78話 『スフィア様が究極の選択を迫られました』
復讐に囚われたシェイネを見て、スフィアは本当に悲しくなった。
シェイネの目には、父親が殺される以前に見せていた優しい輝きはない。スフィアを見ているようで見ていない。シェイネに見えているのは愛する父親の死という事実と、父親の命を奪ったのが人間という事実。この二つの事実だけだった。
「シェイネお姉様は、本当にお父様の遺志をお忘れになったのですか?」
人と魔族が仲良く共存していく世界になることを望んでいた父親の遺志。セーラム家のみならず、魔女の一族全員が知っている。たとえ憎むべき相手だったとしても、その遺志を無視するということは、父親の想いを無下にすることになる。
少しでもシェイネの心に、父親への愛や優しい姉だった頃の気持ちがまだ残っているなら、きっと考え直してくれる。聞かずとも伝わってくるシェイネの考えている計画に、不穏な空気を感じながらスフィアは訊いた。
「お父様の遺志を踏みにじったのは人間。その人間と仲良くできる方がおかしいの。スフィア、私はあなたがそこにいる人間に対して好意を抱いていることが納得できない。あの武器屋であなたの魔力を見た時に、私と一緒に人間を滅ぼしてくれると思ったから、ここまでゴルドを使って案内させたというのに、裏切られた気分よ」
シェイネは、ゴルドを武器屋へ向かわせた時、ゴルドの目を通して奥の部屋に潜んでいたスフィアの魔力を見ていた。セーラム家であり、父親を殺された娘同士、協力し合えると思っていたシェイネは自分の下へと招き入れ、人間を殲滅するために協力してもらおうとしていたのだ。
「どうしても人間を根絶やしにしようというの?」
「当たり前でしょう。私は今までそのためだけに行動してきたの。ただ勘違いしないで、私は人間を恨んでいるのであって、スフィアのことは大切に思っているし、愛する妹だと思っている」
「だったら――」
「でも、協力してくれないというのなら話は別よ。私の邪魔をするというのなら、愛する家族だったとしても生かしては置けない」
シェイネはそう言うと、黒色の魔法杖をスフィアに向けた。
「シェイネお姉様……」
もう元のシェイネには戻ってくれないのだと、悲しみに暮れるスフィアはゆっくりと魔法杖を構え、体を震わせながら握りしめた。
「それで良いのよ。あなたも私も女王の魔法杖を探し出して、女王の座を奪い合う身、いずれは命を懸けて魔法を交えなければならないのだからね。それに、私が準備していたものを試してみたいとも思っていたから、ちょうどいい機会だと思うし」
そう言ったシェイネは、ゴルドに何か耳打ちすると、ゴルドはシェイネを置いて奥の方へと下がっていった。
「何をするつもりなの?」
「昔みたいに私と一緒に遊びましょう。多分、これが最後になるでしょうから」
「昔みたいに遊ぶ……」
――どうしてなの? シェイネお姉様……。
スフィアは視線を落として、昔のことを思い出していた。
まだスフィアが上手く魔法を使いこなせないくらい幼いときのこと。一年早く生まれたシェイネは自分の魔法属性を知り、それに応じた魔法をいくつか習得していた。
その魔法の属性は“闇”。
闇というと暗く良くないイメージなのだが、魔法というものに善も悪もない。魔女に生まれたとしても、魔法を発動できるようになるのは清らかな心を持ち、相手を慈しみ思いやることのできる心の持ち主だけ。生まれ持って悪の心を持っている者は決して魔法に目覚めることはない。
一般的に心が成長し、善と悪の分別がしっかりでき、魔法に目覚めるのが十三歳。
誰よりも優しい心を持っていたシェイネが魔法に目覚めたのは、四歳の頃と魔女の歴史上、最年少での魔法の目覚めだった。
そんな姉を物心ついたときから慕っていたスフィアは、毎日のようにシェイネと一緒に遊んでいた。幼少期を思い出せば、必ずといって良いほどシェイネがいる。
大好きなシェイネに魔法杖を向けているスフィアの目に涙が浮かぶ。涙で滲んだ瞳にいつもとは違う不気味な笑顔を見せるシェイネが歪んで映る。
「あら、あら。私と久入りに遊べるのがそんなに嬉しいの?」
