40話 『決意を新たに、英雄志願者ラナ・クロイツが誕生しました』
決着がつき、闘技場内を静寂が包み込む中、ミネルヴは勝者の手を取り高々と掲げた。そして、勝者の名を告げる。
「勝者はラナ・クロイツ!」
勝者の名が呼ばれると、会場は今日一番の盛り上がりを見せた。興奮した観客たちは続々と闘技場中央へ駆け下りてくる。そして、千人を超える観客がラナの下に押し寄せた。
「さすが、英雄になる男だ!」
「俺たちなんて足元にも及ばないぜ」
「世界を頼んだぞ」
と、観客たちは手のひらを返したように称賛の声を浴びせた。そして、
「「「ラナ・クロイツ! ラナ・クロイツ! ラナ・クロイツ!」」」
と、ラナの戦いぶりを見て、世界を救う英雄になると確信した観客たちは、合唱するかのようにラナの名を叫び続けた。
「み、みんな……ありがとう……」
こんなに大勢の人たちに注目され、脚光を浴びたことがなかったラナは、気分を良くして天高らかに十字剣を掲げた。そして、大きく息を吸い込み、
「俺はラナ・クロイツ! 何れ世界を救う最強の長剣使いの英雄になる為に生まれてきた男だ!」
と、傷だらけの体に鞭打って観客たちに向けて宣言した
「「「おおぉぉおおお!」」」
無駄に格好をつけた発言にもかかわらず、観客たちは大袈裟なくらいに良い反応をしてくれた。更に気分を良くしたラナは、観客の反応に対して応えようと再び口を開く。
「俺は絶対に……えいゆ……う……に」
――あ、れ?
突然、白い靄のようなものが目前に広がり始めると、どんどん視界が狭まっていく。視界が狭まれば狭まるほど、意識は遠くなっていく――。
――
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「……ナ君! ラナ君! ラナ君!」
意識が戻り始めると、女の子の声でラナの名を呼ぶ声が聞こえて来た。
――誰……?
白くフェードアウトした意識が真っ暗闇の中で戻ってくると、その声が鮮明に聞こえ始めた。
「ラナ君! 大丈夫なのです?! 私のことわかるのです?」
「マリー……さん?」
薄っすらと開いた目に映るのは、心配そうにラナの顔を覗き込むマリーの顔だった。
辺りを見渡すと生成り色の布がピンと張られた綺麗なベッドが横一列に並べられていた。薬品の匂いも充満しているし、どうやらここは医務室なのだとラナは気づいた。
「マリーさん。顔、近いです」
「ご、ごめんなさいなのです! ラナ君が倒れた後、医務室に運んできたのです。だけど、全然起きなくて心配だったのです」
ラナが無事に目覚めて安心したのか、涙を浮かべて床にへたり込んでしまった。
「そっか。俺意識を失って……、マリーさん心配かけちゃったみたいだね。ごめん……」
――せっかく勝ったのに、意識を失って倒れたとかカッコ悪いところ見せちゃったな。
『何を格好つけているのよ。はっきり言って、今日は模擬戦の時から格好悪かったわ』
『スフィア様!?』
聞き覚えのある声が脳内に響いてきたので、慌てて上体を起こして周囲を見渡してみたが、スフィアの姿はどこにもない。触れていなければ聞こえないはずのスフィアの声が、どこから聞こえてくるのかとラナは頻りに辺りを確認した。
『ここよ』
そう言うと、マリーの胸のあたりがもぞもぞと動き始め、谷間から白銀の猫がひょっこりと顔を出した。
「ス、スフィア様!?」
「この猫ちゃん、スフィアっていうのです? 可愛い名前なのです!」
「な、なんでマリーさんの……その……む、胸の谷間から?!」
スフィアのせいでモロに谷間を直視してしまったラナは、目のやり場に困ってしまい、とても言いにくそうに訊いた。
『女の子に対して胸の谷間とかセクハラよ。セクハラ。君って本当にデリカシーの欠片もないわね』
『いやいや! スフィア様が、そんなところから出てくるから悪いんじゃないか!』
セクハラ呼ばわりするスフィアをジッと睨みつけて言ったつもりだったが、マリーからは自分の谷間をガン見しているようにしか見えない。
「そ、そんなに見ないでほしいのです。恥ずかしいのです」
マリーはスッとスフィアを取り出すと、顔を赤らめ胸を隠した。
「ご、ごめん! な、なんでスフィア様がここに!?」
「ラナ君が倒れた時に、私の前に飛び込んできたのです。多分、ラナ君のことを心配して飛び出してきちゃったんだと思うのです。一応、魔族は入団式と模擬戦の最中は王の間と闘技場には入らない決まりになっているのです。だから、他の人に気づかれないように急いでここに隠したのです」
「なるほど、それでそこにいたんですね」
スフィアは、式典担当の一般兵が闘技場の見回りをするという理由で、闘技場内にある一室に入れられていたのだが、ラナに対する誹謗中傷の嵐が聞こえてきて、慌てて部屋を飛び出していた。
