70話 『名探偵スフィア様のおかげで、犯人が分かりました』
調合術師組合の第三待合室。
調合術師の調合した疲労回復薬を飲ませ、医師の適切だと思われる処置を施したフルラを机に寝かせたまま、心配して見守るラナとマリーは沈黙のままギースが戻ってくるのを待っていた。
ラナの心が不安で埋め尽くされているのを感じたスフィアはリンクを使って話し掛ける。
『ラナ、大丈夫?』
『大丈夫……、じゃないかな』
『そうよね。親友が突然倒れて大丈夫な訳がないわよね』
その言葉に返事をする元気も失せてしまっているラナは、心に何一つ言葉が浮かばなかった。
スフィアは、ラナの心の状態を考えると今フルラが陥っている状況の原因を伝えるべきかどうか迷っていた。
しかし、それは一刻も早く伝えなければならないこと。今すぐでなければ後々ラナとスフィア、最悪の場合マリーを巻き込むことになってしまうこと。
スフィアは覚悟を決め、マリーの胸の谷間から這い出すと、二人の前に立つ。そして、リンクを使わずにラナとマリーに話し掛ける。
「ラナ、マリー。少しだけ私の話を聞いてくれるかしら?」
「どうしたのです?」
マリーは返事をしたが、ラナは相変わらず黙り込んだまま俯いている。
「フルラ君が倒れてしまった理由は、大体見当はついているわ」
「見当はついているって、ただの疲労じゃないってことなのか?」
目をギラつかせて、怖い顔をスフィアに向ける。
「私を睨みつけても、フルラ君の容態が回復するわけではないわ。君は親友をこんな目に遭わせたかもしれない相手を知るべき」
それを聞いた瞬間、ラナの目は絶望に変わる。
今の状況に対してではなく、自分が護衛をしていたのに守り切れなかったことに対してだ。
「スフィア様、それはやっぱり俺のせいかなのか? 俺がちゃんと周囲を警戒して護衛しなかったせいなのか?」
自分を責めろと言わんばかりの発言にスフィアの白銀の毛が逆立つ。
「そうかもしれないわね。君がもう少し気を張って周囲を警戒していれば、異変に気づけたかもしれないわ。だって、あなたが一番側にいたのだから」
「ぐ……くそっ……」
「これで満足かしら? もっと自分を責めて欲しいと言うのなら、立ち直れないほどに責め続けてあげてもいいわよ」
親友が倒れてしまって傷心状態であることは、リンクを通じてよく分かっている。
それ以上に、現状を把握してどうにかしようという考えに至らなかったことが、気に食わなかった。
「ちょっと待つのです! ここでラナ君を責めてもダメなのです!」
「良いんだよ、マリーさん」
「え?」
「俺には気づくチャンスが何度もあった。スフィアが何か話そうとしていたときも……」
ラナは自分で分かっていた。あの時の感覚も、スフィアが何か大事なことを言おうとしていたことも、すべて何か重大なことがあったのだと。
「いい加減に……」
「いい加減にするのです!」
スフィアが一喝する前に、マリーがラナの頬をバチン! と、思いきり引っ叩いた。
「ま、マリーさん……!?」
驚いたラナは口を震わせてマリーの方を見た。
「フルラさんが死んだわけではないのです! もう倒れてしまった事実は変わらないのです! ラナ君は原因を突き止めてフルラさんが回復する手段を見つけなければならないのです!」
その一言で淀んでいた瞳が澄んだ瞳に変わり、ラナの気持ちに変化をもたらした。
「どうやら、良い喝が入ったみたいね」
「ごめん、スフィア様。ありがとうマリーさん」
「要注意人物が戻って来る前に聞いてもらいたいことがあるわ」
「ギース先輩ですよね。要注意人物って」
「ラナも気づいてはいたようね」
「俺が感じたのは妙な悪寒だけで、ギース先輩だっていう確証はないんですけど」
「悪寒? 私は何も感じなかったのです」
「それは恐らく、吸血妖精と契約しているせいだと思うわ」
マリーは首を傾げてキョトンとしている。
「違う空間に住んでいる吸血妖精と契約を結んでいるマリーの魂は、別の空間に存在しているの」
ラナもよく分からないと首を傾げてキョトンとしている。
「まったく仕方ないわね。もっと詳しく教えてあげましょうか?」
「お願いします!」「お願いなのです」
ラナとマリーは目が飛び出そうなくらいに見開いて教えを乞う。
「ギースが契約している幽魔もマリーの吸血妖精同様に別空間を住処にしている。幽魔も吸血妖精も今私たちがいる世界に干渉することは可能。同時にこの世界にいる人間の魂に影響を与えることができる。この点に関しては、魔族と人間が契約を結べるから同じようなものね。一つだけ違うのは、隣接している空間以外のものに干渉することができないということ」