「……悲しいに決まっているでしょう」
溢れ出る涙を拭うと、凛とした表情で昔のシェイネではなく、今のシェイネと向かい合う覚悟を決めた。
「スフィアは姉想いの優しい子ね。あなたの優しい心を弄んでいる人間から救ってあげるから、そこでじっとしていて。あなたの契約者にも駒として働いてもらおうかしら」
シェイネは、まだ家族を大事に思っている。しかし、人間への憎しみと家族への愛情は別だと言っているのが、その一言で理解できた。
――絶対に考えを改めさせるわ……。
何が何でもシェイネを復讐の道から救い出す。そう心に誓った時、奥の方から大量の黒色の魔法杖を抱えたゴルドが戻って来た。
「黒色の魔法杖!? そんなにたくさん持って来て何をするつもりなのですか?」
「何って、私の考えた計画の予行演習よ。まだ、こんなに多く操ったことがないから、上手くいくか分からないの。だから、練習相手になってもらおうかしら?」
シェイネは黙って話を聞いていたマリーに魔法杖の先端を向けた。
「待ってください、シェイネお姉様! 練習相手というのなら私がお相手します」
人間に対して異常なまでの敵意を向けているシェイネの殺気は、今まで相手にしてきた相手とは桁違い。確実にマリーの息の根を止めに来るのは必至。少しでも家族を思う心が残っていると判断したスフィアは、自分が相手をすれば誰も死なずに済むのではと考えていた。
だが、目の前にいるのは同じ血の通った姉。いつも冷静沈着で最善の策を考えられるスフィアだったが、今回ばかりは冷静ではいられなかった。
「わがままを言ってはダメよ。私はあなたの姉なのだから、私の言うことは絶対なの。それに、その女には私の相手をしなければならない理由があるわ」
シェイネはそう言い終えると、杖で床をコツン。コツン。と二度打ち鳴らした。
すると、床の下から藍色の四角い箱が現れ、薄っすらと透過して中に入っているものが見えた。
「アルちゃん!?」
真っ赤な体の吸血妖精がそこにいた。マリーは色々と頭を悩ませていたことで、吸血妖精からのリンクが途絶えていたことに気づいていなかった。
「やっぱりあなたが契約している吸血妖精みたいね。噂には聞いていたけど、まさか実在するとは思ってもみなかった。でも、私の魔法の前では無力も同然ね。この箱の中では、別空間へ移動することは不可能。つまり、逃げることはできないの。私を殺して魔法を強制的に解除しない限りね」
ラナたちがゴルドを尾行していたこと、ラナと契約していたのがスフィアということ、そして吸血妖精を使ってゴルドを追わせていたことも、すべて気づかれていた。
「アルちゃんを放すのです!」
「あら? 今私が言ったことが聞こえていなかったの? 私を殺さないと解放できない。あなたは私と戦う以外に道はないの」
「嫌なのです。私はあなたとは戦いたくないのです」
「それは残念ね」
コツン。コツン。と再び床を打ち鳴らすと、藍色の箱が少しずつ縮小し始めた。
「何をしているのです!?」
「十五分。今から十五分以内に私を殺さなければ、この箱が吸血妖精を押し潰す。そうすれば、契約者であるあなたは死ぬ」
「そんな……」
後手に回っている。吸血妖精を人質に取られ、スフィアも実の姉とは本気で戦うことはできない。ラナが死ねばスフィアも死ぬと分かっている以上、シェイネはラナに対して死の危険が及ぶような攻撃は仕掛けてこない。つまり、ここでのラナは無能でしかない。
「やめてください! 私がシェイネお姉様に協力しますから、その代わりに吸血妖精を開放して」
「もう遅いの。この魔法は術者が死ぬか、対象者が死なない限り止めることができない進行型の魔法なの」
「本気……なの?」
スフィアは完全に戦意を喪失、何も考えられなくなってしまった。シェイネも大事だが、初めてできた信頼できる友達のマリーも同じくらいに大事。シェイネの言うことが真実であれば、どちらか一方が必ず死ぬことになる。
――どうしたら、私はどうしたら良いの……。
姉の命か、それとも友達の命か。スフィアは究極の選択を迫られていた。





