74話 『死者を追うには死の覚悟が必要でした』
「い、いらっしゃいませ!」
店主はビクビクと怯えながらも、精一杯声を張って死者と思われる男を招き入れた。男はゆっくりと店内に入ると、一歩、二歩と店主の下へ近づいてくる。ラナたちも気づかれないように、息を殺して様子を覗う。
「黒色の魔法杖……」
男は一言だけそう言った。どうやら、死者で間違いないようだ。
「く、黒色の魔法杖ですね……。当店にある魔法杖はこれしかございませんが、これでよろしいでしょうか?」
店主の差し出した黒色の魔法杖を受け取った男は、特に確認するわけでもなく、そのまま店を出て行ってしまった。
『アルちゃん! 今出て行った人の後を追ってほしいのです!』
『かしこ~』
外に待機させていた吸血妖精にマリーはリンクを使って指示を出した。
「ラナ君、私たちも追いかけるのです!」
「よし!」
腰を抜かして動けなくなってしまった店主を残し、ラナたちは男に気づかれないように吸血妖精を先に行かせて後を追わせ、その後ろをゆっくりとついて行く。
男は黒色の魔法杖を大事そうに抱えながら、西の方角へと向かっていた。
「あの男、少しおかしくなかったですか? 何か変な黒い靄に包まれていたような」
ラナの目に映った男は、辛うじて大人の男性だと分かるくらいで、体全体が黒い靄に包まれているようだった。
「確かにおかしいね。あの男が本当に死者ならボクの目には霊体だけが見えるはず、だけどボクには何も見えなかったよ」
「それってどういう……」
「幽霊は憑依していないし、死者として動いている訳ではないみたいだね。つまり、あれはボクの第六感では感知も認識もできない。マリーちゃんにも、見えていないはずだよ」
マリーの方を見ると「何も見えていないのです」と、首を横に振っていた。どうやら黒い靄はラナにしか見えていなかったようだ。
――俺にしか見えなかったって、どういうことだ?
不思議に思ったラナはスフィアに問い掛ける。
『スフィア様、これって何が起こっているんですか?』
『君も予想はできていたはずよ』
『それって……』
『魔女よ。黒い靄が見えたのは恐らく、相手が発動している魔法の特性が反映されているのかもしれないわ』
また一つ、スフィアとラナの魂の繋がりが強くなっていた。魔力の流れを見ることができるのは、魔女であるスフィアか魔女と契約した者だけ。
謎に熟練度というものを上げなければならないラナたちにとって、スフィアと同じようなことができることは、さらなる進歩を遂げたと言っても良いだろう。相変わらず、何をきっかけに熟練度が上がっているのかは、二人はよく分かっていない。
『これって言った方が良いですか?』
『今伝えても、無駄な混乱を招くだけで私たちの立場も危うくなるわ。もしかしたら、魔法を使える別の種族っていうことも想定できるから、今は上手く誤魔化なさい』
上手く誤魔化せるほどの器用さを持ち合わせていないラナには、かなり難易度の高い指示を出されてしまった。
ラナは少し悩んで、どうにかこうにか上手い言い訳を考え出した。
「ギース先輩……実は俺には見えてしまうんです……」
「何が?」
「偉大な英雄になるために、生まれて来てしまった宿命と言った方が早いかも知れないです」
「だから何が?」
「俺には邪悪なオーラが見える」
「は?」
「俺には邪悪なオーラが見える」
「うん。それは聞こえた、邪悪なオーラ?」
「そう、邪悪なオーラ」
ギースは完全に頭の可笑しいやつを見ているような目をしている。
――大丈夫か、こいつ……。
明らかに何かを隠そうとしていることは、ラナの様子を見ていれば充分に分かる。
が、ここで問い質している時間はない。
「とりあえず、あの男が邪悪な存在だって言うのはよく分かった。今は見失わないようにしよう。誰が何の目的でこんなことをしているのか突き止められるだろうし」
ギースは、ラナの嘘に合わせてあげることにした。
『スフィア様! 上手く誤魔化せましたよ!』
