44話 『俺の心は炭のように脆く崩れ去りました』
食堂の奥にある調理室から白い服に身を包み、赤いスカーフの両端を金色のスカーフリングに通して首に巻いていた男たちが各机に料理を運んで来た。
「お待たせいたしました。今回のお食事はグランバード様のお好きな鎧鴨肉のローストでございます。一週間、六種類の果実をブレンドした果実酒に漬け込み、程よい歯ごたえと柔らかさ、そして鎧鴨独特の旨味を凝縮した一品となっております」
真っ先にグランバードの下へ運ばれてきた食事は、超高級食材の鎧鴨肉のロースト。
鎧鴨は、断崖絶壁の岩山に巣を作り生活しており、誤って落下して岩肌に激突した際に傷つかないために鎧のような硬さの身体をしている。普通では食用として用いられることが少なく、調理できる料理人も限られているため、一般家庭ではお目にかかれない一品だ。
――う、美味そう。なんやかんや言ってやっぱり俺を歓迎するための晩餐会だから、美味しい料理食べられそうだな。俺のまだかなぁ。
かなりお腹が空いていたラナは、芳醇な香りと見ているだけで涎が出てしまう盛り付けの鎧鴨のローストを物欲しそうに見つめる。
「ほう。これは美味そうだな。どのように調理したのか聞かせてくれ」
ラナの様子を見てグランバードは、ほくそ笑みながらわざとらしくシェフに料理について訊いた。
「はい。まずは鎧鴨肉に格子状に切れ目を入れ、胡椒を擦り込み一時間ほど常温で寝かせます。そして、軽く熱した岩塩の上に鎧鴨肉の脂を敷いて、十分間こんがりと狐色になるまで焼き、裏返して三分ほど余熱で焼き上げました。ソースは、漬け込みに使用していた果実酒をベースに鎧鴨の血とバターをじっくり煮詰めたものでございます」
「さすがは俺の担当シェフだ。第二寮一番のシェフの座はお前に相応しい」
「お褒めに預かり光栄です」
「下がって良いぞ」
「はい」
英雄志願者には、無料お食事権とは別に食事で体調管理をしてくれる専属のシェフが付く。好きなものを好きなだけ食べられると言っても、偏った食事では身体を壊しかねないからだ。基本的に朝ごはんと晩御飯は専属のシェフが作ったものを食べる――と、いうのはこの第二寮だけの規則の一つだ。
本来ならば、食事に関する自由を奪うことは許されないのだが、何に対しても妥協しないグランバードが「戦いのために準備を怠らないために必要なものだ」と、主張したのが認められ、第二寮の特別な規則として認可された。
他の寮でも取り入れようか検討されているくらいに、とても効果的で任務においても今まで以上に成果を上げるようになっている。
「ラナ・クロイツ。貴様のような最下位にも専属のシェフを用意してある。暫くしたら、料理が運ばれてくるだろうから、挨拶をしておけ」
「お、俺にも!?」
「当たり前だ。お前が使えない新入団員だとしても、規則は絶対だ。有難く思え」
「はいっ! ありがとうございます!」
――覚悟しろ。って、言われからどんな酷いことされるのかと思っていたけど、意外と普通だな。ってか、寧ろ待遇良すぎ! どんな料理かなぁ。
最初はコケにされて、どうなることかと不安視していたが、思っていたよりも良い待遇を受けられそうだったので、少しほっとしていた。グランバードが食べている美味しそうな料理を見て、自分にはどんな料理が出てくるのかと妄想が膨らませながら、口にじんわりと滲み出る唾液が止まらない。緊張と悔しさで強張っていた顔も次第に緩み、笑みさえこぼれた。
「お待たせいたしました。本日よりラナ様の専属シェフになりましたレオンと申します」
「初めまして、ラナ・クロイツです。本当に俺の専属シェフさんですか? 嘘じゃないですよね?」
かなり意地の悪いグランバードが、本当に最下位のレッテルを貼られている自分に専属シェフを用意してくれているのかと疑う心もあり、念のため確認しておくことにした。
「はい。そのように指示がありましたので」
「本当みたいですね! 良かった! これから、よろしくお願いします!」
「はい。よろしくお願い致します。早速ですが、こちらが本日のお料理です。ごゆっくりお召し上がりください」
「やった! いただき……ます?」
ラナの元へ運ばれてきた料理は、真っ黒焦げの豆が一粒。ただそれだけが、皿の上にちょこんと乗っているだけだった。
「あの、これは?」
「豆です」
「いや、それは見たらわかりますけど……」
「あ、料理の説明ですね。かしこまりました。こちらの豆は、鉄板に残っていた焦げた豆でございます。何の豆かは分かりませんが、食べられるものを使用しておりますので、ご安心してお召し上がりください」
「え……」
「他に何か?」
「いやぁ……」
これはさすがにないでしょ。と、言いたかったが、冗談とは思えないほど真剣な表情で説明するところを見て、それ以上言葉が出なかった。
「特にないようなので、これで失礼します」
そういうと、真っ白な皿と真っ黒焦げの豆だけを残し、調理室へと戻っていった。
――嘘だろ……。冗談じゃなくて本気でこれだけ?
