーには大切な家族はもういない。それなら、大切な友達の家族を守ってあげたい。そう考えての発言だった。
「可笑しなことを言うのね。あなたが戦わなければ、この魔法で吸血妖精もろとも死ぬのよ?」
「それでもいい。私はシェイネさんとは戦わないのです」
揺るぎのない決意に、一瞬シェイネはたじろぐ。
人間のくせに魔女であるスフィアのために命を捨てると言うのだ。シェイネの考えていた人間のイメージとは遠く及ばない。父親の思い描いていた人間と魔族が共存する世界がそこにはあった。
「嘘よ。綺麗ごとを言ったところで人間は人間。自分の命以外に大切な物なんてあるはずがない」
絶対に認めたくない。人間は父親の仇。絶対に許せないし、理解し合えることはない。シェイネはマリーのすべてを否定したかった。
「その箱が私たちの命を奪ったら、私のような人間もいると考えを改めてほしいのです。そしてスフィアちゃんの力になってほしいのです」
「戯言を……。どうせあなたは、そう言って私を油断させて攻撃する隙を狙っているのでしょう?」
いつの間にか笑顔は消え、動揺が見え隠れするシェイネ。
「それなら、私もアルちゃんと同じように閉じ込めて欲しいのです。そうすれば、私はシェイネさんに手も足も出せないのです」
マリーの言葉に驚愕した。シェイネの知っている人間とはまるで違う思考の持ち主だったからだ。ゴルドと契約を結んだとき、シェイネに流れ込んできた思考はすべて自分中心の考えばかりで、相手を思いやったりするような考えを一度も感じたことがない。
このままでは、復讐心どころか人間に対する憎しみまで揺らいでしまうと焦ったシェイネは、コツン。コツン。コツン。と三回床を打ち鳴らした。
「それだとお遊びにならないから、もっと面白い方法であなたを殺すことにしましょう」
床を打ち鳴らしたのを合図に、そこら中に並べられていた棺の蓋が次々に開かれ、中から大勢の人が這い出してきた。
「何をするつもりなのです?」
「汚らわしい人間を殺すなら、同じ人間を使って殺した方が良いでしょう? だから、私が集めた人形たちと楽しく遊びながら死になさい」
棺に入っていた人たちの荒々しい息遣いが周囲を埋め尽くしていく。
「これって、操人形劇!?」
「さすがスフィアね。この魔法でよく遊んだから覚えていてくれたのかしら?」
スフィアが幼い時の遊びと言えば、物体の影を操って物を動かす<闇魔法操人形劇>を使った人形遊び。当時は小さな人形を二体ほど操るくらいの力しかなく、大人一人の大きさと重さがあるものは操ることができなかった。
しかし、今動いている人たちの数は二十人以上。闇魔法が強力になっていることは確かだ。
――この人数相手は不味いだろ……。
シェイネに一言釘を刺されてから、沈黙を守っていたラナだったが、悪化し続ける状況に焦りを感じていた。
『聞こえる?』
時を同じくして、何か手を打たなければ取り返しのつかないことになると感じたスフィアがラナにリンクで話し掛ける。
『うん。これって結構不味い展開ですよね?』
『もうシェイネお姉様は私の知っているお姉様じゃないわ。魔法も以前とは桁違いに協力になっているから、何をしてくるのか私にも予想できないわ。あの相手を隔離できる箱の魔法も見たことがないし、時間もない……』
『手詰まりってことじゃないですか!?』
『はっきり言うと、手詰まりよ』
二人で話せば何か打開策が見つかると思ったが、ここは二人にとってアウェイ。すべてはシェイネの出方次第で決まってしまう。ギースを欺き同行させるために、何度も口に出していた最善策を喉から手が出るほど欲していた。しかし、ここでどう足掻いたとしても一発逆転の糸口はない。
コツン。コツン。コツン。二人が頭を悩ませていると、シェイネは一定のリズムで床を打ち鳴らす。
靄が掛かったように顔が判別できない人々が、シェイネに向けて手をかざした。
すると、ゴルドは腕に抱えていた黒色の魔法杖を人々に向けて投げ渡した。人間には魔法を使うことができない。使うことができても、それは魔女と契約をしているラナやゴルドのような人間だけだ。
――まさか、魔法杖を使ってマリーさんを袋叩きにするつもりじゃないだろうな。
かなり原始的ではあるが、人間に対する憎悪の大きさを考えると徹底的に痛めつけて、いたぶり殺すことも容易に考えられる。
『ラナ、防御魔法を使うわよ』
『了解!』
打撃による攻撃であれば、接近戦に特化した男との戦いでラナは経験済み。打撃系に対する防御魔法と言えば、<神雷城壁>しかない。ラナはスフィアを後ろから抱きかかえるようにして、魔法杖を握りしめた。
『君が今考えている防御魔法じゃないわよ』
『え!? でも、打撃系の攻撃なら<神雷城壁>の方が良いですよね?』
『根本的に間違っているわ。今なら君にも見えるはずよ』
『見える?』
ラナはスフィアに言われて、辺りを取り囲んでいる人々を見た。すると、人々が手に持っている魔法杖に紫色の靄が揺らめいているのが見えた。
『あれって魔力が……』
『そうよ。あの人たちが持っている魔法杖には、シェイネお姉様の魔力が込められているわ。多分、あの人たちは魔法を発動するための中継役だと思う』
『結局、魔法攻撃主体で攻撃してくるってことですね』
『そういうこと。だから、魔法耐性のある防御魔法を使うわ』
『よし、魔法耐性の防御魔法ですね!』
ラナの脳裏に一つの魔法が浮かんでくる。雪山での戦いの時とは違い、その魔法は鮮明に浮かんでいる。もうスフィアと発動する魔法を間違えることはないだろう。ラナとスフィアは互いに集中力を高め、魔力を増幅させていく。
「悪い子ね、スフィア。そんなあからさまに魔法を放とうとしているのを見過ごすと思っているの?」
じっとしていたラナが急に動き出して、スフィアと密着して魔法杖を握った時点で、魔法を使おうとしていることは目に見えて分かる。気づかない方がおかしい。
「スフィア様!」
「やるわよ!」
阿吽の呼吸。二人は一瞬違わず声を合わせて詠唱を始める。
「「万物を超越する力を支配する魔の神よ、我に魔を支配する力を授けたまえ――」」
ラナとスフィアが詠唱を始めると同時に、シェイネもゴルドと詠唱を始めていた。
「「漆黒に輝く常闇の星々よ、我が身を伝い流星の如く降り注げ――」」
同時に詠唱を終えると、魔法を発動する。
「「<魔神城壁>!」」
「「<暗黒流星>」」
シェイネの魔法杖の先端が黒く光ると、それに同調してニ十本以上の魔法杖の先端も黒く輝く。その黒く禍々しい光は流れ星の如き早さで、鋭い槍となってマリーに降り注ぐ。四方八方からのそれにマリーは成す術がない。
しかし、殺される覚悟をしていたマリーは目を閉じて、一歩たりとも動こうとはしなかった。
そして、ズガガガガ。と、一枚の頑丈な鋼鉄の盾を大勢の槍使いたちが貫かんとして乱打するような激しい音が響き渡る。





