6話 『ストーカーさんと初対面しました』
雪崩というトラブルに見舞われながらも、それを上手く利用したおかげで追っての熊から何とか逃げ切る事が出来た。
しかし、膨大な魔力を消費して結魂契約を行い、更には大きな花火を打ち上げ、浮遊魔法まで使ってしまった。
二人の魔力と体力は底を尽きかけていた。
まだ姿を見せない魔女狩人の追跡を背中に感じつつ、雪崩の被害を受けていない少し開けた場所へ辿り着いた。
「ここなら少し落ち着けるかしら」
「そうですね。スフィア様のおかげで逃げなくても良い俺まで逃げることになりましたけど」
ラナは嫌味を込めて言った。
「不可抗力よ。私だって好きで追われていないわ」
「そこのとこなんだけどさ。順を追って説明してくれるかな?」
「嫌よ。面倒くさい」
「いやいや、命懸けで関係ない相手から逃げ回ってる俺の身になってみろよ! 少しくらい教えてくれても良いだろう?!」
「君って小さいことを気にするタイプなのね。彼女出来たことないでしょ?」
「うるせえ! 大きなお世話だ! というか、命の危険に曝されていることのどこが小さいことなんだよ?!」
「はあ……。分かったわよ。契約もしてくれたし、休憩ついでに教えてあげるわ」
身を隠しているというのにワーワー喚き散らす雄犬に困り果てたスフィアは、深すぎるくらいの深い溜め息を吐いて本当に面倒くさそうにしながら話し始めた。
「さっき契約の儀式をした時、聖女ディアンナが世界を一つにしたと言っていたでしょう? どういう訳か、人間であるはずの彼女は魔法の中でも最上級クラスの天地創造が使えたのよ。そのせいで、魔女がディアンナを操っていたとか、ディアンナと入れ替わった魔女が世界をめちゃくちゃにしたとか。全ての元凶が魔女にあるように言い始めたやつらがいたのよ。最終的に魔女は終焉の日に加担しているなんていう根も葉もない噂が広まって、忌み嫌われるようになったのよ」
「そ、それだけの理由で命を狙われているのか?」
「ふざけた話よね。もし私たちが本当に終焉の日に加担しているなら、魂結契約を強制するような呪いを自分たちに掛けるはずないのに」
「呪い!? まさか、俺に呪いの契約をさせたのか!?」
「違うわ。魔族には、死に至る呪いを掛けられているのだけど、それを解く唯一の方法が人間と魂結契約を結ぶことなの」
「もし、契約を結ばなかったら、どうなるんだ?」
「いずれ魔力が枯渇して死んでいたでしょうね」
「そんな呪いをディアンナが……」
「そうよ。君たち人間の身勝手な行動のおかげで私たちは死に怯えながら過ごさないといけなかった。だから私は君が契約したからといって感謝はしないわよ」
スフィアからは悲しみと怒り、命を繋ぎ止めたという安堵。様々な感情が感じ取れた気がした。
確かに自分に関係のない事に巻き込まれて、命の危険に曝されることがあったら怒らずにはいられない。現状、スフィアに巻き込まれて命の危険に曝されているラナにとっては痛いほどよく分かる話だ。
スフィアを責めるつもりが、思いもよらない事実を突きつけられたラナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「えっと、なんつうか。ごめん」
「どうして君が謝るの?」
「いや、俺たちの世界のゴタゴタに巻き込んでいるみたいだからさ。人間代表? として謝った方が良いかなと思って」
「人間代表? 謝る? 笑わせないで。謝る気があるなら早く私たちを元の世界に帰して」
「そ、それは……」
「今の君には無理よね。だって、世界を救って英雄になりたいなんていう馬鹿げた夢を持っているだけで、運も無ければ実力もない、夢見がちな非力で無能な人間だもの」
「ちょっと待てよ! 今の話と俺が英雄になりたいことは関係ないだろ!」
「大有りよ。私たちが解放される条件は誰かが英雄としてこの世界を救う以外にないわ。だから、君が単に憧れで英雄になりたいとしたらいい迷惑なの。もし、誰も世界を救う事が出来なければ、三つの世界が同時に破滅する事になる。君にこの重大さが分かる?」
「…………」
何も言い返せなかった。
幼い頃に盗賊の荷車から助け出してくれた人のように、自分も誰かを助けられるようなカッコいい存在になりたい。かつて、長剣使いの英雄と称されたエルシド・ア・ドールのような誰もが憧れる最強の存在になりたい。と、格好良さばかり気にして、英雄を志す者が何を守り、何を救おうとしているのか深く考えたことがなかったからだ。
「何も言わないってことは、お遊び程度の覚悟しかなかったってことよね?」
