53話 『スフィア様が意外と危ない目に遭っていました』
翌朝、前日に失敗した掛け声を難なくこなしたラナは、特にグランバードから嫌な顔をされることなく上手くやり過ごした。それから、さぼり癖があると分かったギースと一緒に任務とは名ばかりの掃除を早々に済ませ、スフィアとの約束通りに鍛錬場へと向かった。
鍛錬場は、一般兵を含めた聖十字騎士団員が鍛錬に励むことができる。元々、鍛錬はエルシド―ル闘技場を使用していたのだが、聖十字騎士団に入団する者が増加したことにより、闘技場周辺に新たに建てられた鍛錬の場である。その大きさは、エルシドール闘技場より一回り小さく、現在では力量に合わせて四つの鍛錬場を使い分けている。
一般兵と入団三年目までの英雄志願者もしくは、任務難易度E以下の実力がある者が鍛錬を行う初級鍛錬場。
入団三年目以降の英雄志願者もしくは、任務難易度D以上C以下の実力がある者が鍛錬を行う上級鍛錬場。
入団三年目以降の英雄志願者の中で、英雄たる資質を開花させた者もしくは、任務難易度B以上A以下の実力がある者が鍛錬を行う上級鍛錬場。
そして、英雄たる資質を用いて、様々な任務で功績を残し、聖十字騎士の称号を与えられた各団長および副団長もしくは、任務難易度S以上の実力がある精鋭だけが使用を許される最上級鍛錬場。
この四つの鍛錬場でそれぞれの力量に合わせた鍛錬を行うことができる。マリーと一緒にいるスフィアは、新入団員が鍛錬を行う初級鍛錬場にいるはずだ。
と、いう説明をギースから教えてもらったラナは、姿を消してもらい初級鍛錬場にいるマリーとスフィアに合流することにした。
「そろそろ良いか?」
「ギース先輩、ありがとうございます!」
「じゃあ、ボクも色々と忙しいから先に帰るよ」
「行きますよー」
「は!? もう役目は果たしただろう?!」
「念には念を入れないと」
ラナはそのまま帰ろうとしていたギースの腕を掴むと、無理矢理鍛錬場の中へと連れて行った。
鍛錬場には、まだ入団して間もない新入団員たちが汗を流し、鍛錬に励んでいた。十字剣を用いて、模擬戦さながらの戦いをしながら手合わせをする者や、一人で黙々と素振りをしたりして技を磨く者、基礎体力の向上や肉体的な活性化を目的とした鍛錬方法に基づいて自身を追い込む者。それぞれが、思うままに鍛錬を行っている。
「すげぇ。フェイカーが多いって聞いていたから、鍛錬している人はそんなにいないと思っていたんですけど、意外に多いんですね」
「ああ、あれはフリだよ」
「フリ?」
「みんなをよく見てみろよ。形だけの鍛錬で誰も真剣にやっている奴はいないだろう?」
鍛錬に励む団員たちを観察してみると、模擬戦さながらの戦いをしていると思っていた者は、単に剣を交えているだけのお遊び程度で気迫が全く感じられない。黙々と素振りをしていると思っていた者は、適当に剣を振り回しているだけで勢いがない。鍛錬方法を基に鍛え上げているものがいると思っていた者は軽く流しているだけで、汗を一切流していない。
もちろん、ラナと同じように志の高い者も中に入るが、両手の指で数えられる程度の人数しかいない。
「本当だ。はぁ。やっぱりフェイカーが多いんですね」
「まあ、見た感じはフェイカーばっかりに見えるだろうな」
「それ以外に見えないですけどね……」
ラナは残念そうに言ったが、ギースの話していたことを思い出す。各々が自分の目的や守りたいもののために英雄志願者として在り続けることを考えて、形だけでも鍛錬をしていると思えば、それなりに目的は果たそうと頑張っているのだろう。と、理解できなくもなかった。
――スフィア様、どこにいるんだろう。
ラナはやる気のない鍛錬風景を眺めながらスフィアの姿を探していると、
「ラナくーん! こっちなのですー!」
わりと近くの方で鍛錬をしていたマリーが相変わらず、たわわに実った胸を団服がはち切れんばかりに揺らしながら手を振っている。あたかもラナがここへ来ることを分かっていたような出迎え方に、多少の疑問は抱きながらも、物凄い大振りで手を振り続けるマリーに答えるようにラナは手を振り返した。
