71話 『白黒はっきりさせたいけど我慢しました』
ギースがグランバードの送り込んだスパイかもしれないという可能性に、辿り着いてしまったラナたちは、待合室の扉が開いたことに気づいていなかった。
「フルラさんどうしたんですか?!」
中に入って来たギースは、机の上に横たわるフルラの姿を見て驚いている。
「ぎ、ギース先輩!?」
「いつ戻って来たのです!?」
突然の登場に二人は驚きの声を上げた。
意表を突かれたスフィアはマリーとの距離が離れていたせいで、いつもの場所に隠れることができない。
――まったく、タイミングが悪すぎるのよ。
まだ気づかれていないことを祈りつつ、スフィアはフルラが寝ているテーブルの下へと潜り込んだ。
それに気づいていない様子のギースはマリーの問いに答える。
「いつって今戻ってきたところだけど、フルラさんに何かあったの?」
ラナはギースの目を黙って見つめていたが、スフィアを見ていない。
――とりあえず、今はスフィア様に気づかれないようにしないと……。
ギースのせいでフルラが倒れたかもしれない。それを考えると、怒りが込み上げてきて顔が歪みそうになる。ラナは歯を食いしばり怒りを堪えた。
「実は、ギース先輩が報告に向かってすぐに倒れたんです」
「倒れた!? また何で?!」
「医者の診断では極度の疲労で倒れたことになっています。薬も飲ませたので今日は一日安静にした方が良いらしいですけど……」
「極度の疲労って、ボクたちと一緒にここへ来ただけだろう? 何でフルラさんだけ?」
本気で心配そうに、そして不安そうな顔をしているギースに対する怒りが限界に達しそうなラナは、静かに拳を握り締める。
――本当にギース先輩がグランバード団長の指示で動いているなら、白を切っていることになる。もしそうなら、絶対に許さないぞ!
ここで争っている場合ではないことは百も承知だったが、ギースが白か黒かハッキリさせずにはいられない。
「ギース先輩……」
『ダメよ。まだ可能性があるというだけで確実な証拠はないのだから』
自分の気持ちが抑えられないラナはギースの名を呼ぶが、スフィアが宥める。すると、ギースは何か思い立ったようにフルラの横たわる机に近づく。
「あのさ、さっきから気になっているんだけど、ここにいる猫って何?」
ギースは屈み込むと、しっかりとスフィアの姿を捉えて言った。
――くっ、気づかれた……。
白銀の猫は、どこにでもいるような猫ではない。野良猫ですなんていう言い訳は通用しない。ラナがどうしようか迷っていると、マリーが机の下に隠れていたスフィアを抱きかかえる。
「ごめんなさいなのです!」
「ま、マリーさん!?」
突然の行動に慌てるラナは、何をしているのかと冷汗をかく。
「ん? どうして謝るのかな? その猫って誰の?」
完全に怪しんでいるギースは真顔で訊いた。
「スフィアちゃんは私の可愛い猫ちゃん! 本当は置いて来るつもりだったのです。でも、放っておけなくて連れてきちゃったのです!」
――マリーさん、グッジョブ!
