76話 『乙女の怒りをかった者が強制退場させられました』
男を追って三人が侵入したのは薄暗い小屋。中には腐敗した野菜や果物が壁に沿って積み上げられ、鼻を摘ままなければ気を失ってしまいそうなほどの異臭を漂わせていた。
小屋の中央には、地下へと続く階段があった。
「ここを下りて行ったのです」
「よし! 気合入れていきましょう!」
気合を入れ直したのには訳があった。今から下りようとしている階段には、人間か動物か変別できない骨が散乱している。頭蓋骨の一つでもあれば、それなりの覚悟を持ってい行くことができるのだが、これでは食い散らかしたものなのか、侵入者に対するトラップが仕掛けられているのか、容易に判断することができない。
――行くぞ……。
ここは男が先陣を切って行かなければと、ラナは階段に一歩足を踏み出す。
「ひいいっ……」
ラナは階段を一段下りたところで立ち止まり、情けない声を出した。
「どうしたのです?」
そう問い掛けたマリーの方へゆっくりと振り返るラナ。その顔からは血の気が引いて、おびただしい量の冷や汗を流している。
「な、何かいる」
赤ん坊の寝姿のように体を丸めながら怯えるラナは、縮こまった体で震えながら階段の方を指さした。
すると、暗がりからニタニタと笑みを浮かべる恐ろしい顔が現れた。
「何者なのです!?」
マリーはその顔に恐れるどころか、怯えるラナを守ろうと勇ましく十字剣を構えて立ちはだかっている。
「ボクだよ、ボク。先に行くって言っただろう?」
恐ろしい顔の正体は姿を消して先に進んでいたギースだった。
「ギース先輩……?」
ラナは暗がりから姿を現したギースを見ると、一気に全身の力が抜けてしまった。
「いやぁ、期待以上に驚いてくれて、逆にビックリしたよ」
階段を下りて来るところを見ていたギースは、ラナを驚かせようとニタニタしながら待ち構えていたらしく、思いのほか上手くいったとご満悦で、かなり悪い顔をしている。
「趣味が悪すぎるのです」
ただでさえ、生理的に受け付けないギースの行いは、困惑気味な心境で頑張ろうとしているマリーにとって、最悪なタイミングでのおふざけ。ギースは愛しのマリーを振り向かせる可能性を完全に失ってしまった。
そんなことになっているとは微塵にも思っていないギースは、
「まさか、そんなに驚くとは思わなかったからさぁ。でも、そんな怯えている状態で急襲にあったらどうする? また模擬戦の二の舞で何も出来ないまま、やられちゃうと思うけどなぁ」
と、ラナよりも自分が優れているのだとアピールをした。当然ながら、マリーがギースに対して好印象を抱くことはなく、この世で一番大嫌いな男という二度と覆すことができない位置づけになった。
「本当に最低。もう一緒に行動したくないのです」
「だよねぇ。女の子に守ってもらうなんて最低だよねぇ。ボクがマリーちゃんのことを守ってあげるからさ」
自分のことだとは思っていないギースは、呆気に取られて動けずにいたラナを嘲笑う。
「あなたのことを言っているのです。ギースさん」
「でしょ、でしょ! ……ってボク!? ボクは誰よりも先に下に行って安全を確認して来たんだよ?!」
予想外だった。まさか自分が責められているとは、これっぽっちも考えていなかった。
本気で軽蔑しているマリーの目を見たギースは、自分は間違っていないと必死こいて自己弁護するが、時すでに遅し。マリーの気持ちは変わらなかった。
「もう聞きたくない、私はラナ君と一緒に男を追うのです」
あのドジでほんわかした雰囲気のマリーとは思えないほどの鋭い眼光が、ギースのすべてを釘付けにした。
マリーはラナに手を差し伸べ立ち上がらせると、ギースの方に視線を送ることなく階段を下りて行く。
――ボクは何も悪いことしてない。ボクは自分の仕事をしているだけ……。ボクは悪くない、悪くない、悪くない、悪くない。
拒絶されたことに納得することができないギース。心に渦巻くどす黒いものが少しずつ侵食し始める。
「絶対にボクのものにしてみせるよ。マリーちゃん……」
