60話 『マリーとスフィア様が女子会を開いていました -2-』
「一年前の満月の夜、ここから東にある魔女の領地に人間たちの偵察部隊が踏み入って来たわ。今思い返すと、あれは聖十字騎士団の一団だったと思う。その時、お父様が彼らに一言挨拶をしてくると屋敷を出て行ったの。それから一日、二日経っても私たちの下に戻ってくることはなかったわ」
「それって……」
「あなたの考えている通りよ。お父様を見つけた時には、周りに聖十字騎士団の死体の山と変わり果てたお父様の姿があった……」
「そんな……。どうしてそんなことに……」
「お父様は争いを好まなかった。誰よりも平和を求めて、魔族も人間も分け隔てなく平等に接しようと常に働きかけていたわ。でも、聖十字騎士団と戦って命を落とした。あの優しかったお父様が……」
スフィアは体を震わせながら、涙を流していた。
理由も分からず、父親を殺されたのも同然。争いを好まず、優しかった父親が歩み寄ろうとしていた人間と戦った時点で聖十字騎士団から攻撃を仕掛けて来たことは明白だ。
「スフィアちゃん……」
マリーは抱きしめていた腕を解き、スフィアの方に手を置くと、そっと距離を置いた。どうして、聖十字騎士団が魔女の一族の下へ出向いたのか。どうして、戦い命を落とす事になってしまったのか。誰が悪いとか、悪くないとか、真実が何かは分からない。
ただ、目の前で悲しい記憶を涙ながらに話してくれたスフィアの苦しみがマリーには痛いほどよく分かった。それと同時にスフィアがどれほど人間を憎んでいるのだろうかと、流れる涙の分だけ怖くもなった。
「どうして……、お父さんの仇である聖十字騎士団に入ったのです?」
マリーはスフィアのことを信じたい気持ちと、ラナを利用して仇討ちをするために聖十字騎士団に入ったのではないかという憶測が交錯し、何を言っているのか自分でも分からないままに訊いた。
「ラナを英雄にするためよ。それ以上でも、それ以下でもない。確かにお父様の命を奪った人間は憎いわ。でも私は何があっても人間に復讐なんかしない。私はお父様の遺志を受け継いでいるから……」
家族を守るため、傘下にいる魔女の一族を守るため、父親は戦うことを決意しこの世を去った。その事実が、魔女が人間を敵対視する原因になっていた。しかし、セーラム家は父親の遺志を継ぎ、決して魔女側から人間に対して攻撃を仕掛けることを許さなかった。
他の魔女の一族も怒りを抑え、本当は悲しみに暮れているはずのセーラム家の意思を尊重し、人間たちに報復することはなかった。スフィアもまた、その遺志を受け継ぎ人間に復讐をしないと固く心に誓っていた。
「ごめんなのです……私……」
スフィアの気持ちよりも、疑う気持ちが先行してしまったことに罪悪感を抱いたマリーは、顔をくしゃくしゃにしながら涙を流し、鼻をすすりながら謝った。
「いいのよ。私がマリーの立場でも同じ質問をしたと思うから。私の方こそ、ごめんなさい。こんな暗い話をしてしまって」
「スフィアちゃんが謝ることはないのです。私、スフィアちゃんが私と同じ境遇だったから、もっと仲良くなれると思ったのです」
「同じ境遇? あなたもご家族を聖十字騎士団に?」
「聖十字騎士団ではないと思うのです」
「思う?」
「私が住んでいたルビニ村は王都よりもさらに西の方にある小さな村なのです。私の家族が殺された夜は、ちょうどスフィアちゃんと同じように一年くらい前の満月の夜だったのです」
西の地には、王都サンクトゥスの同盟国“コリヤ国”と“コサラ国”という農業に特化した食物生産国がある。その二つの国の国境線上にあるルビニ村には三十人程度の農民たちが住んでいた。マリーはその村で、両親と妹二人、弟一人の六人家族で細々と暮らしていた。
「あの日、家で眠っていた私たち家族は、大勢の悲鳴で起こされ、慌てて外に飛び出しました。外に出て見たら、村中が黒い霧に包まれていて、気がついた時には私一人に……」
マリーは自分の身に起こった思い出したくないはずの過去を話す。やはり、家族を失ったということは耐えがたいこと。それ以上は言葉に詰まってしまい、黙り込んでしまう。
――黒い霧……まさかね。
スフィアは黒い霧に心当たりがあったが、自分が思っているものとは違うはずだと、それについて口にすることはなかった。
俯き黙り込んでしまったマリーの心情を察したスフィアは、
「もう良いわ。あなたまで辛いことを思い出す必要はない。話そうとしてくれた気持ちだけで充分だから」
これ以上悲しい過去を話さなくて良い。と、無理をしていたマリーを気遣った。
「違うのです。私が言いたいのは自分のことじゃなくて、スフィアちゃんも私も大切な人を失った。人間と魔族、種族は違うけどお互いの気持ちを分かり合えるのです。ちゃんと理解し合えるのです。それだけは知っていてほしいのです」
マリーは再びスフィアのことを強く抱きしめた。同情や哀れみなどではない。大切な人を失う悲しみと苦しみを知っている者同士、前を向いて生きていく。そんな気持ちが込められていた。スフィアにも、そんなマリーの気持ちが優しい温もりとともに伝わっていた。
「ありがとう、マリー。大切な人を失うことの辛さを知るあなたに、一つだけ頼みがあるの」
「頼み……なのです?」