――全然、グッジョブじゃないでしょ、さすがにそれを信じる訳が……。
スフィアの不安は的中していた。
――こんなに早く白銀の猫を見つけることができるとは思わなかったけど、なかなか幸先良いな。マリーちゃんの猫かもしれないけど、都合よくマリーちゃんの猫が白銀の猫っていう方があり得ないか。そうなってくると、マリーちゃんもラナに協力しているということになるか。
ギースは一通り考えをまとめると、
「な~んだぁ~。マリーちゃんの猫だったのかぁ~。それなら仕方ないねぇ~」
と、わざとらしい反応を見せる。気づいていることを気づかせるように。
しかし、スフィアのことを庇うことに必死なマリーは、そのことに気づかない。
「そうなのです! だから、ごめんなさいなのです!」
マリーはラナの方を見て、「これで大丈夫なのです」と小声で言いながらウインクをした。
機転が利くマリーの行動ではあったが、安心はできない。一度話を変えた方が良いと判断したラナは、報告が無事に済んだのか確認することにした。
「ギース先輩、ちゃんと報告はできたんですか?」
「もちろんさ、ちゃんと死者の件については伏せて報告しておいた。ただ、どこに行くのか問い質されて、言い訳するのに結構時間かかったよ」
隠密部隊長であるギースが、口を滑らすはずもなく話は続いた。
「そういう訳だから、安心して死者の件について動けるよ」
ギースは、ちらちらとラナに目配せをしている。
――ああ、こういう時でも忘れないのか。どっちか分からん。
面倒くさかったが、ラナはマリーに耳打ちをする。
「マリーさん、本当に申し訳ないけど、ギース先輩のことをベタ褒めしてもらえます?」
「え? ど、どうしてなのです?!」
「お願いします。理由は後で説明するので」
「うう、ラナ君がそう言うなら」
コソコソと話を終えると、マリーは本気で嫌だったが、変態キノコを褒めるなんて絶対にしたくなかったが、ラナの頼みだからと身を切る思いで褒める。
「う、うわぁ、凄いのですぅ、さすがギース先輩なのですぅ、本当に凄いなぁ、か、か、カッコいいなぁ」
心にもないことを言うのは、泥水を啜るよりも苦痛を強いる。マリーはもう限界だと、目に涙を滲ませながらラナを見る。
――ごめんマリーさん。でもこれでギースも満足したはず……。
「でへっ。マリーちゃんに褒められるなんて光栄だなぁ! ボク、マリーちゃんにもっと褒めてもらえるように頑張るからねぇ!」
いつも見ていた以上に体をくねくねとさせて喜ぶギースは、特にサラサラしているわけでもない髪をかき上げ、真っ白い歯をキラリと見せると、四十五度の角度からキメ顔でマリーに熱烈な愛の視線を送っている。
「ひぃぃい!」
「マリーちゃぁん!」
「ラナくぅん!」
全力で逃げ惑うマリーとそれを変態的な笑顔で追いかけるギース。
――こいつって本当にグランバード団長に指示を受けているのか?
まったく緊張感がない状況になってしまったと、一瞬フルラが倒れてしまったことも、死人の件についても忘れかけていたラナにスフィアが声を掛ける。
『冷静に考えなさい。多分、あれがギースのやり方かもしれないわ』
『やり方?』
『今完全に警戒心を失っていたでしょう?』
『あ……』
スフィアに言われてギースのペースに乗せられていたことに気づいた。
『まったく君がそんなだから、私はいつも気が抜けないのよ。一瞬でも気を抜いたらギースの思うつぼ。何よりも君の親友が倒れたということにギースが関わっている可能性がある事を忘れないで』
フルラのことを考えると、込み上げて来るのは怒りだけ。冷静に考えられるはずがない。
『はっきりさせてやる』
『落ち着きなさいと言っているの。君の親友に関しては回復を待つしかないわ。それよりも先に、死者の件をどうにかしないといけないでしょう?』
『でも……』
自分の正義を貫く以前に、親友をこんな目に遭わせたかもしれない相手を目の前にして正常な考えができない。一秒でも早く、ギースを問い質して幽魔を憑依させたのか聞き出したい。それしか頭になかった。
『相手が分からない以上、戦力は多い方が良いわ。私たちのことが知られる危険性もあるし、不本意だけどギースの協力も必要よ。今は我慢して』
ラナの気持ちが分からないスフィアではない。だが、こうしている間にも死者が黒色の魔法杖を求めて武器屋に来ているかも知れない。そう考えると、ギースのことばかり気に掛けている場合ではないのだ。
『分かりました』
ラナは色んな感情を押し殺して、ギースに話し掛ける。
「ギース先輩。お遊びはそこまでにして、武器屋の人たちを助ける方法を考えませんか?」
いつになく真剣なトーンで話すラナに、ギースは追い掛け回す足をピタリと止める。
「その件ならボクも色々と考えているよ。武器屋に向かいながら話そうか」
互いのことについて気づいていることがあるせいか、妙にピリッとした雰囲気が漂う。
ラナとスフィア、マリーとギースの三人と一匹は絶対安静のフルラを残し、武器屋へと向かった。