鎧鴨並みの高級食材を使った料理が出てくるとは思っていなかったが、まさか黒焦げの豆だけを出されるとは予想もしていなかった。スプーンやフォークもなければ、飲み物さえ出されていない。ラナは黒焦げの豆を見つめる他なかった。
「どうした? 食わないのか?」
グランバードは何食わぬ顔で、料理を頬張りながら訊いた。
「これはどういうことですか?」
「どういうこととは何のことだ? まさか、せっかく農家の人たちが毎日毎日、丹精込めて育てた豆を貴様は食べないというつもりなのか?」
「そんな訳では……」
「そうかそうか。お前はどうして、自分には高級な料理ではなく、家畜が食べる餌みたいなものを出されたのか疑問に思っているのだな?」
「家畜の餌だなんて一言も……はっ!?」
豆に向けていた目線をグランバードに向けると、ニヤニヤとしながら可笑しそうにしている。晩餐会が始まっているということは、既にラナに対する仕打ちも始まっているということ。つまり、この豆もその内の一つ。
「この料理……、グランバード寮長の指示ですか?」
「人聞きの悪いことを言うな。晩餐会に出される料理は、個人の力量や任務での活躍次第で調理する食材や献立が決まる。つまり、この料理はお前に対する評価だ」
そう言うと、席を立ち他の団員たちに問いかけ始めた。
「皆の者、この期待薄な英雄志願者が、どうして僕のご飯は豆だけなのかと嘆いているぞ。なぜ豆だけなのか。その理由が分かるか?」
「「「戦わざるもの食うべからず、弱者に与える物はなし!」」」
団員たちは声を揃えて言った。
団員たちの机には、一般家庭でも食べられる料理や少し豪華な料理が並んでいる。グランバードの言う評価に値する料理なのだとすれば、少なくとも、それだけの働きをしているということになる。
グランバードは再び席に座ると、ラナの皿に乗る豆を指さして、
「つまり、この焦げた豆一粒くらいの価値しかお前にはないということだ。お前の力量に合わせてレオンが食事を作る。これから一ヶ月間、朝昼晩はレオンの作る料理だけを食べろ。それが第二寮での規則だ」
「そんな……」
このままでは本当に一か月もの間、豆だけを食べさせられてしまう。
ロイドの店で大量の肉料理をたらふく食べていたラナの胃袋はかなり大きくなっている。今もお腹が空きすぎて死にそうなくらいだというのに、そんな生活を耐えられるはずがない。想像しただけでも絶望的な空腹感が襲ってくる。
「マルス様から地獄の猟犬を倒したという話を聞いて、かなり期待していたのだが、あの模擬戦を見る限りでは、到底信じられない。もし、嘘だったというのなら正直に答えろ。そしたら一か月間、豆だけ食べさせるのはやめても良い」
「俺は嘘なんか吐いていません! ちゃんとこの手で地獄の猟犬を倒したんです!」
「最下位の実力で? 笑わせてくれる。あの程度の実力で倒せるような相手ではない。寝言なら寝ている時に言うんだな」
英雄志願者として聖十字騎士団に入団したのは、自分の実力だということを信じて貰おうとしたが、模擬戦の結果のせいで信じて貰えない。
「嘘じゃないです!」
「残念だが、難易度AAの討伐任務を貴様ごときが完遂できるはずがない。それに地獄の猟犬を貴様が討伐したという証拠はどこにもないだろう?」
「証拠ならあります」
「見せてみろ」
「俺です」
「は? 俺? 貴様がどうかしたのか?」
「俺は地獄の猟犬と戦って、ちゃんと討伐したから生きてここに居るんです」
その揺るぎない事実だけは確たる証拠になると思い、ラナは胸を張って言った。
「それは何の証拠にもならん。あの時、地獄の猟犬があの場に居たということは、マルス様の話で分かっているが、貴様が戦って倒したところなど誰も見ていないじゃないか?」
「確かにそうかもしれないですけど、俺はちゃんとマルス様から戦い方を教わって――」
「マルス様から戦い方を教わった!? あの戦いぶりで? ビッグマウスな上に大ウソつきとは、さすが最下位。性根が腐っている貴様には焦げた豆がお似合いのようだ。もう貴様と話す気にもなれん。さっさと食え」
――ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。
ここで何を言っても無駄だと判断したラナは、悔しさを押し殺し大人しく焦げた豆を指で摘み口へと運んだ。まるで炭を食べているような食感と苦味は、脆くも崩れ去った心と行き場のない気持ちを表しているようだった。





