39話 『戦いの果てに見えたのは、青く澄んだ晴天でした』
アンドリューの振りかざした十字剣は、空を切らずラナの刃に思いきりぶち当たり、甲高い金属音が鼓膜を激しく揺らした。
「痛ってぇぇええ!!」
カウンターを繰り出すどころか攻撃を回避することもできずに、勢い余って自分の構えた十字剣の剣先で、左腕を浅く切ってしまった。
剣で切られる――自分で切ってしまうなんて、経験をしたことがないラナは、痛さのあまりに叫んだ。
「けけけ。長剣使いの英雄ラナ様が剣の扱いも上手く出来ないのか? ああ、そうかぁ。もしかして、長剣使いの英雄様だからハンデでもくれたのか? そりゃあ、長剣使いの英雄様だしなぁ?! けけけ」
ほぼほぼ棒立ちで攻撃を受けてしまったラナを嫌味ったらしい顔をしながら、“長剣使いの英雄”と連呼して挑発してくるが、当の本人はそれどころではなかった。今まで戦った相手の中でも、一番遅い攻撃を避けられなかったのだ。ちゃんと目で追うこともできていたし、どこに斬りかかろうとしていたのかも分かっていた。それなのに何もできなかった。
理由が全く分からなかった。
マルスの豪快な拳や地獄の猟犬の素早い攻撃は、何の問題もなく回避していたはずなのに、アンドリューの攻撃には体が全く反応しない。
――どういうことだよ。本当にビビっているのか……? 俺は。
思考回路が停止寸前になっているラナは、黙って左腕から流れる血をじっと見つめているだけ。反撃する素振りも見せない。
ここでスフィアが一緒に居てくれたなら、理由は簡単に分かったのだが、目の前の相手に手いっぱいのラナには絶対に分からなかった。
「そっちが来ないなら、次は右腕を切っちまおうか!」
痺れを切らせたアンドリューは、再び攻撃を仕掛けてきた。
――何が起こっている……?
ラナは完全に困っていた。傲りなんてないし、ましてや地獄の猟犬の時みたいに油断もしていない。この状態なら無意識でも体が勝手に反応して避けられるはずなのに、それができなかった。
――まさか、こいつの英雄たる資質?!
超高速回避は絶対に回避できるはずなのに、それができなかった。つまり、自分が攻撃されたのは、アンドリューが特殊な覚醒の予兆の力を使ったのか、それとも英雄たる資質を使用したせいだと思ったラナは、考える時間を作るために十字剣で防御する姿勢を取った。
もし、アンドリューが相手の動きを制限する何らかの力を使用しているなら、防御することすら出来ないはずだ。
宣言通りに右腕に向かって斬り込んでくる攻撃を防ぐため、十字剣を右側に構えた。
「残念、ガードが甘すぎるぜ。けけけ」
「何!?」
身を捩り、左側へ回り込んだアンドリューの斬撃がガラ空きになった左腕を斬りつけた。
「痛ってぇぇええ! 何で!?」
ラナ自身はしっかり防御態勢に入っていたし、自分の意志で動くことができていた。それなのに防ぐことができない。やはり何かの力を使っているのではないかと、思い始めていたのだが、
「こりゃあ、力を使う必要はねぇな! 弱過ぎて、本気も出せやしないぜ!」
と、何の力も使っていないことを知らされる。
最初からラナを格下の相手だと思っていたアンドリューにとって、一度の攻撃は力量を見定めるためのもの。二度目の攻撃は単なる騙し討ち。それを避けるどころか剣で受けきれないとなれば、アンドリューが言うように本気を出すまでもない相手だと判断されても仕方がない。
――嘘だろ……? じゃあ、何で時間の錯覚が発動しないんだ?!