気づけばギースの頭の中はマリーに好かれることで一杯になり、自然と足がマリーたちとは逆方向へと向いていた。必ず自分のことを認めさせる方法を実行するために――。
別行動をとることになったラナとマリー、そしてスフィアは男がいる場所へ着実に近づいている。
『気をつけた方が良いかも知れないわ』
階段を下った先にいる男と何が待ち受けているだろうかという不安からスフィアは言ったが、姿が見えなくなったギースについても警戒していた。
『確かに気をつけた方が良さそうですね』
ラナの手を引くマリーの向こう側に、暗闇の中に揺らめく黒色の靄が覆っているのが見えた。それは男を覆っていた靄よりも濃く、重量感があるものだった。魔法の強力さが見て取れる。
『このままだと危険ね』
スフィアはそう言うと化猫変換を解いた。
「スフィア様!?」
「大丈夫よ。多分、ギースは近くにいないから……。それよりも、この先にいるのが私の思っている相手だとしたら、いつでも魔法を使えるようにしておかないと一瞬で取り込まれるわ」
「スフィアちゃん、誰か見当がついているのです?」
ギースが近くにいないと分かったマリーは、冷静さを取り戻していた。
「ええ、あまり考えたくはなかったのだけれど、これだけ近くで魔力の流れを見せられたら、もう認めるしかないわ」
三人が階段を下り切ると、かなり広い空間に出た。すると壁に取り付けられたランプの灯りが、三人を出迎えるように次々と点灯していく。
「ここは……」
三人は目を疑った。その空間には、真っ黒な棺が数十個並べられている。
不気味という以外に言い表すことができない光景に絶句した。
「棺って、やっぱりあの男は死者だったっていうことなのか?」
「それは私にも分からないわ。ギースも危険を承知の上でついて来ていたことを考えると、第六感で見えていなかったことに嘘はないと思う」
「だったら、この棺は……」
「あらあら、珍しいお客様が来たじゃないの」
ラナたちが棺を見てたじろいでいると、優しく落ち着いた雰囲気で女性の声が聞こえてきた。
「誰だ!?」
ラナは咄嗟に腰に携えていた十字剣を構える。
「そんな物騒な物を構えないでくれる? ……あら? あなたの左胸、白く光って見えるけど、まさかあなたがスフィアと契約したの?」
声の主はスフィアのことを知っている。スフィア自身も誰が相手なのか見当がついている様子だった。ラナはようやく相手が何者なのか分かった。
――やっぱり黒幕は魔女……だったのか?
「あはは! スフィアも使い勝手が良さそうな駒を手に入れたみたいで安心したわ」
小気味よく笑った声の主は、ラナたちが追っていた男を引き連れて来た。
スフィアと同じ白銀の髪。胸の位置まで伸びた髪は、ふんわりと緩いウェーブが掛かっていて前髪は眉にかかる程度で綺麗に整えられている。表情も穏やかで声の印象通りに優しい雰囲気。目の色は澄んだ緑色をしている。見た目からラナたちと同じくらいの年齢か、少し年上のように見える。
手に持っているのは、黒味の強い焦げ茶色の杖。あれは少し前に武器屋の店主が男に手渡した黒色の魔法杖。どうやら、黒色の魔法杖を持って来るように指示を出していたのは、彼女のようだ。
「あんた何者だ? 何の目的があって、黒色の魔法杖を探している?」
「黙りなさい。スフィアの駒であるあなたに用はないの。ただでさえ、非力で下等な人間と会話をすることさえ嫌だというのに」
デジャブだ。優しい顔をして言うことはスフィアと同じで結構きつい。
どうやら人間が魔女を忌み嫌っているように、魔女も人間を蔑みよい印象を抱いていないようだ。
「ここは私に任せてくれるかしら」
スフィアはいつになく真剣な表情をしている。ここは任せた方が良いとラナは頷きスフィアに委ねた。
「やっと話ができるね、スフィア」
どこの誰とも知れぬ魔女が、にっこりと微笑みかける。
それに対して、スフィアは笑みを浮かべることなく軽く会釈をして言葉を返す。
「……お久しぶりです。シェイネお姉様……」