「おい……。なんだ、あの、ふ、ふっくらしたお乳の持ち主は?」
「(――お乳って……)。ああ、あれは俺の同期で、模擬戦の時にトップの成績を残したマリー・ブランカさん。しかも、英雄たる資質を開花している期待の新人ですよ」
「英雄たる資質を!? それは凄いな。……お乳も。つまりあれか、最下位のラナとは別次元の存在ってことだ」
「大きなお世話です。ちょっと話してくるので待っていてください」
マリーの下へ行こうとしたラナの腕をガッ! と掴み引き止めるギース。
「何ですか?」
ラナは、ちょっと面倒くさそうな顔をして訊いた。
「ぼ、ボクにもちゃんと紹介してくれよ?」
初めて声を掛けてきた時のように、キノコヘアーの前髪下の眉毛をピクンピクンと上下させて、頬を赤らめ、体をくねくねと気色の悪い動きをしながら言ってきた。
「分かりましたよ。紹介しますから、話が終わるまでは大人しく待っていてくださいね」
「う、うん。わかった。早くしてね」
絶対に紹介したくない。と、思いながら、くねくねし続けるギースをその場に残しマリーの下へと駆けた。
「ラナ君、あの人は誰なのです?」
「ああ、気にしなくて良いよ。ただの変態だから」
「変態……はは」
マリーはそれを聞いて、奇妙に動き続けるギースを苦笑いしながら見ていた。
「あの、今ってスフィア様どこにいます?」
「スフィアちゃんならここにいるのです」
そう言うと、当然の如く胸の谷間に手を突っ込み、スフィアを取り出して見せた。
――またそこかよ!
と、軽く心の中でツッコミを入れたラナは、マリーからスフィアを受け取った。
「ありがとう、マリーさん」
「お話が終わったら、声を掛けてほしいのです」
「え、あ、はい」
どうしてマリーが自分とスフィアが話す事を知っているのかと、ますます不思議に思いながらも、鍛錬に戻るマリーを見送った。
『今どうして、マリーが君と私が話すことを知っているのかって思ったでしょ?』
心の声を聞いたスフィアはすかさず訊いてきた。
『そりゃあ気になりますよ』
『どうして、マリーが知っていたのか教えてあげましょうか?』
『お願いします』
『入団式の日にマリーの部屋で寝ていたのだけど、君が側にいないと常に猫の姿を維持するには魔力が足りなくて、寝ている間に元の姿に戻っていたのよ』
『はあ!? じ、じゃあ、マリーさんに魔女の姿を見られたってこと?!』
『そうよ。最初はマリーも驚いていたけど、君と同じで魔女について何も知らずに育ったらしいから、私のことや君と契約した経緯とか色々教えたら理解してくれたわ。あの子が他の人たちのように魔女を嫌っているタイプの人間じゃなくて助かったというところなのだけれど』
肝を冷やしたラナは、嫌な汗をジトッと掻きながら大事に至らなくて良かったと、マリーの懐の深さに感謝していた。
『ふぅ。とりあえず、マリーには魔女について話をしても大丈夫ってことだね』
『不幸中の幸いっていうのかしら、少しでも多くの理解者がいた方が後々行動もし易くなるし、良かったわね』
『いや、何で他人事? まあ、良いけど、これからは絶対に他の人に知られないように気をつけて下さい』
『分かっているわよ。本当なら君と一緒にいた方が何かと都合は良かったのだけど、そうは言っていられないから、今のところは大人しくマリーと一緒に行動することにするわ』
ちょっと不貞腐れている口調でスフィアは言った。
『じゃあ、しばらくはそうしてください』
『それで、昨日話していたヘスペラウィークスに女王の魔法杖を探しに行く方法は見つかったのかしら?』
『一応、考えて来ましたよ』
『君にしては意外に早く思いついたのね』
『昨日、第一騎士寮に忍び込んだ方法で行こうと思うんですけど、どうですか?』
ラナの考えは単純だった。
聖十字騎士の称号も無ければ、任務でヘスペラウィークスに行く機会もない。それなら、限られた時間ではあるが、ギースの能力を使ってヘスペラウィークスに潜入して、女王の魔法杖を探そうというものだった。
しかし、名案だと思っていたのにスフィアからの返事はあまり良いものではなかった。





