75話 『暗闇に火の灯りが揺らめいていました』
マリーの脳内に吸血妖精が見ている光景が、目の前で起こっているかのように映し出される。
後ろを振り向かず、まっすぐ前を向いて進み続ける男の姿と不気味な静けさと、すべてを飲み込んでしまいそうな暗闇が広がっていた。
「このまま真っ直ぐ進み続ければ、男が向かっている先に辿り着けるのです」
二人の後ろをついて歩くマリーは、逐一状況を伝えながら道案内をした。
罪人の死体の山が築き上げられた場所。あの世に一番近いであろう死への入り口。そして、死者と思われる者から武器屋の人たちを助けるために絶対に回避してはならない敵地。
ラナたちは覚悟があるうちに、恐怖が渦巻く罪木の森へと足を踏み入れる。
直接目にする罪木の森は、ラナの身長の三倍以上はあろうかという鋭く尖った木が夜空に散りばめられた星々を貫かんと垂直に伸びていた。
奥へ進めば進むほどに、月明かりは照らしてくれなくなった。あまりの暗さに目を開けているのか、閉じているのか。まっすぐ進んでいるのか、それとも止まっているのか。五感のすべてがうまく機能しない。
「みんないる?」
少し不安になったラナは小声で訊く。
「ちゃんといるのです」
「ボクもいるよ」
「良かった」
二人の返事を聞いてラナは安堵した。
「こうも暗いと本当に真っ直ぐ進んでいるのか分からないな。それに右も左も分からない状態で木の一本すら当たらないって、どういうことだ?」
ギースの言う通り、あれだけ密集して生えていた木に当たらずに進み続けていられるのは、あまりにも不自然だった。
「も、もしかして俺たちが男の後をつけて侵入したのに気づかれたとか?」
「確かに気づかれているかも知れないのです。でもアルちゃんは、男を見失わないようにかなり接近はしているけど、姿は見えないように別空間から追跡をしているのです。私たちも気づかれない程度の距離を保っているから、男に気づかれているとも考えにくいのです」
この暗闇で相手の姿が目視できていないということは、男からもラナたちを目視できないということ。三人の中でも、男がこちらに気づいているとは考えにくかった。しかし、スフィアだけは一つの可能性に行きついていた。
『もしかしたら、本当に気づかれているかも知れないわ』
スフィアは一刻を争うかもしれないと、すぐさまラナに言った。
『気づかれているって、あの男にですか?』
『今はまだ憶測だけど、私が化猫変換で微量に魔力が漏れ出ているわ。恐らくそれを見て気づいたかもしれないわ』
『俺が見た邪悪なオーラっぽいのを見られているってことですか!?』
『魔力よ。恐らく、私の魔力は光属性と雷属性の複合型の属性だから、白く発光しているように見えるかもしれないわ』
魔力を持つ者は魔力の流れを見ることができる。それは魔法の強さによって見え方は異なる。天を駆ける雷のような激しい光のときもあれば、薄っすらとぼやけている時もある。
『発光しているように……って、まさか今も見られているってこと?!』
『目視する以外に方法はないから、そうなるわね』
しかし、魔力を常時認識できるという訳ではない。相手を目視している状態で魔力を見ようとしている時でなければ判別することはできない。ラナは武器屋で男を見た時に黒い靄が見えたのは、どういう人物なのか知りたいという思いも相まったことが原因だった。
『どうするんですか?! 何か仕掛けて来るかもしれないですよ!?』
ラナが慌てるのも無理はない。姿の見えない捕食者にいつ襲い掛かれても不思議ではない状況で、何も見えない暗闇の中を無防備に歩き続けるしかないのだ。
命の危険に曝されているなら、時間の錯覚を発動することができるかもしれない。一瞬、そう考えたが避ける対象が見えなければ反撃することはできない。
そんなラナとは対照的にスフィアは冷静だった。
『大丈夫よ。今回は姿が見えないだけで、相手が魔法を使っているなら私の専売特許よ。いざとなれば、私が対処するわ』
スフィアが対処をする。それはすなわちスフィアが白銀の猫の姿から魔女の姿へと戻るということを意味していた。