「ええ、本当はあなたを巻き込みたくないから話すつもりはなかったけど、協力してほしいことがあるのよ」
「私で良ければ、何でも協力するのです!」
「実は今、ラナの故郷アルカノ村に住む人たちが魔女狩人の人質になっているの」
「人質!? どうしてそんな……」
「私と契約してしまったせいよ。あの時、私と契約さえしなければ、ラナは大切な故郷の人たちを人質にとられて危険なことをすることもなかった」
スフィアはずっと気にしていた。魔女である自分と契約さえしなければ、ラナは普通に過ごせたはずなのではないかと。もし、ラナの大切な人たちが自分と同じように殺されてしまったら悔やんでも悔やみきれない。自分を責める気持ちをラナに悟らせないようにしてきたが、さすがのスフィアも自分を責め続けることに限界があった。
「スフィアちゃんは悪くないのです!」
マリーはまたスフィアの両肩を掴んで距離を置くと、今度は怒りながら涙を流していた。
「え……?」
「スフィアちゃんは、何も悪いことしていないのに殺されそうになりながら、やっとの思いでラナ君と契約できたのです。魔女狩人がどんな人なのか知らないけど、絶対にスフィアちゃんが悪いなんて言わせないのです!」
その目は、大切な友達を見ているようだった。様々な苦悩を経験して、一人で抱え込みながら過ごしてきた二人の間には、確かな友情が芽生え始めている。今まで自分の気持ちを抑え続けていたスフィアにとって、マリーという存在はラナに次ぐ心の支えとなりつつあった。
「マリー……。本当にありがとう。あなたの言葉で救われたわ」
「本当なのです?」
「ええ、本当よ」
「良かったのです! それで、私に頼みごとって言うのは何なのです?」
「ラナの大切な人を守るために、ヘスペラウィークスにあるものを探しに行かないといけないの。だけど、私とラナだけでは探し出すのは困難になると思う。それで、マリーが良ければ明日私を連れてラナと一緒にヘスペラウィークスに行ってほしいの。一応、調合術師の護衛の任務という形になるから、色々と手続きが必要みたいだけど……」
「喜んで協力するのです!」
マリーは二つ返事で協力することを了承した。
「ありがとう、マリー。助かるわ」
あんな話をした後だったから、断られると思っていただけに、快く引き受けてくれたことは本当に有り難かった。
「ラナ君の大切な人を助けるためなのです! それに……スフィアちゃんの初めてのお願いごとだから」
当たり前なのです。という顔をして、スフィアに微笑みかけた。
マリーはスフィアとは全く違う世界で育ち、身分も天と地ほどの差があったが、友達らしい友達がいなかったこともあり、互いの痛みを理解し合える相手ができたことが本当に嬉しかった。
「マリー……」
スフィアも同じ気持ちだっただけに嬉しかった。そして、信頼しても良い相手だと心を許していった。
「私もスフィアちゃんに、一つだけお願いしても良いのです?」
マリーは、かしこまった様子でスフィアの手を取り訊いた。
「私だけ協力してもらうのも気が引けるし、魔女の私ができる範囲で良ければ」
「ありがとなのです。もし、スフィアちゃんが良ければ“黒い霧”の正体が何なのか一緒に調べてほしいのです」
――黒い霧……。もし、黒い霧が私の考えるものだとしたら、マリーに伝える訳にはいかないけれど、まだ確証はないし……。
信頼してもいい。そう思ったことは嘘ではない。だが、スフィアの考えていることが間違っていなければ、それを知ってしまったマリーはどう思うのだろうか。スフィアは悩みに悩んで、ひとつ質問をすることにした。
「それを知ってどうするの?」
「どうもしないのです。どうして、皆が死んでしまったのか理由が知りたいのです」
「あなたの家族の仇だから原因くらいは知りたいってところかしら?」
「はいなのです……ダメなのです?」
――当然と言えば当然よね。
マリーの答えを聞いたスフィアは、やはり確証が得られるまで“黒い霧”に関しては何も言わないことに決めた。
「ダメじゃないわ。私だって、どうして人間が魔女を敵対視しているのか本当のところを知りたい気持ちもある。だから、私で良ければ協力させてもらうわ」
「ほ、本当なのです?」
「嘘を言ってどうするのよ。マリーが私にした初めてのお願いだし、お互いさまってことで、ちゃんと協力させてもらうわ」
「ありがとなのです! スフィアちゃん大好きなのです!」
ずっと一人で“黒い霧”について調べていたマリーは、スフィアに話せたこと、協力してもらえることで今まで心に重く圧し掛かっていたものが少しだけ取り除かれたような気がして、嬉しさのあまりにスフィアを抱きしめ、大いに喜んだ。
「ちょ、ちょっとやめなさいよ。まったく……」
何回抱きしめるのよ。と、少し照れくさかったが、まんざらでもない。スフィアもマリーに応えるように抱きしめ返した。互いの悲しい過去を打ち明けた二人は、マリーがメインストリートで買ってきたお菓子を食べ紅茶を飲み、普通に女の子らしい会話も交えながら女子会は続き、夜は更けていった。
疑心暗鬼に陥る者、互いの過去を打ち明けることで理解し合い信頼を深める者。そして、大切なものを守るために真っ直ぐ突き進む者。様々な想いと思惑が交錯する中、新たな運命の歯車が動き出す。
王都西地区ヘスペラウィークスで――。