マリーの機転により騒ぎにならなくて済んだが、カルネとアレキサンダーが無断で聖地に入った時のことや模擬戦中のルールを思い返すと規則を破ったら、かなりの大ごとになっていただろう。
「マリーさん、ありがとう」
「スフィアちゃんも心配そうにしていたから、ラナ君が目を覚ましてくれて良かったのです」
「本当に心配かけちゃってごめんね」
「大丈夫なのです! あの、私、ミネルヴ様にラナ君が目を覚ましたことを報告してくるので、ここで安静にしていてほしいのです」
「あ、うん。わかった。ありがとうマリーさん」
「ラナ君はちゃんと休んで元気になるのですっ! スフィアちゃんは、ここでラナ君と大人しく待っているのです!」
そう言うと、ラナが目覚めたことが嬉しかったようで、とても軽やかな足取りで医務室から出て行った。
『まったく、本当に君があんな盛大に負けたから心配したじゃないの』
『負けた!? 俺が?』
『そうよ。遠くからでも見えるくらい盛大に斬られて倒れていたわ』
意識を失うまでに見ていたあれは何だったのだろうか。ラナは眉間にしわを寄せて首を傾げた。
『先に言っておくけど、君がさっきまで楽しそうに見ていたのは夢よ』
『ええ!? そうなの!? どこからどこまでが夢!? って、何で夢だってわかるの!?』
『私もここへ来て気づいたけど、一定の距離離れていても会話ができるし、集中していれば頭の中で考えていることとか、夢まで分かるようになってきたみたいね。色々あったからその分、熟練度が上がったってところかしら』
『ますますプライベートがなくなるじゃないですか……』
『大丈夫よ。今のところはこの距離が限界みたいだし、かなり集中していないとできないみたいだから』
どうやら、手を伸ばせば触れる程度の距離までなら相手のことが分かってしまうようだ。
『今のところは……ですか』
『それよりも、夢と現実の区別もつかないなんて、君の頭はおめでたいわね。あんな恥ずかしい夢を見せられた私の身にもなってほしいんだけど』
『面目ないです。でも、本当に負けたんですか?』
未だに自分が負けたことが信じられないラナは、半信半疑で訊いてみた。
『仕方ないわね。覚えていないなら、模擬戦がどうなったのか簡単に教えてあげましょうか?』
スフィアは少し面倒くさそうに言いつつも、
『お願いします』
と、何も知らない可哀想なラナが頭を下げてお願いする姿を見て、それはもう嬉しそうに、いつものように優越感たっぷりで答える。
『簡単に言ってしまえば、君が左胸を突かれて、心臓に達する直前にミネルヴ様が止めに入ってくれたから大事には至らなかったけど、君はそのまま意識を失って負けてしまったわ』
「嘘でしょ!?」
ラナは自分が思っていた格好いい結末ではなかったことに、思わず声を荒げた。
あの時、火花を散らしながら放った斬撃は互いの刃が弾かれると、ラナの握っていた十字剣は華麗に宙を舞い、起動が逸れたアンドリューの剣先はラナの左胸に一直線に向かい、そのままラナの左胸を突き刺していた。
結局のところ、アンドリューに一太刀も浴びせられないまま、呆気なく模擬戦は終わったらしい。
勝敗が決まり、最後にラナが見た血飛沫は、自分に突き刺さった十字剣が引き抜かれた時に舞っていたもので、青空が見えたのは、無数の傷と左胸の傷から大量に流れ出た血のせいで、立っていられなくなり、仰向けに倒れてしまったからだった。
――何もできないまま、あんなやつに負けたのかよ……。
ラナは下唇を血が出るほど強く噛み締め、悔しさで体全体が震えていた。
『悔しいなら強くなれば良いのよ。君の夢はあのフェイカーに勝つことじゃないでしょ?」
『そうだけど……』
『君は英雄になるんでしょ? それだけに向かって進めば良い話じゃないの? 世界を救おうっていう男が一回負けたくらいでウジウジしているなんて、滑稽な話よね。それで私のパートナーが務まると思っているのかしら?』
慰めの言葉は必要ない。
自分の夢に向かって真っ直ぐ突き進もうとしているラナが、偽りの志を掲げているフェイカーに負けて、肉体的にも精神的にも弱っていることなど、スフィアには到底許せなかった。
『でも……』
『でも……。じゃないわよ。俯いている暇があったら、もっと鍛錬して強くなって誰もが認めるような最強の長剣使いの英雄になれば良いじゃない!』
普段、声を大にして話さないスフィアが、心の声とは言え頭に響くような大きな声で喝を入れてくれた。
『そう、だよな……。うん、落ち込んでいる暇なんてない! もっと強くなるよ! 最強の長剣使いの英雄になるために!』
不器用なりにも気持ちの込もった喝のおかげで前向きになれたラナの目には、闘志の炎がメラメラと燃え滾っていた。
入団式で正式な聖十字騎士団の一員として仲間入りを果たし、模擬戦で自身の実力の無さを知った。全てが納得のいく完璧な内容ではなかったが、聖十字騎士団の英雄志願者ラナ・クロイツとしての物語がようやく幕を開けたのだ。





