48話 『掃除をするべきは、フェイカーという存在だと思いました』
「えっと……。何か用ですか?」
人見知りをしているのか、「あの……」の後から全然言葉を発しないひ弱そうな男に、気が進まないまま話し掛けてみた。すると、少し頬を赤らめながら見たくもない男の上目遣いをされてしまい、ラナは背筋が凍りつく。
「ボクたち同じみたいです」
キノコヘアーの前髪下にある垂れ眉をピクンピクンと上下させて微笑んでいる。しかも、体をくねくねと気色の悪い動きをしながらの意味深な発言は、異様な空気を感じさせる。
――何だこのシチュエーションは……。
「な、何が同じだと?」
「ボクも君と同じ掃除係です」
ひ弱そうな男は、腰を左右にくねらせながら嬉しそうにしている。どうやら、ラナが想像していた身の毛がよだつことではなかったようだ。
「ふう……。そういうことですか。じゃあ、すぐに掃除は終わりそうですね」
「あの……。ラナ・クロイツさんですよね? ボク、ギース・フリラって言います。あの……、宜しくお願いします」
「ギースさんは俺より先輩ですよね?」
「あ……、はい。一応、一年前から英雄志願者としてグランバード寮長の下で働いています」
ギース・フリラは、今から約一年前に英雄志願者として聖十字騎士団に入団した。ラナより二歳年上なのだが、見た目通りか弱く戦闘向きではないため、入団してから今までずっと周囲からは“お荷物”と言われ、グランバードにはそれすらも覚えてもらえず、万年掃除係として第二寮の掃除を担当している。
「だったらラナって呼び捨てにしてください。さん付けされるのは、なんか変な感じなので」
「い、良いのかな。ボクなんかが呼び捨てにしちゃって……」
「俺が言っているんですから、気にせず呼び捨てにしてください」
「よ、よろしくラナ。えへへ」
どうして、恥じらう女性のように顔を両手で抑えて照れているのかと不思議に思いながら、
「こちらこそ、よろしくお願いします。ギースさん」
と、社交辞令で返事をした。
昨晩の晩餐会では、妙な親近感を抱いていたのだが、実際に話してみると少し面倒くさそうな感じがする。ラナは積極的に接してはいけないような直感にも似た感覚があった。
「ラナは可哀想だね。寮から出ることを禁止されちゃうなんて」
「げ、やっぱり聞こえていました?」
「もちろん。あれだけ大きな声で話していたら聞こえるよ」
――ん? 聞こえていたのは不味いけど、なんか態度が変わってないか?
「どうしたの、ラナ? 何か困っているんだったら先輩であるボクに相談するんだよ」
先輩だからと気を利かせて下手に出た途端、ギースは先輩風を吹かせてきた。
あのくねくねした動きも恥じらっているような素振りも、ただ単に最下位というレッテルを貼られたラナが自分よりも下の立場であると分かっていたから。そして、自分が先輩であると初めて認めてくれた後輩ができたことに対する嬉しさからだった。
「えっと、ギースさん」
「さん?」
「……ギース先輩」
「うん、うん! どうしたのかな?」
「ギース先輩にお願いしたいことがあるんですけど、さっき爽やか系の優しいお兄さんに掃除が早く終われば自由に時間を過ごして良いって言われたので、もし俺が寮の外に出たとしても秘密にしてくれますか?」
突然の先輩気取りに、良い気はしなかったが幸いにも一人しか外出禁止の事実を知っている者はいない。ここでギースを協力者として仲間に引き入れた方が後々行動しやすくなると考えたラナは、ひとまずギースを立てることにした。
「秘密かぁ。まあ、アルフレッド副寮長がそう言っていたなら黙っていてもいいよ」
「本当ですか!?」
――よしっ! 思ったよりも単純そう!