『それは不味い気が……』
『ここで死ぬよりはいいと思うけど』
『はぁ……。とりあえず今はあの男の後を追うしかないってことか』
『そうよ。だから取り乱さず、相手が私たちに気づいているということを悟られないようにすることが、君にできる最善のことよ』
『……了解』
不安。恐怖。不安。恐怖。この二つが交互に心を襲う。暗闇のせいなのか。それとも姿が見えない捕食者の存在のせいなのか。ラナは知っている。
自分が死ぬかもしれないという恐怖。
スフィアが魔女だと知られてしまうのではないかという不安。
自分以外の三人が殺されてしまうのではないかという不安。
拭いきれない不安と恐怖は、精神的にラナを追い込み、必要以上に体力を消耗させていった。マリーとギースもそれぞれに不安と恐怖を抱いていたこともあり、沈黙のまま先の見えぬ道を進み続けていた。
「蝋燭の火?」
マリーは男の行く先に無数の蝋燭の火が揺らめいているのが見えた。
「どこですか?」
「もうすぐ、見えてくると思うのです」
少し進むと、暗闇の中にポツポツと暖かな火が見えて来た。
「灯りだ……」
「ふぅ……」
精神的に追い詰められていた三人は優しい蝋燭の火に、ほんの僅かだが心が安らいだ。そして、すぐに疑問となる。
「でも、なんでここに蝋燭が?」
罪木の森に灯りは存在しない。
罪人に光を与えるほど、この世界は甘くはないのだ。それなのに何故ここに蝋燭の火が存在しているのか。進めば進むほどに増えていく蝋燭の火。一日二日で灯せるような数ではなかった。
「どうやら死者は頭が良いみたいだ。まさか罪木の森に拠点を築くとは盲点だったよ」
蝋燭の火で浮かび上がるのは、拠点というよりも古びた民家が点々と建っているだけの小さな村のような場所だった。
――やっぱり似ているのです……。
吸血妖精を通して見ていた光景だったが、自分の目でこの場所を確認したマリーはある場所に似ていることに気づく。
「マリーさん、あの男ってどこへ行きました?」
「…………」
ラナの問い掛けにマリーからの返事はない。
「マリーさん? どうかしたんですか?」
ラナはマリーの顔の前で手を振った。
「あ、ラナ君、どうしたのです?」
「あの男が何処に行ったのかなって」
「そうだったのです! ごめんなさいなのです。敵地で考えごとしちゃうなんて、気合が足りていない証拠なのです!」
マリーは目の前のことに集中していなかった自分を戒め、気合を入れ直すために両手でパンッ! と、頬を打ち鳴らした。
「ま、マリーさん!?」
「もう、大丈夫なのです! 男が向かったのはこの先なのです」
あまりにも似ている場所を知っていたマリーは少し戸惑いながらも、普通であればここに存在するはずがないと考えを改め、男の追跡に専念することにした。
「しっかし、罪木の森に拠点を置くとはよく考えたよな」
「確かに、あんな恐ろしいところを通ってまでこんなところに来たくないですよね」
「罪人の死に場所なんて、誰も好き好んで行こうとは思わないからな。さっさと解決して帰ろう」
一秒でも早く罪木の森から出て行きたいと、先導するマリーの後について進んで行く。蝋燭の灯りに浮かぶ小さな村の中を進んでいると、廃墟とまではいかないが、かなりボロボロになった民家が嫌でも目に入る。だが、人の気配はない。誰かが生活している様子もない。
「ここの中に男が入って行ったのです……」
「よし、ここはボクが姿を消して先に入る。二人はその後に続いてくれ」
ギースはカッコいいところを見せるチャンスだと張り切って先陣を切った。
「マリーさん行こう!」
「はいなのです」
マリーは建物の中に入る直前、一度立ち止まって辺りを見渡し、建物を見上げた。
――この建物……。やっぱり私はこの場所を知っているのです。でも、なんでここに?
ここにあるはずのない見覚えのある建物が立ち並ぶ懐かしい場所に、マリーは困惑した。
一年前の満月の夜、家族を失い、一人で生き残ってしまったマリーの思い出したくない悲しい過去と幸せだった家族との思い出がたくさん詰まった故郷、ルビニ村がここにはあった。





