41話 『冤罪です。ただ、食事に誘っただけでした』
【聖十字騎士団編】
医務室で安静にしていると、ミネルヴに報告をし終えて戻って来ていたマリーが、ラナの胸部に巻かれた包帯を取り替えてくれた。マリーは元々、医療関係の家柄で育ったこともあり、手際は良かった。
「すごいのです! もう傷口が塞がっているのです!」
「本当だ! 全然痛くないし、傷跡も残ってない! すげぇ!」
左胸の傷口には、王宮専属の調合術師が調合した傷薬が塗られていた。迅速な処置とその傷薬のおかげで傷口は綺麗に塞がっていた。
マリーが包帯を取り換えてくれたのは、今回で三度目だ。
最初は包帯を取り換えられている時に恥ずかしくて、寝たふりをしていた。それからは、薄目を開けながらマリーの様子を見ていた。
一時間置きに包帯を替えていたことも、汗を掻いた身体を拭いてくれたことも全部知っている。その様子を見ていると、幼い頃に高熱を出して寝込んでいた時、寝ずに看病していた母親の面影をマリーに重ねてしまう。
容姿や雰囲気が似ている訳ではないが、そっと優しさで包み込んでくれる温かさがそう感じさせた。
「ありがとう。マリーさん」
「良かったのです! でも、無理は禁物なのです!」
「うん。ちゃんと安静にしておくよ」
体や心が弱っている時、誰かが傍に居てくれるということは、相手が思っている以上に心強い。もちろん、スフィアのように喝を入れて元気付けてくれることも必要だが、ただ傍に居てくれる優しさは、何よりも嬉しく心配してくれる気持ちがストレートに伝わってくる。そう、ラナは感じていた。そして、マリーの顔を見ていると不意に言葉が漏れ出る。
「もし良かったら一緒にご飯でもどう?」
「え?」
「あ、いや、その……」
――何を言っているんだ、俺はぁぁああ!?
どうしてそんなナンパみたいな発言をしてしまったのか自分でも謎だった。好意を抱いているとか、女の子と一緒に過ごしたいとか、そういうつもりは毛頭ない。
『へぇ。黙って聞いていたら、私を差し置いて二人でご飯を食べに行こうとするなんて、良い度胸しているわね』
『ち、違う! これはですね――』
冷や汗ダラダラで弁解しようとしたが、誘ってしまったことは事実だ。どう切り返そうかと言葉に詰まっていると、
「ラナ君、本当に私と一緒にご飯を食べに行くつもりなのです?」
マリーがとても嬉しそうに微笑みながら訊いてきた。そんな嬉しそうにされては、間違いだったとは言えない。スフィアに弁解するのも途中だったが、先に誘ってしまったマリーの問いに答えてあげるのが筋だろう。そう思ったラナは、
「そ、そうだよ! 傷口も塞がっているし、それにお腹もすいたしさ。マリーさんもまだでしょ?! ほら、あと、なんていうか、入団祝いとか、今日の俺のこと介抱してくれたお礼も兼ねて! ど、どうかな?!」
自分の中では何の下心もなく、ただ純粋にお礼の意味を込めて食事に誘ったつもりだったが、騎虎の勢いをそのままに言い訳っぽく話してしまったせいで、下心があるような感じになってしまった。
やってしまった。と思いつつ、マリーの顔色を窺ってみる。すると、お祝いという特別感のある響きに楽しくなってきたマリーは、
「入団祝いするのです! ラナ君の快気祝いもするのです!」
と、ラナの手を取り二つ返事で承諾した。
「き、決まりだな!」
良かったぁ。と、ラナはホッと胸を撫で下ろした。
「どこへ食べに行くのです!?」
「どこが良いかな。俺王都に来て間もないし、城下町に来たのは今日が初めてだから、この辺のご飯屋さん詳しくなくてさ」
「そうなのです? 実は私も全然知らないのです!」
楽しそうに話す二人をベッドの上から、じっと見つめていたスフィアは、この調子で話が進んだら、自分は置いて行かれるのではないかと、ソワソワしていた。
「じゃあ、城下町巡りしながら、美味しそうなご飯屋さん探そうか!」