「うん、いいよ。だけど掃除は絶対に終わらせること。約束できる?」
「もちろんです! そうと決まれば、さっそく掃除して終わらせちゃいましょう!」
「それじゃあ、掃除用具は階段横に置いてあるから持って来て」
「んな?!」
「なに?」
「すぐに持ってきます!」
先輩として完璧に調子にのっていたギースは、たった数秒の会話の中でラナを完全に自分より下だと認識していた。あからさまに手のひらを返した態度をされて、さすがのラナもイラっとして感情的になりそうになりながらも、何とか持ちこたえて分かり易い作り笑顔で返した。
「ったく、急に態度変えすぎだろ。食堂では俺と同じみたいに肩身が狭そうにしていたのに、結局団長クラス以外は全員こんな奴らばっかりなのかよ」
不満たっぷりにぶつぶつと言いながら、掃除用具を取りに行き、ギースの下へと戻ってくると、
「じゃあ、ボクは一階から掃除を始めるから、君は五階から順序良く掃除して降りて来て」
「はい! 喜んで!」
そうして先輩気取りのギースの指示に従って五階へ駆け上がったラナは、昼飯までには掃除を終わらせてしまおうと、通路や各部屋の掃き掃除や拭き掃除をテキパキと熟していった。
順調に四階、三階へと進んで行ったが一階から掃除を始めているはずのギースと合流しない。一年間も掃除だけをしていたのなら、要領良く熟してラナよりも速いペースのはず。少し疑問に思いながらも、手を休めることなく掃除を続け、気がつけばもう二階まで来ていた。
「おかしい……」
二階の掃除を始めて少し経つが、一向にギースは姿を現さない。こういう考えは滅多にしない方なのだが、ここまできて合流しないとなれば、掃除をしていないのではないかという疑念が生まれる。時間が惜しいラナは、ひとまず二階までの掃除を終わらせて一階へと下りた。
「あれ? ラナはもう掃除終わったのかい?」
一階へ下りてみると、どこから持ってきたのか、木の椅子に何食わぬ顔で腰掛けているギースの姿があった。
「あの、ギース先輩……」
「ん?」
「掃除はどうしたんですか?」
「半分は終わったけど、ちょっと疲れちゃってさ。今は見ての通り休憩中」
「休憩中って……。俺、急いで掃除を終わらせたいって言いませんでしたっけ?」
「ラナは急いでいたみたいだけど、ボクには関係ないよね? ボクの今日の任務はいつも通りに掃除を終わらせることだけ。それ以外にやることないし、自分の仕事はちゃんとしているよ。もし、ボクがまだ一階の掃除が終わっていないことに対して怒っているのなら、お門違いってやつだよ。ラナは自分の目的のために、勝手に急いで掃除をしていたのだからね」
ギースの言うことは間違っていなかった。
確かにラナは急いでいる素振りを見せていたが、それはあくまでも自分の目的のために急いでいたのであって、誰かに強要するものではない。急いで掃除をしても、ゆっくり掃除をしても、それは自分のペースで行っているだけ。
「た、確かに急いでいたのは俺だけだし、ギース先輩にはギース先輩のやり方があると思いますけど、与えられた任務を早く終われば鍛錬する時間ができますよね? ギースさんは英雄志願者なのに、ずっと掃除係として過ごしていて恥ずかしくないんですか?」
仕事が早いか遅いか以前に、英雄に強い憧れを抱いて聖十字騎士団に入団した分、一年間も掃除係として過ごしてきたギースのことが、どうしても許せなかった。
「ラナ……。ボクはね、世界が滅ぼうが知ったことじゃないんだよ」
「は!? 何を言っているんですか?!」
まさかの英雄志願者とは思えない発言が飛び出したことに驚いたラナは、声を裏返した。
「はっきり言って、本当に一年足らずで終焉の日が復活して世界を滅ぼすなんてことが起きるとは思えないし、あるかどうかも分からないことに命を懸けられない。それに、わざわざ自分を追い込んでまで鍛えようとも思わない」
今の聖十字騎士団には、偽りの志を掲げて英雄志願者なった人ばかりなのかと不安になっていたラナだったが、ギースのその言葉で確証へと変わっていった。
「ギース先輩。それって自分はフェイカーだって言っているのと同じですよ」
偽りの志を掲げることは、世界を守ろうとした憧れの英雄たちを侮辱すること。そう思っていたラナには、何の後ろめたさも感じさせないギースの言葉が許せなかった。そして、その感情は怒りと変わり、軽蔑の目をギースに向けさせた。