「……確かにカッコいいから英雄になりたいって思ってた。スフィア様の言う通り、世界がこんなことになっているなんて知らなかったから、少し考えが甘かったところはあったかもしれない。でも、本気で英雄になりたいって思う気持ちだけは譲れない。それが俺の夢だから」
「命に代えても?」
「ああ、命に代えてもだ」
その言葉に嘘偽りはなかった。
純粋に英雄になりたいと思う気持ちは誠心誠意伝えたつもりだ。それがスフィアに伝わっているのか定かではないが、それが本心だ。
「そう。それなら良いわ。生半可な覚悟の人間と生死を共にしたくないし、とりあえず合格点ってとこかしら」
「そりゃどうも」
人間と魔女の間に生じた蟠りが消えたわけではないが、今後互いの命を預け合う者同士としては少しだけ互いを理解する事が出来たはず。そうであって貰わないと困る。
「とにかく私は私自身のために君を全力で英雄にするわ。だから、君も全力で英雄になりなさい」
「言われなくても必ず英雄になってみせるさ」
ちゃんと納得したのかと訊かれれば、正直言って納得はしていない。
だけど、知らなかったことを否定できるほど全てを知り尽くしているわけでもない。それなら無理矢理にでも納得して受け入れるしかない。
それが出来て初めてスタート地点に立つことが出来るのだから。
「これでお互い信頼し合えるパートナーになれそうね」
にっこりと微笑みながら、そう言ったスフィアはとても儚げで、降り続く雪がキラキラと輝いているせいか余計に三割、いや五割り増しくらいに美しく見えた。まるで天使だ。
「へへっ。よろしくな、スフィア!」
照れくさそうに鼻先を指で掻きながら、握手を求めて手を伸ばした。
「スフィア? 誰の事かしら?」
――あれぇ……。もしかしてまだ様付け継続中ですか?!
「えっと、共に頑張りましょう、スフィア様……」
「良いわよ。私のために死に物狂いで頑張りなさい」
前言撤回。こいつは天使じゃなくて、悪魔だ。
せっかく互いの利害が一致したのに、スフィア様とその従僕ラナという構図は変えてくれないらしい。
「可愛い顔して糞みたいな性格だなあ。さすが魔女ってところかぁ?」
「何ですって?!」
目尻をピクつかせてラナの方を睨みつけた。
「いやいや! 今言ったのは俺じゃないから! 本当に俺じゃないからね!」
頼りなさそうなラナの声と男らしい野太い声の違いは聞いていればすぐに区別はつく。
スフィアの視線の先には、歪に折り重なった木々と暗闇が広がっていた。
「わかっているわ。君の後ろの茂みに隠れている男が言ったのよ。そうよね? 魔獣使いの魔女狩人デオ・ヴォルグ」
「これは、これは、かの有名な腐れ魔女様に名前を憶えていただいているとは光栄だなぁ。全く反吐が出るぜ」
話で聞いていた以上に酷い言われようだ。
どうやらスフィアの言う通り、魔女狩人は魔女を全ての元凶として目の敵にしている連中で間違いないらしい。
「反吐を出す前に、姿を現したらどうなの? 茂みに隠れてコソコソと、あなたもしかしてストーカーか何かかしら? そうじゃなければ、ただの臆病者かしら?」
売り言葉に買い言葉とは正にこのことだ。
追っ手がすぐそこまで来ているのに、身を隠すどころか堂々と仁王立ちして応戦する気満々になっているではありませんか。いくら侮辱されたことに対してご立腹でも、ここは絶対に逃げた方が良いに決まっている。ラナは危なっかしいやり取りをするスフィアに冷や冷やしていた。
「スフィア様、ここは逃げた方が良いと思うのですが……」
「逃げる? あり得ないわ! 私は君と契約したことで完全に力を取り戻しているのよ。全力の私が犬みたいにコソコソと嗅ぎまわっているような奴に負けるはずがないわ」
どうやら完全に堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。挑発の仕方というか話し方がラナの時とは明らかに違う。これはもう挑発しているレベルではない。
あれだけ不満たっぷりに話していたのがほんの十数秒前だということを考えれば、怒りの矛先が真っ先に向かうであろう相手に、これだけ侮辱されているのだから、怒りが抑えられなくなって当然と言えば当然。
「誰が犬みたいにコソコソ嗅ぎまわっている臆病者だって?」
こうも簡単に挑発に乗せられる奴がいただろうか。
茂みからのっそりと現れたのは、短髪黒髪の筋肉隆々で熊のように大きな男。
怒りをあらわにするように、眉間にしわを寄せ、体中の血管という血管を浮き上がらせて、首と指の骨をバキバキと鳴らしていた。