「はいなのです! すごく楽しそうなのです!」
掴んだままのラナの手をブンブンと上下に振りながら、無邪気にはしゃぐマリー。
スフィアは、確実に忘れられていると感じると、すぐさまラナに向かって怒りの声を発する。
『模擬戦で負けて凹んでいたのに、元気になった途端、女の子とデート? 金欠男の癖に調子に乗り過ぎじゃないかしら?』
いつになくご立腹のスフィアは、普段よりも刺々しいというより荒々しい言葉をラナにぶつけた。
『デートとかじゃないってば! ちゃんと、スフィアさんも連れて行くから』
『本当かしら? 怪しいものね』
『本当だって! 嘘だと思うなら、俺の心を読めばいいだろ!』
『嫌よ。そんなくだらない理由で無駄に体力消費したくないもの。というか、金欠なのにどこに食べに行こうって言うのよ。女の子に払わせたら、模擬戦で負けた以上に格好悪いわよ』
『その点は抜かりないよ。英雄志願者になったから、王都の料理は無料で食べ放題だからね!』
英雄志願者になることで、衣食住は半永久的に保証されている。その内の一つが、無料でご飯を食べることができる特権。“無料お食事権”だ。
悪しき者と戦い、世界を平和に導くために戦わなければならない英雄志願者にとって、空腹は死活問題だ。そのため英雄志願者は、いついかなる時でも戦場に赴く準備を怠ってはならない。
だから、金欠などという問題は、あってないようなものなのだ。
「ラナ君? どうしたのです?」
「ごめん、ごめん! とりあえず、もう少しだけ休んだら行こうかな」
「はいなのです! 私、新しい団服を貰って来るのです!」
と、マリーが医務室から出るそぶりを見せた時、
コツン。コツン。コツン。
カツン。カツン。カツン。
と、医務室の外側から音の異なる二つの足音が聞こえて来た。その足音に過剰反応したスフィアは、条件反射的にマリーのたわわな胸の谷間へと逃げ込んだ。
「きゃっ!」
突然のことに驚いたマリーは、可愛らしい声を上げた。
『スフィア様!? 何をしているんですか?!』
『うるさいわね。誰か来ると思ったから、つい隠れちゃったのよ』
スフィアがジタバタしているせいで、上下左右に動く柔らかそうな胸が躍るように揺れている。しかし、わざわざ胸の谷間に隠れる必要があったのだろうか。不思議に思いながら、揺れが止まるまで見ていると、定位置を見つけたスフィアが、谷間から耳だけ出して医務室の入り口の方へと向けた。
『やっぱり、誰かこっちに向かってくるわ』
『誰かって?』
『知らないわよ。もうすぐそこまで来ているから、私はここで大人しくしておくわ』
そう言うと、胸の谷間に身を潜めてしまった。それから数秒もしない間に、
コツコツコツコツ!
カツカツカツカツ!
と、大きくなっている足音が、少し小走りのような速度で近づいて来たか。そして、木製の扉を勢いよく開け放たれた。そこに現れたのは、黒色の団服を綺麗に着こなし、左腕の腕章とは違う赤色の腕章を右腕に付けた男女二人組だった。
「悲鳴が聞こえたけど、大丈夫?!」
真っ先に医務室の中へ飛び込み、声をかけて来たのは、黒髪ロングに真っ赤なメガネをかけ、見た目がちょっとキツそうな感じのわりと綺麗な大人の女性という感じの人だ。黒色の団服を着ているところから判断して、グランバードと同等の地位にいる人に違いない。
「貴様、模擬戦で無様な姿を晒したかと思えば、次は女性に乱暴か?! もしそうなら、この場で切り捨ててやってもいいが、何か弁解することはあるか?」
何処かで聞いたことがある声だと思えば、もう一人はグランバードだった。
鬼のような形相で睨みつける目には、疑いの文字が浮かんでいた。完全にラナが何かしでかしたと思い込んでいるようだ。
あまりに唐突過ぎて言葉が出ないラナたちは、時が止まったような錯覚に陥り、硬直したままグランバードたちと睨めっこ状態になっていた。