『そうね。全然上手く誤魔化せていないようだけれど、今は気づかない振りをしてくれているみたいだから、そのままにしておきましょう』
『は、はい……』
我ながら上手くいったと思っていただけに、少し残念そうに肩を落とすラナ。スフィアも大して期待はしていなかったが、ここまでとは思ってもみなかったので、三人に聞こえるくらいの深い溜め息を吐いた。
「ラナ君、ギースさん、少し止まるのです……」
マリーは姿勢を低くして、ラナとギースにも姿勢を低くするように左の手の平を下にして上下させた。
「マリーさん、何かありました?」
「今アルちゃんからの報告で、男が森の中に入って行ったみたいなのです。しかも、かなり黒い焦げ茶色した剣山みたいな木がたくさん生えている森みたいなのです」
「剣山みたいな木? ギース先輩わかりますか?」
「……罪木の森……だと思う」
そう口にしたギースの顔は血の気が引いて青ざめている。
「罪木の森って、死罪になった罪人を送るというあの森のことなのです?」
訊き返したマリーの顔も青ざめ、ゾッとしている。
――まさか、罪木の森って結構危険な場所だったりして……。
二人の表情が急変したのを見て、かなり危ない橋を渡ろうとしていると悟った。
『君、罪木の森がどういう場所なのか知らないみたいね』
スフィアはここぞとばかりに話し掛けて来た。
『知らないですけど……』
いつもの流れだと、ここでスフィアが優越感に浸りながら教えてくれるところなのだが、あまり知りたくないと思っていたラナは、教えないでほしいと心で願う。
『そう、君は教えてほしくないみたいだけど、今から行く場所を知らずに行くことは自殺行為よ。だから、教えてあげるわ』
『ですよね……』
『罪木の森っていうのは――』
スフィアは気が進まないラナのことなど、お構いなしに教え始めた。
罪木の森。そこは人間界と魔界が融合始めて、しばらくすると現れた不気味な雰囲気を漂わせる一寸先も見えない闇に包まれた森。その森の出現頻度は、魔力が最も増大する満月の夜だけに限られるほど少なく、一度中へ入れば次の満月まで出現するまで出てくることができない。
罪人に罪を償わせるためには、充分過ぎるほどに恐怖心と後悔の念を植え付ける。
もし、何も知らずに迷い込めば二度と出てくることはできない。たとえ出られたとしても、廃人と化しまい死人も同然になってしまう。普通であれば絶対に人が立ち寄ることはない場所。
それを聞いたらラナは、聞かなければ良かったと罪木の森へ入る前から、恐怖心と後悔の念を植え付けられてしまった。
「えっと、どうします? このまま追いかけてみます?」
死者をこのままにしては、次の犠牲者が出てしまうかもしれないと思いつつ、罪木の森へ入ってしまえば自分たちが次の犠牲者になってしまう。それを恐れて尻込みしていたラナは、二人に「やめよう」と言ってほしい気持ちと何としても黒幕を見つけなければという使命感の狭間で葛藤していた。
「ボクは――」
――行けるはずがないだろう。罪木の森だぞ。いくら任務とは言え、ラナたちと一緒に行って死ぬわけにはいかない。ラナだけ行かせれば、グランバード団長が不安視していた危険因子は消えるし……。
ギースがどうにかしてラナだけを罪木の森へと向かわせられないかと考えていると、
「考えている時間はないのです。早く追いかけないと、アルちゃんも見失ってしまいそうなのです」
マリーは罪木の森へと向かう覚悟を決めていた。
――マリーちゃんは行こうとしているのに男であるボクが逃げ出せる訳ない……。
――マリーさんは俺と同じ英雄になる夢を持っている人だ。困っている人がいるのに、自分のことだけ考えて多くの人を救えるはずがない。俺も覚悟を決めなくちゃ……。
ギースは一人の男として、ラナは英雄を志す同志として腹をくくった。
「「行こう!」」
二人はマリーの前に一歩足を踏み出し方を並べると、可憐なお姫様を守る騎士の如く、罪木の森へと勇ましく向かって行った。





