42話 『なにやら不穏な空気が漂ってきました』
「こ、こんばんは!」
気が動転していたラナは、入団式前に案内係の一般兵が「黒色の団服を着用している方々は、団長クラス。もし見かけたら必ず挨拶しろ」と、言っていたことを思い出していた。その結果、グランバードの問い掛けとは全く関係のない挨拶を大きな声で元気よくしてしまった。
無礼にならないように挨拶をしろと言われていたのに、質問と全く関係のない発言をしては、話を聞いていないことになる。これを無礼と言わずして何というのだろうか。
「貴様はそこで何をしていたのかと聞いているのだが?」
睨みを利かせ、グランバードは迫った。
「え、あの……、これは……」
あまりの迫力に上手く言葉が出てこない。目を泳がせたり、必要以上に手の汗を拭ったりして挙動不審にもなっているし、グランバードがラナに対して抱いている不信感は増すばかりだ。
「か、勘違いなのです! さっき大きなネズミが出たので、驚いて声を上げてしまったのです!」
何も言い返すことができないラナに代わって、勘違いしているグランバードに対してマリーが弁解してくれた。しかも、上手い具合にスフィアのことは伏せてくれている。
「ネズミ? そうか、お嬢さんがそう言うのであれば信じよう。それにしても、模擬戦で負けた上に新入団員八名中最下位とは、本当に情けない奴だ。それに比べて、マリー・ブランカ新入団員八名中トップ、さらには副団長レベルの力も持ち合わせているという評価をミネルヴ様から頂いていて、その実力はお墨付きだ。貴様も我が部下となった以上は、マリー・ブランカを見習え。わかったな?」
団長クラスの面々は模擬戦を観戦していた上に、個々の情報を事細かに報告されている。もちろん、ラナとマリーの名前は既に全団長たちが知っている。
「あ、あの……最下位ってどういう事ですか? 俺以外にも負けた人がいましたよね。マリーさんと戦っていたバルゴって人は、あんなことをしたのに俺が最下位なんて納得できません」
「納得できない? 確かにバルゴの行いは、英雄志願者として最低の行いだった。だがな、貴様は模擬戦で一方的にやられた上に、何の力も発揮できないまま、一撃も与えられずに負けたのは貴様だけだ。聖十字騎士団の一員として、戦い方も知らぬ期待薄な名ばかりの英雄志願者に対して、最下位以外にどう評価する?」
ぐうの音も出なかった。
聖十字騎士団は元々、王の身を守るために身を挺して戦い、王都サンクトゥスそのものである民たちを守るために命を賭して戦う。そして、世界を平和へと導くために戦う。それが聖十字騎士団の存在意義であり、英雄志願者が希望と言われる所以。
それなのに、ラナは大きな口を叩いておきながら、何もできずに負けたのだ。こればかりは、弁解のしようのない事実。
黙って、その事実を受け止めるしかなかった
「それに比べて、マリー・ブランカはとても有能だ。ミネルヴ様が仰っていたように力のコントロールが出来れば、直ぐにでも前線で活躍できるだろう。是非とも我が聖十字騎士団の力となってくれ」
と、とても上機嫌に初めて見る笑顔でマリーに言った。
「ありがとうなのです!」
英雄たる資質を披露し、見事に勝利したマリーは今年入団した新入団員たちの中でもトップクラスの評価だった。それはマリーと仲良くなったラナにも嬉しいことだが、ここまであからさまに態度を変えられるとあまりいい気はしない。
「あの……」
「どうした最下位」
「どうしてグランバード団長はここへ来たんのですか? 俺たち、これから晩御飯を食べに行こうと思っているんですけど」
ラナは完全に不機嫌になっています。と、言いたげな顔と態度でグランバードに言ってみせたが、さすがにラナの一回りくらい大人に見えるグランバードは顔色一つ変えずに大人な対応をしてみせる。
「晩御飯? 残念だが、新入団員は毎回恒例の入寮式と称した晩餐会に出てもらう。貴様が模擬戦を行う前に話したと思うが、この俺“グランバード・シュタイン”が寮長を務める第二寮に入って貰う。つまり、今日から貴様は俺の命令には絶対服従するということだ」
聖十字騎士団第二団長改め第二騎士寮長グランバード・シュタインは、規律を重んじるタイプの寮長で、五十人いる寮長の中でも規則には人一倍厳しい。
本来の“晩餐会”は、これから共に戦う新入団員を歓迎するものだが、グランバードが寮長を務める第二騎士寮は少しだけ違う。ここで生活するための規則や上下関係、各寮に定められた独自のルールを教える場であり、自分の立場を分からせるための場でもある。
だから、晩餐会には必ず出席することが義務付けられている。どんな事情があったにせよ、晩餐会に出席しないことは許されない。
ちなみに各寮で晩餐会が行われることは、模擬戦終了後に入寮先の寮長から新入団員に告げられていたのだが、負傷して医務室へ運ばれたラナとその介抱をしていたマリーが知る由もなかった。
