54話 『キノコが良い仕事をしてくれました』
『君って本当に考えが浅はかなのね。ヘスペラウィークスには貴重な物資や医療の要、“調合術師組合”があるのよ?』
『それくらい知っていますって! だから、姿を消して――』
『だから、浅はかだって言っているの。厳重な検問がある上に、聖水幕を潜らないといけないということをちゃんと分かっているのかしら?』
『分かって……る……ん? 聖水幕って何です?』
聖水幕という聞き慣れない単語を耳にしてラナは首を傾げた。
『さすがの私でも教えてあげる気が失せてきたわ』
教えたがりな性格のスフィアだったが、あまりの無知さに教える気力を失ってしまった。
『そう言わずに教えてください。お願いします!』
逆に知りたがりのラナは、気になって仕方ないと両手で大事そうに持っていたスフィアの体を頭より上にあげて神様を崇めるように頼み込んだ。
『はぁ……。聖水幕っていうのは、魔族が持っている魔力を無効化する力がある聖なる水を使った霧状の幕のことよ。本当は貴重な水のはずなのだけど、魔界と融合したせいで王都の地下で湧くようになったみたいなの。まったく余計なものが手軽に手に入るようになったものだわ』
スフィアは深くため息を吐くと、面倒くさそうに教えた。
『うん、うん。それで?』
『姿を消せるなんて言うのは人間業じゃないから、少なくとも契約した魔族の影響を受けて発動している力。微量でも魔力を使用していないとその力は使えない。つまり、聖水幕を潜った瞬間に消えていた姿が露になるっていうことよ』
『ええ!? じゃあ、消えても無駄ってことじゃないですか?!』
ラナが見出した完璧だと思われた計画があっという間に破綻した。これなら大丈夫だと自信を持っていただけに落胆の色は隠せなかった。
そんな姿を見て、この先ちゃんとやっていけるのか不安になり、ラナの身を案じるスフィアは、
『単純すぎるにも程があるわね』
と、あえて突き放すような言い方をした。
『どうしよう……。俺、一か月間ずっと掃除当番だし、聖十字騎士でもないし、本当は騎士寮から出ちゃいけないし、絶対に任務とかで行くチャンスもなし、もう無理ってことじゃないですか……』
これ以上の打開策はないと感じていたラナの視界は、どんどん暗闇に呑まれていき、心は絶望の闇の中へと沈み始めていた。それはリンク状態のスフィアにも伝わり、もうラナを追い詰めてはいけないと、一つの希望を持たせることにした。
『絶望するには早すぎるわ』
『……え?』
『調合術師を利用するのよ』
『利用って……』
『聞こえは悪いかも知れないけど、調合術師は君たち英雄志願者に次ぐ、貴重な存在として扱われている存在だから、ヘスペラウィークスから出るとき、そしてヘスペラウィークスに戻るときは必ず聖十字騎士団の誰かが護衛として同行することになっているらしいの。今日も第一騎士寮の掲示板に、護衛の任務も貼り出されていたわ』
スフィアの言う通り、調合術師は人々の命を直接的に救うことができる医療に特化した職業だということで、世界を救おうと日々奮闘し続ける英雄志願者に次ぐ、貴重な存在に位置付けられている。それ故に、調合術師は人々の命の要としても知られており、隣接する王国などからは真っ先に狙われてしまうことが多々あった。
そういった背景があったおかげで、人々が生きていく上で必要な物資と命を救う調合術師たちはヘスペラウィークスに集められ、取りまとめて厳重な警固の下にある。
そこに目を付けたスフィアは、ラナを調合術師の護衛にさせて、ヘスペラウィークスの検問を堂々と通過してしまおうというのだ。
『でも、それって任務になるじゃないですか。俺の任務は一か月掃除ですよ。やっぱり無理じゃないですか?』
『それがそうでもなさそうなのよ』
『と、言いますと?』