ラナは、かなり動揺していた。油断なんてしていないし、相手の動きにも集中していた。発動条件も満たしているはずなのにどうして発動しないのか。ラナの中で謎は深まるばかりだった。
「おらおら、次行くぜぇ!」
次々に繰り出される斬撃に成す術なく一方的に受け続け、切り傷が増える一方だ。
そんなラナの姿を見た観客たちは、バカな発言はしていたが、入団式の時に見せた貫禄さえ感じさせる真の英雄志願者が現れたと期待していただけに、無様な姿を見て落胆の色を隠せなかった。
「結局、あいつも口だけのフェイカーじゃねぇか」
「ありゃダメだな。覚醒の予兆も使えない奴が英雄になれるわけがない」
「弱過ぎる」
誹謗中傷の嵐。
それは反面、久しぶりに現れたバカなほど真っ直ぐに英雄を志した英雄志願者への期待の表れでもあった。
「無様な姿を晒すなと言ったはずだが……。どうやら、聞いていた話と違うようだな」
グランバードも他の観客たちと同様に落胆していた。
ラナに見た真の志とマルスから聞いていた類稀なる才能。全てが見当違いの大間違い。もうラナに期待することは何もないと、見る気が失せたグランバードは溜め息を一つこぼし、首を横に振った。
その一方で、そんな声を聞く余裕すらないラナは防戦一方だった。
「くそっ!」
「まだまだ行くぜぇええ!」
数十回と斬り込んでくるが、アンドリューは戦闘不能に陥るほどのダメージを与えてこない。手加減しているからなのか。それとも、致命傷を負わせて反則負けにならないようにしているだけなのか。どちらにせよ、遊ばれていることは確かだ。
――くそっ! いつまでも時間の錯覚が発動を待っていたら、やられる。
防戦一方だったラナは、英雄たる資質の力に頼ることを止め、剣技だけで立ち向かうことにした。そして、何度も繰り返される斬撃の数々を観察していたラナはガキンッ! と、アンドリューの一撃を綺麗に防いで見せた。
「おっ? 反撃開始かい?」
「アンドリューさんでしたっけ? どうして、英雄志願者になろうと思ったんですか?」
「金と女に決まっているだろう。 まあ、お前みたいに弱い奴でも英雄になれると思い上がっているなら、俺でも簡単に英雄になれるだろうな!」
それを聞いたラナは、今日初めて知ったフェイカーの存在を全否定したくなった。こんな気持ちは生まれて初めてのことだ。例えどんなに憎まれ口をたたかれようとも、はたまた大勢の人に嫌われている人がいたとしても、必ず良いところはある。変われる可能性があると思っていた。
しかし、フェイカーたちは違う。
スフィアの言っていた通り、私利私欲のために英雄志願者になり、偽りの志を誓い、我が物顔で甘い蜜をすする下衆な集団。ラナが絶対になりたくない存在へと位置付けられた。
「あんたらは最低だ。でも、俺は違う。本気で英雄になって世界を救いたい。だから、絶対にフェイカーなんて言われるような英雄志願者にはならない」
不純な動機で英雄志願者になったアンドリューと、そんな相手に好き放題にやられている自分の不甲斐なさに怒りを覚えた。
怒りで十字剣を握る手に力が入る。
「はっ! そんなことは俺に勝ってから言うんだな」
今までの攻撃速度とは比にならない速さで斬り込んでくる。恐らくこれで勝負を決めるつもりだ。
「あんたらみたいな奴は俺が許さない。絶対に」
ラナは左足を一歩前へ出し、半身立つ姿勢で十字剣の切っ先を真正面から飛び込んでくるアンドリューへと向けた。
十字剣を突き出し飛び込んでくるアンドリューに臆することなく放たれた突きは、互いの刃を掠め、骨の髄まで響くような金属音が火花を散らしながら響き渡る。
そして二人の勝負は、その一撃で決着がついた。
「ぐっ……」
血しぶきが舞い、ドッ! と、歓声が上がるとラナの目の前には青く澄んだ晴天が広がっていた。