「失礼しました。グランバード団長! 晩餐会のことは今知りましたので、どうかご無礼をお許しください」
「いくら謝ろうとも貴様が最下位ということは変わらんぞ」
「ぐ……。そ、それはそうと、グランバード団長。隣にいらっしゃるお美しい女性は?」
どうしても、その話題から話を逸らしたかったラナは、真っ先に入って来たのにその後一言も発さずに二人の会話を聞いていた黒髪ロングの女性に話題をすり替えた。
「ああ、こいつは――」
グランバードが紹介しようとすると、女性はスッと一歩前へ出てきて自ら名乗り始めた。
「ルミナ・アレクシアよ。第一騎士寮の寮長をしているわ。以後お見知り置きを」
「ルミナって……まさか、あのルミナ様なのです!?」
英雄志願者を目指す女性なら誰しもが一度は耳にしたことがあるその名前に、マリーは興奮を隠せない。
第一騎士寮の寮長“ルミナ・アレクシア”は、王都サンクトゥス生まれの貴族でありながら、自らの手で世界を救う為に戦うこと選んだ気高き公女の一人。そして、女性の英雄志願者の中でトップを走り続ける実力者でもある。
「ここにルミナは私しかいないから、それで間違いないと思うわよ。そうそう、貴女は私の寮に入って貰うことになったから、よろしくお願いするわ」
「わ、わわ、私がルミナ様と同じ寮に?!」
「ごめんなさい。嫌だったかもしれないけど、女子限定の騎士寮って第一騎士寮しかないの。許してね」
「はい! じ、じゃなくて、問題ないです! 光栄です! よろしくお願いします!」
マリーは、あまりに驚きすぎて語尾の「なのです」がなくなっていた。
かつての英雄の一人であり唯一の女傑、“聖女ディアンナ”に憧れを抱いていたマリーだが、女性の英雄志願者の中で最も英雄に近いとされる“ルミナ・アレクシル”もまた、マリーが目標としている一人だ。そんな人を目の前にして興奮しないわけがない。
――いいなぁ。マリーさんのとこの寮長さんは綺麗で優しそうだし。それに比べて俺のところの寮長はこの人だしなぁ……。
トップの成績であるマリーを歓迎するルミナとは違い、最下位のレッテルを貼られたラナによって、第二寮に汚点をつけられた上に、寮長である自分の顔に泥を塗ったことが気に入らないグランバードは、団服の上からでも分かるほどの逞しい胸板の前で腕を組み、じっとラナを見ていた。
「入寮するのが将来有望な新入団員とは羨ましい限りだ。俺のところには最下位だぞ? しかも、入団初日に俺の手を煩わせるとは良い度胸だ」
「す、すみません」
完全に話を逸らす事も、名誉挽回するチャンスもないこの状況で、これ以上グランバードの機嫌を損ねてしまうと、今後の生活に支障をきたしかねないと思ったラナは、ベッドの上に頭を押し付けて土下座をしながら謝った。
「グランバード。少しは落ち着きなさい。彼女が私の寮に入るのは女性だからでしょう? 彼が貴方の寮に入るのは、運命の悪戯みたいなものでしょ」
英雄志願者として入団した者は、第一から第五十まである寮にランダムで入寮するため、誰がどこに入るのかは模擬戦が終わるまで分からない。ただ、第一寮だけは特別で女性の英雄志願者が少ないこともあり、唯一女子寮になっている。
「確かに運命の悪戯かもしれないが、そんなもののせいで第二寮の質が下がるなら、俺はその運命を呪う」
「嫌だわ。呪うだなんて」
「此奴のおかげで、色々面倒な仕事ばかり増えているんだ。こうやってわざわざ迎えに来たのも模擬戦で負けて怪我をした此奴が悪い。かなり期待できると思っていたが、蓋を開けて見ればこれだ」
「貴方は本当に彼が気になるのね」
「はっ。俺は他人に足を引っ張られるのが嫌なだけだ。これ以上、無様な姿を晒されて第二寮の質を下げられてはたまらんからな」
「素直じゃないわね」
「からかうな」
「さあ、話はもう良いわね。晩餐会が始まる時間だから急いで寮へ案内するわ。マリーさん、ついて来てくれる?」
「はいなのです! ラナ君! お食事はまた今度なのです!」
「お、おう! また今度な!」
マリーはスフィアを胸の谷間にしまい込んだままルミナと一緒に医務室を後にした。このまま連れて行かせていいものかと一瞬考えたが、今はそれが最善だとそのまま見送った。
「貴様もちんたらしてないでさっさと来い」
「は、はいっ! グランバード団長!」
「晩餐会は覚悟しておけ」
――晩餐会で覚悟するって、ご飯を食べるだけだよな……。
せっかく、お祝いとお礼を兼ねてマリーとスフィアを連れて晩御飯を食べに行こうと思っていたのに、楽しい気持ちで一日を終えるどころか、グランバードには最悪の印象を与えてしまった。しかも、最下位なんていう不名誉なレッテルまで貼られてしまうなんて、誰が想像できただろうか。
これから待ち受ける恐怖の晩餐会に不安を抱きつつ、グランバードの後ろを歩くラナの足取りは、大きな鉄球を両足に括り付けられた囚人のように重かった。