『調合術師たちの間でも、今の聖十字騎士団にはフェイカーが多すぎて、安心して護衛を任せられる団員がいないって嘆いているらしいのよ。だから、君のように本気で英雄を目指している真の英雄志願者が、調合術師の信頼を獲得したらどうなると思う?』
『護衛として任務に指名される!?』
『そういうこと。調合術師からの指名任務はいかなる場合でも拒否することはできないらしいから、君が一か月間掃除をしろと命令されていたとしても、強制的に護衛任務が優先されるわ』
『だったら、俺が調合術師と仲良くなって信頼されれば、何の問題もないってことですね』
新たな可能性を与えてもらったラナの顔は、萎れかけていた花が元気に太陽へ向くような生き生きとした表情になっていた。
『簡単に言ってしまえば、そういうことになるわ。でも、その仲良くなって信頼されるというのが一番難関だと思うのだけど……』
魔女であるがゆえに、信頼を勝ち取ることの難しさと信頼というものが自分の知らないところで簡単に崩壊してしまう辛さを知っている。そして何よりも、相手を信頼することが簡単ではないことを知っている。それなのにラナは、
『そんなに難しいですか? 友達みたいに仲良くなれば良いだけですよね?』
と、まったく深刻に考えていないようなお気楽なことを言い始めた。
『君は本当なら騎士寮から出られないのでしょう? どうやって調合術師と接点を持つつもりなの?』
『調合術師といえば、病気や怪我を治してくれる専門家。だったら、仮病を使えば良いんですよ! そしたら、騎士寮から出なくても治しに来てくれるし、問題なし!』
『問題大ありよ……。君が言うように医療の専門家なのだから、仮病を使ってもすぐ気づかれるに決まっているじゃない。もしそうなったら信用されるどころか、英雄志願者としての仕事を仮病で休んで放棄する信用に足りない相手に認定されるわ』
『確かに……。スフィア様って本当に物知りですね』
と、ラナは尊敬の眼差しでスフィアを見た。
『物知りというか、これくらい普通に考えれば分かることだと思うのだけど……』
どんなに凄腕の調合術師でも、救えないようなバカさ加減のラナに呆れるを通り越して、死んでも治りそうもないと諦めてしまっていた。
その時、ガキンッ! と、その場にいる誰もが振り向いてしまうほどの大きな金属音が鳴り響く。それはくるくると宙を舞いながら空を切り、不幸すぎるほどに巻き込まれ体質のラナに向かってまっしぐら。しかし、意識を集中して心の会話をするラナは気づかない。
「危ない!!」
手合わせをしている最中に十字剣を弾き飛ばされた男が、ラナに向かって注意を促すが、その声は耳に届かず無情にも赤い血潮をまき散らした。
「痛ってぇぇええ!!」
驚きと尋常でない痛みが相まって、特大の叫び声が辺りに響く。
「え!? ぎ、ギース先輩!?」
十字剣の剣先は、見事な放物線を描いて飛んできて、ギースの右肩に突き刺さっていた。
「あっちで待っていたはずじゃ?! 何でここにいるんですか!?」
突然目の前に現れて叫び声をあげて痛そうに悶えているギースに驚いたラナは、十字剣が突き刺さったギースの心配をする言葉が出てこなかった。
「そこは普通…………大丈夫ですか? だろ……」
あまりの痛さと出血で、ギースは白目を向きながらその場に倒れた。
「ギース先輩!! どうしてここにいたんですか!? ねえ、ギース先輩! 聞こえていますか?!」
タイミング悪くラナの身代わりとなったギースは、一秒でも早くマリーに紹介してもらおうと思い立ち、会話を終わらせる気配がないラナを驚かせてやろうと姿を消して近づいていたのだ。
理由はどうあれ、一刻も早くギースに治療を受けさせなければならないと、救護班と王宮専属の調合術師を他の団員たちに要請してもらった。そして、救護隊が来るまでの間、医療に精通していたマリーの手によって応急処置が施された。
気のせいかもしれないがラナの目には、その時のギースの表情が少しだけ変態的な笑みを浮かべているように見えた。