「ん? それとマリーさんが悪寒を感じなかった理由とどういう関係が?」
ある程度の理解力がついてきたと思っていたが、思っていたよりも伝わっていないことに呆れたスフィアは、ラナが理解しやすいように伝え直すことにした。
「はぁ、簡単に説明するから頭の中で、私と君とマリーが三人で横並びになったのをイメージしてくれるかしら?」
「うん」
ラナは頭の中で、仲良く三人で手を繋ぐイメージをした。
「中心にいる君がこの世界。両脇にいる私とマリーが別空間の世界。ラナはわたしとマリーに触れることができるでしょ?」
「うん、うん」
「でも、両脇にいる私とマリーは触れ合うことができない」
「ああ! そういうことか! 別空間の中継地点になっているこの世界では俺とかスフィア様には触れられるけど、そうじゃない別空間を住処にしている種族、その種族と契約しているもの同士は触れることができないってことですね!」
ラナの回答にスフィアは自分の説明よりも理解しやすいと思ってしまった。
「ら、ラナにしては理解が早かったじゃないの。まとめるとそういうことになるわ。一つ訂正するなら、人間同士の接触は可能だけど、別空間の魔獣同士の接触ができないってこと」
「そうだとしたら、どうして俺じゃなくてフルラに影響が?」
「幽魔特有の能力に憑依というものがあるのだけど、恐らく、その力を最初にラナに試そうとしたけどダメだったから、仕方なくフルラに憑依した。あるいは、何かほかの力が作用してしまったのか。どちらにしても、幽魔が直接的に能力を使用できるのは、魔族と契約を結んでいない者に限ると考えた方が良いわ」
スフィアの話をキョトンとした表情でずっと聞いていたマリーは、何かに気がついたのかハッとした顔をする。
「もしかして、フルラさんが倒れたのってギースさんが原因だってことなのです?!」
「そうよ。北門を通過したときにギースの背後に大きな空間の歪みがあった。それにラナは悪寒を感じていた。これだけで証拠になる訳ではないけど、状況から考えても辻褄が会うわ」
スフィアの中ではそれ以外、考えられなかった。
その考えに至った時に、ギースを要注意人物として認識した方が良いと思った理由が一つあった。フルラの体力が限界に達するまでの能力を使用していたということ。たった一、二時間足らずの間にここまで疲弊させる力を持っている幽魔の存在をスフィアは知らない。
元々、幽魔は空気のように漂っている存在でしかない。時々、空間の歪みが生じたときに存在を認識される程度で、こちらから害を与えない限り干渉してくることは絶対にないし、ここまで体に影響を及ぼす力はないはずのだ。
スフィアは最悪のケースを考えた上で、ラナとマリーに注意を促すことにした。
「もし、ギースが幽魔をフルラの体に憑依させていたとしたら、何かを探っている可能性が高いわ」
「探るって、まさか……」
「ええ、恐らく君が契約しているのは魔獣ではなく、魔女ではないか。それを探っているでしょうね」
その時、ラナはフルラと会話したことを思い返していた。そして気づく、黒色の魔法杖について知っていることを――。
「スフィア様、不味いかも知れません」
「そうみたいね。君の考えている通りだとすると、ギースは幽魔を通して黒色の魔法杖について知っているかも知れないわ。君はギースに話さなかったのでしょう?」
「話していない。余計なことを報告されたら面倒なことになりそうだと思って……」
――まさか、そういうことなのか!?
ラナは自分が回避したと思っていたことが、裏目に出てしまったことにようやく気がついた。
「そうなると、君が魔女に関して何か隠していると疑われているのは確定ね。ギースが同行すると知ったときから怪しいと思っていたけど、あの男は私が魔女であるとまだ疑っていたみたいね」
「……グランバード団長の指示なのか」
カルネの一件からずっと疑われ続けてきたことを考えれば、今までの仕打ちにも説明がつく。元々、グランバードは聖域に侵入した罪人としてラナの入団を快く思っていなかった。偉大な英雄の一人であるマルスが関わっていなければ、魔女と契約しているかも知れないラナはグランバードにとって危険因子でしかない。絶対に入団させたくない存在のはず。
――もっと警戒しておくべきだった。そうすればフルラをこんな目に遭わせることもなかったのに……。
強張っていくラナの顔を見たマリーはそわそわし始める。
「え、ど、どういうことなのです!?」
「ギース先輩はグランバード団長が送り込んだスパイかも知れません」
そう告げたとき、第三待合室の扉がゆっくりと開かれた。





